22歳:(12)枠の外の正義
本日は二話まとめて投稿しています。前の話からどうぞ。
「おはよ、兄上。連中どうなった?」
レイルが扉をくぐると、先に来ていたカインが声を掛けてきた。
ここは演習予定の近くの町の、臨時の作戦本部として借り受けている町長の家だ。その居間の椅子に我が物顔で座って朝食を食べている弟の姿に、レイルは呆れたため息を吐いた。
「カイン……何でここにいるんだ。お前は領軍に組み込んでただろう」
「えー、だってあれ陽動に引っかかる役だろ? つまんないよ。せっかくこのために学校サボって帰ってきてるのに」
レイルは額を押さえながら席に着き、とりあえず用意されていた簡単な朝食を口に運ぶ。急いで食べながらも、なんとか弟を窘められないかと言葉を探した。
「あのな、これはエリオット殿下のために用意された『演習』なんだ。領の人間が必要以上に出しゃばる必要はないと言ったろう」
「『演習』なら、学生の俺が経験を積ませて貰う為に出たって、おかしくないだろ? エリオットとは付き合い長いし、もうすぐ家族になるんだしさ」
全く悪びれないカインの態度に、レイルは頭痛を覚えてこめかみをそっと揉んだ。
自分の弟が異常に強い事をレイルはよく知っているが、十四歳での初陣は、戦乱の世ではなくなった今の時代には早すぎるのではないかとさすがに思う。しかし同時に、今回の『演習』の作戦は順調で、今のところさして問題は発生していない。死人もまだ出ていないから出陣させてもいい気もしてくる。
逆にこのまま放っておいて、この弟が勝手に戦場に出たりしたら演習場が大分混乱するのでは無いかと危惧もしてしまう。悩んだレイルは、とりあえずカインに仕方なく今の状況を話すことにした。
「今回の『演習』は、今のところ特に問題は起きていない。『敵役』の連中は総勢二千ほど。予定通り既にその三分の一以上が脱落し、行軍の列から離れたところを領軍が回収して回っている……お前もそっちに回ってくれると助かるんだが」
「干からびかけた連中縛り上げて、水掛けて回んの? やだよ面倒くさい」
「そうは言ってもな。お前が前線に出たら死者が増えるかもしれないだろう。演習なのだからそれはできる限り避けたい」
あちこちに余計な介入の口実を与えないため、今回の騒動はあくまで『演習』ということにしている。死者が出るとしても最低限に抑えるべく、レイルとエリオットは様々な策や手を回して来た。ただの演習で、例え暴徒側だけだとしても大勢の死者が出ては言い訳に困るからだ。それを理解してもらわなければ困るとレイルが言うと、カインは満面の笑みを浮かべた。
「それは大丈夫だって! その為にマリねぇに色々作って貰ったんだから!」
そう言ってカインは懐から美しい刺繍が施された、細長い帯のようなものを取り出した。
「これを結んだ武器を使えば、殴っても切っても何故か絶対死なせないってマリねぇの保証付き! 怪我はするかもだけど、そんくらい自業自得だから良いだろ?」
「お前は……そんな物を作って貰っていたのか」
レイルはまた呆れたため息を吐いた。
「兄上だって色々作って貰ってるじゃん。とにかく、俺はこれ付けて前線に出んの! 俺に任しとけば、全部吹っ飛ばして殺さずに再起不能にしてやっから!」
「面倒だから再起は出来る程度にしておいてくれ……」
絶対に譲らないとばかりに身を乗り出す弟に、レイルは半ば諦めてそう言った。
「領軍との合同演習、なんだろ? だったら俺が前線出ても良いじゃん。一人で行くとか言わないからさ」
「当たり前だ。仕方ない……お前のフォローをしなれている家の警備を付ける。その代わり、怪我はするなさせるな。あとあんまりやりすぎるな」
「やった、了解!」
大喜びして皿に残った料理を一息にかき込むと、カインはレイルの気が変わらないうちにと大急ぎで部屋を飛び出していった。レイルは後ろに控えていた側近の方を振り向いた。
「とりあえず、急いで私の護衛部隊にアレに付いていくよう伝えてくれ。私の護衛は近くの領軍から一分隊出来るだけ急いで回して欲しい。それまでここで待つ。まぁどうせ私が出る幕もないだろうが、一応な。それと、治癒魔法の使える人間を多めに捕虜の回収場所に待機させてくれ。多分、何故か死なないというだけである程度癒やさないと哀れな事になるからな」
終わったら回収した人間は労働力として使うつもりなので、働けなければ困るのだ。
「かしこまりました。ではすぐに」
側近は頭を下げると慌てて部屋を出て行った。レイルはまたため息を吐いて残った料理を食べ、お茶を飲む。
「全く……アイツは、進級できるのか?」
間近に迫った暴徒の行く末より、そちらの方が気になる兄だった。
レイローズ領の中ほどの町の手前の丘で、カインは遠くに見え始めた敵軍の様子を眺めていた。
もっとも軍などという統率の取れた連中でもないから、その隊列は随分とぐちゃぐちゃだ。
カインを必死で追いかけてきた兄の護衛部隊もその側で同じ光景を見ながら、呆れたように口々にため息を吐いた。
「もうヨレヨレだな」
カインがそう呟くと護衛の一人が本当に、と頷く。
「人間て、水がないとあんなになるのかぁ。フラフラして、よくまだ歩いてるな」
「煽動されて判断力が鈍っているんでしょう。もう後にも引けないんでしょうし……まぁ少々哀れではありますね」
背信教の教徒達は誰もが覚束ない足取りで、それでもこの町を目指している。前の村で全く水が飲めず乾ききっているはずなのに、まるで何かに操られるように歩き続けているのがなんとも哀れだ。
彼らを一つにまとめて、領内のすぐに逃げられない場所まで誘い込み、十分に弱らせてから演習と称して一網打尽にするのが今回の作戦だ。
その一つとして、特に飲み水が途中で不足するように計っている。その為彼らはもう随分とまともな水を口にしていないはずだ。
あらかじめこの地域の全ての水辺はせき止めるか壁で厳重に囲って近づけないようにしてある。おまけに、通りすがりで利用できるはずの井戸の水は、シャーロットの祈りによって今は全て海水に変わっているのだ。ついでに言えばここしばらく不自然なくらい晴天続きで、雨の一滴も降っていない。
あとは、他の加護者達も避難するギリギリまで粘って、連中が通る予定の道に背の高い草を茂らせたり、岩場や泥沼に変えたり、歩きにくく疲れが増すよう荒らしまくっていた。
おかげで溜まる疲労と喉を焼く乾きに次々と脱落者が出ているのだが、彼らは置いてきた者を振り返る余裕もすでに失っている。歩く列はだらだらと長くだらしなく伸び、すでにその人数も半分に近くなっているように見えた。なのに歩みを止めないのだから、もはや自分達が何のためにどこに向かって歩いているのかも定かではないのだろう。
「食料にもなんか細工したんだっけ?」
「ええ、塩気の強い干し肉や、乾燥した保存食、煮炊きしないと食べられないものばかりをわざと残して奪わせたようですよ」
「その上で井戸水は海水かぁ。はは、絶望しただろうな。俺、兄上達も義姉上も絶対敵に回さないことにしよう……」
「それがよろしいかと」
同じ事をここに居る誰もが思い、周囲からは頷きが返った。
「さてさて、そろそろ準備すっか。どれが教祖だっけ?」
「いきなり頭狙いですか? 確か、中程で輿に担がれていたようですが……見えませんね」
「さっき、ついに運べなくなってどっかで落としたらしいですよ。教祖は多分自分で歩いてるんじゃないかとは思うんですが」
その報告を聞いて、カインは一つ頷いた。
「じゃあ予定通り、全部ぶっ飛ばすことにするか。周りから崩してって最後に真ん中にすれば、どっかで当たるし、そうじゃなくても大体心が折れるだろ」
「え、そういうおつもりだったんですか?」
護衛が目を丸くすると、カインはにこりと無邪気そうに笑った。
「狂信者ってのはその性根から叩き潰さないとまた出てくるぞって、父上が言ってたんだよな。殺さないなら、恐怖とかで徹底的に心を折るのが良いって。それなら、軍が出るより俺一人の方が怖いんじゃないかと思ってさ」
護衛達は想像してみた。
確かに、軍勢がわかりやすく列をなして迫るよりも、軍神の加護を持った訳の分からない強さの少年が笑いながらたった一人で襲ってくる方がすごく怖い気がする。
ていうか、そんなことを無邪気に言われると自分達まで怖いから止めて欲しいと思う。
「っつーわけで、俺はとにかく走って行くから、お前らは適当に馬で付いて来いよ。そんで、俺が吹っ飛ばした奴らは騎士団と領軍で回収するよう言っといて」
この後どんな非常識な戦場になるのか予測が付いて、護衛達は青ざめつつ頷いた。目前に迫ってきた暴徒達が、今はただますます哀れだった。
やがてエリオット率いる騎士団も丘の上に勢揃いし、敵の後方を領軍が包囲したという連絡が入って、準備が整う。
カイン一人が突っ込むという無謀とも言える作戦を聞いたエリオットは頭痛を堪えるようにしばらく頭を抱えていたが、最終的には諦めた笑顔で親指を立てた。今はレイルと馬を並べ、白馬の上で遠い目で空を眺めている。これから眼下で広がる惨劇を目にしたくないので現実逃避しているらしい。
そんな兄たちの姿を背後に、カインは楽しそうに自分の二倍以上の長さのある丸太を片手に立っている。丸太の真ん中には、マリエラが縫った刺繍帯がしっかりと結ばれていた。カインの腕や、一応腰に差してある剣にも結んである。準備は万端だ。
「おっしゃぁ、行くぞお前ら! 丸太は持ったな!」
カインが楽しそうにそう叫ぶと、後ろから次々とヤジが飛ぶ。
「持つわけないでしょ坊ちゃん!」
「あんただけですよ、そんなもん武器にするのは!」
「ていうか、それ持ったままこっち向かないで下さいね、絶対!」
「俺たちはもういるだけですからね! 何にもしませんからね!」
「よっ、レイローズ領の破壊神! 走る非常識!」
気心の知れた護衛達の飛ばす声に、ゲラゲラと笑いながらカインは駆け出す。
ブオン、と丸太が風を切る恐ろしい音が辺りに大きく響いた。
先頭にいた連中はさすがに士気も高く、向かってきたのが年若い少年一人と見るや、半笑いで雄叫びを上げて剣を振りかざした。しかしその剣は丸太の端にも届かず、持ち主と共に跳ね上げられて宙を舞う。
「オラァ!」
カインが丸太を一振りする度に、その間合いにいた五人が、十人が、次々と宙を舞った。
敵を吹飛ばしながら走って行くカインの後ろを、吹き飛ばされた暴徒達に当たらないよう気をつけて馬で追いながら、護衛達はブルリと震えた。対する暴徒達はもっと震えている。聞こえるのは叫び声と呻き声、重たい風切り音と打撃音。それと、場違いなカインの明るい笑い声。それに混じって、地に落ちた誰かが神に祈り赦しを乞う声も微かに聞こえる。
カインは必死で逃げる暴徒達を無慈悲に追い越しては吹き飛ばし、次々に叩き伏せた。
神もその加護もいらぬと嘯くなら、俺がそれを見せてやる、とカインは笑う。
神と共にあるということがどういうことなのか。その不公平で理不尽な慈悲深き御手が世界にもたらすものを、その目で見るが良いと。
人はそれが無くても生きられるかもしれないが、けれど共に有ればこうして人の枠すら超えられる。それが良いことか悪いことかは知らないが、その枠の向こうに行ってでも己の後ろにある大切なものを護りたいという、自分にとっての絶対の正義を見せてやるのだとカインは決めていた。
お前達の掲げる正義と俺の掲げるそれと、どちらが勝つのか。お互いに存分に試せば良い。
例えこの後全ての味方に恐れられ距離を取られたとしても、そんな事はカインにとっては些細な事だった。
ただ一人が、生きて、笑っていてくれればそれでいいのだ。
その日丘のふもとを吹き抜けた暴風は、まだ無邪気さを残す少年の姿をしていた。
それは完膚なきまでに暴徒達の心をへし折り、幸運にも宙を舞わなかった教祖を含む全ての教団員が涙を流して地に頭を擦り付けるまで走り続けたのだった。
おまけ
**********
「貴様は! 脳筋が! 過ぎる!」
「やかましい! 筋肉の素晴らしさも知らぬ狡知の徒よ!」
「私が狡知なら貴様は無知だろうが! せっかくそれとなく色々面白い策を用意して閃かせてたのに、台無しにしおって! お前には少しは配慮とかないのかブレイマス!」
「途中までは活かしてやってただろうが! 仕上げに手を貸して何が悪い!」
「美味しいとこ持っていきやがってふざけんなって言ってるんだ、この脳筋野郎!」
天界の水鏡の前で、知恵の神サピトゥリスと、武神ブレイマスが睨み合っていた。
知的な顔立ちを怒りに染め細身の体にブカブカのローブを纏った男と、ガッチリした鎧に身を包んだムキムキの岩のような大男の対比が激しい。
近くにいた対策室勤務の神々は、やっとひと段落した背神教騒動が平和的(?)解決を見たことに安堵して休憩していたのだが、突然始まった言い争いに目を丸くしていた。
「……なぁ、サピトゥリス様めっちゃキレ散らかしてるんだけど、大丈夫かな」
「あー、なんかサピトゥリス様も助言を与えた作戦が、あのブレイマス様の加護者の弟君に粉々にされたんだってよ」
「そりゃお気の毒に……でもあの弟なら仕方ないかな……」
「わかる。あの弟じゃなぁ」
「一人だけ世界が違うみたいな動きしてたよな」
カインの姿を思い出して誰もが頷く。
その横で知恵と武の神の口論は更に激しくなっていっている。
「この、馬鹿、あほ、脳味噌海綿男! 少しは周りの迷惑も考えろ!」
「うるさいわ、この豆もやし! 衣類掛けみたいな体しやがって、もっと鍛えろ! 悔しかったら貴様も丸太を振り回してみろ!」
「段々知能が低下して来たぞ大丈夫かあれ」
「むしろブレイマス様の方が悪口に若干の知性を感じる」
「あー、高位の知恵の神は低次元な喧嘩とか普段しないから。罵詈雑言の引き出しが少ないんじゃないかな」
「なんかちょっと可愛いなそれ……」
「おい、気のせいだぞ絶対」
「そうそう、遠回しな嫌味なら軽く100は出てくるからな」
ターン制の戦略シミュレーションの中に何故か無双系武将が一人混じっている。




