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52-4:サユリの思い

 演奏が終わった。離れたところにいたワムクンや数人の船員たちが拍手や口笛で仲間をたたえた。こんな粋な時間をサユリは知らない。両方の手のひらを叩き合わせながら、この時間が永遠につづくことを願った。


「レイル島を訪れる楽しみの一つは、サユリさんたちが作った料理を食べることなんです」ギターを抱えたクオグリスが物柔らかにいった。「特にシチューは絶品ですね」


 サユリの得意料理であった。うれしさで顔が破れてしまいそうになる。


「ありがとう……」


「また来年も食べられるといいな」


 サユリの横に広げた口が引きつりそうになった。彼に悟られないよう唇を結んだ。


 来年――。


 現実を突きつけられた。また一年待たなければならないのか。あんな意地の悪い女将がいる食堂で。クオグリスのいない離れ小島で。


「来年はこられないかもな」ワムクンが横から割って入った。


「え?」サユリは喉が落ちるような低い声を出した。


「ボスの仕事の都合でな、次にレイル島にくるのは、一年半後くらいになるかもしれないんだ」


「一年半……」サユリは口だけを動かした。


「シロハゴロモの花が咲く季節に変更になる予定だ。俺は花には興味はねえが、ボスやお前なんかはそれもまた楽しみだろ」


「そうだね」クオグリスはほのかに笑った。


 サユリは不安と焦燥に駆られた。仕事の都合とやらが長引いたらどうなるのだ。一年半後にクオグリスは船乗りの仕事をやめてはいまいか、遠くの領へと移り住みはしまいか。彼が一年半後にレイル島を再訪する確証がどこにある。もしかしたら永遠に会えなくなるかもしれない。それは嫌だ。


 ――あたしが、西大陸へいくわ。 


 サユリは突如として湧いた意志に自分で驚いた。すぐに納得へと変わった。


 そうだわ。あたしが西大陸にいけばいいわ。化体族だからって不可能なことではないもの。西大陸に()()()()だけで、()()()()わけじゃない。現状、距離を置いて生活しているのは異種が交わる危険性を避けるためであって、あたしは人間のだれとも交わる気はないし、そこは大丈夫だ。


 そう、大丈夫よ。あたしの腕なら雇ってくれるお店はある。あの意地悪老婆でさえ人並以上に仕事ができると認めていた。たとえ一日置きにしか働けないとしても最低限の賃金は稼げるはず。寝床だってどこでもいい。小屋に寝るのさえ慣れてるのだから。


 彼の近くで料理を作ってあげられれば、彼は喜ぶ。


 西大陸へ連れてってほしいとお願いしようか。クオグリスも船主のマルコスも優しいから無下にはしないはず。


「あの……」サユリは活気よくいい出すも、あえなく口ごもった。


 ここで彼らに頼んでも、船主のマルコスの了解を得られるまで話は発展しない。という筋道に気づいたのもあるが、その前に、言葉を詰まらせる直接の原因となった案じ事が頭をもたげたのだった。彼らの船に乗れたとして、船の上で日をまたぐのは逃れられない。豚になった姿をクオグリスにまじまじと見られたくない、と。


「なんでもないです」


 今ここで切り出すのは早計だとサユリは判断した。もう少し考えを巡らせる余地はある。


 船員二人は小首をかしげるも、特に追及することはなかった。


「さ。そろそろいくか」ワムクンが区切りをつけた。




 サユリとクオグリスとワムクンは船梯子を下った。


 船の近くに中年の男が立っていた。


「領長……」サユリは意外な客に目を丸くした。


 レイル島の長であるオキノは無表情で三人を見据える。西大陸へいくとすればこの男に話を通さねばならぬ。その事実を見隠していたサユリは、オキノに遭遇したことでまた少し憂鬱になった。


「オキノ領長。何か用でも?」ワムクンは気さくに声をかけた。


 オキノは表情を変えない。「この状況は感心せんな」


 波の音が波を飲み込むかのように響いた。


「人間と化体族。男と女。私の憤り、わかってくれよう」


 サユリの上半身がカッと熱くなった。屈辱にまみれた摩擦が巻き起こった。


「あ。あー……」オキノの主張の根底にあるものを理解したワムクンは、苦笑いして頬を掻くしかなかった。


 クオグリスは表情や指を遊ばせることはしなかった。「思慮が足りずに、申しわけございません」


「そんな。悪くないのに謝らないで」


「――サユリ。ついてきなさい」オキノはくるりと足先の向きを変えた。


 サユリは一瞬ためらった。このまま彼らと別れるのはばつが悪い。しかしオキノに逆らったらさらに面倒なことになりかねない。船員二人に頭を下げて――彼らの顔は直視できなかった――先を歩くオキノの後を追った。


 サユリは白髪交じりの後頭を睨みながら歩く。親切な船員に対して、なんて露骨で失敬な振る舞いをしてくれたのだ。彼らへの申しわけなさ、自分の長への恥ずかしさが、サユリの胃をもたれさせた。


「領長。あんないい方は――」


「後で聞こう」


 途中で遮られたサユリはむっとし、ならば歩いているあいだは絶対に口を開かないと決めた。オキノが向かっている方向から役所にいくのだと、そこで自分は説教されるのだと、予想がついた。


 やっぱり役所だわと確信したのは、役所へつづく裏道に差しかかったからだった。この裏道の入口には鍵付きの扉がこしらえられており、鍵を所持しているオキノが一緒だからこそ裏道を通れるのだった。雑草が茂る中を歩いていると、石造りの大きくも小さくもない建物が見えた。あれが武器庫ね、とサユリはしげしげと眺める。剣やら槍やらが収納されている武器庫は、いわば危険物の宝庫であり、一般の島民が近づくことは固く禁じられている。裏道の鍵付きの扉の設置も、この武器庫があるからこそだった。人が寄りつかない場所ゆえ手入れが行き届かず、草木が中途半端に伸びているのだが、建物自体は細工が細かく凝った設計になっていて不調和である。なんだか不気味な雰囲気が感じられ、サユリはぶるりと身を震わせた。


 役所の建物の裏口から領長室に入った。サユリは初めてこの権威高い部屋に入った。


「さて。ここならだれかに話を聞かれる心配はない。腹を割って話し合うことができる」机の椅子に座ってオキノはいった。


 長椅子にでも掛けるようオキノが提案したが、サユリは断った。長居はしたくない。島のだれよりも厳しく難物であるオキノと面と向かって接するのを気後れする島民は多く、サユリも少なからず苦手意識はあった。


「わかっていると思ってたが、よくわかってないようなのでいっておく」机に肘をつけ、口の前で指を組んでオキノはいった。「人間の異性と親しくするのは厳禁だ」


「……親しくしていたわけではないです」


「船の上で何をしていた」


「会話をしたり、ギターの演奏を聴いたり。励ましてもらっていました。私が女将と少し揉めて、気落ちしていたので」


「船の上まで誘ったのはだれだ」


 女将との揉め事に話が及んだほうがサユリとしては気が楽だったが、そうはならなかった。


「ワムクンさんに」詳しくいい直さん。「私が港に一人でいたところ、船で作業をしていたワムクンさんに、興味があるなら乗っていいぞと声をかけてもらいました。後からクオグリスさんがやってきました。船員さんたちの宴会が始まることを告げにきました」


「サユリ。おぬしは船に興味があったのか」


 サユリは一呼吸置いた。「興味があるというよりは、単なる好奇心でした。船に乗ってみたことがなかったので、一度見ておくのもいいかと思って」


 今のはよい回答だったと自賛する。船は外の世界に通ずる物。漠然と考えなしに興味があると答えては警戒の目を向けられてしまう。かといって船に興味がないと答えれば、ならばなぜ船に乗ったのかとの疑いの目が向けられるところだった。


「あの者らには一定の信頼を置いている。しかし、あの者らが人間である以上、おぬしらおなごは決して歩み寄ってはならんのだ」


 サユリは頬の内側を噛んだ。女だから――。化体族だから――。窮屈でしかない。


「ワムクンはたくましく気立てがよい。クオグリスは容姿端麗で賢い。どちらも魅力ある若者だ」オキノは目元を険しくさせた。「サユリ。どちらかに気があるなど、戯けた感情を持ってはいまいな」


 力のある目、尖った鷲鼻、はっきりとした顔の輪郭。あらゆる部分に鋭さが刻まれるオキノに、サユリは圧をかけられる。


「ないです。やめてください。想像しただけで気味が悪い」サユリは同僚のチズルを頭に浮かべ、彼女が人間を腐すときの表情を真似て、述べた。


 オキノは胸の前で腕を組んだ。「とにかく軽率な行動は慎むのだ。本当はおなごには船員たちとの会話を禁止すればよいのだが」


 禁止。禁止。また禁止。とことん窮屈にさせたいのね。サユリは喉まで出かかった。


「百年懺悔を常に念頭に置くように」


 こんな頭の固い長が西大陸に移り住むことをゆるすはずがない。西大陸に気持ちが向かっていることは、この人物にだけは悟られてはならない。サユリは強く思った。




 次の日、白い豚の姿のサユリは厩舎の中で思念を凝らしていた。終始、クオグリスの顔とまだ見ぬ西大陸の幻影が浮かんだ。


 日をまたいだ。マルコスたちの船と漂流者たちの船がレイル島を離れる日である。外がほのかに白む頃、一睡もしていないサユリは体を起こした。


 シロハゴロモ亭の部屋はマルコスと船員たちに使わせている。この期間、サユリとチズルは近所の家の一室を寝床に使っていた。


 隣でいびきをかいて寝ているチズルに気づかれぬよう、静かに支度を始めた。


「どうしたんだい」支度が済むというときになって、突然チズルが目を覚ました。


()()()よ」寝惚け眼のチズルにサユリは落ち着いていった。


「おしっこか。いってらっしゃい」チズルは再びいびきをかき始めた。


 最後になるであろう会話が用足しやおしっこでサユリは笑い顔になった。今までありがとう、と心の中でつぶやいて部屋を出た。

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