5(きちんと供養)
*
「あかん」不意に西谷先輩が云う。「やっぱ地球、なくなるわ」
「ふうん?」東山部長はキーボードを打つ速度を緩めず訊ねる。「どう云うことかな」
うーん、と西谷先輩は腕を組み、「木星付近にでっかい穴が見つかるんですけど、解決策が出ないんで、バッドエンドになりますね」
「書き変え給え」
「百二十枚越えてるんです。いまさら変えたくないです」
「それなら仕方がないね」南海先輩は両肘を机に突き、手の上に顎を乗せた。「初期プロットは捨てたんだ?」
「うん」と西谷先輩。「このトーンだとハッピーエンドは安易で陳腐すぎちゃう」
「それは困ったな」東山部長はターンッと高い音を立て、エンターキーを打った。「だが、これが部室内だけの現象であると云う推測通りなら、地球がどうなろうと大丈夫だ」
「逆に云えば」と北川君。「部室だけは飲み込まれる、と」
「どのくらいで書き上がるんですか?」ひかりが問うと、西谷先輩の背後に立つ宇宙人が、ピカピカ光る弁当箱みたいなものを、何もない空間から取り出した。
「せいぜい数日?」西谷先輩は両腕を突き上げ、んんー、と物憂げに伸びをする。「もういいかなーと。終わらせてあげようかなーと」ブラウスの裾からおへそ、見えそう。
「カウントダウンだ」北川君が宇宙人の持つそれを指さす。「災害モノ的には全滅エンドの危機的状況っすね」
「困ったもんだ」東山部長と南海先輩は、さして真剣味のない声で云い、また自分の作品世界へ戻っていく。
「ねぇ」西谷先輩が隣に坐る後輩に訊ねる。「ひかりちゃんは、どんな話、書いてるんだっけ?」
「えっと、」ひかりは少し云い淀む。「まだ全然なんですけど、主人公は文学少女で、自作の中で登場人物が思い通りに動かず、やがて現実世界に──物語の中の世界ですけど、彼らが干渉し始める……お話」
「それだ!」全員が声を揃えて云った。
「ひぃっ」ひかりは怯えた。
「ハッピーエンド? バッドエンド?」西谷先輩は顔と躰をひかりへ向けた。
「いや、云うな」と、止めたのは東山部長だった。「何が起こるか分からん。しかし、ひとつ確認したい。その話は──丸く収まるのか?」
ひかりは首を振って、「ギャラの角笛が鳴り渡り、終末の日が到来す──、」
「プロットを変えろ!」また全員が口を揃え、「ひぃっ」ひかりは椅子から転がり落ちた。
「祇園精舎みたいなノリで世界を滅亡させちゃダメでしょ……」北川君が、小さくボヤいた。
*
「諦めることは最善なの?」
ひかりの疑問に、キモイ君は「どうかなぁ」と目を瞑り、「まだ愛着があって、まだ可能性があるのなら、それはつまり、まだ準備が出来ていないってことじゃないかなぁ」
まるでそれって。「身辺整理みたい」
「思い通りにならないことだらけの世界で、思い通りに出来ることがあるのなら、それはどう終わらせられるかを選べることだね」
つまりそれって。
ひかりは視線を落とし、「延命か、安楽かぁ──」ぽつりと呟く。
「自分の手でケジメつけて、きちんと供養しないといけないね」と、キモイ君は云った。
*
「時間を稼がないといけません」北川君が真剣に云った。「木星の穴を足止めしないと」
「方法ないよー」西谷先輩は、躰をぐでーと机の上に投げ出し、「銀河辺境の第三惑星がどうなろうと知らないよー」全身、これ諦めモード。
しかし北川君は。「超重力発信器」にやっと笑う。「時間は重力的に相対性を持つ」
刹那、西谷先輩、ぱっと躰を起こし、ぱっと顔を輝かせた。「ウラシマ効果!」
「発振器を取り付けた宇宙クジラ、二十一匹を一連として、二連、送り込む」
「二倍だから四十二! 伏線回収だ!」
「巨大穴をぐるっと囲み、消失点を発生させる」
「いける……かもしれない!」西谷先輩はキーボードに指を掛けた。
「それから南海先輩」
「うん?」
「河童がこれ以上、邪魔しないためにも話を進めてください」
「ああ。でも、河童は存在しないんだ」
「河童は暗喩ですか?」
「和解のための方便。手に入れたのは親子の確執を溶かす旅そのもの。だいたい河童なんてリアリティなさすぎるよ」ははっ、と南海先輩は笑う。
「天狗まで出しておいて、リアリティもへったくれもあるかい」ふんと、東山部長、鼻を鳴らす。いやその、と、南海先輩、たじたじる。
「でも」と、北川君は続けた。「河童は顕現している。天狗も同じく」
「うん──」南海先輩は渋い顔で、「実際、河童はいない。和解の事実こそが母親への手向けとなる」
「例えばさ、」と西谷先輩。「ガマの油の中身って、実は馬油なんだって」うま。
うーん、と北川君。「河童も天狗も出てきてるから、南海先輩の話の中では実在するものとして扱われていると思います」うま?
「困ったな」と本当に困った顔の南海先輩。
「先輩、」北川君が云った。「息子は昔、河童に助けられた。だから河童なら何とかしてくれると信じている──んですよね?」
「ああ」と南海先輩は頷く。「それが物語の発端だ」
「ええ」北川君も頷く。「こうしましょう」机に両肘を突き、神妙な声で、「同じく父親も昔、天狗に助けられた」
ぶはっ、と西谷先輩が吹き出した。
しかし、「弱いな」東山部長が異を唱えた。「誰でも知ってる大妖怪を、そんな与太話で済ませられると思ってか。ドデカい爆弾を仕掛け給え」
「そうですかねぇ」南海先輩は煮え切らない。
「父親の正体は天狗だった」きっぱり云った東山部長の言葉に、ぶぶはっと西谷先輩がまたも吹き出し、北川君も、むほっと笑って手を叩く。「いいですね、それ。バカっぽくて」むほほほほ。
「バカも真っ向から真剣に突き抜けると、信じられない説得力が生まれるのだ」東山部長は小鼻を得意げに膨らませた。「こう云うモノだのゴリ押しで読者を納得させろっ」
「うん、まぁ」南海先輩は渋い顔をしたが、「ま、いっか」
いいのか。
「文芸作品はジャンル分け出来ない故にそう呼ばれるのだよ」東山部長はにっこり笑って、膝の上に座る女の子の頭を撫でた。「伏線の書き足しが必要になるだろうけれども、がんばれ」無責任に云い放つ。「で、北川君」
「はい?」
「わたしにはアドバイス、ないのかな?」
「その女の子が出てきて、いまさら何を期待してるんですか」
「ヘルだよ、北川君。この子の名前はヘル。可愛いだろう? こら、キーボードに触っちゃダメだ。あああ、Fだらけじゃないか」
女の子は東山部長を振り返り、にっこり笑う。ああ可愛い。とても可愛い、幼女よ。
「部長はさっさと進めてください。その子が出てきたってことは、もう終盤ですよね?」
東山部長は頷く。「後は上海の亜人租界の混乱に乗じて、この子が神戸行きの船に乗るだけだ」
「ひとりで?」西谷先輩が驚いた声を上げる。
「お付きが一人くらいは居たが良いですね」南海先輩も助言を出す。
「ふむ」東山部長は考え込む。
「人狼と吸血鬼の館には、メイドがいたんですよね」と北川君。「誰か一人、いや……男の人がいいかな」
「人造人間もいるが」
「人間とは違うんですか?」南海先輩の疑問に、「違わない」と東山部長。「彼らの姿形は人のそれとはどこも違わない。人造人間を人造人間だと分かっているのは本人だけだ。賢者の石の記憶を持つのは彼らだけだから」
「それ、良いんじゃないですか」北川君は椅子に座り直し、「亜人の子供と人造人間。どちらもヒトでないモノ同士」
「そうか」ふむふむと東山部長。
「神戸から先は? どうなるんです?」西谷先輩が訊ねると、「横浜に亜人の街がある。まずはそこへ向かうだろうね。だがそれは別の話だ。人狼と吸血鬼の物語は、動乱の上海に生死不明で幕が下りる」
「悲恋モノですからね」と北川君が云えば、「ああ、そうだ」と、東山部長はうっとり応える。「相対する種族の違いを超えた愛の物語」
「やおいだけど」ぼそっとひかり。
「よそ見しないで早く書くんだ」東山部長、ばっさり。
「種族の垣根を越えることの出来た存在」北川君は少女に目を向けた。「きちんと丸く収まった。しかも続編に事欠かない」
「うむ」東山部長はにっこり微笑み、「で、君はどうなのだ、北川君」
「どうって、どうもしないですよ」
「ヒロインが二人もいて、都合よくお終いにするつもりかっ」くわっと目を剥いた。
「ご都合主義こそラノベの神髄ですよ!?」
「でたでたー」西谷先輩がにやにやと、「ラノベそのものがマジックワードだもんね」
「そうですっ」
「いや、許されない」きりっと南海先輩が割って入った。「許される筈がない! 部長が云ったように、でっかい爆弾を投げるべきだ。ラノベに逃げるな、ラノベを隠れ蓑にするな。むしろ明後日の方向に手榴弾を投げる展開で読者を苦しめろっ」
「王道路線から外れたら見向きもされないんですよ!」
「敷かれたレールに甘んじるな!」南海先輩はいつになく熱い。「外道上等むしろ結構!」
「ヒロイン、死んじゃう?」西谷先輩が楽しそうに訊ねると、「最悪だ」北川君は頭を抱えた。
「どうせ血の繋がっていない妹がいるだろう?」南海先輩の言に、「どうしてそれを!」北川君は狼狽する。「まだ秘密だったのに!」
「定型展開じゃねーか!」一喝され、しおしおとする北川君に、南海先輩は、ふ、と優しく微笑んだ。「せっかく自分が書きたい、読みたい物語なんだ。でも、それに囚われてもいけない。暴投しなよ。ヒロインふたりも面倒見られるほど主人公に甲斐性はあるのか? 義理の妹にも決着つけられるのか?」
「……みんな、しあわせになれますように」
北川君の祈りを、「無理ねっ」西谷先輩はにこやかに打ち砕く。
「血は繋がっている方が背徳的でいいんだがなぁ」東山部長の呟きを、ひかりは聞き逃さなかった。
「僕はどうすればいいんだ……」北川君は原稿用紙の上に突っ伏した。
女の子を膝の上に乗せたままの東山部長は、「暴投か」ふむふむと鼻歌交じりにキーボードを打ちながら、「ここは覆水盆に返らず法を進言する」
北川君は顔を上げ、「はい?」
「お盆をひっくり返せ。読者の目を点にする禁じ手だ」
「有り体に云うと、」南海先輩が補足する。「これまでのことはなかったことにする」
「ひどっ」西谷先輩が笑う。「ひどいわー」
もちろん北川君は受け入れない。「彼女たちとの思い出を穢すんですか!」
「穢すも何も、もともと爛れた関係じゃないか」ぬはははと東山部長は笑う。「全員まとめて面倒見るのは主人公である必要はない!」
「禁じ手にも程がある……」北川君はがっくりと椅子の背もたれに躰を預け、口から魂を漏らしかけたが、はっ、と身を起こし、「分かった!」万年筆を手に取った。
「どうやら」東山部長は南海先輩と西谷先輩を交互に見遣り、「彼は一皮剥けたようだ」
「さっすが部長」西谷先輩がむはっと笑う。「エロいっすね!」
今度は南海先輩の口から魂が漏れかけた。
「どうするの?」好奇心に負けてひかりがこそっと訊ねると、北川君は、「主人公は全てのヒロインを袖にして、新たなハーレムを求め、旅に出る」原稿用紙に万年筆のペン先を淀みなく流し、きりっと答えた。
「ひかりちゃん! お手々がお留守になってるよ!」
部長に云われ、「ハイッ」ひかりは再び原稿用紙へ向かった。
それは真っ白な沙漠のような、草木も何もない荒野のような、しかし、誰かの訪れを待ち望んでいる大地のようであった。