6(世界の真理)
*
「あかん」ひかりを除く全員が同じタイミングで口にした。
「連盟直属対策委員会の蒸汽甲兵が亜人租界を焼き払いに集結した!」東山部長が叫ぶ。
「衛星軌道上に新たな穴を観測! 月面基地待機中の予備隊、急行せよ!」西谷先輩がエーテル通信で伝達する。
「がしゃ髑髏が天狗と河童の間に割り入るなんて!」南海先輩、絶望の声。
「キャットファイト、キター! いいよいいよぉ、もっとやれぇ!」北川君、楽しそう。
部室は混乱を極めた。
「この子は渡さん、渡さーんぞぉー!」
「オクタリアンが地球侵略!? 団体さんのお越しなんて……目的は第四種接近遭遇!?」
「このどろどろは、ぬっぺっぽうか!」
「もっと服を引っ張れ、破いて裂いて!」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ。
「おい、見ろ!」東山部長が叫んだ。「そっちの壁の一角、黒い染みが出来てないか!?」
「ひかりちゃん、急いでー!」西谷先輩の悲痛な声が響く。
*
筆の速度は終盤へ向け指数関数的に加速する。手が痛い。分かってる。紙が汗で湿ってる。分かってる。でも止められない。文字が言葉が、どんどん溢れて止められない。
部室の中は、亜人、怪人、宇宙人、化け物、物の怪、二次元立体、定形、不定形、ロボット、クジラが入り乱れ、百鬼夜行の様相を呈している。
何やら手元が見え辛い。
ひかりは原稿用紙の升目を文字で埋めていく。プロット通りに進行しない物語。好き勝手に動き廻る登場人物。あれもこれもどれもそれも、ひかりに向かって主張する。
「わたし」の「思い」は、どうして届かないの?
落ち着いて──大丈夫。自分はここにいる。物語はここにある。
書き上げた二十六枚目の原稿用紙をひっくり返して重ねながら、新しい一枚の一行目にペンを走らせた。
現実世界に干渉し始めた彼らがいよいよ外へ飛び出そうとする時、ヒロインの幼なじみである、発明好きの隣家の少年が「機械仕掛けの女神」を連れて訪れる。「女神」は歯車を廻し、全てを引き連れ、世界の狭間へ消えていく。同時に文学少女の物語は全てが無になり、残されたのは白い原稿の束。
「もうお話は書かないの?」幼なじみの少年が寂しげに訪ねる。彼女は、いいえ、と首を振る。「まだ書き足りないよ」
「また同じことが起こっても?」
「その時は、また助けに来てくれるって信じてるよ」
ふたりは顔を見合わせ、くすくす笑う。笑い声は、遠く高く澄んだ青空に吸い込まれていく──。
ひかりは次の行に、下から一マス空けて最後の文字を書き入れた──「了」。
*
「あれ?」
ぎゅうぎゅうで薄暗い文芸部室に、ひかりの間の抜けた声が響く。どうしたどうしたと皆が訊ねる。
「書き終えたら──解決するんじゃなかったんですか?」
「なんと」東山部長が笑顔で拍手。「脱稿、おめでとう」
おめでとう、おめでとう、と先輩たちも北川君も拍手。ひかりは何だか嬉しくなって、えへへ、と頭を掻くものの、「や、そうでなくて?」違うんじゃないかな。違うでしょ。ほら、色々と。ほら、何かとね?
「脱稿はおめでたいよ」河童と天狗に挟まれて南海先輩。
「完成は嬉しいもんね」クラゲ宇宙人に半ば飲み込まれている西谷先輩、しあわせそう。
いやいやいや。「どーすんですか、これ」と、ひかりは部屋の魑魅魍魎を見渡し、「やっぱ部室、木星の穴に飲み込まれた良い……のかな」
「あ、それ誤解」西谷先輩が云う。「オクタリアンは人類と友好関係を築く為に銀河に穴を開けて来たの」大団円に収束よ。
「困ったなー」と北川君はでへでへと二次元ギャルに手を伸ばすも、ぴしゃりと叩かれ「変態っ」罵られている。なのにとても嬉しそうなのは何故だ。変態か。変態だ。
その時だった。部室のドアがノックされ、「お邪魔しますー」キモイ君がやって来た。
「おう、お邪魔し給え」東山部長が応じる。
「仲さんいますか、いますね、ちょっといいかな」ずかずか入り込み、「ラップトップは?」
ラップトップ? 「そっち」ロッカーの上を指さした。
「ちょっと場所、借りるね」
キモイ君はひかりのノートパソコンを机に置くと、電源ケーブルを繋ぎ、ぱかっと液晶画面を起こす。ポケットから取り出したUSBメモリを側面のスロットに挿し込み、Cキーを押さえながら電源ボタンを押した。
「大丈夫なの?」とひかりが訊ねれば、「たぶん」
程なくして、モニタに起動ディスクの選択画面が表示された。キモイ君はトラックパッドに触れ、外部ディスクを選択する。
起動のステータスバーがぐいぐい伸びるのに合わせて、USBメモリのアクセスランプがチカチカと点滅する。
「書き上がったんだ?」
キモイ君の目は、ひかりの前に置かれた原稿の束に向けられていた。
「楽しかった?」
変な質問だと思った。でも、「うん」
「なら良かった。お、起動した。よしよし。仲さん、先に確認しとくけど、確実じゃない。最悪、データが全部飛ぶ。いわゆるクリーン・インストール。それでもいい?」
「つまり?」
「アップグレード直前の状態に戻せるパッチなんだけれども、全ての環境、状況に対して適用されるとは限らない」
「それをしないと?」
「大切なワープロソフトは使えないまま?」
画面には英文のダイアログが表示されている。
ボタンはふたつ。〈Yes〉か〈Cancel〉か。
「今ならまだ選べる」キモイ君は云った。「たぶん、この百鬼夜行も関係している」
「知ってたの?」驚くひかりに、「なんとなく」と彼は云う。「仲さん、すっごくワープロ大切にしてたみたいだから。執着。強い思い入れ」ぐるりと部室を見渡し、「昔話とか神話に良くある要素だよね」
その考えはしっくりと胸の内に馴染み、驚くのと同じくらいにほっとするのが分かった。
今ならまだ選べる。
「ねぇ、キモイ君」トラックパッドに指を乗せ、ひかりは訊ねた。「世界の真理って何だっけ?」
「不可逆」
「そうね」皆が見守る中、ひかりはボタンの上にポインターを動かした。
─了─
文藝部最新刊・目次
1、上海亜人租界-変-
著:東雲雅々(三年)
2、河童薬膏
著:南嘉磐石(二年)
3、宇宙に貢ぐもの
著:白水杏夏(二年)
4、ハイ! すくーる☆ダブリング!!
著:N. R. ショー(一年)
5、時計仕掛け物語(or The Modern Deus Ex Machina)
著:星灯(一年)