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52-2:島外からの客

 男性陣による港での荷おろしの作業が終了した。船員たちはぞろぞろと滞在先となるシロハゴロモ亭に足を運んだ。


「サユリ。厨房へ」玄関先に立つ女将が促した。


 今宵の宴会の料理を作らなければいけないサユリだが、船員たちを迎えるためにいったん玄関先まで出てきていた。だれに頼まれたわけでない。サユリ自ら起こした行動だった。


「まだ、ちょっと」


 もうすぐだ。目当ての彼、クオグリスが、船主のマルコスと庭を歩いてきている。すらりとした体型で姿勢がよく、髪の毛は品よく金色に輝き、清潔で身だしなみは整えられ、見る者を快くさせる。


「ご無沙汰ですー」


「マルコスさん。お変わりないようで」サユリはマルコスの後ろの彼に意識が傾いていた。


「女将さん。サユリさん。お世話になります」彼、クオグリスが物腰柔らかく挨拶をした。


 角のまったくない、心地いい穏やかさ。その穏やかさが声にも笑顔にも表れている。サユリが頭の中で膨らませていた彼の像を裏切ることなく、目の前に現れた実物の彼は素敵だった。


「どうぞ、くつろいでいってください」サユリの声がいつもより柔らかく出た。


 ふとサユリは視線を感じた。女将が自分の顔をじっと見つめていた。真顔の女将とは対照的に、自分の顔がほころんでいることに気づいた。


 サユリは表情を引きしめ、無言で厨房へと向かった。何も後ろめたさを感じる必要はない。クオグリスは人間。友人として再会を喜んでいるだけ。それ以上の気持ちなんてない。そう心の中でだれかにいい聞かせた。


 日が落ち、オキノや役所の事務員、付近に住む男たちが宴会に集った。


 海の男たちは気持ちいいくらいによく食べ、酒を浴びるように飲む。シロハゴロモ亭の主人とサユリが料理を作っては、チズルや手伝いにきている島民たちが運び、下げ、また運び、を繰り返す。厨房と宴会場までの通路はてんてこ舞いなのは毎年のことである。


 シロハゴロモ亭の主人は無口な老人だった。サユリは主人と会話らしい会話をしたためしがない。会話がないからといって仲が悪いというわけでなく、サユリにとっては毒にならなければ薬にもならぬ、存在の極めて薄い同居人に過ぎなかった。その分、彼の妻である女将の存在は色濃かった。女将は厨房の椅子に座ってあれこれと指示を出す。そして例の深いため息を差しはさむ。サユリは忙しくしているときは特に、女将のため息に精気を吸い取られるような心地がし、疲労が増すのだった。


 宴会が一段落ついた。サユリが(かわや)までの通路を歩いていると、偶然通りかかったチズルが話しかけてきた。


「サユリ。漂流者たちにご飯を持っていってもらっていい?」


 三日前に漂着した七人の人間は、シロハゴロモ亭付近の小屋に取りこめられている。これまではチズルが彼らに食事を届けていた。


 サユリは「いいわよ」と返答した。外に出るのは気分転換になっていい。


「悪いね、嫌な役を押しつけて」チズルは顎を二重にさせて小声でいった。


「嫌な役?」


「人間に近づくのって嫌だろ。マルコスさんたちならまだしも、どこの馬の骨かわからない人間なんて、薄気味悪いったらないよ」


 チズルは人間を不快に思っているところがある。ちがう種族に対する忌避である。チズルはまた、自分以外の島民も人間に苦手意識を持つのが自然だと思っている。そのためサユリがクオグリスを好ましく思っていることはまったく感知せず、その点はサユリには好都合だった。


 シチューの入った鍋を持って外を歩く。ふと、どきりとしてサユリは一瞬足を止めた。


 小屋の前でうごめく大きな影。翼竜だった。


「ムゲン。あなたが見張りをやってたのね」


 翼竜のムゲンは翡翠(ヒスイ)色の眼をサユリに向けた。翼竜が目を光らせるているなら人間も悪いことなどしようがない、とサユリは思った。なんせ長い付き合いでも突然目にすれば心臓が縮むくらいには本能的に恐怖をあたえる見た目をしているのだから。


「領長は、あなたに頼りっきりね」


 今日のように化体のときでも、はたまたヒトのときでも、どちらにしてもレイル島で一番強くて一番期待されているのがムゲンだ。


 能力があるのも楽じゃないわね、とサユリは声には出さずに小屋の戸を開けた。ランタンの明かりが雑然とした小屋を照らしている。複数の人間の目が一斉にサユリに注がれた。サユリはまたしても胸を突かれた。


「クオグリスさん……!」


 彼、クオグリスが、漂流者たちと輪になって汚い床板に座っていた。一人だけ身なりが整っていて浮いている。


「勝手な真似をして悪いな」


 武骨なガラガラ声によって、もう一人船員が一緒だったことにサユリは気づいた。クオグリスと仲のいい、日に焼けた船員だ。


「漂流した人間がいると聞いて、気になってしまい、訪問を」クオグリスが濁りのない声で説明した。「見張りのムゲンには許可を得ています」


 床には酒瓶が置かれている。クオグリスたちが宴会場から持ち出した物である。


「ムゲンは、いい奴だから」思いがけずクオグリスに会えて頭が白くなったサユリだった。


 ムゲンよりもクオグリスらの親切心をたたえればよかったと後悔した。そして少しぞんざいな言葉遣いになってしまったことも後悔していた。もっとも当のクオグリスはそんなことは気にしていない。


 サユリは床に鍋を置いた。「食事。置いておきます……」


 ありがとうございます、と漂流者たちは礼を述べた。粗末ながらも食事と寝場所をあたえられ、初日よりは彼らの化体族に対する恐怖心と警戒心は和らいでいた。衰弱していた者は起き上がれるくらいには回復している。


「ご苦労様。サユリ」


 自分の名前を呼ばれてサユリは驚いた。相手がわかって気が抜けた。人間の輪の中に見知った顔があった。


「ハルキ。いたの」


 無精ひげを生やしたハルキは苦笑いをした。「ひどいなあ」


「残念だったな、ハルキ」日に焼けた船員がハルキをからかった。


 くすくすと漂流者たちから笑いが漏れた。和やかな雰囲気である。


 化体族が、しかもたった一人で、人間の集団の中に溶け込んでいる。緊張感をあたえない奴だものねハルキは、と同じ化体族のサユリは思う。そして自分はこの場にとどまる性質の者ではないと意識下でわかっている。


「領長や女将にはいいませんので、どうぞ、ごゆっくり」サユリは船員二人に心を配った。


「そいつは助かるぜ」日に焼けた船員が親指を立てた。


「ありがとう、サユリさん」クオグリスはまるで優しく頭をなでてくるかのように――サユリにはそう感じた――礼を述べた。


 サユリは胸を弾ませた。彼と秘密を共有している――そんな思い込みが快楽と刺激をもたらした。


 ほう、と小屋の外に出たサユリは頬を上げてため息を漏らした。直後に頬を落とした。翼竜のムゲンが見張りをしていたことを一瞬忘れていた。ヒトの体のときよりも広く遠くを見渡せる翡翠色の眼がぎろりとサユリを捉えた。サユリは鋭い眼光の餌食にならぬよう、甘い喜びは胸に隠して、真顔で翼竜の横を通り過ぎた。

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