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5-3:勉強会(3)

「ケイとハヤテ、危うく遅刻だったわね」


 役所の玄関を一人で出たところでミミが話しかけてきた。ミミは前のほうに座っていたけれど、おれたちが遅れてきたことに気づいていたのか。


「焦ったよ。勉強会の日に領長を待たせるなんて前代未聞だからさ。先駆者にならなくてよかった」


 ミミは口元を手で隠してくすくすと笑った。おれの父さんがミミについて特別美人ではないけれど独特の色気がある子だって評していたのを思い出した。仮にも学舎の先生が何を抜かしてるんだって呆れたけどいわんとしていることはわかる。


 ふとおれたちの背後に人けを感じた。


「よう二人とも。有意義な勉強会だったな」


 ルイが割って入ってきた。最近こいつはめっきり背が伸びて、ちょっと見上げなければならなくなった。同い年の中では小さい部類に属するおれとしては羨ましい限りだ。


「そうね。百年懺悔もだけど、大人たちがいってた遠征の意味が詳しく知れて勉強になったわ」


「僕は一番前で皆の反応を窺えておもしろかった。けどケイたちはおとなしかったな。いつもは黙って聞いてる柄じゃなのに今日は質問もしなかったし」


「まあな。一応、領長が話してた内容は全部知ってたから」


「へえ。それはすごいな」


「さすがケイは物知りね」


「いやいや。興味があっただけだよ」


 ハヤテとおれは遠征に関してムゲンさんや領長や父さんに質問しまくってきた。訊けば親切丁寧に教えてくれるのでおれたちの知識は徐々に増え、遠征に付随する様々な情報――レイル島の歴史とか神族や半人種についてとか――も自然と蓄えられていった。


「散らかってた記憶を整理できたからおれも勉強会は為になったよ」


 目も口もデカいルイが大きな笑顔を見せながらうんうんとうなずいた。面倒くさいときもあるけど基本はいい奴なんだよな。


 おれたち三人は並んで歩きだした。


「しかし領長の話だと、人間への転化は個人個人ではなく領単位でおこなわれるみたいだな」ルイが両手を頭の後ろで組んでいった。


「そりゃそうでしょう。領に科せられた罰なんだから」ミミがさらりと応じる。


「すると有無をいわさず全島民が人間になるわけだ。僕は別に今のままでもかまわないんだけどな」


「ルイはいいわよ。犬になって野山を駆けるのなんてすごく楽しそうだもの。可愛いしね。あたしは化体が牛なんだから早く人間に変えてもらいたいわ」


「そ、そうか」


 なぜかルイが照れている。可愛いっていわれたからか。単純な奴だ。


「ケ、ケイはどうなんだよ。完全な人間になりたいのか」


 落ち着けよ、っていったらルイはもっと焦りそうだからいわないでおこう。


「うん。なりたい」


「あら、その程度? 是が非でもって感じではないのね」


 どきっとした。自分では肯定は肯定でしかなかったのにその奥にひそむ熱の入れ具合を探られて、しかも的外れではない指摘をされて、なんとなく裸を見られたような気恥ずかしい心地がした。やっぱりミミは年上のお姉さんみたいに威圧感とは異なる種の静かなる支配力がある人だ。


「……正直いうとさ、ミミの前ではいいにくいんだけどさ」


「大丈夫よ。何」


「おれ個人の感情としては、たしかに心の底から渇望するまでに至ってないと思う。というのは化体が女だからって心底困った経験がないから、さ。でもまわりの、特にヒト以外の化体を持つ島民たちの苦労を考えれば人間に戻るべきだと思うし、おれはそれが実現すると思ってる」


「そっか。ケイはレイル島全体のことを考えてくれているのね」


 ルイが割り込む。「島全体で見たら明らかに『人間に戻るぞ!』って流れだものな。僕と同じくどっちでもいいって意見はたまに耳にしても、化体族のままがいいって主張する島民なんて皆無だからな」


「しかもどっちでもいいって口にするのは子供だけで、そういう子供も大人になれば人間になりたくなるものだっていわれてるわよね」


「よく聞くね。おれの親もそんな感じだったらしいし」


 おれの家族は皆太陽グループだ。〝月の日〟になるとおれは女に、父親は猿に、母親は男に変化する。とても仲のいい両親は毎日いちゃつきたいというアホくさい理由で人間になることを望んでいる。


 人間に戻ることに関してはハヤテの両親も役所の人たちもご近所さんも、おれのまわりの大人たちは皆賛成派だ。賛成「派」と称するまでもないか。この島には否定派はいないんだから。ルイがいったように化体族でいたいとか人間になりたくないとかぼやいてる大人は見たためしがない。


 この一方向に吹く恒風の風上に立っているのが領長だ。領長の遠征達成にかける思いは筋金入りで、領長の強固な意志に影響を受けている島民もいると思うんだよな。油を注ぐようなもので、個人の心に少しでも火が燃えてなければ影響はしないわけだけど。


 大きく二手に分かれている道に差しかかった。


「あたしとルイはこっちだから」ミミがおれの帰り道とは反対の方向を指差した。


「じゃあなケイ」


「うん。またな」


 ルイが踵をくるりと回して歩きだしたがミミはその場に立ち止まっていた。どうしたんだろう。声をかけようとした矢先、彼女がぽつりとつぶやいた。


「ハヤテ、もう見えなくなっちゃったわね」


 ミミの視線がおれを通り越して遠くを見つめていた。おれはあくびが移る感じで連鎖反応的に同じ方向へ目をやった。ハヤテが帰宅する際の通り道である急でもゆるやかでもない上り坂には、動くものの姿は猫一匹さえなかった。


「相変わらず一人だけ遠くにいる人なのね」


 適当な相槌を打つのが難しい微妙さが漂っていた。おれは無言のままそろりと彼女の表情を窺った。彼女の顔は陰りを帯びていた。


「ミミ。どうかしたかい」先を歩いていたルイがこちらを振り返って尋ねた。


「なんでもないわ。ケイ、じゃあね」


 ミミはすたすたと歩いていった。


 おれは手を小さく振って二人の背中を見送った。しなやかに揺れる彼女の長い髪に目を据えつつ、あの()でハヤテの話題が出てくる不自然さに意識を傾けていた。


 ミミはもしかしてハヤテのことが――。


 役所のほうからかまびすしい声が近づいてきた。例の三人組だろう。おれは上り坂の方向を向いて前進し始めた。


 きっとそうだ。ミミはハヤテが好きなんだ。


 別に驚きはしない。落ち込みもしない。おれはミミと交際したいわけじゃないし、というかミミがおれなんかを相手にするわけがないし、ハヤテみたいな男が好きなら納得だ。ハヤテは生まれる前から特別。神の子と呼んでもいいすぎではない男なのだから。


 ハヤテの母さん――サユリおばさん――の腹にハヤテが宿っているときに、神からお告げがあったらしい。


 その子はやがてレイル島の民を救うだろう。祝福をあたえるのでわたしの傍らでその子を産みなさい。――という内容のお告げ。


 サユリおばさんは神の声に従った。神がときどき憩いにくるといわれている神ノ峰の頂上まで翼竜に運んでもらい、そこでハヤテを出産した。


 一日置きに体が別物になってしまう化体族だけれど、例外が一つだけあって、産婦は産気づいてから出産を終えるまでは日をまたいでも化体にはならないのだ。子を産みきるまでヒトの女性のままだ。サユリおばさんもそうだった。


 かくして神ノ峰で誕生した赤ん坊すなわちハヤテは、今までの化体族では類を見ない特異な性質を持っていた。姿形ではなく性格が変わるという境遇は、実際になってみなければ苦か楽かはわからないけれど、こと肉体を鍛える上ではとても有利となる。ふつうの島民は本体と化体ではまったく別個の肉体になるから、たとえば今日血眼になって体を鍛えたところで明日の筋肉にも疲労にもつながらない。明後日まで持ち越しだ。その中日(なかび)に動物になってしまうと剣や弓などの稽古ができなくなるし、同じヒトである異性に変わるんでも肉体が別物な以上は体つきや筋力や運動能力が等しいのはあり得なく、すると同じように動いたつもりでも武器のさばき具合も矢の飛び方も勝手がちがってくるのだ。毎日同一の体で鍛えられる人間と比べた場合、化体族は戦闘において不利な傾向にある。


 遠征に出ればいつだれと戦う状況になるか知れない。特に人間は人間同士でも争い事が多いくらいだし、半人種である化体族に突っかかってくるのは想像に難くない。そうなったときに勝負に勝てる実力者が必ず入用になるわけで、そこんとこいくとハヤテはまさにレイル島が求めていた期待の星なんだ。あいつは人間のように常に同じ体で修練を積めるばかりか、肝心の実力についても申し分のない男。西大陸で商人をしているマルコスさん曰く、人間の少年たちと比べてもハヤテは頭一つ抜きんでた身体能力と卓越した剣の腕を有しているそうだ。はっきりいってムゲンさん以外際立った強さを持つ大人がいないレイル島にとってはすごく貴重な人材なんだ。


 ――その子はやがてレイル島の民を救うだろう――


 神が残した言葉。レイル島の民を何から救うのか。それは、化体族である現状から、にちがいない。化体族から人間に戻ることによって、レイル島の民は救われるんだろう。


 さっき領長は心身ともに強き者を求めていると語っていた。強き者と聞いてムゲンさんの顔が浮かんだが、ときを置かずにもう一人、ハヤテを思い浮かべたのはおれだけじゃないはずだ。皆口には出さないけれどハヤテに大きな希望を抱いている。神に選ばれたレイル島の救世主だと信じている。


 五年後、遠征に出るのは、ムゲンさんとハヤテだ。

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