28才の意地悪、17才の涙
「助かったよ。あとは俺がやっとくから」
そう言って西山を教室に戻そうとしたが、彼女がふと準備室を覗き込み、シンクの横に放置されている使用済みの容器に気がつくと、ため息をつき制服の袖をまくり始めた西山をあわてて止める。
「それも、俺がやっとくから昼に戻れ。時間なくなるぞ」
「大丈夫です。この前……困らせたお詫びです」
西山の方から、告白の話題を振られると何も言えなくなる。
いや、ここで自分がもう一度大丈夫だと言えば西山は大人しく帰ってくれただろう。だけど、俺はさっきから彼女が少しだけ見せてくれるいつもと違う表情に、西山の行動を強く静止することを躊躇った。
蛇口をひねり洗い始めた彼女を、せめて手伝う事に。
西山がスポンジで洗った容器を受け取ると、それを水ですすいで隣の水切りカゴに次々に置いていく。準備室内にはカチャカチャと洗う音だけが響いていた。
その単純な作業は意外にも心を落ち着かせてくれ、何か話さなくてはという焦りは一時的に薄れていた。
そして、また彼女が洗い終わった容器を受け取ったその時、少しだけ西山と指が触れた気がした。
それが、きっかけだった。
「……誰でも、良かったんです」
ふいに彼女が口を開く。
「へ?」
突然の会話にマヌケな声しか出なかった。そんな俺に構わず彼女の話は続いた。
「結果は最初から解っていました。きっと先生ならああ言うだろうって事も……。だから、告白してこの気持に区切りをつけようって。そんな時、ちょうど藤井君が一緒に帰ろうって誘ってくれたんです」
そう言って彼女は、洗った容器をまた俺に渡した。
「しかし、誰でもって言うのは……」
「誰でもは、言い過ぎました……。声を掛けてくれたのが藤井君で良かったと思っています」
「あいつ、生徒会で面倒見も良いし、頼りになるだろ?」
「はい。今までほんの少ししか話した事がなかったけど、とても優しい人だと思いました」
「俺の、助言も役に立つだろ?」
「……はい。先生の、お陰ですね……」
洗いながら、思いの外西山と「藤井」の話題で会話が続いていた。
学生時代に教師に密かに憧れを抱いたりするのはままあることで、そのうち興味は同世代へ移っていくのは自然なことだ。
だけど、少し胸につっかえるこの何とも言えない感情に、無意識に軽口を叩いてしまう。
「成績に気をつけてれば、先生達も交際にはあまり口出ししないからな」
「別に、藤井君とは付き合ってるわけじゃありません……」
「いいって。気にするな。藤井と仲良くしろよ」
言ってしまってから、激しく後悔する。
どうしてだろう、こんな事を言いたいわけじゃない。素直に応援してやればいいだけなのに、藤井の話をしながら時折柔らかい表情を見せる西山に対しておもしろくない感情が湧き上がり、軽口がどうしてもとまらない。
すると、彼女の手が一瞬止まったような気がしたが、すぐにまた洗い始めた。
「そうですね。放課後一緒に帰ったり、カフェに寄ったり、カラオケ行ったり、先生とは出来ないこと、藤井君とならいっぱいできますからね」
「なんだ? 付き合う前からノロケか」
「先生が、意地悪言うからです」
「悪かった。悪かった」
(まぁ、なんにせよ西山にとってふさわしい相手が見つかってよかったって事だな)
会話が途切れる。さっきまでぽんぽんと話していたのに、今はなんとなく次の言葉が出なくて、手元の洗い物に集中する。
「意地悪……」
彼女が、ぽつりと呟く。
「だから、悪かったって……」
さっきの会話を蒸し返してきた西山に謝りつつ彼女の方に振り向くと、うつむいた彼女がもう一度絞り出したよな声が震えていた。
「いじ……わるっ……」
あの日、放課後の告白の時すらこらえた涙が、今、彼女の目から零れ落ちていた。
吉井先生、ついに泣かしてしまいました。