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Stand Alone Stories

廃ビルエレベーター

 救助を待つよりほか無い。それがひとまず下された彼自身の結論であった。自分で動く必要は無いと。無理をする必要は無いのだと。


 そして何事も無くこの一日を終わらせる。とにかくそれに尽きる。明日が来れば今日のことはちょっとした思い出話に転じる事だろう。誰に話すでもないが、少なくとも今はそう思えばこそだ。貴重な休日だと言うのに。だが明日はまだ日曜日だ。土曜が潰れてもまだ希望はある。


 よりにもよってこんな時に、という心情に即してこの状況を判断すれば、良くないことは重なるもので、なぜ自分ばかりこんなめに遭わなければならないのか、今日は厄日だとつらつら文句を重ねることは容易であったが、まだ彼の精神状態がそれほど追い込まれた危機的な窮地に立たされている訳でないのが救いで、今そんなことを考えたら余計にストレスが溜まり、悪循環に苛まれるだろうことも想像できる位には彼自身冷静であった。


 この一件に関しては泰然と済ましている事。何もせずに思考するだけの時間が出来たと言う事にすればよい。してしまえばよい。これは良い機会なのだと。


 しかし、それは彼がこの状況に一人ぼっちで置かれていた場合である。彼の神経が磨り減る別の要因もここには存在していた。その懸案に対しての結論という意味も含めて、救助を待つよりほかは無いと判断したわけである。


 奇妙な巡り会わせという以外に無く、なぜ自分がここにいるのかも判らない。と言うことは無いが、しかしなぜ今日来てしまったのかとは考えていた。なにもわざわざ今日でなくとも良かったものをだ。たまにあるだろう。何をやっても駄目なんじゃないかと思える日が。


 古いビル。誰もいやしない八階建てのビル。都会の路地裏の雑居ビル。古き良き時代を思わせる佇まい。どうして取り壊されないのか不思議なくらい不気味なビルだ。


 普段はエレベーターになど乗らないのだ。健康思考などくそくらえだが階段を使うのが彼のライフスタイルだった。


 元を辿れば単純に、朝自宅に携帯電話を置いてきてしまった事に気付いた辺りから始まり、電車内で女子高校生に痴漢に間違われた所から一気に急転回、その場は勘違いで収まったのは幸いにしても、彼にとって今日一日を左右する機運が去ってしまった事は確実であり、沈んだ気分で過ごさなければならないことも予期させる出来事だった。


 勘違いで済んだ事を不幸中の幸いと見做すことがせめてもの救いである。何かしら救われる要因を探しているだけに過ぎないが、それはある種の逃避なので、せめてもの救いに縋らなければやっていられない。

 別段彼の容姿に暗鬱とした生理的嫌悪感を催させる類の欠点は何一つ無く、外見上だけに限って言えばどこにでもいる青年に違いない。またその事も幸いして、この朴訥な青年が痴漢のはずはないという情状酌量的な同情を、警官や痴漢被害者の女子高校生に喚起させたのだろうと考えることも出来る。とりあえず後日お詫びをするからといって、その女子高校生の連絡先を教えられたと言うことは収穫と捉えることも出来るが、無駄になった時間と精神的消耗を引き換えに得たものとしては徒労感が著しい。


 その一件の後、暗い気分でうっかり優先席に座ってしまっていたもので、前に立っていたお婆さんに席を譲ろうとした途端怒鳴られた事も些細ではあるが今日起こったことには変わりが無い。自分は電車に乗らないほうが良いのだろうか。そんなことを考えても仕方が無い。どこかへ行くのには、電車には乗らなければならないのだから。自動車の免許など持っていなかった。


 酷い事が重なる日。


 極め付けが現在の状況だった。エレベーターに閉じ込められているのである。救助を待つと結論したが、このエレベーターには備え付けの連絡端末のようなものが付いている為、それはすぐに呼ぶことが出来るはずだった。しかしそれが繋がらないのである。肝心なときに役に立たない。


 と言うか、エレベーター自体停止しているのにどうしてそれが動くと思ったのだろう。嫌確かに動くものもあるはずだ。たまたまこいつが動かないのだ。致し方ない、どうしても待つしかないと言うことだ。しかしまさかこのまま一日放置されるということもないだろう。待つこと自体はそれほど苦痛でもない。時間が無駄になるのは確かだが、もとから自分の人生そのものが無駄な気がしてきた。


 自分を施設から引き取ってくれた現在の親に義理立てして生きている程度のものでもあるが、しかし感謝しなければならないだろう。例え無駄だろうとも、日々を生きていられる事には。とりあえずエレベーター内で死ぬことだけは避けたかった。昔の映画みたいに、天井に出れば脱出も可能かも知れないが、見た感じそんな開きそうな天井ではない。実際、外に出てもまるで意味などないのではないか。


 そして彼が落ち着いていられない理由がまだ一つ有るのだった。


 この狭苦しい密室の状況にあって、彼の隣には一人の女性がいるのであった。一人ぼっちよりはマシかも知れない。そう思えるだけの余裕も確かに彼にはあった。しかし前例として、今朝痴漢に間違われた一件が確実にこの状況にも暗い影を落としているのだった。


 密室で二人きり。


 話しかけるべきなのだろうか、と言う素朴な疑問がわいてきた。この状況でどんな話題を提供すれば良いのだろうか。考えるだけで頭が痛くなってくる。黙っているだけなのもいい加減苦痛だ。無言の圧力。彼女の見た目的に、有無を言わせない何かを感じないでもないが、どちらにせよ息が詰まる。


 戸に窓のあるようなハイカラなエレベーターではないのが辛い。二人がしゃがみこんでもお互いにある程度の距離感を保てる広さで、普段は意識しないエレベーターの空間的広がりに眼を向けてみるのだ。今感じているのは、息苦しさと、蒸し暑さ。換気できないほど密閉されてる訳でもないが、酸素が薄くなっていくのが何と無く感じられる。静かな空間だが、二人の呼吸音だけが微かに響いている。


「今日は、災難でしたね」


 うっかり口を開いてしまった。隣の女性と視線が合う。気だるそうな表情で、女性は返事を返してくれた。

「でした……? まだ進行形よ。最悪だわ」


 それに対して返って来たのが、意思の強そうな口ぶり。こういう女性の相手は普段しないので苦手と言っても良い部類だった。しかし口を開いてしまった以上、弱気な態度を見せるのは何だか負けた気がしてくるじゃないか。話しかけ続けて、怒られる位積極的に会話を進めて行くべきだ。そういう図太さが自分には足りない。さしずめ何を話したものかと考えたところで、先程から気になっていたことについて聞いてみることにした。

「携帯電話、使わないんですね」

「……あんたこそ、なんで使わないのよ?」

「忘れたんです」

「私も忘れたの。有り得ないわ、なんでこんな日に」

「こんな日だから、かもしれませんね」

「なにその余裕。ムカつくんだけど。ほんと最悪、一人きりならまだしも、なんであんたなんかと一緒に閉じ込められなきゃいけないのかしら」

「……それはこちらも同じだけどね」

「は? ふざけんじゃないわよ。何なのあんた」

「そちらこそ何でこんなビルに。あなたのような人が来る場所とは思えないが」

「……取材よ」

「取材……?」

「集団自殺現場の取材。このビルでしょ、七年前に……」

「その事件は知ってる。が何で取材……? 七年前だろ」

「幽霊が出る」

「と言うと」

「だから、ここで死んじゃった連中の幽霊が住み着いてるんだって、それで今は人がいないのよ。心霊現場の実地調査、高校の部活なの。あんたこそ何でこんな所に来てるの?」

「ああ、お前、高校生なのか?」

「な、何よ……文句でもあるわけ?」

「文句はないが、それじゃあ家の人が心配するだろうな。誰かに伝えてないのか、ここに来る事」

「……言ってないわ。うちの部、実績がないからこのままだと廃部になるのよ、文化祭で発表でもしないとね。そのネタ探しで」

「携帯を忘れてここまでこれたのか」

「そんな事いちいち調べたりしないわ。道が解らなければ人に聞けばいいじゃない」

「なるほどかもしれない。そういや、何でこのエレベーターに乗ったか覚えてるか?」

「なんで? そんなの――え、うそ、何で乗ったんだっけ」

「俺は、丁度七階に居たときにエレベーターが来たから、せっかくだし乗って帰ろうかと」

「私は五階を調べてて、上に行こうとしたらエレベーターが来たから……?」

「正直、君が幽霊か何かだと思ってたから載せたんだが。生きている女性と話すのは苦手なんだ。しかし、君が乗ってきた時は下に向かってたはずなんだけどな。間違えたのか」

「な、何だか変な気分だわ。ここが噂の心霊現場だからかしら。それとも息が詰まって混乱でもしてるとか」

「そうそう、異常な状態だから悪い方に考えてしまうんだな。まあ気にするな、こう言う時は何もしないでいればいいんだ。それで、俺がここに来た理由を答えてなかったが、実を言うと君と大して変わらないんだな。ここの噂が女子高生に知れるほど有名だったとは思わなかったけど」

「……あんたも取材? 部活なの?」

「いや――仕事だよ。しかし救助はいつ来るんだろうな。こんな誰も立ち寄らないビルのエレベーターに閉じ込められて。気付く人がいるのか妖しいものだ」

「ちょっと、変な事言わないでよ、このままここに二人でなんて」

「とりあえず自己紹介をしておこうか。俺は色部織太郎、普段は高校で講師をしているが、こうして心霊現場に足を踏み入れては、怪異と闘う活動をしている団体のメンバーでもある」

「教師には見えないんだけれど。それはつまり、部活の顧問か何かなわけね。私は、二連木絵巻」

「二連木か。まあ心配するな、大丈夫だ。そのうち助けが来るに決まっている。俺がここに来ている事は、仲間が知っているからな。携帯を忘れているとは思わないだろうが、それに気付けばすぐにでも来てくれるさ。――何をやってもうまくいかない日があったとしても、明日は来るんだから」

「ちょっと待って、このエレベーター、動いてない?」

「ふん、動いたなら動いたで結構。幽霊の仕業で有ったならそれも良しだ。だがここは狭い、問題はそこだな。放っておけば危害は加えてこないだろう。だから救助を待つんだ。適当に会話でもしながら」

「こんな時に話題なんて無さそうなんですけど」

「面白い事を教えよう。俺は昔から見えるんだ。だからこんな事をしている。幽霊相手にあれこれしてやって成仏させるのは、得意なんだ。だから言うが、ここに霊はいなかった。エレベーターがおかしいと思うのも全て勘違いだ。だから君はじっとしていればいい。何かあったら写真でも撮っておけば調査報告くらいは作れるだろう」

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