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1(ワープロだって文房具)

   したらば。(或いは時計仕掛け物語:The Modern Deus Ex Machina)


 OSのアップデートで愛用のワープロソフトが未対応になった。


   *


 なかひかりがテーブルに伏せっておいおい泣いていた。高校の文芸部室。窓の外は五月晴れ。放課後の校舎を挟んだグラウンドの向うから、遠く運動部の掛け声が聞こえる。

 対面に坐る同じ一年(で同じクラス)の北川きたがわ正平しょうへい君は、実在的女子に対して一定距離を置いているので、我関せずとばかりにアニメ雑誌を読みながらへらへら笑っている。右隣に坐る二年の西谷にしや杏子きょうこ先輩(女子)は後輩の頭を優しく撫で慰め、同じく二年の南海なんみ益雄ますお先輩(男子)は斜向かいから備品のボックスティッシュをそっと滑らせ成り行きを見守った。

「諸君、遅れた」芝居がかった台詞を伴い、ばーんと部室の引き戸を開けて入ってきたのは三年女子の東山とうやま美夜比みやび部長で、すぐさま後輩女子が泣いているのに気付いたが見なかったことにして鞄を置き、お茶を汲んで自分の席に「どっこいしょー」坐って、ずずずと湯呑みを傾け、「ぷはー」おっさんくさい息をつき、「ふむ」やっと泣いてる一年女子に顔を向けた。「お腹、痛い?」


   *


 しゃくり上げて話にならない一年女子に代わり、西谷先輩が説明する。なんでも彼女の私物であるノートパソコンのセキュリティアップデートに、OSのバージョンアップが含まれ、結果、アプリケーションが起動しないと云う。

「やられたー」液晶画面に映し出された見知らぬGUIを前にして、ひかりがおいおい泣く。「どうしてー」

 なのに北川君は、雑誌を置いて、「手書き、いいよ?」万年筆と原稿用紙を「ほらほら」薦めてきた。そう云う問題じゃない。

「ブルーブラックのインクと赤茶罫線の原稿用紙は最強の組み合せ」へっへっへ。「気分だけは文豪だ」

「確かに」と南海先輩。「腕はプロに及ばなくとも、プロと同じ道具は使える」美術部が云ってたなぁ。「形から入るのもアリだと思う」

「形だけじゃしょうもないさー」西谷先輩は辛辣だ。「実力伴わにゃ道具が泣くよ?」

 これに、「気に入らない道具じゃ、気分も腐るものさ」と東山部長が取り成した。「鈍らハサミなんぞ、腹が立って仕方なかろう」


   *


「ワープロソフトって作れる?」

 翌朝、教室でひかりは、右隣の席に坐る読書中の男子生徒に声をかけた。「コンピュータ部だったよね?」

 誰が云い出したか、名を引っ掛けキモイ君と呼ばれているその男子は、ナチュラルな生成り帆布のブックカバーに包まれた文庫本から顔を上げ、「電算部」静かな声で応えた。

「や」かっこいい響きだ。「電算部」声に出して呼びたい部活名。コチラも正式には「文藝」って表記するらしいのだけれども、まぁなんだ。音で聞いても分からない。書けと云われても書けやしない。

 キモイ君は北川君のお友達で、いつもお昼は一緒に食べ、前夜放送のアニメの話をし、そして時々ヒロインのことでケンカする。そしてやっぱり湯気だの光りだのと地上波放送の規制のことで仲直りしたりする。

 キモイ君はしおりを挟んで本を閉じた。「作れるけど作れない」

「んんん?」どっちなのさ。

「簡単に云うけど、そのワープロの用途って文芸部用の小説特化だよね?」

 所属部を知られていたことに、ひかりは少し驚いた。あたくし、実存的女子ですぞ?

 キモイ君は続けた。「ざっくばらんに云えば日本語用は死に体で、市場は極東島国、一国だけ。開発は行政、教育に食い込めた、昔ながらの国内一社ほぼ独占。以上を鑑みるに、ニーズがない、つまり売れない、誰も買わない、だから誰も手を出さない、故に作る理由そのものがない」

「ニーズならここにあるよ!」

「ニッチすぎるよ」やれやれ、とばかりにキモイ君は首を振った。「ワープロって、この間のアップデートで動かなくなった骨董品のことでしょ? ネットニュースのヘッドラインで見たよ」

 よくご存知で。なら話は早い。「そうそれ」ねぇ、お願い。「どうにかならない?」

「解散したソフトハウスの化石を掘り返しても復元できないよ。ソースに含まれるライセンスの問題もあるから。開発を撤退して十年? それ以上? 今まで動いていたほうが奇跡みたいなもの」

「……日本語、死んじゃう」

「コンピュータの基本は横書き。ついでに文字は1バイトのアルファベット基準。エディタならまだしもワープロなんて」ルビに約物、ぶら下がり。「ひらがなにカタカナ、漢字。和暦もあるし、半角全角英数字混在で、もう二進も三進もいかないドン詰まり言語ですわ」なははと笑う。「無理じゃなくて、無駄」

 ひどいっ、とひかりは嘆き、「そんなこと分かってるよ、分かってるけどさっ」

「うん」云いたいことはたぶん分かる。

「やだっ」ひかりは身を引き、両手で自分の躰を抱いた。「気持ち悪い」

 キモイ君は変な目付きでひかりを見た。

「変態だ」ひかりは云った。

「こらこら」キモイ君は云った。「それでどう分かり合えと」

「そうね。同じ言語を使っていても分かり合えないもんね」

 そうそう。「エディタ、ダメなんだ?」

「あれって文字数カウントじゃん」

「うん?」

「ページ毎の枚数カウントでないと分かり辛い」

「へー」面倒だな。「文字数とかバイト指定じゃないんだ」

「そんな指定、気持ち悪いよ」

「他のワープロは試した?」

「所詮は異人の作った物だった」

「国産も?」

「だめ。日本的過ぎてダメ。ボタン多過ぎ」

「骨董品は良かったんだ?」

「物書き用に洗練されてて、直感的で、なのに融通が利いて、縦書きでも流麗で、とてもエレガント」うっとり。

「ページレイアウト、使いなよ」

「組み版ソフトは違うと思うのです」

「手書きは? いないの?」文芸部に。

「北川君、字が綺麗なんだよね」ひかりはむくれる。北川君のクセに。なんだよ、あの字。書道部か。北川書体(フォント)でも出しやがれ。

「ふーん」別にいいんじゃないの、とキモイ君は云うが。そんなことじゃないんだよ。違うんだよ。「ワープロだって文房具なんだよ」

「万年筆に原稿用紙っていいよね」

「だーかーらー」字が汚いと自分でも読めないし、とぶつぶつ。

「外国の万年筆って縦書きの利用、想定してないんだってね」

 はあはあ。「そりゃそうだな」もっともすぎて気にしてなかった。「亜剌比亜アラビア語はどうなんだろ」右から左だから筆運び、逆でしょ?

「あー」キモイ君は鼻をふんふんと膨らませ、「どうなんだろうなぁ」

「左利きのひとは?」

「ペン先の育て方だから、大丈夫じゃないかなぁ」

「なら筆運びは関係ないかな?」

「そうなるかなぁ」

「国産万年筆はどうなるんだろ?」

「日本語用にペン先を作ってるでしょ。画数の多い字でも潰れないとか」とめ、はね、はらいが綺麗だとか。「たぶん、日本語がイケたら、だいたいの言語はイケるんだろうなぁ」

「日本語、すごくね?」

「日本語、すごいよ?」キモイ君はまた鼻を膨らませる。「極東島国言語でも全人類の人口割合からの話者数で云えば決して少ない訳ではない。けれども公用語としているのは一国一地方だけ」

「我が国でございますな」

「いや」ちゃうねん。「我が国は日本語を公用語と正式に制定してない」

 なんじゃい、そりゃ。

「公用語としているのも歴史的な背景にあって、現実問題じゃないから」

「日本語、悲しいね」

 うん。「悲しいね」言葉通り、キモイ君は悲しげな顔をした。「ごちゃごちゃ言語のクセに国内の識字率の高さは世界トップクラスなのに」

「すげー」

「だからガラパゴス化するんだよなぁ」

「日本語、狭くね?」

「日本語、狭いね」

「世界共通語がエスペラント語じゃなくて日本語になりますように」ひかりが祈る。

「こらこら」さすがに無体であろう。

 ハテ、そうだろうか。日本語が世界標準語になったら素敵じゃなかろうか。

 いや、やっぱ希少性がないのはイヤだなと感じて、ああ、根っから島国根性染みついてるなぁと、ひかりは思う。

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