22歳:(9)道化師の懺悔
「みんなー、頑張ってるかーい?」
まだどこか少年らしさを残す、朗らかな青年の声が青い空に響く。
それを聞き止めた男達は畑に向けていた体を慌てて起こし、声の主に向かって手に持った鎌や両手を振り上げ雄叫びを上げた。
「ありがとう、お疲れ様! もうちょっとで今日の作業は終わりだけど、ちゃんと水も飲んでねー! 差し入れのエールもあるよ! 収穫後の演習でまた会えるの、待ってるからね!」
そう言って声の主が白い手をひらひら振るとまた雄叫びが上がった。
夏の暑さよりも暑苦しい。エリオットはそう思っても口には出さず、美しい笑顔を存分に周囲に振りまいてから馬車の中に引っ込み、カーテンを閉めてから盛大にため息を吐いて、美しく整えられた金髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。馬車の中で黙って待っていたレイルは苦笑いを浮かべたが、その態度を責めたりはしなかった。
「はあぁぁぁ……あああぁあ、辛い! レイル、次はどこかな」
「今日の予定はここで終わりですよ。お疲れ様です殿下」
「終わり! やった、早く帰ろう、もう無理だ! リーナの顔を見ないとやる気がこれっぽっちも回復しない!」
「はいはい。とりあえず農作業騎士団の慰問は今日で終了ですから。しばらくリーナとゆっくりできますよ」
「有り難い……はぁぁ、しばらく引きこもりたい。もう王子止めたい」
王子を止めても加護からは逃げられないんじゃないかと思いつつ、レイルは静かにエリオットの愚痴を聞き流した。
予定通り騎士団を借り受け、レイローズ領内の作物の収穫を手伝わせる作戦もそろそろ終了の予定だ。
結局、エリオットが演習目的で借り受けた兵は二個中隊くらいの規模で、五百人くらいとなった。頭にエリオットを据えて動かしやすい部隊にしたいので、変則的だが中隊長はジョシュア・フローレスのみだ。一時的にジョシュアの地位を引き上げ、扱える軍の規模を拡大した形になる。あくまで演習と言うことでエリオットが屁理屈と笑顔で押し通した。
暴徒を迎え撃つ人数としてはさほど多いとは言えないが、半分は騎士なので機動力があり、質は良い。
ただその分農作業をやらせることに当然反発もあった。騎士達には演習内容を告げずにレイローズ領まで移動させたのだが、着いて早々に鎌を渡された事に不満を漏らさない騎士はいなかった。誇り高い騎士団に何をやらせるのかと抗議の声が上がり、そのまま行けば任務を放棄した者も現れかねなかったろう。だがそれら不満の声は全て、エリオットが加護の力を使い封殺した。
「万の兵を死地に向かわせる事はできないけど、まぁ、五百くらいは簡単に転がせるようになってて良かったよ……」
毎年マリエラにダメ出しされ、笑われながらも加護の制御訓練を頑張っていて良かったとエリオットは嫌々ながらも思う。
傾国と言われる加護の力はさすがで、エリオットがこまめに各村を回って励ます度に騎士達は従順になり、今では完全に農村に溶け込み毎日とても良い笑顔で収穫作業に勤しんでくれている。馬を下り、剣を置き、鎧を脱いで動きやすい格好をした騎士達は、夏の終わりの日差しによってすっかり肌も黒くなり、もはや誰もが完全に逞しい農夫だった。
全員がどことなくキラキラした目をしているのが若干気持ち悪いが、目的のためなら多少の犠牲はつきものだとばかりに、エリオットは黙殺している。
「殿下もすっかり加護を使いこなされて……しかし領軍は私が統括しますので、手出し無用ですよ?」
「レイローズ領の兵士は主一家が好きすぎて私の力は及ばないよ。それにどうせこれが終わったら返す軍だ。ああ、さっさと返して視界から消し去りたい」
心からの願いと言わんばかりの言葉にレイルは思わず笑いをこぼした。
「あんなに心酔されているのに、罪作りですね」
「偶像扱いは一時だから我慢できるんだ。つくづく王子に持たされる軍を断っておいて良かったよ。本当に、その気になれば私も簡単に国家転覆できそうだ……」
物騒な悩みを抱えるのももう少しの辛抱だ、と呟きエリオットは馬車の座席にぐったりともたれかかって天を仰いだ。さらりと流れる金の糸がカーテン越しの細い光を弾く。騎士団連中に見せたら拝み出しそうな憂いを帯びたその姿は、しかし未来の義兄にはなんの感動も与えなかった。
「とりあえず収穫物の運搬が終わるまでは我慢して下さいね。今度は騎士の馬に荷運びをさせるのかと文句がでそうですから」
「わかってるよ。その代わり、三日くらいはリーナとのんびりさせてくれ」
「それはリーナに許可を取って下さい」
未来の夫よりも姉の健康状態を気にしているリアンナは日々忙しくしている。しかし少しくらいはエリオットに時間を割いてやるよう口添えしてやるかとレイルは一応頭に刻んでおいた。レイローズ領を守るため売りたくない笑顔を安売りして頑張ってくれているのだし、そのくらいしても良いだろうと思う。
愛と美の女神の加護は、使いこなせば便利だと思うが、自分は絶対欲しくないなとしみじみ思うレイルだった。
「収穫は予定以上に順調、と。あとは……ため池の方はどうなった?」
レイローズ家に戻り、エリオットとレイルは一休みしてから執務室で再び向かい合っていた。帰って早々リアンナとお茶を楽しみ、少しばかり甘えさせてもらえたエリオットは大分回復している。
ソファに座ってローテーブルに置いた計画表や領内の地図を眺める。レイルはその地図に描かれた川を指で辿り、いくつかの場所を指し示した。
「加護者達のおかげで順調ですよ。上流も下流も、主要なため池の拡張は終わりました。生き物なども捕獲できたものは退避させましたし……今は丁度雨の少ない時期ですから、予定通り川を干せるでしょう。小さな池や泉はため池の拡張で出た土を運んで高い土塀で囲んでいます。そちらも順調です」
「そうか。間に合って良かった。部隊の編成も済んだし、あとは相手の到着と義姉上の出番を待つだけだな」
「それだけが心配なんですが……シャーロットまで使う羽目になるとは思ってもみませんでしたよ。神々のおかげで当初の予定が台無しです。結果的に被害は減りそうなので良いですが……感謝したいが文句も言いたい気分です」
「はは、本当に神託には振り回されたな。私も参ったよ。こんな行き当たりばったりで無計画な事をやる羽目になるなんて」
そう言ってエリオットは眉を寄せつつもくすくすと笑った。天にいた時は計画計画とあんなに拘っていた自分がこんなにも振り回されて、エリオットにはそれがいっそ可笑しかった。しかしひとしきり笑うと、不意にエリオットは目を伏せ、小さく呟いた。
「なぁ、レイル……義兄上、少し、私の話を聞いて貰えるだろうか」
「なんです、改まって。何か懺悔したい事でも?」
神妙な雰囲気のエリオットに、レイルが茶化したように問う。しかしエリオットは気分を害すでも軽口で返すでもなく、ただ難しい顔で頷いた。
「懺悔……そうだな。懺悔だな。私は、きっと懺悔をしたいんだ」
そう呟くエリオットの眼差しは暗く、口元だけが自嘲するように歪んでいる。レイルはそれを見て取り、ソファに深く座り直してだらしなく寄りかかるとわざと軽い口調で答えた。
「まぁ聞くだけ聞きますよ。未来の義弟の弱音くらい。さ、どうぞ」
「はは、有難いな。うん……何と言えばいいのかな……今回、神託に振り回されて、少々思うことがあったんだ」
そう言うとエリオットは窓の外へ視線を向けた。夕暮れに染まりつつある晩夏の空は、高く遠い。
「私は……私はな、神というのはもっと完璧な存在だと思っていたんだ。神の計画に間違いなど無く、遙遠く、天の高みから盤上の駒を動かすように世界を動かすものだと、そう思っていた」
実際にエリオットがアルフォリウスであった時はいつだってそれが神の在り方だと考えていたし、立てる計画もその考えを反映したものばかりだった。この地上で生きる者のことなど考えもしなかった。それでこそ、神として正しく世界を導けるのだと信じていたのだ。
だが、実際はどうだろう。
自分が立てた完璧だと思っていた計画は世界とマーレエラナを大きく傷つけ、文明の進歩という望みの結果を得るどころかむしろ後退させてしまった。神々はその後の動乱の後始末に奔走し、今はマリエラを生かすために右往左往している。
その為にレイローズ領に呆れるほど加護を下ろし、必要とあらば神託まで次々と下ろす。しかもそれがどう考えても行き当たりばったりにしか思えないときている。
「現実では世界はまだまだ混乱していて、もたらされる加護もこんなに偏って不公平で、挙げ句に神託は乱発されて……振り回される人間の都合も気持ちもお構いなしだ。それだけこのレイローズ領が世界にとって重要だということなんだろうが、計画性の欠片も感じられないと思わないか」
「確かに。まるで、天界でも大騒ぎして走り回っているんじゃないかと思ってしまいますね。きっと毎日が徴税時期の役所みたいな大騒ぎでしょうね」
その姿を想像してエリオットは笑いそうになったがどうにか堪えた。自分も騒ぎの原因の一つなのだから、笑ったのがばれたら天罰が下りそうだからだ。
「本当にそうだな。そもそもな、盤上の遊戯のように全てを知り操れるなら……それなら、背神教などというものの芽が出た時点で、それをどうにかして消す事だって出来たのじゃないかと思うんだ。なのにここに来るまで放っておいて、天は何をお考えなのかと、もう何度も思ったよ」
盤面を見る立場ではなく、その盤上にいるということがこれほど心細く感じられるということを、加護や神託に振り回される事の理不尽さを、エリオットはこの地上で思い知った。
「そうですね……そこまで神が介入するものなのかどうか私は知りませんが、出来るなら神々もなるべく見守るだけにしたかったのかもしれませんね」
「何故? 最初から危険を排除する方が楽だろう?」
「それはまぁそういう考えもありますがね。私も親になってみて分かりましたが、自分の子供達に危険のない穏やかな人生を用意してやりたい気持ちはあります。でもそれに負けて全ての危険や失敗を取り除くような真似をしたら、子供から危機感や、困難に出会った時にそれを乗り越える力を奪ってしまう事にもなりかねないんです」
レイルはそう言って首を横に振った。
「それが本当に我が子の為になるのかどうかは、言うまでもない。だからうちでは見守りながらも好きなことに挑戦させるし、絶対に必要な事以外、学びたい事は自分で選ばせています。多少失敗したり痛い目を見てもそれもまた経験です。足りないところが出れば、補う方法は後から考えても良い。うちは先祖が己の才覚で成り上がった人なので、もともとそう言う気質の家なんです」
だからたまにカインみたいなのが育ってしまうんですが、とレイルはため息を吐いたが笑顔は崩さなかった。
「……良い家だな」
エリオットがぽつりと呟くと、レイルは嬉しそうに頷く。
「だから、神々もきっとギリギリまで手を出さず見守るだけにしようと思っていたのかもしれないと思うのですよ。けれどどうにもそれでは済まなそうな雲行きになってきたので、慌てて手を打とうとしてこうなったのかもしれませんね」
「さすがに慌てすぎではないかと思うんだがな……だが、見守るだけ、か。そうだな。神もまた、完璧でも万能でもないんだな、きっと。ただ、人の親と同じように私たちに寄り添い、共に歩むだけで」
「それでは不満ですか?」
「いや……うん。昔はな、不満だった。私はとても傲慢だったから。けれど、こうして振り回されて、計画を変更させられて、走り回って……腹立たしく思った事もあったのに。なのに、そう言われてみれば私はどこかほっとしたような気もする」
加護が、神託が、この地上にこうして与えられるということは、神々がこちらを見ているということに他ならないからだ。どんなに無計画で、慌てふためいているようにしか思えなくても、見ていてもらえると知るだけで、エリオットもまた確かに安心したのだ。
「そういえば昔、父も言っていたな。私がイリサレア様の加護を得た時、安堵した顔をして『困った加護を頂いたものだが……それでも、神はまだ我らをお見捨てではなかったのだな』と」
「ああ、わかる気がしますね。うちの領内では、加護者を妬む者はもういませんよ。皆、加護を得た者を祝うだけです。神は我らを見ていて下さる、見習って精進しようと」
自分でなく隣人が加護を得たとしても、それは神が我らを見ている証なのだと、レイローズ領の人間はただ喜ぶだけだ。
「そうだな。私も今はそれを嬉しく思っている……神々が私たちを見守り、時に共に歩み、世界の大きな節目にはこうして一緒に頭を悩ませてくれているかと思うと、何だか安心する。この不自由で、不便極まりない面倒くさい世界で、みんな懸命に生きている……それぞれの場所で、それぞれの心にある神と共に」
一人で生まれ死んでゆくものと思っていた道は、そうではなかった。加護があってもなくても、天の目はちゃんと人々に、その心に届いている。そして、だからこそ――
「だからこそ……だからこそ、人のその善なる生き方を、願いを、裏切るような計画を立ててはいけなかったんだ。それだけは、してはいけない事だった……そんな事に私はやっと気づいたんだ。私は、傲慢で、不誠実で、どうしようもない馬鹿だった。彼女に言われた通りの、頑なで頭でっかちの、狭い世界しか知らぬ愚かな子供だった」
背神教を産んだのは、私なのだ、きっと――とエリオットは胸の中で呟き、深く俯いた。
レイルはその姿を黙ってしばらく見つめ、それから身を起こすと手を伸ばし、エリオットの頭をそっと撫でた。
「貴方が、何を悔いているのか、知らないし、聞きませんよ。でも気づいたなら良いじゃないですか。もう繰り返さずに済む」
「だが、私は取り返しの付かないことを……」
「この世には、確かに取り返しの付かないことも色々ありますけどね。けれど、取り返しの付かない事はもう仕方ないんですよ。だって取り返せないんだから。だったら、あとは今後を考えるだけです」
そう言ってレイルは少々乱暴な手つきでエリオットの髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回す。
「貴方は今回の作戦で、出来る限り誰も死なない計画を立てた。暴徒なんて本来なら全滅させたって誰も文句は言わないし、どさくさに紛れて気に食わない側近を消すこともできたのに」
「それは……ここを血で汚すのは気が進まないし、アイツも……まぁ、まだ使えるかも知れないし。それに計画だって義兄上の協力や神々の加護があってこそ立てられたひどいものだ」
頭を上げたエリオットの面白くなさそうな表情に、レイルは笑い声を上げた。
「そうですよ。まったく、ひどいものです。私だって色々考えていたのに神々のおかげで台無しで、ついには私の妻まで引っ張り出して……なのにその神々の加護を当てにした他力頼りの危なっかしい計画だ。けれど、きっと成功するでしょう」
「させるだけだ。皆がいてくれるから、きっと出来る」
エリオットが力を込めてそう言うと、レイルもまた深く頷いた。
「ええ。ですからね、何でも同じです。貴方は、自分が間違っていた事に気がついた。なら今後は正しいことを探すことが出来る。為政者は時には非情な道を選ばなければならないこともありますが、それでも最善を尽くす努力は必要です。もう貴方にはそれができるはずです。そしてそれも一人でやるのではなく、今回のように周りに手でも知恵でも借りれば良いんですよ。そうしたら取り返しが付かなくなる前に計画変更でもやり直しでも、なんでも出来ます」
「……借りられるだろうか」
「大丈夫ですよ。貴方が少しでも謙虚で誠実であろうと望み、自分が愚かだということを忘れない限り。私も周りも、手を貸すでしょう。貴方が馬鹿な計画を立てたら、私が殴ってでも修正しますから安心して下さい」
そう言ってレイルはエリオットの目を覗き込んで微笑みかけた。いつも義兄の前では取り澄ましているその顔は、涙を堪えるようにみっともなく歪んでいる。年相応の少年に見えるその顔に、レイルは思わず吹き出した。
「貴方でもそんな顔するんですね。その顔なら、兵士五千人くらいは動かせるかもしれませんよ」
「そんなにいらない!」
思わず出た心からの叫び声に、レイルは腹を抱えて笑った。やがてその声は二つ重なり、二人は暮れてゆく景色の中で、しばらく笑い続けていた。
王子様、アイカツ頑張ってます。
次はアホ回です。




