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4-2:負傷した翼竜

「うむ。思っていたよりも悪い状態だった」領長の声の調子は発言内容と見合っていて暗かった。「ムゲンの話によれば、まず森の上空を飛行中に矢で撃たれたらしい。ほぼ落下のような形で地上へとおりた際に脚をやってしまった。立ち往生していたところに剣を持った人間が現れて、抵抗するムゲンを斬ったのだ。ムゲンは死に物狂いで血路を開いたわけだが、そのときに木の枝か何かで引っかき傷をも作ったみたいだな」


 たしかに胴部の刃物傷のほか、腕や翼に何箇所か小さな傷が見受けられる。また、翼には矢の跡があった。


「ハーメット領で襲われたそうだが、そこからこの深手を負った体でレイル島まで飛ぶなんてあんた、ふつうならば不可能だよ。気力だけで帰ってきたんだろうね」ルツァド先生が淡々と語った。


 六十代後半のルツァド先生は十代初めの子供ぐらいの体格だ。隣に立つ領長は背が高めでマルコスさんは恰幅(かっぷく)がいいため余計に小柄に見える。


「まったくこんな惨い真似をしやがってー。同じ西大陸の人間として恥ずかしいことだー」ふだんは温厚なマルコスさんが、見知らぬ不届き者への怒りをあらわにした。


 僕は様々な思いから眉根に力が入った状態で翼竜の全身を視界に収めていた。


 不届き者は翼竜を生け捕りにするのが目的だったんだろう。世にも珍しい翼竜。翼竜の外観はいってみれば翼を持つ巨大なトカゲだが、その迫力はトカゲの比ではない。人間をすっぽり包んで隠してしまえる大きな体。無数に連なる岩峰の景色を背景に持ってきたら同化しそうなごつごつとした肌。顔面の半分以上を占める口には、鋭く尖った歯。見るからに屈強なたたずまいは、人間を含む多くの動物を縮み上がらせる。しかし一部の人間たちはちがった反応を示す。腹に一物(いちもつ)ある彼らは目を光らせ、武器を手に翼竜に詰め寄ろうとする。ムゲンさんはこれまで何度か危険をかいくぐってきた。今回ばかりは、勝手がちがったようだ。


 翼竜はずっと港のほうを正視している。翡翠(ヒスイ)色の眼よりも薄い色をした軀体が息遣いに合わせて上下に揺れる。ときおり、重いテーブルを引きずったような音がその喉から漏れる。


「苦しそうですね」僕はルツァド先生にいった。


「さっき傷口に薬草を塗りつけた。よく効く分、よくしみる。どのくらいしみるかってね、あんたそりゃ、レモン汁と塩ととんがらしを混ぜ合わせたのを目ん玉に入れるくらいには刺激的さ。多少暴れたり声を上げたりしたが塗り終わるまでよく耐えてくれた。その痛みもあって呼吸が荒くなってるのさ」


 僕はますます眉間に力が集まる感じがした。


「それで……ムゲンさんは、十八日後の遠征に出られるんですか」ケイが緊張気味に訊いた。


「無理だね」ルツァド先生は即答した。


「……そうだよな。こんな大けがじゃ……」


「昨夜ムゲンと面会した」領長が重々しく口を開いた。「おそらく翼竜の体での遠征は無理だろうと、本人が語っていた」


 昨日の朝の時点ではムゲンさん自身どれくらい負傷しているかはわからないといっていたけど、胸の内では覚悟はしていたんだ。


「そして、たとえ翼竜の体が使い物にならなくとも本体は無事だから遠征にいきたいと、こう懇願されたのだ」


「えっ」僕とケイは声をそろえた。


「どうやって」ルツァド先生は動じずに踏み込む。


「人間の体のときに前進し、翼竜の体のときは休むと述べておった」


「こんなに傷を負ってるのに。いくらムゲンさんでも無茶だ」


「ケイのいうとおり。それは望ましくないとわしは断った。あんなに優れた男を遠征に送り込めんのはわしとて残念で仕方がないが、ムゲンがこの姿のときに襲われたら一巻の終わりだからの。知ってのとおり、けがや病気は互いの身体に影響をあたえんが、死だけはつながっている。化体(けたい)が死ねば本体も死ぬ。ムゲンの命を守るためにも、わしはムゲンを遠征に出すわけにはいかんのだ」


 僕はうなずき、尋ねた。「ムゲンさんは納得してくれたんですか」


 領長は顎ひげをなでた。「気概に富んだ男なもんで、自身はどうなってもいいと腹を据えていてのう、すぐには首を縦に振らんかった。だからわしは別の切り口から説得した。隔日にしか動けんのでは非効率だと。仲間の足を引っ張るだけだと。そう物申した。ムゲンはその点を受け入れ、身を引く決意をしてくれたのだ」


「足を引っ張るなんて……そんなことはないけど……」ケイが尻すぼみにつぶやいた。


 たしかに否定を入れたくなるほどに辛辣な言葉だけど、結果的にはその言葉がムゲンさんのひたぶる心を抑えとどめた。領長は情にほだされない毅然とした厳しさを持っている。感情に流されない冷静な判断は、今みたいな状況下では適切なんだと思う。


 それにしてもムゲンさんが足枷(あしかせ)のような扱いになるなんて絶対に考えられなかったことだ。ムゲンさん自身も相当悔しくてつらいにちがいない。


「今回の辞退は賢明な判断だ」ルツァド先生が翼竜の翼にそっと触れた。翼竜は遠い一点に視線を定めたままでいる。「なに、幸い翼には目立った損傷が見られない。半年も経てばまた元気に空を飛べるだろう。十分に回復してから遠征とやらに出ればいいのさ」


「いや、それまで待てん」


 ルツァド先生の射るような眼差しが領長に向けられた。


「半年後では遅すぎる。我々は一刻も早く人間に戻るのだ」


「半年はそんなに先の話でもないと思いますがー」マルコスさんが柔らかく自論を述べる。


「半年は遅い」領長は繰り返した。


「私たちよそもんにはわからん感覚だね。だがこれはレイル島民の問題。あんた方の好きなようにしたらいいさね」


 よそもん、とルツァド先生が銘打ったのは、先生がレイル島で生まれ育った方ではないからだ。先生は西大陸の北部の領の出身。人間だ。四年前に突然この島にやってきて「移住したい」と領長に申し出た。人間社会での生活は疲れたのだそうだ。移民の前例はなく、領長は当初難色を示していたけれど、島には獣医師が必要だったし、またルツァド先生は信頼に値する人物だったので、特例という形で島への移住を許可した。ルツァド先生は今では島の皆から頼りにされている名獣医だ。


「どれ。私はそろそろおいとまするかね。明後日にまた診にくるよ」


 ルツァド先生は荷物をまとめて帰っていった。僕たちはお礼を告げて見送った。


 先生の姿が見えなくなってすぐに領長が口火を切った。


「率直に訊く。ハヤテ、ケイ。ムゲンが同行できなくても向かってくれるか。神の御もとへ」


 僕は姿勢を正した。「そのつもりでした」


「おれも。覚悟はできてます」


 僕はケイを見た。ケイもこちらに視線を向け、僕たちは互いに微笑んだ。


「よろしい。さっそくだがこれからについて早急に取り決める。ムゲンもマルコスも居合わせているこの場で話を進めるぞ」


 僕たちは「はい」と同意した。


「すでにお前たちも熟知していることだが、神に会うには天王(てんおう)もしくは地王(ちおう)、二者の王のうちのどちらかに会わねばならん。いずれを訪ねるも(かち)でゆくのは愚策。空を飛んで一気に王の住処を目指す。翼竜は――ムゲンは、まさにうってつけの人材だったのだ」


 ムゲンさんの化体である翼竜は、その背にヒトを二人乗せて空を飛ぶことができる。僕とケイはムゲンさんに乗って天王のところへ赴く予定だった。


「翼竜の化体を持つ者などムゲンのみ。ムゲンのように人を乗せて飛行できる者は皆無。もはや島民だけで遠征を成し遂げるには無理がある。そこでわしは考えた。鳥人(ちょうじん)族の助けを借りてはどうかとな」


 予想していなかった案に僕のまぶたが上下に引っ張られた。


「鳥人族の存在は承知しておろう」


「はい」ケイが答えた。「本で読んだことがあります。ムゲンさんが空で何度か鳥人族を見かけたときの話を教えてもらったこともあるし」


 翼竜がやおら頭部をもたげた。


「僕もケイやムゲンさんから聞いて知っていました。鳥人族は鳥と人間を掛け合わせたような姿をしていて、大きな翼で大空を駆けることができるとか」


「そうだ。助っ人として申し分ないだろう」


「鳥人族が味方してくれれば百人力だなー。前に海の上を飛んでるのを船から目撃したがとても速かったぞー」マルコスさんが親指を立てた。


「いわれてみればその手があったかって感じだな」ケイがいった。「領長が外部に力添えを求めるとは思ってなかったもんな。しかも『半人種』に」


「それ以外の打開策が今のところ浮かばんのだ。ぜひとも鳥人族の援助を仰ぎたい。……とはいえ、半人種と我々はまったく交流がない。交流がない上に我々はいまだに人間と見られている可能性がある。長寿の彼らからすれば百年なんて短いものだからな。半人種は人間とは関わろうとしないゆえ、いきなり鳥人族の里を訪ねたところで門前払いされてしまう懸念が大いにある。よって、セスヴィナ領に協力を得ようと思う」


 僕はさっきよりもさらに目を見開いた。ケイも驚きを隠せずに前のめりになっていた。この島の出身ならばセスヴィナ領の名前を知らない人はいないし、セスヴィナ領に協力を得たいという領長の発言にはある種の衝撃を覚えるはずだ。翼竜とマルコスさんは平然としているので、すでに大人たちのあいだでは話がまとまっていると窺える。


「セスヴィナ領、って、西大陸の南東部にある、百年前までは天人(てんにん)族だった、あの領、ですよね」ケイが途切れ途切れに確認した。


「そうだ。天人族は()()()雲の上で生きていた種族。鳥人族とは馴染み深く、顔が利くであろう。セスヴィナ領と我々も奇縁でつながっている。そのよしみで取り次いでくれるよう頼んでみるのだ。セスヴィナ領は我々の要求を無下にはせんだろうし、セスヴィナ領の後ろ盾があるなら鳥人族は断らんだろう」


「うーん。でもなあ。天人族は今は人間だからな。半人種である鳥人族とは、もう無縁になってしまったんじゃないかな」


「現在も交流はあるみたいだぞー。鳥人族はたまにセスヴィナ領付近に遊びにくるそうだー」


「へえ。百年前の出来事以降も変わらずに付き合いがあるのか。おれたちの島とはちがうんだな」


 おっほん、と領長が咳払いをした。ケイは気まずそうに目玉を明後日の方向にずらした。


「その代わりというのか、セスヴィナ領はほかの領の人間との親交は限りなく少ないー。西大陸で孤立しかかってるんだー」


 領長は今度は目を閉じて深く顎を引いた。陰とひなたの調和を味わうかのように。


 僕は意見する。「たとえ鳥人族とセスヴィナ領が良好な関係だとしても、セスヴィナ領と僕たちの島のあいだにはまったく交流がないのが現状です。セスヴィナ領を遠征の通過点に加えるのはあまり意義が見い出せません」


「たしかにな」ケイがうなずいた。「協力してくれるかわからないセスヴィナ領にわざわざ立ち寄るくらいなら、鳥人族に直談判するほうが手っ取り早いよな」


「『わざわざ』ではないぞ。セスヴィナ領は必ず通ることになる」


「え? だって鳥人族の里は東大陸にあるし、天王も地王も東大陸にいらっしゃいますよね。王に謁見するには東西両大陸それぞれの大公の書状が必要だけど、西大陸の大公のほうの書状はムゲンさんがもらってきてくれた。とすれば、あとは東大陸にしか用事はないですよね」


 ケイの意見に領長は「ふむ」とつぶやいて腕を組んだ。「お前たち。この島から東大陸へは、どのようにして向かうつもりでいる」


「えっ、と。空をひとっ飛びといかなくなったからには、舟を漕いでいくしかない、よな」ケイが僕に言葉尻を投げた。


「僕もそう考えていました」


 領長は鷲鼻から息を吸いながら肩をせり上がらせ、すとんと一気に落とすと同時に口ひげをそよがせる鼻嵐を吹かせた。その隣でマルコスさんが苦笑いしながら頬をかいていた。どうやら僕たちの発言が甘いか的外れかで呆れているのだと瞬時に判断した。


「海路で東大陸を目指すのは無理だ」領長が断言した。


「えっ」


「そうなんですか」


「東大陸の西側に接する海は岩礁帯なんだー。潮の流れは複雑だし、熟練船乗りでも近寄りはしないー。素人の航海は絶対に危険だー」


 大丈夫です、とうそぶけやしないほどに僕たちはずぶの素人だ。


「じゃあどうすれば」ケイが尋ねた。


「お前たちはまずは西大陸に上陸せよ。西大陸から東大陸へ陸路で横断できる方法が一つだけある。両大陸にまたがる唯一の橋を渡るのだ。この橋はセスヴィナ領が架設し、今なお管理をしているので、通行するにはセスヴィナ領の許可を得なければならない」


「なるほど。どのみちセスヴィナ領には表敬訪問する必要があるってことか」


 領長が「そうだ」と首肯した。「セスヴィナ領の長と挨拶を交わした後の二言三言目には、問われるにしろ自発的にしろ、東大陸へ立ち入る理由に話が及ぼう。お前たちは遠征に関してつぶさに説明するだろう。その流れで鳥人族とのあいだを取り持ってもらうよう依頼するのは、むしろ自然な成り行きではないか」


 すでにそんな場面まで想見しているとはさすがだ。ケイも僕も否定しなかったので領長は話を進めた。


「そんなこんなでまずは西大陸を目指すわけだが、レイル島から西大陸までの渡航方法はだな、幸運にもマルコスがカルターポ港まで乗せていってくれるそうだ」


「えっ。いいんですか」


「もちろんだー。どうせカルターポ領に帰らなきゃならないし、喜んで協力させてもらうぞー」


 まさに渡りに船だ。僕とケイはほぼ同時に「ありがとうございます」と頭を下げた。


「マルコスの船ならば、大きい荷物も動物でさえも余裕で運べる。というわけでわしの選りすぐりの二頭の馬を搭乗させよう。カルターポ港に着いた後は、馬に乗ってセスヴィナ領へと南下するのだ」


 僕は頭の中で辿るべき道筋をなぞった。「わかりました。遠征の新しい経路が線でつながりました」


 領長が満足そうに首を数回縦に動かした。


「ムゲンさんに災難が降りかかって一時はどうなるかと思ったけど、ぱぱっと打開策が決まってよかったな」ケイが口元をほころばせた。


「早急に取りまとめたのだ。時間が差し迫っているからの。マルコスと協議し、出発の日は五日後に決定した。お前たち、それまで準備できるな?」


 領長とマルコスさん、そして翼竜の視線が僕たちに注がれた。


 僕とケイは顔を見合わせてうなずいたのち、「できます」と断言した。出発が二週間ほど早まっただけ。心の準備という点においてはずっと前からすでにできている。


 領長は「よし」と語尾の息を長めに吐いた。「二人にとって西大陸は初めてになるのだな」


「はい。本や話で見聞きしただけです」僕が答えた。


「西大陸の地図を後で授けよう。出発前に可能な限り西大陸の地理を頭に叩き込んでおいたほうがよいな。残り五日で知識を授ける。時間を作ってまた役所に集ってくれ」


「わかりました」


 遠征は東大陸だけで済む予定だったから、西大陸についての情報は仕入れていなかった。


「初の西大陸かー。どんな気持ちだー」マルコスさんが尋ねてきた。


「西大陸にも上陸できるのは楽しみです」


「おれは楽しみも多少はあるけれど、緊張というか、やっぱり不安はあるかな」


「――頼りないわね」

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