39 乙女の大ピンチ
イチゴの乙女が大ピンチだった。
赤岩山にある“ご神体”から、赤石家の裏庭へと続く小道を通って押し寄せてきた、黒くて細長い手の大群。
赤石家の敷地の周りに張り巡らされた赤岩様の結界を打ち破って、とうとう侵入してきた黒い手たちは。
フルーツ娘(内一名は、一番の美少女だが男の子だ)たちの体に巻きついた。
それは、もう、グルグルと。
振りほどけはしないものの、締め付けはさほどきつくはなく、苦しさを感じるほどではない。探るようにピタピタと触れてくる手のひらは、肉球のようで、感触的にはちょっと気持ちよくもあるが、ビジュアル的には少々気持ち悪い。
だが、この。
振りほどけない、というのがイチゴ的には問題だった。
イチゴの乙女的に大問題だった。
催してきたしまったのだ。
「が、がんばれ! イチゴ! えっと、でも、ほら! 小さい方なんでしょ? 大丈夫、傷は浅い!」
「そういう問題じゃ、なーい!」
黒い手によって、腕に抱えたくま天使ごと上半身をグルグル巻きにされたイチゴの、ミニスカートから覗く閉じた太ももがプルプルしている。
「頑張れ! イチゴちゃん! 竹蔵おじいちゃんとトマトさんも、もうじき来てくれるっていうし! 二人でどうにかできるのか分からないけど……。あ! おむつを買ってくるように頼んでおいた方が良かったんじゃないかな?」
「なるほど! それか、何か容器を持って来ればいいんじゃない? ミニスカートだから、パンツは下せそうだし。どうしても間に合わなさそうだったら、容器の中にすればいいのよ。大惨事から、中参事くらいには、格上げ? 格下げ? するんじゃない?」
「もー、馬鹿ー! ミ、ミステリアス・イチゴー! ミステリアス・イチゴー!」
半泣きになりながら、もう何度目かの魔法少女への変身の呪文を口にするイチゴだが、奇跡は起きなかった。メロンも何度か試してくれたのだが、やはり奇跡は起きていない。
魔法少女として真の覚醒を遂げたのはバナナだけで、イチゴとメロンは何度試しても呪文だけでの変身は出来なかったのだ。
それでも。もしかしたら、“ピンチで覚醒”とかしちゃうかもと一縷の望みを託したのだが、乙女のピンチでは発動してくれないようだった。
頼みの綱のバナナは黒い手にまさぐられるのがくすぐったいようで、先ほどから笑い転げていてそろそろ酸欠になりそうな有様だ。楽しそうだが、ある意味ピンチで役に立ちそうにない。
「う、うわー。お母さん的には、メロンちゃんも十分乙女のピンチだと思うんだけど」
「あー、さっきから、服の中にまで入ってきちゃってー。あ、こら! ブラのホックは外しちゃダメだってば! もー! 子供みたいに小っちゃい手なのに、すごいエッチだよ?」
己の膀胱と戦いながら、イチゴは隣でもぞもぞし始めたメロンにチラリと視線を走らせる。
黒いお手てが何本か、メロンの服の襟もとから中に入り込んでいる。メロンが体をもぞもぞさせ、外に巻きついている黒い手が豊かなお胸をピタピタするたび、メロンのメロンが縦横無尽にプルプルゆさゆさしている。
確かにピンチだが、イチゴのピンチとは次元が違う。
イチゴのピンチは、乙女の格を下げるピンチだが。
メロンのピンチは、女の格を上げている気がする。
「みんな、大丈夫か!? 一体、何があったんだ!?」
イチゴの乙女の尊厳が破裂しそうになったその時。
救いの主が現れた。
「あ、兄貴!」
中学校の学ランのまま裏庭に急行してくれたトマトだった。
イチゴの瞳に希望の光が灯る。限界のあまり、それは直ぐに打ち砕かれるかもしれない希望だという現実は忘れていた。
「こ、こいつ……! 許さん! 今、助ける!」
トマトは制服のポケットから、札を何枚か取り出した。
前に見た時は、ただのヘロヘロした紙だったのだが、修行の成果か取り出したお札はトランプのカードのようにピンとしていた。
「くらえ!」
両手に広げた札カードを、トマトは一斉に投げつけた。
バナナの体に巻きついている黒い手に向かって。
「ちょ! バカ兄貴ー! まずは、乙女のピンチをなんとかしてよー!」
札カードの威力は絶大だった。
次々と、黒い手を切断していく。切り離された先の方は、黒い霧となって消えていき、残された根元は、シュルシュルと山の中へと退散していく。
全ての手を切り離せたわけではなかったが、危険を感じたのか、残りの手もバナナから離れていった。
「はー、はー。あ、ありがとう、トマト兄ちゃん。楽しかったけど、くすぐられすぎて、危うくちびっちまうとこだったぜ!」
解放されたバナナが、荒く息をしながら地面に座り込み、トマトを見上げてキラキラと眩しい笑顔を向けた。
「ぐ、ぐはっ」
威力は絶大で、トマトは口元を覆いながらその場に頽れた。
「ちょ、兄貴! 早く、こっちも何とかしてよ!」
ちびるどころか今にも洩らしてしまいそうなイチゴが必死の形相で叫ぶが、トマトは既にふにゃふにゃだった。
「あー、バ、バナナ君! イチゴちゃんの乙女が大ピンチなの! 何とかしてあげてー!」
こっちはこっちで、大変なことになっているメロンがバナナに助けを求める。バナナがイチゴに目を向けると、一本の黒い手がイチゴの腕に抱かれていたくま天使の首に巻かれたリボンの端を掴むのが見えた。
「あ」
シュルリと布がほどける音がして。
赤いリボンが、解かれていく。
黒い手は、リボンを掲げてユラユラと風になびかせた。
イチゴとメロンの体をまさぐっていた他の手たちの手のひらが、リボンに向けられる。
赤いリボンの端をひらめかせながら、黒い手は山の中へと戻って行く。
その後を追うように、残った手たちも、ウゴウゴと一斉に山の中に引き上げていった。
「どうやら、ロリコンの変態触手妖怪が現れたみたいだな。母さん、小学校に連絡して、女の子の生徒が山に近づかないように連絡をふごっ!」
「うるさい! どけ!」
笑顔ビームにやられていたトマトが復活をとげ、立ち上がって、キリと顔を引き締めた所をイチゴに突き飛ばされて地面に転がった。
「が、頑張れー、イチゴちゃーん!」
メロンの声援を背に受け。
解放されたイチゴは、自己最高記録の速さで母屋に向かって走る。
母屋の。
トイレに向かってひた走る。
イチゴの戦いだけは、まだ終わっていなかった。




