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22歳:(11)乾きの井戸

本日は二話まとめて投稿しています。

 名も残らぬとある男――背神教と名乗る一団に混じる中年の男は、仲間達と賑やかに酒を楽しみながら、随分遠くに来たものだと内心で考えていた。

 簡素な木のカップに注がれた酒は久しぶりなせいか回りが早い。気分は高揚し、さっきから皆笑っている。この領地に入ってからの最初の略奪が嘘のように上手く行ったから誰もが機嫌が良い。

「いいとこじゃねぇか、なぁ」

「ああ、こんなとこに住めたらなあ」

 輪になっているうちの誰かがそんな話をしているのが聞こえた。確かに、ここは良い場所だ。自分がかつて住んでいた場所とは大違いだと男も思う。今いる場所は自分が元々いた場所から遙か遠く、国さえまたいだ見知らぬ土地なのだ。男は遠い故郷から今日までの道のりをふと思い返した。こうしてここにいる事のそもそもの始まりについて回らぬ頭で考えてみると、もう随分前の話である気がした。

 

 何年前かもわからぬようないつかのある日。男が、荒れ果てた自国でちょっとした失敗から仕事を失い燻っていた時、酒の席で意気投合した相手がいた。飲み明かしてすっかり仲良くなり、そのまま二人共安宿で潰れ、翌朝また顔を合わせた。しかしこの相手は、酒が抜けてもどうにも頭のどこかのタガが緩んだような人間だった。

 彼は酒が抜けても、自分はこの不公平な世の中を正したいのだと熱っぽく語り、そのためにはこの世にはまず神がいらぬと思うのだと嘯いた。

 随分と不信心な、おかしな奴と知り合いになったと思ったが、何せお互い仕事もなく暇だった。彼と一緒に日雇いの仕事を幾らかしては飲み歩き、そしてその話を酔った頭で繰り返し聞くうちに、いつしかそれがどうにも正しい主張であるように思えてきた。

 自分にも神の加護があれば、きっとこんなところで安い酒に溺れていたりしなかったに違いない。仕事がないのも、妻や子に逃げられたのも、神が自分を見捨てたからに違いない。そもそもやはりこいつの言うとおり、神の加護などという不公平な物がなければ良かったのではないだろうか。そうしたらこの世には王侯貴族など存在せず、真の平等や公平とやらがありえたのではないだろうか。そんな考えが男の頭の中にじわじわと広がっていったのだ。

 

 自分がおかしな考えに染まりつつあると言うことに男が気づきもしなくなった頃には、周りには徐々に同じような人間が増えてきていた。彼らは皆大なり小なり不幸や不満を抱え、日々に困窮しているような者たちだ。意気投合するのはあっという間で、また同じように境遇への不満から彼の考えに傾倒するのも半ば当然だった。

 やがてただの飲み仲間だったおかしな男は教祖を名乗りだし、気づけば誰もそれをおかしいと思わなくなっていた。彼らは世界への漠然とした恨みを晴らすべく寄り集まり、酒の勢いを借りて数人ずつ徒党を組んで小さな略奪を行うようになった。そうなると後は坂を転がり落ちるようなもので、野盗のような存在に身を落とすのはあっという間だった。

 国は未だ荒れ、人心は荒んでいる。同じように身を持ち崩して合流してくる人間は後を絶たない。その全てが神を呪う教祖の言葉に賛同したわけではないが、それでも徐々に組織は大きくなり、強固になっていく。軍に追われる事もあったが、組織の中には元兵士だったという者も多くいて、彼らが昔の伝や経験から抜け道を探り、時には相手を抱き込み、事なきを得てきた。


「俺らを雇いたいって言う奴がいるんだよ」

 誰かからそんな言葉が届けられた頃、気づけば組織は大きな方向転換をすることとなった。相変わらず変人と食い詰めた無法者の集まりなのは変わらない。ただ、どこかからこっそりと届けられる食料や金によって、襲う場所が決まるようになったのだ。

 相変わらず組織の顔と言うべき人間は教祖だと名乗る彼のままで、気づけば自分達には『背信教』などというご大層な名が付いていた。神などいらぬと嘯きながら、金を出した相手の商売敵や政敵を襲う。さほど大きな獲物を狙うわけではないが、地味な嫌がらせのような襲撃を散発的に繰り返し、危うくなれば移動するという日々を繰り返した。


 そんなことをしながらも、もはや組織には何人の人間がいるのかも、誰がどこからどんな依頼を受けているのかも、その全てを知る者はいなかった。増えた仲間は余り一所に集まることはなく、それぞれが虎の威を借るように同じ名を名乗りながらも好きなことをして生きていく。だからこそ多少失敗して脱落する者が出ても、それらを容易く切り捨て逃げ続ける事が出来たのだ。

 そんな事を何年も続け、気づけば組織は最初にいた国から逃げだし、隣国に来ていた。自分達がいた国よりももう少し復興が進み、大分豊かな国だ。教祖がこぼしたことによると、どうやら雇い主だった貴族からこの国へ行くようにと抜け道を示されたらしい。


 分散して国境を越えると、今度はこの国の貴族に雇われた。襲って欲しい領地があると言われ、支援を受けつつ、許された場所で略奪をしながらゆっくりと目的地を目指してきた。

 目的地が近くなるにつれ徐々にばらけた仲間が集まり、またこの国でも新しい仲間を増やした。豊かになりつつある国と言っても、その分そこから取りこぼされた不幸な者達はどこにでも存在する。

 その中に部隊をまとめた経験のある奴が混じり、その男の手腕によって組織は更に大きくまとまった。やがて目的の領地にたどり着き、別の道を通って徐々に仲間が集った。集ってみれば、彼らはいつの間にか小さな村では太刀打ち出来ぬほどの人数になっていて、皆その人数に安堵し、増長していた。

 そうして、聖戦と教祖が名付けた、襲撃と略奪を始めたのだ。



「しっかし、村の連中おっかしかったなぁ」

 今日の夕刻、薄暗がりに紛れて行われた最初の聖戦は、至極あっさりと決着が付いた。

「ほんとにな! 俺らの姿見たら泡食って逃げ出しやがってよ。平和ぼけした連中らしいや」

「こんな祭りの準備までしてたのに、ざまぁねぇな。まぁ、女がいねぇのは不満だがよ」

「まったくだ!」

 誰からともなくこの村から逃げ出した村人達を肴にゲラゲラと笑う。

 村人が収穫を祝う祭りのために用意したであろう料理も酒も、男達にはごちそうだ。今年は豊作だったせいか、領境の小さな村の割に大分盛大な祭りで、用意された品はかなり多かった。今や何人いるのかわからない教徒全員にそれらがたっぷりと行き渡った事を単純に彼らは喜んだ。贅沢に塩をたっぷりと使った料理が、美味い美味いと次々消えていく。

 美味い飯と酒で鋭気を養い、明日からの聖戦もきっと上手く行くと、誰もがただ無邪気に信じていた。村人の人数がやけに少ないことも、逃走の手際が妙に良かったことも、酒に酔った彼らの意識には疑問として残らなかった。


 一夜明けて次の日の朝。暴徒と大差の無い教徒達は規律もなく思い思いにダラダラと起き出し、酒の抜けない重い体を引きずって村の井戸へと向かった。

「んだぁ、随分水位が低いな、面倒くせぇ」

「そらこんだけいりゃ水も下がるだろ。小せぇ村だしな」

「酒はもうないのか?」

「昨日飲み尽くしただろ」

 文句を言いつつも協力しながら水を汲み、桶を引き上げると喉を渇かした数人がすぐに口に運んだ。

「ん……なんか、この水、変じゃねぇか?」

 何人もが交代で喉を潤したあと、そのうちの一人が首を傾げ、ぽつりと呟いた。その声を受け、同じように水を飲んだ者達が顔を見合わせる。

「何が変だ? まさか、毒とか?」

「いや、それならもうとっくに誰か倒れてんだろ。そういうんじゃなくて……なんか、ちょっとしょっぱくねぇか?」

 毒ではないという言葉にホッとした空気が流れる。しかし水がしょっぱいという意見には、頷く者もいれば首を振る者もいて、様々だった。

「確かにそう言われればそんな気もするか?」

「おらぁわかんねぇ。こんなもんだろ」

「海辺じゃ多少塩気のある井戸とか珍しくねぇが……まぁこのくらいならどってことねぇさ」

「へぇ、そうなのか。俺は山しか知らねぇなぁ」

 ガヤガヤとそこにいた者たちが好き勝手に意見を言うが、かといって水の味が変わるわけでもない。少し気になるとはいえさほど問題とも思えないし、どうする、と何人かが顔を見合わせたところで、輪の外から声が掛かった。

「多少なら構わないだろう。いいから早く袋や樽に補充しろ。そろそろ出発して次の村を目指すぞ」

 その声の主は最近教団の幹部になった男だった。何でも女好きが祟って失敗して不能になり、家も追い出され、今いる領地に恨みを持つという。彼はその経歴を哀れまれ笑われると同時に組織をまとめる手腕が認められて、短い時間で周りからの信頼を得ていた。その幹部にそう促されれば、誰もが従わざる得ない。次々と皮袋や樽が集められ、手分けしてそれに水を詰めて行く。


「ここの井戸はあといくつあったっけ?」

「奥にもう二つあって、そっちでも汲んでる。こっちはこんなもんでいいかな。なぁ、おい、アンタ。次の場所は遠いんだっけ?」

「いや、さほど遠くないぞ。この次に目指す村はここより大きいから井戸ももっといくつもあるはずだ。途中に小川もあるから、とりあえず一日持てば良いだろう」

 幹部の男の自信ありげなその言葉に安心した空気が流れた。この後の作戦では、街道を通って次の村へ行くのではなく、森の中を通ってその向こうのもう少し大きな村を目指すことになっている。昨晩この村の人間を逃がしたのはわざとで、それらが近隣の村に逃げ出して領軍がそちらに警戒の目を向けた隙に、離れた場所にある少し大きな村を襲うつもりなのだ。そこでの仕事を終えたら更に同じようにしてその先の町を目指す。


「目的地の町にはでかい神殿があるからな。奉納された収穫物がたんまりあるぞきっと。ついでに加護者の二、三人も攫えれば追加報酬だ。その戦利品次第では、雇い主が我らに安住の地を与えてくれるそうだからな」

 男のその言葉に周囲が色めき立った。男が言う事は不思議とそれを信じられる気がして、そこにいる者達の心が纏まるのだ。皆の心にじんわりとやる気が満ち、このままどこまでもついて行けるような気がしてくる。すると人垣の奥からゆっくりと教祖が現れた。教祖は己に向かう仲間達の熱い視線を受けて満足そうに頷き、そして杖を振り上げて笑顔で叫んだ。


「天の加護などという怪しいものに胡座をかく堕落者達に、我ら人間の正義と力を示す時はすぐそこだ。さぁ、出発するぞ!」

 雄叫びが空気を揺らし、人垣がうねるように動き出す。より集まって増えた数は、彼らに自信を与え、同時に臆病さや慎重さを奪い去った。大群に伝播した熱病に浮かされるように、恐れを知らぬ男達が歩き出す。

 正義は我らにあり、自ら動かぬ神に自分達を止めることは叶わぬだろう。

 この時はまだ、誰もがそう思っていた。


 補充した水を飲むごとに何故か少しずつ喉が渇き、通り道にあったはずの小川は涸れ果て、辿り着いた次の井戸の水が、全て海水のような塩水に変わっていると知るまでは。


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