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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

猫と化け物と彼

作者: 木下

2chにて批評依頼中

 背の高い雑草の中を慣れた足取りで進む。その道は獣道として成り上がりつつあった。顔に当たる草花や虫なんて気にしていたらキリが無いわけで。

 目的地に近づくにつれ濃くなってゆく潮の香り。日を遮る木々が少なくなり、温かい日差しが冬の風で冷え切った身体をゆっくりと温めてくれる。

そうして見えてきたのは海。濃く深い青が、冬でも元気な太陽の光を拡散させるように四方八方ときらめかせていた。その光を全身で受け止めようと雑草の海から飛び出す。視界を埋め尽くすように映し出されたどこまでも広がる青と、その上に乗っかるような爽やかな空色が、途切れる事無く網膜から神経を伝い脳に広がる。

柔らかい草を踏みしめて、いつもの特等席に座った。そこから見える景色は何も青を阻むものが無く、数歩前に行けば数十メートル下のその青の仲間入りだ。そこから、行っては帰ってくる波と上空を旋回する白い鳥たちを眺めるのが自分の毎日。

それ以外はいらない。

自分以外の生き物はいらない。

自分だけで生きていこうと、そう決めたのだ。


 ▼


 今日も、いつもと変わらない朝。寝床から這い起きて細い身体をしならせるように神社の社にあるちょっとした隙間から抜け出る。外に出て伸びをすると乾いた空気が血液を伝って全身に回った。

 古びたこの神社に初めて来てからもうどれだけ経ったのだろうか。参拝者も神主ももう来なくなったこの神社に、ひとりでずっと住み着いている。

 理由も意図も誰がそれを置いているのかもわからないが、境内にいつも毎朝欠かさず置いてある食料を食べようと近づいてみると、いつもとは違う空気がそこにだけ流れていた。その空気の発生源、右の林のほうに警戒心を含んだ視線を飛ばすと、自分以外の生物が目を輝かせこちらを見つめていた。食料には口を付けず一目散に社に戻って十分にその生物と距離を空けると、いままで息を殺すように潜んでいた生物がその空気を少しだけ震わした。

「あっ、に、逃げないでよ! 僕は君と仲良くなりたいんだ……」

 引き留めるような声だがその声が荒くならないのはもとの性格が気弱なのだろう。そう勝手に推察して安全な社に逃げようと彼に背を向ける。

「待、ってってうわあっ」

 その背中を追おうとしたのだろう、慌てて身を隠していた林から飛び出すと、その背中の主である野良猫にあげるための餌が入っている器を蹴飛ばしてしまいその勢いで脚をもつれさせおもいきり転んだ。これだから人間は。自分の足元なんて見ずに欲望のまま動くから傷を見るんだ。ざまあみろ。

 冷たい視線を彼に投げて、その四本足で軽やかに社に戻る。真っ黒な毛並が風に吹かれ軽やかに揺らぐ。

 人間なんて嫌いだ。


 そんな事があったつい先日。その日は寝るまでずっと外には彼がいたので食料を手に入れることはできなかった。それが一日だけならよくあることだが、二日三日と朝起きてから夜寝るまでずっと外には彼がいたのだ。社の外へと出られる穴は彼がいる側のひとつしかないので、ここ数日食料にありつけていなかった。真夜中に外を見てみても彼がいたときは、その根性に感心通り越して呆れをおぼえた。

 でもまあ生き物というのは食べなきゃ生きていけないわけで。

 さすがに根競べのようなこの状況は辛くなってきた頃。それに比べて彼はいつ席をはずしているのだろうか、ちゃんと規則正しい時間に食事をとっており、どうやらこっちが出てくるまでずっと待っているつもりらしい。

 根気強い胃袋にも限界が近づき、飢え死によりはマシだろうとフラフラする足取りで数日ぶりに社から顔を出すと、こちらをじっと見つめ続けていた彼の瞳が輝きだす。その視線も気にせず(というより気にする余裕が無かった)憑かれたようなおぼろげな動きで彼から一メートルほどの場所にある餌に近づき、一心不乱にそれを胃に掻きこむ。久しぶりの食料に胃が驚いたように一度二度と戻そうとしたがそれをも飲み込む勢いで食べ続けた。

 皿が空になったころ、満足して顔を上げてみるといつの間にかすぐそばまで近づいていた彼がいた。不思議な色を醸し出している彼の瞳からしばし目が離せなくなり、そうしているうちにいつのまにか抱きかかえられていた。

「捕まえた!」

 歳は十八くらいだろうか、学ランを着ているので学生だということは把握できた。髪を無造作に跳ねさせており、まるで猫のようだ。しかし背が高いせいか愛くるしさは感じない。

もう少年と呼べる歳ではないだろう彼が少年のような喜びの色を全身から醸し出している。嬉しそうに開かれた焦げた茶の瞳からは輝きが溢れている。その腕を解こうとかかえられた腕の中で必死に身体をよじるが、小さい身体で抵抗してもかかえるちからが強くなるだけで、解放されることはなかった。

『何をする、放せ、放せ! 汚い手で触るな!』

 みゃあみゃあと鳴く声は次第にフーフーと威嚇の声に変わり、それをかかえている人間は慌てだした。

「あぁ、ごめんね、痛かった? でもこうしないと君、逃げちゃうし……」

『痛くなんかない、早く放せ!』

 お門違いなその言葉に苛立ちと敵意を重ねていく。腕に噛みついても引っ掻いても何も感じないのか、抵抗しているのが無駄に思えるほど彼の野良猫を捕まえ逃がさないという意思は強固であった。抵抗を一旦止め、彼を見てみるとそのあまりにも無邪気な表情に敵意を削がれた。目と目が合い、それを好機と彼は野良猫に一気に語りかけた。

「こっこんにちは、僕は君と仲良くなりたいんだけど良いかな? 君の名前は? ずっとここに住んでるの? これからも君のご飯用意しても良い?」

 こっちが答えなくてもお構いなしに、次々と質問を浴びせてきた。答えるにしても言葉が通じないから無理なのだろうけれど。質問する方の言語だけが一方的にわかるというのも面倒だ。それよりも、早く自由にしてもらえないものか。しばらくだんまりを極め込んでいたら諦めてくれるだろうか。

 そう思っていたのだが、彼には「諦める」という選択肢が無かった。

 質問に答えない野良猫を抱きかかえたままその場に座り込み、それを片手に持ち替え、空いたほうの手で傍に置いてあったスクールバッグの中から何かを取り出した。

「猫用クッキーあるけど食べる? あ、もしかしたらさっきのでお腹一杯?」

 たかが野良猫に渡すには少し綺麗すぎる、女子高生がするような可愛らしい包装に包まれたクッキーを野良猫の鼻の前に持ってくる。しかしどうやら手作りのようで形は不格好だ。所々欠けていたり割れていたりで御世辞にも綺麗とはいえないクッキー。袋からはほのかにミルクの香りが漏れているが、先程胃の中に物を入れたせいでそれほど食欲は湧かない。拒否の意を示そうとしたが、クッキーを差し出してくる彼の期待半分心配半分という表情を見ていると何故か、食べなくては、という使命感が小さく芽生えた。

 彼の手と比べると圧倒的に小さい右前足でクッキーをてしてしと叩くと彼の表情から心配が消え、代わりに喜びが溢れだした。器用に片手で包装を解き中からクッキーを取り出し、野良猫の口元にそ れを運んで食べやすいように持つ。野良猫は一瞬躊躇したものの、彼の喜びに満ちている表情を崩したくない、とクッキーを一口齧る。

 それほど美味しくはない。でも、不思議と一口、もう一口と食べ進めてしまう。そしてあっという間にたいらげてしまった。満足げな様子で彼を見上げる。彼は純粋に喜んでいた。

 人間は嫌なやつばかりだと思っていたけど、こいつだけは違うのかもしれない。

 暖かい腕の中で野良猫はそう思った。


 ▼


 今日も普通に寒い冬の朝。細い隙間だらけの壁から無遠慮に入ってくる切り裂くような冷え込みは、意識を暴力的に叩き起こす。いつもどおり、餌を求め社から這い出ると餌と共に彼がそこにいた。彼は体育座りでこちらをじっと見つめており、野良猫が出てきた瞬間、寒さに耐える表情から喜びの表情へと一変した。

「おはよう、今日もご飯、持ってきたよ!」

 満面の笑顔で差し出されるいつもどおりの餌。何故、彼がこう毎日餌を持ってくるのか。野良猫は未だ理解できない。しかし敵意は無いようなのでありがたく頂いている。餌が社の前に置かれ始めた頃は警戒して一口も口にしなかったが、鳥や他の野生動物がそれを啄ばむ様子を見て特に薬の類が混ざって無い事を無事確認できてから自分も食べに行った昔もあった。

 たった一日、それも昨日の出来事によりこうも警戒心が薄れるものなのかと野良猫は自分でも不思議に思うほど、目の前の彼への警戒心は強くなかった。それは自分の危機感が薄いのか、それとも彼の持つオーラが原因か。

『お前は、何故私に餌を食わせるのだ?』

 彼の持ってきた餌をたいらげたころ、野良猫はそう訊ねた。しかし彼には意味までは伝わっておらず(たぶん鳴き声としか認識できなかったのだろう)ただ幸せそうな顔をして「おいしかった? よかった~」と話しかけてきた。

 そんな彼に呆れつつ、それでもお礼だけはしておこうと、一声鳴いて彼の足元に擦り寄ると、彼はよほど嬉しかったのか、いつも無駄に輝いている瞳が更に輝いた。かと思えば急に野良猫の身体を抱え上げ、その頬に自分の頬を擦りよせてきた。

「んんんんんん可愛いね! 『ありがとう』って言ってくれてるのかな? そうだといいな! ありがとう猫さん!」

『く、苦しい、やめろ放せ!』

 その異様なテンションに少々引きながらも、彼の体温を心地よく感じている自分がいるのに気付いた。

 みゃあみゃあとしか伝わらない自分の言葉に、色々な意味で焦燥感を感じた。


 そんな日の夜。野良猫は久しぶりに暖かい寝床で眠ることができた。なぜなら、彼がくれた毛布に包まっているからだ。

 温い寝床は良い。昔々の小さい頃、まだ愛情を注いでもらっていたことを思い出す。まだ人間に愛されていた、人間を愛していたあの頃。

 夢の世界に潜り込むと目の前にはきょうだい達が現れる。幼い頃にいた、たくさんのきょうだい。そして生きるために我先にと乳を吸っている子供たちを慈しむように見つめる母猫。母猫を励まし支える飼い主の人間も目の前に現れた。

 いつしかきょうだいは一匹ずつ消えていき、母猫は他の雄猫と交尾させられまた子猫を産む。そして人間はその猫たちをどんどん売りさばいていき、売れないと判断された猫は無慈悲に殺処分された。

 自分は商売のために育てられたのだと気付いた頃には自分も、母猫のように繁殖用の雌猫として子猫を産まされていた。産んだ子猫とは短い間しか一緒にいられない。しかも売られた子猫たちは、すべて食用として違法に売られていた。

 昔、母猫が言っていた気がする。「どうせ短い命だ、楽しめ」。そんな母猫も次の子猫を産んだその日に死んだ。

 自分も産んだ子猫をろくに愛せないまま死んでいくのだろうか、自分に注がれる愛情など一時的なもので自分に商売価値が無くなったらすぐに殺されてしまうのだろうか。毎日怯えていた。一度も体験したことのない「死ぬ」というものに。愛してしまうのが怖かった。失うのが怖かった。また裏切られるのが怖かった。きょうだいが大好きだった。母が大好きだった。人間が大好きだった。彼らを愛したかった!

――――……

「大丈夫?」

 身体を揺さぶられる。規則的で生命力の感じられる、どこか懐かしい鼓動をすぐ近くに感じた。それを目覚ましにするかのように深い意識の沼からようやくの思いで這い上がってきた。まだ覚醒しきっていない神経が捉えたのはいつも餌をくれる彼の、心配そうな表情。その彼の優しい温もりに安心しそうになるが、どうにか踏みとどまることができた。ほとんど反射のようにいままでいた彼の腕の中から飛び出す。そのまま床に着地し一目散に壁際まで逃げる。

『何故ここにいる?!』

 全身の毛を逆立て尻尾で威嚇するように床を叩く。彼に意識を向けたまま注意深く社の中を見渡してみると、いつもは閉まっていた外へと繋がっている扉が人一人やっと通れるくらいに開いていた。そこから見える空にはまだ太陽は昇っていない。

「猫も夢を見るの? 寝てるとき、すごく苦しそうだったよ」

 彼はきっと心配してくれているのだろう。短い期間触れ合っただけでわかった。彼は純粋だ。ただただ純粋に愛してくれている。それが、怖いのだ。

『出ていけ、出ていけ!!』

「どうしたの? 怖い夢でも見たの?」

『近づくな! 早く出ていけよ!』

 愛されるのは怖い愛してしまうのはもっと怖い。だから、自分以外の生き物をすべて遠ざけてきたのに、

「大丈夫、安心して。何も怖くないよ。僕が護ってあげるから」

 その一言で、心の奥の何かが壊れた気がした。

 身体が動かない。思考がまともに働かない。得体の知れない感情が心の中で蠢いている。何だ、これは。

「大丈夫、大丈夫」

 幼子に言い聞かせるかのようにゆっくりと優しく。野良猫はいつの間にか彼に抱きかかえられていた。不意に脳裏に浮かんだ、初めて彼に抱きかかえられてときの彼の瞳。あの時も今みたいな優しい茶色だったか。

 あの時は怖くて暴れていたが、今は怖くない。

 こいつなら、信じていいのかな。

 根拠の無い信頼が自分の中に生まれたのを、野良猫はそれもいいのかなと思った。

 自分以外の生物を、人間を、彼を。

 少しだけ信じてみようか。

 彼の胸に顔をうずめながら外を眺める。昇り始めた太陽は、今日も変わらず世界を優しく温めていた。


 ▼


 背の高い雑草の中を慣れた足取りで進む。その獣道は踏み固められ、だいぶ通りやすくなった。

 目的地に近づくにつれ濃くなってゆく潮の香り。日を遮る木々が少なくなり、春の陽射しが瑞々しい新緑を照らしている。

 やっと着いた、海が見渡せるいつもの特等席には先客がいた。こうして暖かくなってきてもまだ学ランを着ている彼は、上空を旋回する鳥たちに気を取られてこちらには気づいていない。

 自分と同じ真っ黒な背中におもいきり体当たりしてやろうかと野良猫は思ったが、彼の隣に置いてあるスクールバックから漂う甘いミルクの香りに気づき体当たりする先を彼の背中からスクールバックへと変更した。

 半開きのスクールバックに飛び込み、掘るようにその香りの主を探しているとそれに気づいた彼が慌てて野良猫を引っ張り上げた。

「ちょっとちょっと! 落ち着いてよ、僕が出してあげるから……」

 右手で野良猫を持ちつつ、左手でスクールバックの中から香りの主である猫用クッキーを取り出した。

 持ち上げられて不満そうな野良猫の目前にクッキーの入った袋を持っていくと、その表情が一転し、瞳を輝かせ脚をバタつかせる。

 暴れる野良猫をそのまま、あぐらをかいた自分の脚に乗せ、クッキーが入った袋を開けると閉じ込められていた甘い香りが瞬時に拡がった。と思いきやその香りは潮風でかき消される。

 「はい」と彼が差し出してくるクッキーを一口食べるとそれは今日も変わらず優しい味だ。

 クッキーを食べながら、何気ない時間を過ごす。一方通行の会話でも、それはそれで悪くない。

「僕さ、なぜか動物しか好きになれないんだよね」

 クッキーをすべて食べ終わった頃、まるで独り言のように野良猫に言った。

「昔からクラスの可愛い女の子とかには全く興味がなくてね。好きになるのはいつも動物だった。ちなみに初恋は空き地に捨てられていた子犬だったんだ」

 感情を殺したような声で、それでいて許しを乞うような。

 彼の言葉から感じたのはとても悲しい想い。見上げて見ると、彼の茶色の瞳に光は射していなかった。その瞳が野良猫を捕えた瞬間、野良猫は違和感を感じた。それは本能から来たもので、『生存本能』と言ったほうが正しいのかもしれない、この状況に似つかわしくない、感じるはずのない違和感。

「猫さん、大好きだよ」

 柔和に微笑んだ彼の口から出た言葉は、嬉しいはずなのに、この世にあってはいけないもののような。そんな気がした。


 ▼


 夢を見た気がした。

 野良猫は、まだまどろみから覚めきらない身体を起こし辺りを見渡す。いつものボロボロで小さい社で寝ていたはずだが。いつも星明かりが入り込む穴だらけの壁も昔誰かが設置した不気味な祭壇も彼がくれた暖かい毛布も。光も闇も何も無い空間に野良猫はいた。

 不気味な夢だろう、と野良猫は深く考えないようにして、夢の終わりを野良猫は待ったが、終わりの代わりに来たものは自分自身だった。

 水たまりに映る自分でも見ているかのような気分。だが、そこに映る自分とは違い、今、目の前にいる自分は野良猫がしていない動きを勝手に始めた。

『お前は、あの男をどうするつもりだ?』

 そう問いかけてきた目の前の自分は、強い憎悪の炎を瞳に灯し、今にもその鋭い牙をむき出しにして襲いかかってきそうなほどの殺意を隠す気も無くこちらに向けている。

『あの男の本性に薄々気づいているのだろう?』

 『本性』、その言葉で、昨日の彼の瞳を思い出した。茶色い暗い、怖い鈍い。そんな瞳。

『お前はあの男を野放しにして、このまま喰われるのを待つつもりなのか』

 一歩、目の前の自分は踏み出す。一歩、また一歩と近づいてくる自分に向けて威嚇するが、それを気にも留めない目の前の自分はとうとう鼻が触れそうな距離まで迫っていた。

 距離を取るべく脚を後ろに動かそうとするが、後ろをふり向くとそこには死んだはずのきょうだい達がいた。『何のために生き返らせたか忘れたのか』、彼らが口ぐちに発したその言葉は、嵐のように荒れ響く。

『私はあの男を愛することができない。それは、お前もおなじだろ』

 目の前の自分は不可解にも、自分の身体を通り抜けてそして消えた。まるで自分の中にへと消えたように。

『あの時のように、その人間を殺せ、そして思い出せ。その男は、奴らと同類だ』

 記憶を譲り受けたように、思い出したふたつの出来事。無残に食い千切られた人間たちと、首を折られた妹の死骸。妹の前には彼がいた。彼はそのまま、妹の瞳を美味しそうに食べていた。

『お前が何かを愛するなぞ、絶対にできない。』

 頭の中で響くようなその声は、呪いのようにどす黒く暴れ続けた。


 ▼


 目覚めは唐突で、そして非現実的だった。

「おはよう、猫さん」

 優しい声で語りかけてくる彼は、いつもと変わらぬ穏やかな様子で、野良猫の寝床にいた。

「猫さんって美味しそうだなって、初めて会った時から思っていたんだ」

 彼の手は真っ先に野良猫の首へと向けられている。夢の呪いから覚めきっていなかった野良猫は反応が遅れ、はっきり覚醒したときには彼によってその首を絞められていた。

「猫さん大好きだよ、だから君を食べてもいい?」

 大好き大好きと繰り返す彼の瞳は、いつもと同じく優しいものだった。

 自分の首の折れる音がした。不思議と息は苦しくない。

 不意に、見えないはずの自分の姿が、何かと重なった気がした。彼が生き物を殺す姿を、野良猫は見たことがあった。

 野良猫は、絶望も悲嘆も痛みもなにも感じず、あるのは怒りの感情。

「どうしてまだ死んでいないの? その表情が見たいのに」

 なんでまだ死なないんだろうな。野良猫の中にいる何かの呟きが聞こえた。そしてそれは、野良猫の意識を突き破って表に出てくる。

「私は死なないさ、貴様を殺すためにな」

 唐突に人間の言葉を発した野良猫に、彼は驚く。耳を疑って辺りを見渡してみるが、他に言葉を発するような人はいない。

「手を離せ、下等生物」

 野良猫が威圧を籠めて言うと、彼はとうとう叫び声を上げ、野良猫の首から反射的に手を離した。

 ゆっくりと体勢を整え、首の調子を確認すると、先程折られたはずの首はもう普段のように動くようになっていた。その様子を見た彼はさらに短い悲鳴をあげる。

「貴様が他の猫を殺しているのを見たことがあるぞ」

 その猫は私の妹だった。そう呟き、野良猫は脚を動かした。ひと瞬き後、野良猫の姿は社から逃げようとした彼の脚元に。

「あの世で妹に謝ってこい。変態野郎」

 


 ▼



 背の高い雑草の中を慣れた足取りで進む。少し前にできた獣道は、大きな動物がそこを通ることがなくなり、再び雑草がそこを埋め尽くそうとしている。

 目的地に近づくにつれ濃くなってゆく潮の香り。全盛期を終えた太陽が枯れた木々の間から疲れたように世界を照らしている。

そうして見えてきたのは海。穏やかな海を野良猫は独りで眺めていた。


 あれからあの血生臭い社には近づいていない。

 

 野良猫は全てを思い出した。人間に食用として育てられていたころ一度死んだこと。無残に殺された猫たちが自分を生き返らせ、化け物になったこと。その人間たちを殺し、逃げてきたこと。

 自分の中にいた何かは、彼を殺してまた消えた。その記憶を置いて。


 上空を旋回する白い鳥たちを眺める。


 自分以外の生物はいらない。

 自分だけで、生きていこう。












部活で書いたものです。なんとなくお気に入りです。猫は大好きなんです

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