5-2:勉強会(2)
ざわめきが落ち着くのを待ってから領長はつづきを語り始めた。
「人間と半人種は絶対に交わってはならん。それが自然界の掟というものだ。だがその掟が不幸にも我々の同胞によって破られたのだ。有史以来初めての事変に神はお怒りになられた。背徳者への天罰は当人のみならずエデンレイル領全体に科せられ、すべての領民が今日のような化体体質になり変わってしまった。他領から虐げられたエデンレイルの民はもはや西大陸での生活は不可能な状態にまで陥り、当時の大公によって無人島であったこの地へ移り住むよう命じられたのだ。かくしてこの島にやってきた我々の祖先はこの島をレイル島と名付け、人と動物が居住できるよう一から開拓を始めたのだ。我々が大海の孤島の内でつましいながらもなんとか平穏に暮らせているのは、先人たちの多大なる苦労があったからだとゆめゆめ忘れてはならぬ。むろんエデンレイル領だけがこのような仕打ちを受けたのではない。交わりは相手があってのこと。相手の女の種族にも天罰が下った。半人種であった天人族は人間となったのだ。彼らは西大陸の南東部に移り住み、セスヴィナ領を築いた。天人族は空に居をかまえていたもんで半人種の中では仰がれる種族だったそうだから、下界で人間として生きてゆかねばならぬのは屈辱的だったろう。直接聞いたわけではないので本心はわからんがの」
セスヴィナ領とは九十五年前の例の出来事以降いっさい交流がない。天人族から人間に転化して実際どう感じたのかも、現在セスヴィナ領の民がどんな思いを抱えて生きているのかも、興味はあるけれど知る手立てがないのだ。
「百年懺悔という言葉を耳にしたことがあるかの。あらゆる罪悪も百年のあいだ反省し心を入れ替えれば神にゆるしを請うことができるという、この世に広く浸透している通念だ。我々は当然ながら同じ過ちは繰り返さなかった上、この九十五年間ひたすらに懺悔しつづけてきた。当事者の欲目を抜きにしてもレイル島の民は赦免を求める資格に値すると信じている。五年後、忌まわしき悲劇から百年経ったとき。神に会いにゆくのだ。神の実体があられるかどうかはわからんが、神はたしかに存在する。我々を人間に戻してもらうよう神に要請するのだ」
おれに背中を見せてる奴らの背筋がピンと張った。だれも騒がないばかりか逆にしんとしたあたり、遠くないいつかに人間になれるかもしれないことはここにいるだれもが把握していたんだろう。いよいよ領長の口から具体的な構想が語られて、驚きよりも緊張や奮起がそれぞれの心の中に生じているように感じた。
「領長。質問してもいいですか」
女の子の中で中心的存在のミミが尋ねた。ミミは領長やおれたちに顔を見せるためか、長い髪を反対の手でかき上げ、毛先を全部片側の肩に持っていって横顔と首をあらわにした。彼女はそういう仕草が様になる。大人びていて同い年の男どもから人気のある子だ。おれもちょっと憧れているのは内緒だ。
「ルイとちがって断りを入れているので許可しよう。なんだ」
野郎どもがぷぷっと笑った。ルイは耳を赤くしてうつむいていた。
「百年懺悔の百年とは『一生』を表していると聞きました。だから数字としての意味はないと思うのです。百年経ったときに、そもそも神様が取り合ってくれる確証はあるのでしょうか」
ミミのはきはきした物いいに彼女の近くに座っていた二、三人の友達がうなずいて同調した。
「ふむ。お前さんたちはもしかしてこんなふうに教えられたか。罪は死ぬまで消えぬ。生涯に渡って自他を苦しめる。だから罪を犯してはならんのだとな」
「はい」
「だれに教わった」
「えっとだれだったかしら……。あ、そうそう。本で読んだんです」
なるほど。本から得た知識って話したくなるもんな。ミミがまわりの女の子たちに広めたんだろう。おれもそんな内容が書かれた本を読んだ記憶がある。というかおれがミミに貸したかもしれない。だとしたら余計なことをした。百年懺悔は本当はそういう意味ではないのに。
「人間の著者からの影響か。やはりな。おぬしが述べていた解釈は人間が後から道徳的意味を持たせた処世訓もどきに過ぎん。百年を『一生』と捉えるのは明らかに人間目線だからのう。半人種には何百年も生きる種族がいる。その者らからすれば百年は一生ではなくあくまで数字だ。百年は昔からあらゆる流れが一新する大事な区切りとされており、懺悔の時間もそれくらい要するというわけなのだ。ミミよ。百年懺悔の真意はわしが先にいったように、百年ひたすらに悔いそして改めれば神にゆるしを求められることだと、ゆるされるかどうかはわからぬが求めはできるのだと、そう覚え直すのだ。実際に神が取り合ってくれる確証はあるのかと問うたな。断言しよう。ある。九十五年前、人間から化体族に転化したその日、エデンレイル領の領長であったわしの曽祖父が神の啓示を賜ったのだ。『旧に復したくばわたしを訪ねるがよい。ただし百年後、しかるべき誠意をもった者であれ』とな。罪を犯した男がまったく同じ神言を聞いたと証言しているので空耳などではないぞ」
領長から真っすぐ視線を向けられたミミは「わかりました」と発した。その回答を待っていましたとばかりに領長は満足げに微笑んだ。
「さて、今語ったように神自らが救いの一手をご教示くださった。我々としては、やらない手はないではないか。五年後、神を訪ねるのだ。……と意気込んだところでだれでも神に謁見できるわけではない。王が認めた者でなければ目通りは叶わない。王というのはこの世の天と地を統べる双子の神族だ。天を統べる天王はこの世の一番高いところに、地を統べる地王はこの世の一番低いところに御座す。両王は同等の力を有している。よってどちらか一方の許可をもらえばよい。王に会うにはまた手筈が必要だがそんな細かい説明はここでは省くとして、とにかく神の御もとへ参上し、人間にかえしてもらうことが我々の大望である。この島を出発し大望を果たすまでの一連の道程を〝遠征〟と呼んでいる。島民の中から選ばれし数名に遠征に出てもらう」
ハヤテは腕を組んで深呼吸をした。勉強会が開始してから初めて大きく姿勢を変えた瞬間だった。遠征という言葉にはどうも反応してしまうようだ。
「天王地王どちらの王宮へも長い長い階段がつづいている。ヒトの足では気の遠くなる日数を要す。ではどういう移動手段を使うのか、その辺の策は考えてあるが、いずれにせよ健脚に越したことはなく、体が丈夫であることが遠征にゆく者の第一条件だ。しかし体だけ立派では事足りん。王より神に会わせるにふさわしい人物なのか試されるという。何をどのように調べるのかは不明。わしはあらゆる試練を乗り越えられる心身ともに強き者を求めている」
強き者、か。真っ先に思い浮かんだのはムゲンさんだ。剣術の先生であるムゲンさんは心技体すべてに優れただれもが認める実力者だ。島民からの信頼も厚く、十年後か二十年後には領長になっていると思う。そんな人が期待を寄せられるのは当たり前で、公にこそされていないものの領長がムゲンさんを主軸として遠征の計画を練っているのはだれの目から見ても明らかだった。
「我々の祖先は人間として世を送った歴史のほうが遥かに長い。現在もその名残は色褪せず、わしは心は半人種ではなく人間のつもりだ。考えてみれば人間と我々の差など化体においてのみであって本体は人間となんら変わりはない。寿命だって同じだ。九十五年前に生きていた島民はもうおらぬ。この九十五年のあいだにレイル島民が抱きつづけてきた悲願を達成すること、それこそが今を生きる我々の使命なのだ。五年後。諸君らは十七の歳だ。一番体力も気力も満ちあふれているとき。どうか精進し、一人でも多くの遠征候補者が現れてくれるのを切に願っている。これからも文武に励み大きく成長するようにな」
はい、と今日一番元気のいい返事がそろった。おそらくハヤテ以外は皆声を出した。
「わしからの話は以上だ。明日は月グループに同じ内容の勉強会を開く。お前さんたちの代は太陽グループの当たり年ゆえ月グループは六名しかおらぬが、それでも当然今日と同じように熱を込めて話をするので、明日は役所に遊びにきたり邪魔しにきたりせんようにな」
その後いくつか質疑応答と雑談を経て勉強会は終了した。
解散となったとたん、ハヤテはさっさと扉のほうへと進んでいった。勉強会がもっと遅い時間から始まると勘ちがいしてたようだから、やりかけだった家の仕事でもあるんだろう。
おれは声をかける。「ハヤテ。いったんうちに帰ってからお前ん家にいくから」
「ああ」
短く答えてハヤテは部屋の外へと消えた。と同時に前に座っていた三人組が振り向いた。
「ケイ。お前を尊敬するよ」
「は?」
「よく怖くないよな」
「同等の口を利けるのはお前だけだぜ」
何についての話か理解した。
「ああ、だってあいつは同い年だしなあ。お前たちも気軽に声をかけてみればいいんだよ」
「ひえっ。冗談いうなよ」
「ケイだからゆるされてるんだろ。俺らが馴れ馴れしくしたらきっとぶん殴られちまう」
「そんなことないって」
でもまあ、この三人組の気持ちもわからなくはない。おれは小っちゃい頃からあいつと仲がよかったからだけど、あまり接する機会がなかった奴らは太陽ハヤテのすごいところや強い部分ばかり目についちゃって、親しみという意味での隙を見い出せないままにどんどん距離が広がってしまったんだと思う。
その距離っていうのもハヤテのそれはふつうとは性質がちがっていて、ふつうの人とのあいだにある隔たりが「歩み寄ればすぐ対面できる地つづきなもの」とすれば、ハヤテとのあいだの隔たりは「深い渓谷」みたいな感じだ。あいつの懐に入るには険しい崖をよじのぼらなければ辿り着けないような、そんな挑戦さえ尻込みしてしまう至難さを多くの人が感じてるようなんだ。
三人組がおれを尊敬するっていったのは、おれのことを崖を攻略した勇気ある奴とでも思ってくれての発言なのかもしれない。けれど、そんな大層な真似は一度もしたことがなくて、おれは渓谷を――つまりは幻影を――見る前にハヤテと打ち解けられただけに過ぎない平々凡々な男だ。ハヤテの近くにいたって肩なんか並びやしないのに、それでもあいつはおれを突き放すことはなかった。そしておれたちは、いつの間にか家族みたいにほぼ毎日一緒にいる間柄になっていた。




