42 アカイノ、シロイノ
赤岩様の本体は、イチゴの背丈を軽く超える、大きな岩だった。
しめ縄を巻かれた、ほんのり鱗の模様が見える、白い大岩。
白くて綺麗な大岩。
そのはずだった。
遠目には、ただの黒い塊に見えた。
近づくにつれて、黒いモノの正体が、岩に纏わりついている靄なのだと分かった。
岩の周りには、あの黒い手がうようよと動いている。
岩を取り巻く黒い靄から生えてきているのかと思ったのだが、どうやらそうではないようだった。黒い手は、山の中のあちらこちらから、黒い靄に包まれた岩の元に集まってきているのだ。
くま天使の首元から奪われたリボンは、しめ縄に巻きつけられていた。
意図が分からなくて、何だか気味が悪い。
赤石の家の裏庭から山の中へと続いている小道。
小道をずっと登っていくと、赤岩様のご神体が祀られている、開けた空間に辿り着く。四方から木々の枝が張り出して日陰を作っているが、丁度ご神体の大岩があるところだけ、ぽっかりと穴が開いていて陽が射しこんでいる。
本来なら、こんな晴れた日には、白い岩肌が陽光を照り返して、荘厳な雰囲気を醸し出しているのだが、今は黒い靄が光を吸い込んでしまっている。
火照った体を心地よく冷やしてくれるはずの涼風さえも、どこか肌寒く感じられた。
「いくら本体を離れていたとはいえ、あのような小物妖怪にしてやられるとは……」
「小物妖怪?」
「うむ。このくま天使よりも力は弱い。靄に転じて本体を覆っておるようじゃな」
くまのぬいぐるみから苦々し気な幼女の声が聞こえてくる。
完全に赤岩様の支配下に置かれているのか、くま天使の反論はなかった。
「あの黒い手も、何かの妖怪なの?」
「いや、あれは山で朽ち果てた者たちの念が寄り集まったものじゃろう。黒い靄に同調しておるようじゃの。このまま放っておけば、妖怪に転じてしまうかもしれん。まあ、場合によっては、あの黒い靄に取り込まれてしまうかもしれんが。そうなると、ちと、やっかいじゃの」
「あの靄、バナナソードで切りつけたら、バチが当たるかな?」
「…………バナナソードで我を傷つけたりは出来んから、大丈夫じゃ」
「よし。じゃあ、さくっとやっちゃいますか」
魔法少女と護衛騎士がそれぞれ武器を構えたその時、声が聞こえてきた。
――アカイノ ドコイッタ?
「え?」
みな、武器を構えたまま動きを止める。
子供の声だった。
幼くて、無邪気な、子供の声。
――アカイノ シロクナッテ イナクナッタ
「あ、赤いのって、赤岩様のこと?」
「やんちゃしてた頃の赤岩様のことだよね? きっと」
「やんちゃとか言うな」
――オマエ オンナジ ニオイ スル オマエ シロイノ? モドッテキタ?
「う、うむ。そうじゃ」
黒い靄が騒めいているのが感じられた。
赤岩様の帰還を喜んでいるようだ。
――オデ オマエ マッテタ オマエ モドレバ アカクナル?
「……なぜ、赤いのに会いたいのじゃ?」
――アカイノ ツヨイ オデモ アカイノニ クワレタイ
――アカイノニ クワレテ アカイノト ヒトツニナル
「な!?」
「え、えぇ!? や、やんちゃしてた赤岩様に痺れちゃった系な?」
「抱かれてもいい、とか、そういうヤツか?」
「なんか、思ってたのと違う展開、来た!」
魔法少女たちが騒めき出した。
武器を構えていた手が思わず下がる。
「我は、元々白かったのじゃ。白いのが本来の姿なのじゃ。我は、もう二度と赤いのには戻らん。もう、赤いのはどこにもいないのじゃ。諦めてここを去るがよい」
顔をしかめている茜の腕の中で、赤岩様は優しく言い諭した。
――アカイノ イナイ? アカイノ イナイ? アカイノ アカイノ
ざわめきが、大きくなる。
黒い靄に呼応するように、大岩の上を覆う枝が揺れ始め、木々もざわざわと騒ぎだした。
敵を向けられたわけではないので攻撃するわけにもいかず、みな武器を構えたまま様子を見守る。小さな子供の声なので、攻撃がしづらいというのもあった。
――アカイノ
黒い手が何本か、テディベアの元へ伸びてきた。
「まだ、手は出すな」
トマトが札を投げつけようとしたのを、赤岩様が制した。
――アカイノ アカイノ
黒い手はぺたぺたとテディベアを触りだす。
――アカイノ モドッテキテ
黒い手がテディベアを掴み、シュルシュルと岩へと戻っていく。
みな息を呑んだが、赤岩様が大人しくされるがままなので、手出しは控える。
「もう、赤いのはいないのじゃ」
赤岩様が繰り返す。
岩に引き寄せられたテディベアもまた、黒い靄に包まれていく。
黒い靄に取り込まれるピンチなのか、それとも、本体に戻るチャンスなのか、判断がつかない。
すると。
――ヒトヲクラエバ、アカクナルノカ?
「我の記憶を読んだのか!? い、いかん! みな、ここを離れろ!」
幼くたどたどしかった声が、急にはっきりと喋り出した。
少し遅れて、焦ったような赤岩様の声。
魔法少女とその護衛騎士は、躊躇わず一斉に攻撃を開始した。
「一刀両断! バナナソード!」
「シャボン・ミステリー!」
「メロン・ボム!」
「喰らえ!」
「お神酒攻撃ー!」
一人、ペットボトルに詰めたお神酒を振りまいているだけなのが締まらないが、魔法少女たちの攻撃には、一定の効果はあった。
黒い手に対しては。
黒い手は、切れたり、千切れたりしながら霧散していき、残ったものは退散していく。
だが。
黒い靄は、変わらず岩の周りを取りまいている。
頭上から射し込んでくる陽光同様に、魔法少女たちの攻撃も吸い込まれてしまった。
「こいつ、赤岩様の力を取り込んで成長したのか。だから、赤岩様の力で戦う俺たちの力は、効かないんだ」
「そんな!」
「いいから、みな、一端引け! こいつは、我が何とかする! もしも、おまえ達がこいつに喰われたら、こいつはさらに手が負えなくなる。いいから、一端引くのじゃ!」
赤岩様の叫びが聞こえてきたが、みんな、それでも攻撃の手を休めなかった。
無駄だと分かっていても、それでも。
――ナルホド、ソイツラヲサキニクラエバ、イイノカ。フ、フハハ。オマエガアカクナラナイナラ、オレガ、アイツラモオマエモゼンブクラッテ、オレガカワリニアカクナッテヤル。
黒い靄の一部が伸びてきて、手の形になった。けれど、それは、黒くて小さくてプニプニしていて少し可愛くもあった先ほどまでの黒い手たちとは違って、大きくて指の先が尖っていて、不気味だった。
「みんな! 逃げなさい! あたしたちの攻撃は効かない! ここにいても、足手まといになるだけよ!」
ペットボトルを捨てた茜が、両手でイチゴとメロンの手を掴み走り出す。まだ戦おうとしているバナナは、トマトが担ぎ上げた。
「は、離してくれよ! トマト兄ちゃん!」
「暴れるなって! 今の俺たちがここにいても邪魔なだけだ。一度帰って、対策を練り直すんだ! もしも、俺たちが喰われたら、その分、あいつに力を与えることになる」
「それは、そうだけど……」
バナナの手が力なく下がる。
おぞましい手は、逃げる魔法少女たちの後を追ってきた。
「きゃあ!」
張り出した木の根っこに躓いて、イチゴが転んでしまった。
膝を擦りむき、直ぐには立ち上がれずにいると、黒くておぞましい手に足首を掴まれた。
「あ! やだ! 離してよ!」
「イチゴ!」
「イチゴちゃん!」
「トマト! あんたはバナナ君を連れて先に行って! おじいちゃんに、このことを伝えて!」
「う……分かった」
「ちょ、なんでだよ!? イチゴのピンチなんだぞ! おれも残る! あ、ちょ、トマト兄ちゃん!」
未練を残しながらもバナナを抱えて走るトマトの背中を、バナナは拳で叩いた。
それでも、トマトは足を止めなかった。
そして、残されたイチゴたちは。
「お、お母さん! メロン! う、うぅ、メロンは逃げていいから! でも、お母さんは見捨てたら恨む!」
「見捨てないよ!」
「イチゴ、あんたって子は……」
綱引きのようなことになっていた。
イチゴの足首を掴んで、そのまま引きずっていこうとするおぞましい手。させるものかと、イチゴの体を両脇から挟み込むように抱きしめる茜とメロン。
力は、拮抗していた。
このままでは、埒が明かない。
イチゴとメロンの顔に焦燥が浮かぶが、茜は落ち着いた声でメロンに話し始めた。
「メロンちゃん……。赤岩様が言っていたの」
「は、はい?」
「メロンちゃんの力は、今でもまだ、メロンちゃんの中にあるの。消したり奪ったりしたわけじゃなくて、分からないように隠してあるだけだって」
「え!?」
「メロンちゃんが本当に必要とした時には、いつでも使えるようになるって、そう言っていた」
「あ…………」
「な、何の話ー?」
地面に爪を立てながらイチゴが聞くと、メロンは瞳に決意の炎を灯し、力強く答えた。
「わたしなら、イチゴちゃんを助けられるって話! 赤岩様の力を借りなくても、わたしは、わたしは魔法少女なれる! なってみせる! イチゴちゃんは、わたしが助ける!」
イチゴの体から手を離して立ち上がったメロンは、ダン! と黒くておぞましい手を踏みつけた。
「赤岩様の力を借りなきゃ何にも出来ない小物妖怪のくせに、イチゴちゃんを食べようなんて、赤岩様が許しても、このわたしが許さない!」
「いや、赤岩様も許してはいないと思うけど……」
踏みつけた手の上で、にじにじと足を動かす。
どうやら、手はダメージを受けているようで、イチゴの足首を掴む力が少し弱まった。
「ふ、ふふふふふ。人間だろうが妖怪だろうが、この世の勘違いストーカーや変質者どもに乙女の鉄槌を! 喰らえ! 真・メロンハンマー!」
持ち手にメロンの飾りがついたところと色だけが乙女っぽい、メロングリーンの巨大でごっついハンマーがメロンの手の中に現れる。
メロンは軽々とそれを振り回して、手の上に思い切り振り下ろした。
ドゴンと音がして、土煙が上がる。
「やった! 効いてる!」
イチゴの足を掴んでいた手が、サラサラと崩れて消えていく。本体からやって生きている方も、ズルズルと岩の方へ引き上げていく。
「な、何かよぐ分かんないけど、ありがどう、メロン~」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたイチゴがメロンに抱き着いた。
「う、うう。お母さんより、おっぱいおっきい~」
「え、えー?」
「イチゴ、あんた……。ま、まあ、いいわ。とりあえず、一端、引き上げるよ」
「え、でも……」
イチゴの涙と鼻水で胸の辺りをぐっしょりさせながら、メロンが食い下がった。
真の魔法少女として覚醒したメロンの力なら、あの開き直った勘違いストーカーのような小物妖怪をやっつけられるかもしれないのに、どうして、と。
腰に手を当てて、茜は大人の女の笑みを浮かべた。
「あいつはさ、赤岩様が何とかしなくちゃいけない相手だと思うんだ。どんな理由であれ、因縁がある相手だからこそ、乙女神として、赤岩様自身がケリをつけなきゃいけない相手なんだよ」
「あ……」
「なんか、珍しくカッコいいこと言ってる?」
「珍しくは、余計じゃ! まったく、この子は」
イチゴの額をピンと指で弾くと、茜は不敵な笑みを浮かべた。
「もちろん、何もしないってわけじゃないよ? 赤岩様を応援するために、あたしたちにもまだ、出来ることがある」
イチゴとメロンは不思議そうな顔を見合わせた。
「さーあ! 帰ったら、忙しくなるわよー!」
パーンと手のひらと拳を打ち合わせると、茜は意気揚々と山を下りていく。
何だか分からないが、茜には策があるようだ。
イチゴとメロンは頷き合うと、手を繋いで茜の後を追った。
赤岩様のために。
乙女の勝利のために。
今、出来ることをするために。




