深海のお姫様
「ねぇねぇ、雨乃君って友達いるの?」
高校二年の春、4月1日の事だった。
学年が一つ上がり、クラスのメンバーも新しくなった朝のホームルーム。
辺りがざわつく中、一人肩肘をついてガラス越しの雨空を眺める僕に、彼女はそう問いかけた。
「......悪いんだけど、僕に話しかけないでくれないか」
僕にも少しだけ嬉しい気持ちはあった。
しかし、今の僕にはこれ以外の適当な返答が見つからなかった。
「いないの?」
「......そういうわけじゃないけど」
「けど?」
「もうほっといてくれ!」
僕は彼女の方を向いてキッパリと言い放った。
肩くらいの長さで切った髪型は、僕好みだった。
その時に見えた彼女の瞳はとても綺麗だったが、それ以上にその瞳には、闇が宿っている。
そんな感覚に囚われた。
「ねぇ、せっかく隣の席になったんだからお友達になろうよ、雨乃君」
「人の話を聞け! 僕は友達は作らないんだ!」
「じゃあ私が雨乃君の、お友達第一号になってあげるよ!」
「お前なぁ......」
僕の反撃をひらりひらりとかわして、彼女は攻撃してきた。
「私雨乃君とは絶対いいお友達になれると思うの」
「どうしてそんな事が分かるんだよ、僕は君と話した事も無いし、君の事を知ったのも今日が初めてだ」
「それはひどいなー雨乃君。 私一年の時も同じクラスだったんだけど」
「知らない。他人に興味無いし」
「でもね、私はずっと君の事を見ていたんだよ?雨乃君」
突然の告白に、僕は思わず同様してしまった。
もちろんこれは愛の告白なんかでは無いことはすぐに分かったのだが。
彼女のルックスでそんな事を言われてしまったら、きっと誰でもそうなってしまうだろうと思う。
「だ......だったらなんで1年の時は声かけなかったんだ?」
「それは......ただ単に、ちょっぴり怖かったの」
「今でも変わら無いだろ」
「でもね、秋の文化祭で全員参加の社交ダンスしたでしょう? 雨乃君は忘れてしまったのだろうけれど、私たち一緒に踊ったのよ」
全くもって記憶に無かった。
もちろん社交ダンスをしたことは覚えているが、誰と踊った、とかそんな事は覚えていなかった。
というより、自分の”心”を押し殺す事に精一杯で、それどころでは無かったのである。
「無表情というか、しかめっ面というか。なんとも説明しづらい顔をしていたのだけれど。」
"心"を抑え込むのに必死で顔なんて意識していなかった。
今僕はそこそこに恥ずかしい過去を彼女から暴露されているのだなと思った。
「でも、なんだかそれは、”私の事を守ろうとしてくれている”ような、”私の事を思ってくれている”みたいな風に見えたの」
「ふーん」
「だからきっといい人なんだなと私は確信したんだよ!」
彼女の言っている事はあながち間違ってはいなかった。
僕は彼女の事を思って、彼女に害を与え無いために、”心”を消していたのである。
「私って結構人の心を読むの得意なんだ」
「そうか? 俺は全くそんな事思ってなかったけどな」
「そう? まぁそれから声をかけてみようと思ってたんだけれど、きっかけがなくってさ。今にいたってるの」
「ああそう、でも僕友達いらないからさ、ごめんね」
ここまで拒絶しても彼女は止まらなかった。
「お友達になったらお弁当も一緒に食べれるよ、私毎日日替わりでお菓子持ってきてるの!」
「僕お菓子そんな好きじゃないし」
「私他の男子とほぼ話さないから、きっとみんな羨ましがるよ!」
「お前自分のビジュアルの評価高すぎだろ!」
「あと今ならもれなく 鏡ちゃんと輝ちゃんもセット付いてくるよ!」
「お前の友達セットでつけちゃったらダメだろ! 他人に対する評価は低いのかよ!」
静まり返った教室に響いていた音は、僕らの声だけだった。
クラス全員の視線が、僕と彼女に注がれていた。
今年からここにきた新任の先生に注意され、さすがの彼女も押し黙った。
しかしその1分後には、小声での猛烈な友達セールスが始まった。
「あとね、雨乃君がもし好きな人が出来た時は、私が恋のキューピットになってあげる」
僕は折れてしまった。
もしかすると、ここで僕が彼女の押しに耐えて、今まで通りの学校生活を送っていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。
「わかったよ、......はい! 今から僕達はお友達でーす」
僕は投げやりにそう言った。
「じゃあ握手しよう!」
「は?」
「お友達になったんだから、握手!」
「はあ......」
僕らは教師にばれないように、机より下の位置でこっそりと握手を交わした。
「私の名前は”心里 歩”、よろしくね」
「......雨乃 慎太郎、めんどくさ」
挨拶を交わすと、心里はにっこりと優しい笑顔を浮かべ言った
「よろしく!」
その瞳の奥に闇を宿しながら。