4歳: 妹? ができました
マリエラの記憶が目覚めてから一年。
一月に三回体調を崩し、年に五回くらい死にそうになりながらも、マリエラはどうにか四歳の誕生日を迎えることが出来た。
記憶を取り戻してしまった事は大変不本意だったが、だからと言ってマリエラの生活が特に変わったわけではない。元から非常に無口な子供だったことも幸いし、その内面の変化を家族に気取られるような事も特になかった。
記憶が戻ったからと言って、喋るどころか息をするのも面倒くさい彼女の生活には今までと何の変わりもなかったからだ。
一年の大半をベッドで過ごし、三歳の誕生日以来用心して外にも出ていない。せいぜい窓辺で日を浴びるくらいだ。
食事も普通にとることが出来るようになったが相変わらず好き嫌いは多いし、寝込むと必然的に食欲も落ちるので、年の半分くらいはおかゆや流動食を食べている。
そんな生活なのでマリエラの体はとても小さかった。
もっとも本人はそんな自分の育ち具合などあまり気にもせず、ただひたすら面倒くさそうにため息を吐きながら、一日の半分近くをうとうとと寝て過ごすことでどうにか生きているという状態だった。
そんな淡々とした生活の中、マリエラが四歳になってしばらくしてから妹が生まれた。父に似た茶色の髪と、母と同じ青い瞳のこれまた可愛らしい妹はリアンナと名付けられた。色合いは八つになった兄のレイルとそっくりだが、顔はマリエラと同じで美しい母に今の所どことなく似ている。レイルの顔立ちは父によく似ており、このまま育てば将来は父であるマイルズに良く似た精悍な色男になるだろうという印象だ。
母のアマリアはリアンナの世話が増えたため少し忙しくなったが、幸いリアンナは健康な赤ん坊だったしマリエラと違って乳母を嫌がらなかったので、さほど手はかからなかった。
むしろ手がかかるのは相変わらず圧倒的にマリエラの方だ。何せマリエラはベッドから起きていられる時間の方がそうでない時間よりはるかに少ないのだから。
ベッドから起きられる時のマリエラはリアンナの部屋で赤ん坊を見ながら母と過ごし、起きられない時はリアンナを乳母に預けた母と過ごす。母を独占してしまっている事に申し訳なさを感じたものの、動かぬ体はどうしようもないし母自身がマリエラの傍を離れようとしない。
それらを責めたりもせず当たり前のように受け入れ、愛を持って彼女を支えてくれる家族の存在は日々少しずつマリエラの傷を癒していくように思われた。
ある日マリエラはそんな家族と、歪な自分を憂いながら、愛らしい赤ん坊をぼんやり見ていた。
妹のリアンナはとても可愛い。
マリエラが指を差し出すと、小さな手できゅっとそれを握ってきゃっきゃと笑う。
マリエラはほとんど笑わない、それどころか言葉を覚えても大層無口な子供だったので何とも対照的だ。
これが普通の赤ちゃんてもんだよな、とマリエラも思うが、今更それを演じるのも面倒くさい。
家族が皆大変大らかで、マリエラが非常に無口で全然子供らしくない事を特に気にしていないのが幸いというかなんというか。
ひょっとするとちょっと天界に操られているか、マリエラと同じように記憶持ちなんじゃないのかと少しだけ疑っているのだが、今の所確証は得られていない。
まぁそんな事は置いておいて、マリエラは妹のリアンナについて考えを巡らせた。
まだ赤ん坊な彼女はマリエラの目にはきらきらと輝くように見える。まっさらで本当に愛らしい。
記憶を取り戻したマリエラの目にだけ見える、器に宿るその魂の輝き。
リアンナの魂のその色に、マリエラは見覚えがあった。
思わずその小さな唇から深いため息が零れる。
『これ絶対エマだよね……何やってんの、エルメイラ……あんたまで、何で……』
マリエラは母が傍にいるので眉を顰めないよう気を付けながら、リアンナの丸い頬を指先でつんつんと突いた。
リアンナは笑い声をあげて、その指を捕まえようと手を振り回した。
エマこと、『水の女神エルメイラ』は、マナの親しい友の一人だった。水の眷属の中でもかなり上位の女神で、水を介した癒しの力に秀でた美しい女神だ。
リアンナは髪の色こそ彼女と違うが、その美しい青い目は良く似ていたし、何より器の奥の魂の輝きは見間違いようがない。
彼女がこうして人として生まれてきたことに、マナは実の所とても驚いていた。
エルメイラは優しい女神だ。そして少しばかり気弱で、慎重で臆病だった。
マナほどではないが高い地上干渉資格を持ち、同じように世界を愛し、人に加護を与える事も多かった彼女は、しかし自分が人として生まれる事は滅多になかった。
気の弱い優しい彼女は地上は荒々しいから嫌だと言って人として生まれるのを好かず、もう長い事上からの仕事だけをしてきたのだ。
その彼女がこうして人として、しかも自分の妹として生まれるだなんてマナには信じられない気持ちでいっぱいだ。
『もしかしなくても……私の為、なのかな』
神の力は地上では非常に弱くなるとはいえ、全く使えない訳ではない。
リアンナがマリエラのように天での記憶を持っているのかはまだわからないが、たとえ記憶がなかったとしても、その身にエルメイラの力を潜在能力として宿しているのは確かだろう。
リアンナは長じれば水の力や癒しに秀でた人間に育つ可能性がかなり高いのだ。
生きていくのがやっとというほどか弱いマリエラを助ける為に、彼女が生まれたのだとしたらと思うと、マナは切なくなった。気の弱い友にそんな重荷を背負わせてまで、やはり生まれたくはなかったと考えてしまう。
エマが、リアンナが一体どんな人生を歩む予定で生まれてきたのかは知らないが、せめて友として、姉として、いざという時は彼女を守ってやろうとマナは心に決めた。生きるのは面倒くさいが、自分のために生まれてきてくれたこの可愛い妹を見捨てる事は、さすがの彼女にもできる訳がない。
(うん、いざとなったらアウラには悪いけど、大地震でもためらわないことにしよう!)
そんな物騒な決意と共に小さな手をきゅっと握る。
マリエラの指を握り返した小さな手は、とても暖かかった。
おまけ
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「なぁ、室長の背中がすごい煤けてるんだけど、何かあったのか?」
「それが、エルメイラ様が自分をマーレエラナ様の妹として転生させろってねじ込んできたんだよ。んで、結局押し負けたんだ」
「……エルメイラ様って、いま南大陸の砂漠化解消のために、大陸規模の加護を担当しておられたよな?」
世界の天秤が崩れたことが原因で急速に砂漠化が進んでいる南大陸は、マリエラが生まれた中央大陸の回復の次に重要な案件だ。そこで水の神の加護を大陸自体に与える事でその砂漠化を解消しようという計画を実施しているのだが、その中心となっていたのが他ならぬエルメイラだった。
「そう、それを他の水の眷属の方々に分担してやらせるから、とにかく自分を転生させろの一点張り。そうじゃなきゃ今後一切審議会の求めに応じないって啖呵切られて、室長もついに諦めたんだ……」
「エルメイラ様が啖呵……」
「もうすごかったぜ。笑顔のアウレエラ様と同じくらい怖かった。あの清楚な美少女にあんな話の通じない虫けらを見るみたいな目で見られたら、俺なら速攻で土下座するね」
「……俺、憧れてたのにな」
何もかもを諦めたような雰囲気を漂わせながらぼんやりと外を見ている室長の背中に、二柱の神はそっと涙した。
しかしこの後すぐに、マリエラ含め上級神が一度に二人も地上に降りるという事態の調整と、エルメイラに仕事を押し付けられた水の神々が大挙して助けを求めに来たことで、対処に追われた誰もが室長と同じ状態になるとはまだ彼らは気づいていなかった。
少々短いですがきりがいいので。