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紅に染まる

ついったー短編


▼ ▼ ▼


 月は青白く、光は清らかに。降り注ぐ月明りは教会の十字架を照らし、そこに動く影を作り出す。


 その影は少女の形をしていた。月の明かりが照らし出す髪はくすんだ金の色をしており、朧げな青い瞳は、淡く写されたステンドグラスをぼんやりと見上げている。四肢は折れそうなほどに細く、袖を通すのは薄いぼろきれ。足枷の痕をつけたその両脚を動かして、少女はふらふらと再び歩み出す。

 ぺたり、ぺたりと足音が響き、清廉な教会の中を穢れた足が歩んでゆく。いくつも連なった長椅子の間を抜けて、少女はそのステンドグラスの前に立ちすくむ。青い瞳が、何かを待っているように、揺れる。


 そして少女は、闇の落ちる音を聞いた。


 眼前に現れたのは、竜巻のように渦を巻く漆黒。夜が混じり合ったその風は、少女の周りを取り囲むようにして形をつくり、そこに一人の男の影を作り出した。

 暗黒を乱暴に張り付けた黒のローブに身を包み、フードの下では新雪のように輝く銀髪が輝いている。少女を見つめるその双眸は、紅。そして背負う夜を映し出すかのように、背中には大きな蝙蝠の翼が鈍く輝く。

 その名を、トリシューラ。深淵より生まれし、全てを凍らせる悪魔の一柱である。


「やあ」


 にこり、と消え入りそうな笑みを浮かべて、その悪魔は少女へ語り掛ける。


「お嬢ちゃん、どうしたのかな? こんな夜中に一人で歩くと危ないよ?」

「…………。」

「あれ、聞こえなかった? こんな夜に一人で歩いていると、こわーい悪魔さんに連れ去られちゃうよ? それでもいいのかな?」


 降りかかる悪魔の声に、少女はうつむいたまま口を開かない。さてどうしたものか、とトリシューラが頭を軽く書いたところで、不意に少女はその小さな手を突き出した。

 白く透き通るような輝きが、少女の指の間から洩れる。その光が映る紅い瞳は一瞬だけ見開かれたかと思うと、歪んだように細められた。


「そっかー……お嬢ちゃん、そっちの人間だったんだねえ」


 舌を舐めずり、獲物をみつけた悪魔はその少女へと歩み寄る。一歩一歩、既に蹂躙の終わった教会に足音を響かせながら、トリシューラは自らの契約者へと手を伸ばした。

 この世の全てを恨み、絶望に立たされた人間はその魂さえ捨てて悪魔との契約を望む。この世界へ絶望をもたらすため、自らの命を糧に自らの復讐を果たすため、悪魔へと自らを差し出すのだ。

 そしてそれは、氷の悪魔の前でも果たされようとしていた。


「ほら、お嬢ちゃん。もっとこっちへおいで? それじゃあ君の綺麗な魂がよく見えない」


 両腕を開き、トリシューラが少女へ囁く。その悪魔の囁きに流されるように、細い脚は絶望への道を辿る。

 周囲は漆黒に包まれて、月明かりは黒い翼によって隠された。


「うん、いい子だ。ちゃんと君の望みを聞き届けよう」


 顔に浮かぶのは、歪な微笑み。自らへ命を差し出す愚かな人間へと、トリシューラは手を伸ばす。前に喰らった人間のように。悪魔を信じて身を差し出したこの教会の愚物共のように。全てがトリシューラの糧となる。

 悪魔と銘打つ存在が、契約を果たす事など今までの歴史の中で一度も無かった。


「さあ、君の望みを……溺れるようなその欲望を、聞かせておくれ……」


 そうしてトリシューラが手を差し伸べたその瞬間。

 身を焼くような熱が、少女の体と共に悪魔を焼いた。


「なんッ……!?」


 巻き上がる炎の渦が、凍った悪魔の手を燃やす。突然のことにトリシューラは身を翻し、迫りくる熱気に思わず顔を手で覆う。視界に見えるその炎の中心には、うつむいたままの少女の姿。手から零れ落ちる輝いた魂は、炎の中で溶けるように消えた。

 やがてその炎は形を変えて、人間の形を作り出す。身を包む外套は深い紅に染まり、書き上げたフードからは燃え尽きたような黒の髪が覗く。身を隠すほどの大きな悪魔片翼を背負い、ゆらゆらと動く尻尾は炎で形作られていた。

 緋色。燃えるようなその赤色がトリシューラを、教会を埋め尽くす。


「よお」


 舞い降りる悪魔は、少女の肩へ。下す藍色の視線は、片腕から煙を上げる薄汚れた悪魔へ。


「貴様……レーヴァティン……?」


 炎獄から産み落とされたその悪魔――レーヴァティンは、呆れたように息を吐いた。


「この俺の契約者を横取りしようだなんて、お山の大将も落ちるとこまで落ちたな」

「ッ……なんだ、と!」


 睨むトリシューラの視界を、一面の紅色が埋め尽くす。教会の中は夕焼けの色に包まれて、その中でレーヴァティンは少女の小さな体を背中から包みこんだ。


「こんな田舎の悪魔は俺の匂いどころか紋章すら見えないのか? 世間知らずも良い所だな」

「紋章だと……っ、そんなもの……!」

「ほらほら、ちゃんとあるじゃないか。なあ?」


 肩をすくめて大きく見せながら、レーヴァティンが少女の肩をぽん、と叩く。少女の体がびくん、と跳ねて、震えた視線が隣の悪魔へと向けられる。


「どうやらお相手さんはお前の紋章が見えないらしいぞ? もっとよく見せてやったらどうだ?」

「……でも」

「見せろ、つってんだ。お前の主人は誰だったかな?」


 吐き捨てるような強い口調に、少女は恐る恐る自らを包む衣服へと手をかける。足にかかるスカートを弱く握りしめると、少女は白い頬を赤く染めながら両腕をゆっくり上へとかかげた。

 細く肉の少ない太腿に、細い曲線を描く鼠蹊部。白い腹までが露わになり、炎に包まれた憐れな悪魔の瞳には、下腹部に深く刻み込まれた紋章が焼きついた。


「ほーら、よく見えるだろ? お前も見て貰う様に言ってみろよ」


 少女の背中から手を回し、下腹部の紋章をなぞりながら悪魔が耳元で囁く。肌を這う骨ばった指の感覚に、少女は体をぞくりと震わせて口を開いた。


「わ、たしの……私の、悪魔さまの紋章を……もっと、見て、ください……」

「よく言えました。それで? お前のご主人さまは誰だった?」

「はい、悪魔さま……レーヴァティンさま、です……私は、レーヴァティンさまの、忠実な奴隷です……っ」


 狂っている。最早、悪魔と形容していいのか分からない。目の前で繰り広げられる光景に、トリシューラはただ茫然と眺めることしかできなかった。


「それにしても、本当に見せるなんて思わなかったな」

「で、でもっ……悪魔さまが、そう言って……」 

「それに、いつまでそんな恰好を続けるつもりだ? それか、こんな薄汚いところで次までしてほしいのか」

「ちが、悪魔さま……っぁ、だ、めっ、そこ……! 舐め、ちゃ……っ!」


 悪魔の舌が、少女の紋章をゆっくりとなぞる。悪魔に身を捧げた少女は身をよがらせて、焔に包まれたまま嬌声を上げる。


「そんなにここが好きなのか? ……まったく、これで興奮するなんてとんだ変態だな」

「はぁ、っ……ごめん、なさい……っぁ、あぅっ!?」

「変態は変態らしく喘いでりゃいいよ。それに、俺にこうされる方が好きなんだろ?」

「あ、悪魔さま、っ! それ、ダメぇっ! すご、あっ、いやっ……んあぁっ!?」


 蔦のように這う紋章に軽く爪を立て、執拗に撫で続けながらレーヴァティンが呟く。教会は少女の喘ぐ声と、炎が弾ける音だけが響いていた。

 まるで雌のように怯えながらも恍惚とした表情を浮かべる彼女と、その彼女の下腹部へ艶めかしく指を這わせる悪魔に、トリシューラは理解が追い付いていなかった。その光景を受け入れることすら、本能が受け付けていないような気がした。


「ぁ……はーっ……、は、ぁ……っ」

「さて……これでこいつが誰のモノか良く分かっただろ? こいつも身に染みるほど分かったらしいしな」


 肩で息をする少女の頭に手を置いて、赤い悪魔が言い放つ。そしてその腕をゆっくりと掲げたかと思うと、その手のひらに焔の球を生み出しながらトリシューラへと視線を投げた。


「それで、お前は他の悪魔の契約者へ手を出そうとした。それがどういうものか、ってのも分かるだろ」

「……そんなものッ! 誰が守るっていうんだ!」

「現に俺が守ってるじゃねえか。お前の目は節穴か?」


 苛立ちを隠せないように、レーヴァティンが吐き捨てる。


「貴様の行動は癪に障る。ここら一体の人間を利用しつくした挙句に、自らの糧にするなど、同じ悪魔として非常に腹が立つ。不愉快だ。見ていて吐き気がする」

「な、何を……」

「まだ分からんか。なら良く分かるように言ってやる。お前みたいな薄汚れた悪魔が得してるってだけでイライラするって話だ。だからさっさと燃え尽きて死ね。そして……全て、俺に捧げろ」


 理不尽なその言動に、トリシューラはこの状況で呆れすら感じていた。そしてその思考は、迫りくる焔によって体ごと溶かされていく。皮膚を焼く痛みが全身へ伝わり、トリシューラは声にならない悲鳴を上げた。

 ぼろ衣を切り裂いたような汚い悲鳴を前に、レーヴァティンが燃え盛る炎へと一歩一歩近づいていく。そうして焔が燃え尽き、目の前に転がってきた黒ずんだ物体を足蹴にして、レーヴァティンは口元を大きく歪めた。


「これで、終わり……こいつの持っていたものは、全て俺のものになる……!」


 氷の悪魔の命は燃え尽き、解放された魂が雪となって降り注ぐ。天から舞い降りる魂の雪に、レーヴァティンが両手を広げて目を輝かせる。そんな主人を、少女はただずっと見つめていた。

 略奪と殺戮は果たされた。悪魔として騙し、悪魔として殺し、悪魔として奪う。一人の残忍で狡猾な悪魔として、レーヴァティンはそれを成し遂げた。


「全部、ぜんぶ俺のもんだ……! この魂も、あの魂も……みんな、みんな俺だけの……!」


 まるで少年のように目を輝かせながら、レーヴァティンは周りでひらひらと舞う雪に目を向け――その先の少女へ、言い放つ。


「そして、お前も……俺のもの。永遠に俺のもの……」


 契約は未だ続く。世界を焔で染めるため、彼女は赤い悪魔へ忠誠を誓う。

 それこそが――レーヴァティンこそが、彼女にとっての望みであり、生きるための理由でもあった。


「こっち来い」


 レーヴァティンの言葉に従い、少女がとてとてと歩み寄る。そうしてレーヴァティンは少女の小さな身体を抱きかかえると、黒い死体を蹴り飛ばし、聖堂の一番奥へと乱暴に腰を下ろした。ステンドグラスは焦げ付いて、月光は悪魔へ届くことはない。

 不思議そうに悪魔へ視線を送る少女の体を、悪魔の指が侵していく。顔の横から首元までをつぅ、と人差し指が伝い、そのまま胸元まで指が這う。鎖骨を指でなぞると少女はびくんと体を震わせ、レーヴァティンの胸元へ頭を預けながら上目で彼の顔を見つめた。


「あ、悪魔さ、ま?」

「黙ってろ」

「は、い……」


 そして悪魔の手は紋章へ。赤く刻まれたそれを丁寧になぞりながら、レーヴァティンは苛ついた顔で口にする。


「クソ、田舎の悪魔風情が。俺のモノに下品な匂いを付けやがって」

「……ん、ぅ……ぁ、っ……あくま、さま……」

「もう少し我慢してろ……なに、お前だって悪い感覚じゃないんだろ?」

「は、いっ……だいじょう、ぶ……です、っ」


 にやり、と笑みを流しながらレーヴァティンは紋章を爪でなぞる。既に下賤な悪魔の匂いは取り除かれ、そこには屈託のない赤い紋様だけが刻まれていた。


「ほら、もう大丈夫だ。綺麗に取れた」

「はい……ありがとう、ございま……す……」


 ぽす、と。

 力尽きた少女が、悪魔の腕の中で目を閉じる。


「すぅ…………すぅ…………」

「……主人に断りもなく、目の前で寝るとは思わなかったが」


 呆れた声でため息を一つ。レーヴァティンは、片翼の翼で自身の身と少女を包む。


「…………あくま、さま……」


 静かに名前を呼ぶその少女を、赤い悪魔はただじっと見つめていた。


▲ ▲ ▲



前日談も書きたいです

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