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29 くま天使の憂鬱

「あ、ソレ。あ、ソレ。あ、ソレ。あ、ソレ」


 蔵の二階から、くたびれ果てたおっさんの声が聞こえてくる。

 どこかで聞いたことがある声だ。

 でも、どこだったか思い出せない。


 フルーツ魔法少女三人組(うち一名は男の子)は、二階へと続く階段の下で顔を見合わせると、一つ頷いて階段を駆け上る。


 そこには。


「あ。あんた、まだいたんだ」

「あれ~? 何してるの、くまさん?」

「お、久しぶりだな! くま天使! 元気にしてたか?」


 くたびれた掛け声とともに、両手両足を前に後ろにとぎこちなく動かしている、首に赤いリボンが巻かれた毛足の長いテディベア、通称くま天使がいた。

 永い眠りから覚めたばかりのぬいぐるみが、すっかり固くなった体を解きほぐそうと体操を始めたが、体が強張っていてうまく動けない。好意的に解釈すれば、そう見えなくもない。そんな動きだった。


「う、うるせーよ! オレ様だって、出て行けるもんなら出て行きてーよ!? 好きでこんなことしてるんじゃねーんだよ!?」

 がーっ、と本物のくまのように両手を上げてがなり立てた後、くま天使は床に突っ伏してさめざめと泣き始めた。

 その語るも涙語るも涙の物語を、イチゴたちはあっさりスルーして、赤岩様の欠片が祀られている台へと近づいて行く。

 部屋の中央。光沢のある白い布がかけられただけの台の上には、小さな赤い座布団の上に鎮座している白い石の欠片。座布団の左右には、相変わらず酒の一升瓶と杯が置いてある。無造作に置かれた一升瓶の存在が気になってはいたものの、それ以外には余計なものがなく片付いていた台の周辺は、今。

 スナック菓子やら、裂きイカやら、缶ビールやらが入ったスーパーの袋に取り囲まれていた。いつの間にか、ゴミ箱まで置かれている。

 とても、神様を祀る神聖な場所とは思えない有様だった。

 一体、大人たちは昼間何をしているものやら、だ。

 神様本人はあまり気にしてなさそうだが、せめて見えないところに隠して欲しいものだとイチゴは思う。


 赤岩様はいつものように、赤い着物を着た手乗り幼女の姿で台の縁に腰かけていた。つまらなそうに足をぷらぷらさせていた自称乙女神様は、イチゴたちを見て顔を輝かせた。

「おお、ようやく来たか。待っておったぞ」

(あれは、赤岩様の暇つぶしかー)

 その顔を見ただけで、イチゴたちは大体の事情を察した。

「まったく。そやつ、下で泣いたり喚いたり、『出してくれー』とか言いながら、出口の戸をガタガタさせたり煩くてのう。あんまり煩いから二階へ呼びつけたのじゃ。竹蔵や茜がいない間は我も暇だし、何か芸でもさせようと思ったのじゃがの。あの様じゃ。自分で小物妖怪と言うだけあって、まるで役に立たんわ」

 うんざりした顔で赤岩様がそう言うと、泣き声はより一層ひどくなった。

 泣いているくま天使の後ろ頭を、バナナが撫でている。

 瞳が輝いているところを見ると、別にくま天使に同情しているわけではなく、ふかふかとした手触りを楽しんでいるだけのようだ。

 段々、さわさわが高速になっていく。

 バナナが楽しそうなので、イチゴたちはそのまま放っておくことにした。


「まあ、菓子でも食べてくつろぐがよい。ああ、酒はダメじゃぞ」

「はーい」

 赤岩様のお許しが出たので、イチゴとメロンはお菓子の入った袋に手を伸ばす。

 バナナはおやつよりも、くま天使と遊ぶ方が忙しいようだった。赤岩様が現れてからは、完全に放置状態というか存在を忘れていたため、後ろめたく思っている……わけではなく、単純に久しぶりで嬉しくなっているだけのようだが。

 せんべいをパリパリさせながら、イチゴとメロンは赤岩様に請われるままに、学校での出来事を語った。アンズと桃花の事件も含めて。

 赤岩様はたいそうお喜びになった。

「小物に下らぬ芸をさせるよりも、おまえたちと話している方がよっぽど面白いの」

 コロコロと機嫌よく笑っている。何処からかじっとりとした視線が投げつけられるのを感じたが、女たちは無視した。


 学校の話が一段落したところで、イチゴは“黒蛇事件”のことを尋ねた。

 黒い手の本体は山の中に逃げたままなのだ。念のために、土曜日の午後と日曜日は、山周辺の草むらに、シャボンやらボムやらを乱舞して回ったのだが、特に手ごたえも感じられず、疲れただけに終わった。

 ただ、魔法少女の力の源は赤岩様なので、山の中から悪いものが出てこないように少しは抑止効果になるとのことだった(赤岩様談)。

「結局、しばらくの間は、本体のことは放っておくしかないの?」

「うむ。今の戦力で山に入るのは、ちと不安が残るでの。竹蔵と茜で、なるべく山に近づかないように町内に知らせを出すそうじゃ」

「パトロールと布教活動を続けるしかないんだねー。現実の魔法少女のお仕事は結構、地道だよねー。あ、信者獲得のために、何かイベントとかする?」

「却下」

「イベントか。それも悪くないのう」

 深い考えがあって言ったわけではないメロンの意見を、イチゴはすげなく却下したが、赤岩様はなんだか乗り気なようだった。

 イチゴは顔を引きつらせた。

 大人の魔法少女が、はしゃいでろくでもないことを考えそうな気がしたからだ。

 兎に角、話を変えねば!

 焦ったあまり、手の中のサラダせんべいが粉々に握りつぶされた。小袋を開封する前だったのが、不幸中の幸いだった。

「そ、そそそ、それよりもさ! もっと他にも魔法少女の技を考えて、練習した方がいいんじゃないかな? きょ、強敵に対抗するためにも!」

「あ、それいい! もっと、いろんな魔法を使ってみたいよね! メロンクラッカーとか!」

「ボムより弱くなってるじゃん! てか、それ、何の役に立つの?」

「んーとね、敵を驚かす!」

「あ、そう……」

 メロンはすぐさま喰いついてきたが、赤岩様はあまり乗り気でないらしく、しかめ面ではしゃぐ少女たちに水を差してきた。

「やめておけ」

「え?」

「どうしてですかー?」

 思い付きで口にしただけとはいえ、まさか反対されるとは思っていなかったイチゴは不思議そうな顔をした。メロンも首を傾げている。

「下手にいくつも魔法が使えると、咄嗟の時にどれを使っていいか分からなくなるぞ?」

「う」

「あー、そうかもー」

 思い当たることのあるイチゴは押し黙った。この間の黒蛇ということにされた黒い手。あれと戦った時も、実を言えば咄嗟のことだったので、頭の中は真っ白だった。兎に角、魔法を使わなきゃ、とその一心で技名を叫び、夢中でシャボン玉を吹いた。

 正直、何をどうするつもりでどこに向かって吹きつけていたのか、さっぱり覚えていない。

 使える魔法が“シャボンミステリー”一択だったから、迷うことなくほとんど脊椎反射のように魔法を使えることが出来た。でも、もしも、他にも使える魔法があったとしたら。赤岩様の言うように、どの魔法を使っていいか迷って、直ぐには魔法を使えなかったかもしれない。

「いろいろな魔法を状況に合わせて的確に使うためには、それなりに修行と経験を積まんとならんからの。今はまだ、おまえたちにはちと早いかの」

「はい」

「はーい」

 イチゴは素直に、メロンは少し残念そうに、赤岩様に返事をした。


「しかし、せめて相手の正体ぐらいは確かめたいからのう。次のパトロールとやらの時には、我も何とか出陣をしたいものじゃ」

「ん?」

「ほえ?」

 何やら思うところがあるらしい赤岩様の目が妖しく光った。

 その視線の先を追って、イチゴとメロンは不思議そうに顔を見合わせる。

 

 赤く光る、赤岩様の視線の先。

 そこには。

 ショートカットの可憐な極上美少女にしか見えない男の子……にモフモフされている、毛足の長いテディベアがいた。


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