23歳:今日も明日も、ただ手を繋いで
これにて閉幕。
良く晴れ渡った空に鐘の音が高く響く。
空の下はお祭り騒ぎで、レイローズの領都の中央広場は沢山の振る舞い料理の乗ったテーブルと、それに群がる人々で埋め尽くされていた。
皆楽しそうに領主から振る舞われたご馳走を分け合い、酒を飲み、陽気に笑い合っている。
流しの楽団や芸人達が音楽を奏で、大道芸を見せる。
それに合わせて人々も歌い、踊り、広場にはいつの間にか長い踊りの列が出来ていく。
その陽気な喧噪は風に乗り、街を見下ろす丘の上にある領主の館にも届いていた。
「良い日ね」
マリエラは窓の外から聞こえる音楽や人々の声に耳を傾け、そう呟いた。
「ええ、本当に。良い日になりましたね、お嬢様方」
「良い日だけど疲れたわ。私午後の宴を休んで昼寝しちゃダメかしらねお姉様」
純白のドレスも脱がないままで軽食をパクパクと口に運びながら、本日の主役が不機嫌そうにそう言って唇を尖らせた。
「頼むからそれだけは止めてくれリーナ! 挨拶は全部私がするし、出来るだけ早く終わるよう頑張るから!」
今日の花嫁よりも美しい顔を困ったように曇らせながら、エリオットが縋るようにリアンナにそう言って願う。
リアンナは面倒くさそうにため息を吐きながら、色々な具を巻いた小さなパン料理をもう一つ口に運んだ。
「リアンナ、あんまり食べると午後のドレスが入らなくなるわよ」
「だってお母様、朝からほとんど何も食べてないのよ。倒れちゃうわ私」
世の多くの女性の憧れである結婚式の日であっても、リアンナの態度は特に変わることがない。
午前中に彼女とエリオットはレイローズ領で一番大きな神殿で結婚の誓いを交わしたわけだが、そのことに対して特に感動がある訳でもなさそうだった。それよりも家族が揃ったこのしばしの休憩の時間と目の前の軽食の方が、ずっと大切なものだと感じていそうな態度だ。
エリオットは彼女のそういうところが好きだと言っているので構わないのだが、さすがに客の前には出て貰わなければ困ると必死に新妻を宥めていた。
「結局、二人がうちで式をする羽目になるとはねぇ……まぁ、リアンナの機嫌が取りやすいからいいか」
「あら、うちでやればマリーが出席しやすいんだから、とっても良かったんじゃないかしら」
レイルとシャーロットが新しい妹夫婦を眺めながら、そう言ってのんびりとお茶を飲む。いつもは子供達が側にいて賑やかなのだが、さすがに今日は乳母に預けてあった。この二人はなんだかんだ言っていつも仲が良い。子供達のことも大事にしているが、子供を預けて社交の場に二人で出る事もそれなりに楽しんでいるようだ。お互いの事を尊重し合い、大切にしている夫婦として社交界でも評判が上がっている。そろそろ領主の交代も視野に入っているが、それも問題なく行われるだろう。
「はぁ、やっと二人目の娘も片づいた。あとはカインか……」
「え、俺? あ、俺学校出たらタニアと結婚するけど、式はしないから放っておいてくれりゃ良いよ、父上」
「いやお前誰だそれは。初めて聞いたぞ!? ちょっとちゃんと説明しろ!」
カインが問題発言をし、父は自分の息子に決めた相手がいるという事実に目を剥いた。そしてそもそもカインが学校を卒業できるのかどうかを父と兄が論じ始める中、マリエラは隣に座る夫、マーカスの方に視線を向けた。マーカスは腕の中に眠る赤子を抱いて幸せそうに微笑んでいる。
「良く寝ているわね」
「うん。エルマーは賑やかでも全然動じないんだ。君に似たかな」
マーカスの腕の中の子はあの冬の日に生まれた男の子だ。そして、もう一人。
「マリスだって同じよ。きっと、穏やかな貴方に似たのね」
そう言ってマリエラは傍らに立つユリエの腕の中を見る。そこには同じようにおくるみに包まれて眠る女の子がいた。マリエラはなんと双子を授かっていたのだ。
体の弱いマリエラから生まれた二人の子は生まれた時は大分小さくて成長が心配されたのだが、周りの助けを得てすくすくと健康に育っている。
世話を手伝ってくれるアマリアによれば、体が小さいだけで健康だし、マリエラが赤子の時の十倍くらいは楽だと言うことだ。
マリエラは午後の祝宴は大事を取って休む事になっているので、ユリエからマリスを受け取って胸に抱いて顔を覗き込んだ。マリスは金色の髪に空色の瞳。エルマーは茶色の髪に新緑の瞳だ。
両親の色を仲良く分け合った二人が、自分の前世に縁のある魂なのかどうかマリエラは知らない。それは知る必要のないことだからだ。
まっさらな二つの魂は清く輝き、まだ見ぬ未来への希望に満ちている。
赤子の髪を優しく撫で、同じようにしている夫と目を合わせ微笑み合う。
「良い日ね」
「うん。良い日だね」
妹の結婚式に家族全員が揃って、部屋はたいそう賑やかだった。文句を言ったり口論したりしているように見える者もいるが、その顔には笑顔が滲んでいる。マリエラはそれを眺めながらクスクスと笑う。きっと、弟の結婚式の時もそれなりに同じようになるだろう。
マリエラの住む小さな世界は、今日も平和で温かい。
もう神と世界の、マリエラの生死と大地の復興を賭けた遊戯の時間は終わったのだ。
遊戯は終わっても、どこにでもいる一人の人間としての彼女の人生はまだ緩やかに続く。
歴史に名が残らなくても、目に見える何かを成さなくても、それでちっとも構わない。
傍らの夫と、大切な家族と、そして自分自身の手をしっかりと握り、マリエラはこれからもこの世界を歩いて行く。
やがて時が満ち、懐かしい星空に帰るその日まで。
後の歴史書はこう綴る。
アランドラ王国の中期において、国の荒れたこの時期に歴史に名を残した者は余り多くはない。
戦乱の世が終わりを迎え、名を残せる者が減ったのが主な理由である。
その戦乱によって、アランドラ王国の国土自体は大きく広がった。しかし広がった部分の大半は戦後の賠償という名目で押しつけられた荒れ地で、その分国としては荒廃が進んだとも言えた。
誰もが荒れた土地を復興させるのに躍起になる中、目覚ましい発展を遂げたのはレイローズという平凡な侯爵領であった。
レイローズ家はその良き心根から神に選ばれた、と後の世には伝わっているほど、神の加護者が多い土地柄であったという。
特に名の残るのは、若き当主レイル・フィル・レイローズと、その妹である聖女リアンナである。当主レイルは辣腕で知られ、前当主である父と共に様々な施策を領地に施し、領地を大いに富ませたと言われている。
聖女リアンナは治癒の大神オルストラの加護者であり、治癒術の発展に大いに貢献したと伝えられている。
また、彼女は歴史に類を見ない、愛と美の女神の加護者の王子、エリオットを夫に迎えた。エリオットはレイローズ領から少し離れた荒れ地を領地として一代限りの公爵位を賜った。(その子孫は侯爵位を賜った)
そこに独自に募った二千人ほどの移民を受け入れ、レイローズ家の協力を仰ぎながら領地を大いに発展させたという。
二つの領地から広がった復興の波は国内に大きく広がり、レイローズ領から多く輩出された神の加護者たちが国中に派遣されたこともあり、アランドラ王国はこの後復興と共に大きな発展を遂げてゆくこととなった。
他にも、レイル卿の弟である武神の加護者カインの武勇伝も数多く残り、その妹婿である書の大家マーカス卿の作品も今日でもその名が高い。
レイローズ領ではこの時期に様々な特産品が生まれたが、中でも名高いのはマーカス卿の文字を図案化した刺繍製品や、戦乱の世に失われたと言われたが、後に復活を遂げた華麗なレース編みであろう。
これらが世に出た経緯は諸説あるが、今日でもどれも高く評価されている。
レイローズ領ではこれらを生業とする女性が数多く活躍し、名は残らずとも皆豊かに暮らしたと伝えられている。
故に名の残る者の数は少なくとも、今日まで続く産業の新たな始まりの一時代として、この百年ほどの時は歴史家達に非常に高く評価されている。
おまけ
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目を開けると、そこは見慣れた懐かしき星空だった。
帰ってきた、とマーレエラナは空から大地を見下ろし微笑んだ。
とても短い、けれどひどく長い気もする年月だった。
マーレエラナはしばし星空と大地を眺め、それから微笑んだ。
この目に映る全てがただ愛しいと、そう思う。
だから願う。
全ての愛しき命達に、健やかなれと。過保護にならぬよう、少しだけ。
私の、私たちの幼い弟妹たち。君たちは、誰もが等しく素晴らしい可能性と未来を秘めた、小さな種だ。
君たちは何にでもなれる。自分が望む全てに、きっと。
君たちの見せるあらゆる未来を、私はきっと見ているだろう。
私をお作りになった父が私に光を下さったように。君たちの中に神が下さった光を、私は信じ、見守っている。
私は君たちの中の光が、輝くところが見たい。
時に世界は暗く、種である君たちも芽吹くのを恐れることがあるだろう。
時に、種である君たちの可能性をみず、芽吹くのを邪魔する人がいるかもしれない。
育った芽が自分の望む姿と違うからと、手折ろうとする馬鹿もいるかもしれない。
自分が花開く姿を思い描けず、上を向くのをやめてしまいたくなる日が来るかもしれない。
けれど、どんな姿でも、どんな花でも、君たちの中にはちゃんと一人一人に光が宿っている。
どうかそれを、忘れないでおくれ。
そして、私に見せておくれ。小さな種を、芽吹く姿を、育つ日々を、そして花開く時を。
君たちが作る、未来を。
私はそれを、見つめている。ずっとずっと、この天から見つめ続けるから。
愛しているよ、全ての子供たち。君たちは、私の希望。私の未来。私の愛し子たち。どうか、君らの未来に道しるべとなる星が輝く事を忘れないで。
そしてその星が、君たちを等しく愛していることを忘れないでほしい。
それが、私の願いだ。
そう願いをかけて、マーレエラナは手のひらから光を振りまいた。
それは彼女の送る小さな祝福であり、ささやかな希望だ。
全ての者の胸に、小さな星の光が宿るようにと彼女は願う。
そして、ゆっくりと彼女は歩き出す。
帰ってきたばかりの星空をあとにして、他の神々の待つ場所へと。
彼女は、そこで馴染みの神もそうでない神も、皆が待ってくれていると知っていた。
自分が役目を果たし、幸せに生きた事を祝うために、待っていると。
だから神域の扉を開けて、大きく叫んだ。
「ただいま、みんな! 帰ってきたぞー! さぁ、私の帰還祝いだ! 今日は飲むぞー!」
それを迎える沢山の声が、高らかに天界中に響いた。
このあとの人物紹介まで含めて本編となっております。




