22歳:(5)初夏の一幕
「……だるい。死にた……くはないけど、死にそう。いやむしろ夏が死ね……アエスタス滅べ」
夏も始まったばかりというある日。マリエラは領地屋敷の自分の部屋で、だらりとほどけながら夏の神アエスタスを呪っていた。
籐で作られた涼しげな長椅子の上に半ば横たわり、手足を放り出して天を仰ぐその姿はとても貴族の婦人とは言いがたい、人に見せられない有様だ。常に傍らにいる侍女のユリエは軽食を用意するために席を外しているのだが、マリエラはそれをいいことに思う存分ため息と弱音を吐く。
「避暑に行けないの忘れるとか不覚……氷とか雪とか、そういう魔法の得意な人雇っておくんだった……」
マリエラはいつもの夏の別荘のハンモックを恋しく思った。いつもならこの季節は早々に領地の北の外れの高原地帯にある別荘に避暑に行っているのだが、さすがに今年は移動できなかったのだ。
もともとマリエラは夏が苦手だが、今年はそれに加えて妊娠中であるというのが思った以上に負担だった。悪阻をはじめとした妊婦特有の諸症状にさっそく悩まされ始めているのだ。
ユリエを筆頭に周囲の者が必死でその対策を練り看護してくれているが、元々虚弱なマリエラはすでに若干くじけ気味だ。母になるのだ、という強い意志はあるのだがそれでも辛いものは辛い。
「はぁ……妊娠ってこんな辛かったっけ」
気温が高いのに自分の体温も常より高いのでひたすら辛い。その影響かはわからないが頭もよく働かず、何か考えようにもぼんやりと意識が散ってまとまらない。この部屋で一番涼しい編み目の大きな籐の長椅子に寝そべっていても、座面や背もたれとの接地面がじっとり汗ばんで気持ち悪い。かといって立っていると体が重だるくて辛いと来ている。
わずかな慰めは、庭の木々は揺れていないのに窓から時折なぜか涼しい風が吹いてくることと、別荘の周辺でよく見かけるはずの鳥がなぜかここでも歌ってくれていることだろうか。
「暑いしだるいし腹はまだ大して膨れてないのに体は重いし……あとなんかすごい眠い……のに暑くて寝れないのがまた辛い」
マーレエラナとしては今までに何度も地上に転生してきたが、思い返してみれば子を持ったことはさほど多くなかったような気がした。男として生まれる事も多かったし、何よりここ何転生も生まれては早世するばかりで、子を持つだの生むだのいう以前の問題だった気がする。
「思い出せないほど久しぶりだからこんな辛いのか……いやでもそもそも忘れてなかったら産む気にならなかったかもしれないな」
世の女性の偉大さを痛感しながらマリエラはまたため息を吐いた。
何とかもう少し快適に過ごす事は出来ないかとマリエラが回らない頭で考えていると、部屋の扉を叩く音がした。ユリエが戻ってきたのだろうと予想がつき、だらりと広げていた両手足を体に寄せ、一応見苦しくない程度に取り繕う。
「どうぞ」
返事をすると扉が開き、ユリエが顔を出し、カートを押して入ってきた。
「お待たせしましたマリエラ様」
ユリエは長椅子に寝そべるマリエラの姿を見ても何も言わず、そっと扉を閉めた。カートを押して長椅子の前のローテーブルに寄せ、ガラスの器をマリエラの前に並べた。
「マリエラ様、まずこちらをどうぞ。料理長がマリエラ様が食べられそうな物をと用意したものです」
そう言ってユリエが差し出した器には、鮮やかな彩りの半球状の塊が乗っていた。器の上で揺れる柔らかそうな半透明の塊で、赤や黄色や緑の小さな欠片が中に浮いている。色鮮やかな紙吹雪が散っているようだ。
「あら、綺麗ね……ぷるぷるしているのね。煮こごりみたいなものかしら?」
「ええ、冷やすと固まるスープに細かくした野菜や肉を加えた料理だとのことです」
領地屋敷の料理人達は今現在必死でマリエラが食べられる物を探し、少しでも栄養を摂取できる料理を模索し続けている。
元から小食だったマリエラだが、妊娠してからは食べる量が増えるどころか更に減ってきている。悪阻の気分の悪さと夏の暑さのせいだ。お腹の子の為にも頑張って食べよう、せめて回数で量を補おうと本人も努力しているが、今までの好物でも口に運べなかったり食べたものを戻してしまうことも多い。料理長達はそんなマリエラのために味や香り、見た目に工夫を凝らし、出てくる料理は日々洗練されてきていた。ユリエから器を受け取りながら、マリエラはそんな脆弱な己にため息を吐いた。
「食べないで栄養をとる方法があればいいのに……」
「それは何だか怖い気がするのでちょっとどうかと」
いっそドロドロのスープを胃に直接転送したりできたらいいのに、などと考えながらマリエラは料理を一さじすくって口に運んだ。
「あ……これは、おいしいわ。冷たくてつるっと入りそう」
野菜や肉のうまみが溶け込んだスープは味が良く、控えめに香草が使われているようで臭みもなくて爽やかな香りが食欲を誘う。半分固まってぷるぷるとしているので中に混じった細かな野菜や肉とよく絡まり、スープが喉を通るのと一緒につるりと飲み込めてしまった。
「これなら食べられそう……こういうもので、甘い物も作れないかしら? 出来るなら細かくした果物を入れてほしいわ」
「料理長に伝えておきますね。きっと喜びますよ」
マリエラが料理を口に運ぶのを心配そうに見守っていたユリエは嬉しそうに頷いた。吐き気を警戒して少しずつ食べていたマリエラだが、その途中でふと気がついた事があった。
「ねぇ、ユリエ……これ、なんだかいつもより美味しい? いえ、違うわね……美味しいのはいつもだけど、この料理はなんだか元気が出る気がするわ。食べてると食欲が湧く気がするっていうか……」
「お嬢様! わかって下さいましたか!」
マリエラのその言葉にユリエはパッと笑顔を浮かべて両手を握りしめ、何度も頷いた。
「これ! 私が最後の仕上げを手伝ったんです! 聞いて下さいお嬢様、私、神託を授かったのです!」
「ゆ、ユリエ? え、ええと、神託?」
いつも穏やかなユリエの突然の勢いとその言葉に、マリエラは驚いて思わずぽかんと口を開いた。
「そうなんです! 多分私に加護を与えて下さっている火の神様だと思うんですけど、料理の仕上げにこう、授かっている加護をギュギュッとしてバーン! みたいな感じで入れるとお嬢様の元気が出て、夏が少し楽になる料理が作れるって、夢で教えて下さったんです!」
「ぎ、ギュギュッとしてバーン?」
マリエラは半分食べた料理をまじまじと見下ろした。確かに、よく見ればわずかに陽炎のように薄い神力が立ち上っているような気がする。
(火の神の力は確かに活力を与える事が出来るし、夏の神とは近しい眷属だからわからなくもないけど……何だバーンって。脳筋か。いや、トリメリア辺りが夢を仲介したからこうなった可能性もあるか……)
驚きつつももうひとさじ料理をすくい、さっきよりも慎重に口に運ぶ。やはり美味しいし、確かに少しばかり感じる暑さが遠のいたような気もした。加護のこめ方には異を唱えたいところだがひとまず置いておいて、これならもう少し何か食べられそうだ。
「ユリエ、ありがとう。何だか少し食欲が出たわ。もう少し何か貰える?」
「お嬢様……良かった! あの、同じように仕上げを手伝った物が色々あるんですよ!」
そう言って並べられた、夏野菜を裏ごしした温かなスープや、指でつまめるような一口大の小さなパン料理、甘く煮て冷やした果物などをマリエラは少しずつ、それでもそれなりの量をゆっくりと食べた。そんなマリエラを見てユリエは心からホッとした顔をしていた。
「これから毎日、お嬢様のお食事の用意は私も手伝いますね」
「有り難いけれど、貴女に負担じゃない? 私の世話で、貴女まで倒れないか心配だわ」
「大丈夫です。料理を盛り付けたり取り分けたりする時に、ちょっと手をかざしてくるくるっとしてバーンとするだけですから!」
「そ、そう……」
物事を深く勘ぐったりせずあるがままに素直に受け取るという美徳を、それなりに年を取って二児の母になっても未だ失っていないユリエはやはりすごい、とマリエラは心底感心した。
それと同時にちょっと思いついたことがあった。料理の効果によってか、鈍っていた思考がまた動き出したようだ。
(そんなに気軽に加護を使えるようになってるなら、上手いことそれを利用できたりしないかな……確か、魔法効果とか力を反転させる魔法文字があったはず。いくつか組み合わせて、局所的に火を氷にするとか、夏を冬にしたり出来ないかな……部屋に水を張った大きな桶とか用意して凍らせてもらうだけでもきっと涼しくなる気がする。あとでマークに手紙を書くかな)
マリエラがそんなことを考えてから数日後。
マリエラの指示でマーカスが描いた、加護の効果を反転させるという機能を持たせた魔法陣によってマリエラの部屋に巨大な氷柱が立った。主に涼しさを届けたいというユリエの強すぎる願いを受けて天井を突き破った氷柱は部屋の気温を一気に氷点下にまでしかけ、マリエラは慌てて部屋を移る羽目になり、母にこっぴどく叱られたのは言うまでも無かった。
おまけ
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「アエスタス様! 俺の加護者の願いにちょっかい出しましたよね!? マーレエラナ様の部屋がとんでもないことになっちゃったじゃないですか!」
「いや、だってしょうが無いだろ!? ほら、やっぱお前みたいな半端な火の力の反転より、俺の方が役に立つかなーって思うだろ? けどちょっとあの侍女ちゃんの願いとあの魔法陣の効果が強すぎちゃって……不幸な事故だって!」
「半端で悪かったですねぇ!? ていうか、自分の加護者でもないのに勝手に手貸さないで下さいよ!」
「いやいやいや、いいじゃんちょっとくらい! だってマリエラちゃんが快適に夏を過ごせなかったら俺の死活問題なんだもん! 滅べとか言われたんだよ俺! ひどくない!? 夏が暑いのは理であって俺のせいじゃないもん! 俺ってばこんなに夏の似合う爽やかな色男なのに! 抱かれたい神十選の上位常連よ? 俺が滅んだら世界が終わっちゃうよ!」
「いや俺も今この瞬間はちょっと滅んで欲しいって思いましたよ」
「ひっでぇ! お前、俺が死んだらどれだけの女の子が泣くと思ってんの!?」
「うっせぇ知るか! むしろ滅べ!」
ウェイ系パリピ神アエスタス。
マーレエラナとは気が合わなさそう。




