22歳:(3)彼の決意
「お姉様に赤ちゃんが……それで、お姉様はここから動かないのね」
リアンナはそう言って納得したように頷き、それから一つため息を吐いた。
マリエラとの話を終えたエリオットは、案内された客間でリアンナと向かい合って座っていた。
用意されたお茶を断り、リアンナと話がしたいと彼女を呼んで貰ったのだ。部屋を出る時にマリエラもマーカスを呼んで欲しいと侍女に伝えていたのできっと今頃は二人で向かい合っているのだろう。
「まだ確実にそうだとわからなかったから言えなかったのだとマリーは言っていたよ。それと、聞いたらきっと君たちはここに残ると言い出すだろうからと」
「そう……」
「私が王族からの命として理由を話してくれと無理矢理聞いたんだ。すまないとは思ったけれど、必要なことだったから」
夫や妹にも話さなかったそんな大事なことを聞けたのは、権力を笠に命じたのだとエリオットは語った。そうでも言わなければリアンナに大層不満を示される事は明白だからだ。
実際、リアンナは若干不満そうな顔をしつつもその言葉に頷いた。そしてしばらく考えてから、エリオットに頭を下げた。
「エリオット様、ごめんなさい。私も、やっぱり王都には行けないわ」
「……君ならそう言うと思ったよ」
予想していた言葉に、エリオットは驚きはしなかった。
「私の事を心配してくれたお姉様の気持ちもわからないでもないけど……でも、こんな大事な時に側を離れる訳にはいかないわ。お姉様にも赤ちゃんにも、何かあったら大変だもの!」
リアンナの持つ癒やしの力は、確かにこれからのマリエラに何よりも必要となるだろう。エリオットはわかったと頷いた。
「私は明日には王都に帰ることにするよ。義兄上たちとこれからの対策を練ることにする。君もマリーも、必ず私が守ってみせる。だからここで安心して待っていて欲しい」
「エリオット様……ありがとう」
リアンナはそう言うと視線をテーブルに落とし黙り込んだ。
「リーナ?」
エリオットが声を掛けるとリアンナは顔を上げ、それからどこかすっきりしたような笑顔を彼に向けた。
「あのね、エリオット様。今だから言うけれど……私、最初は貴方のこと、ちょっと気に入らなかったの」
「え?」
「自分でも理由はわからないのよ? でも、初めて会った時、なんて可愛い顔してるのかしらって感心するのと同時に、でも何となく腹が立つわって思ったの」
その言葉にエリオットは思わず体を震わせそうになった。何となく腹が立つと言う理由が、女神であるエルメイラの影響だったのかもしれないと予想できたからだ。
マーレエラナの友であるエルメイラが、知の神アルフォリウスに腹を立てていただろう事は十分考えられる。
「付き合ってみれば貴方って外見はともかく中身は普通にいい人で、どうして腹が立つのかわからなかったわ。でもやっぱり何となく気に入らなくて。だからたまにこっそり意地悪してみたりしたんだけど、エリオット様はいつも私に振り回されても笑って許してくれたわね」
「私は……リーナが仕掛けてくるいたずらや、小さなわがままにいつも救われていたよ。自分が当たり前の子供になったような気がして、草や泥だらけになっても、池に落ちても、いつだって楽しかった。私はずっと周りに遠巻きにされていたから」
その顔と加護ゆえに普通の子供時代を過ごしたとは到底言えないエリオットが、マリエラやリアンナをはじめとしたレイローズ家の面々にどれほど救われたかはわからない。彼らがいたからこそ、アルフォリウスとしての記憶を取り戻したあとも彼はエリオットでいられたのだ。そうでなければアルフォリウスとしての意識をもっと前面に出し、周囲から自分を守る為に必死に戦わなければならなかっただろう。
自分をただの少年でいさせてくれたリアンナと、からかいながらもちゃんと加護の制御を教えてくれたマリエラに、エリオットは深く感謝しているのだ。
「私ね、エリオット様のこと、今ではちゃんと好きよ。貴方が約束してくれるなら、信じて安心して待っているわ。お姉様と赤ちゃんのことは私がきっと守るから、エリオット様は、私のこと守ってね!」
「リーナ……ありがとう。必ず、君を守ってみせるよ」
リアンナの明るい笑顔を守る為なら、何だってしてみせる。
エリオットはそう強く決意し、次の日の夜明けに侯爵領をあとにした。
「マーカス、マリーの側に残らなくて本当に良かったのかい?」
王都への帰路についたエリオットの馬車には、マーカスが一緒に乗っていた。エリオットと豪華な馬車に恐縮して小さくなっているが、それでも同乗を願い出たのは彼の方からだった。
エリオットはマーカスもマリエラの側に残ると言い出すだろうと思っていたのだが、意外なことに彼は王都へ戻ると言ったのだ。
「はい……マリーとは、昨日きちんと話をしました。彼女の体のことも、僕らの子供のことも本当に心配ですが、残っても僕は何の役にも立てないですし」
「それでも夫が側にいるだけでも心強いのではないか?」
「それはそうかもしれません。でもこの領に危険が迫っているなら、今はそれを回避することを手伝いたいと思ったんです」
マーカスはそう言うと顔を上げてエリオットを見た。彼はいつになく強い意志をその顔に浮かべていた。
「僕は……文字や文を書くことくらいしか取り柄のない人間です。でも幸い、お前の書くものには人を動かす力があると言って貰えています。それなら僕にも何か出来ることがあるかもしれないと思うんです。エリオット様やレイル様がこれからなさることを近くでお手伝いできれば、それがきっとマリーを守ることになると。だからどうか、お手伝いさせて下さい」
そう言ってマーカスは頭を下げた。
エリオットはその姿に笑顔で頷き、手を差し出した。
「こちらこそ、いつも君に助けられているのは私の方だ。君の力があるなら本当に心強い。どうか、よろしく頼む」
そう言って二人は握手を交わした。
馬車は走り続けているが、王都はまだ遠い。
エリオットはその時間を使って必死で考えを巡らせ、今後の方針を決めていく。
継承権を放棄する予定の第三王子という立場では、あまり表立って出来ることは少ないだろうことに苛立ちが湧いたが、同時に少しばかりやる気が出る気もした。
知恵の神を名乗るのならこのくらい乗り越えられなくてどうするのだと、王都までの道のりを走る間、エリオットは頭を働かせ続けた。
数日掛けてようやく王都に戻ったエリオットは、すぐにレイローズ家の王都屋敷を訪問し、マイルズらに面会を求めた。夕刻に、旅の汚れも落とさずの訪問だったがレイローズ家の面々は嫌な顔一つせず彼を迎え入れた。
「……というわけで、マリー達を連れてくることはできなかった。本当に済まない」
マリエラを連れてこれず、リアンナも残ることとなった理由を話すと、マイルズとアマリアは一瞬喜ぶべきか悩んだような顔を見せた。マリエラに子供が出来たことは喜ばしいのだが、彼女の体の弱さに対する心配や不安なども同時に湧いたのだろう。けれど二人はすぐに気を取り直すと笑顔を浮かべ、エリオットに深々と頭を下げた。
「いいえエリオット様、ありがとうございました。そういうことならばマリーが動かないと言うのも納得できます。こちらこそわざわざご足労頂いたのに申し訳ありません」
「ええ、本当にありがとうございました……マリーったら、そんな大事なことを誰にも言わないなんて。あの子らしいと言えばそうですが、本当にお手数おかけしました」
アマリアはエリオットに頭を下げるとため息を吐き、それから夫の方を見た。
「貴方、私はすぐにマリエラの側に行きます。かまいませんわね?」
「ああ、すぐに行ってやってくれ。医者でも侍女でも、必要な人間は皆連れて行くと良い。マリーとリーナを頼むよ」
「ええ。こちらはよろしくお願いします。では、申し訳ありませんが私はお先に失礼致しますね」
アマリアはエリオットに辞去を告げ、侍女を連れて慌ただしく応接室をあとにした。すぐに侯爵領に戻るため準備をするのだろうと予想はついたが、その潔さにエリオットは感嘆を覚えた。
「マイルズ殿、奥方を戻らせても構わないのですか?」
「ええ、止めてもどうせ行くでしょうし、構いませんよ。私の妻と娘達は領地ごと私が守りますから」
マイルズは至極あっさりとそう言い放った。
「とは言っても、まだその算段はこれからつけるのですがね。さて、エリオット様、レイル、マーカス。彼女らを守るため、君たちに何か良い考えはあるかな?」
残った息子達を見やり、マイルズがおどけたように肩をすくめて笑う。レイルはそんな父に呆れたようにため息を一つ吐き、それから口を開いた。
「とりあえず領地の兵を招集して警備体制を強化するくらいしか、今のところ打つ手がないのが問題ですね。何せ連中は組織だって行動していると言うほどでもなく、行き当たりばったりのようで襲う場所にも一貫性が少ない。元はそこら辺のごろつきみたいなものだから、逃げ足も速く周囲に紛れるのも上手いと来ている」
「そこなんだよねぇ。あちこちで他家からも情報収集しているけれど、今のところ王都ではさほどの脅威とも思われていないようなのも問題なんだよ。自分の所に被害が出ていないのなら完全に他人事だしね。彼らが貴族達の危機感を煽って対策に本腰を入れさせるほどの規模でもないのが逆に面倒なんだ」
エリオットはその言葉に頷き、王都までの道のりでずっと考えていたことを口に出した。
「ただの狂信者や野盗の類と思われているようだが……それにしては彼らが徐々に数を増し、内陸を目指しているのが私は気になっている。彼らの行動を見るに、どこか国外や国内の貴族家から密かに援助を受け、レイローズ領を最終目標にしている可能性がやはり拭えないのではないかと」
その言葉にマイルズとレイルは顔を見合わせ、それから深く頷いた。
「ここ数年、レイルの結婚の妨害など以外では表だった嫌がらせは大分減ったと思ったんですがね」
「うちの力を削ぎたい王家の手引きの可能性はどうでしょう?」
「いや、王家は今のところそこまでのことはしないと思う。私とリーナの婚約が決まったことで、レイローズ家は王家派に属する事となった。王家派で力ある貴族を今排除する利益は薄いはずだ」
この数年のうちに王が退位し、王太子が即位する事が王家では密かに予定されている。譲位後の政治的混乱を最小限にするには王家派の貴族の協力は欠かせない。特にレイローズ家はマイルズの立ち回りによって、やり手で力はあるが野心が少ないと認識されていて、王家としてはできるだけ取り込んでおきたい家なのだ。
男三人はしばらくの間、あれこれと意見を交わした。
ちなみにマーカスはその場にいたが、自分はそう言うことでは役に立てそうにないからと聞き役に徹し、侍女に入れて貰ったお茶を飲んでいた。彼は意外と図太い。
「……一つ、思いついた案があるんだ」
しばらく話し合い、それぞれの疑問や問題点の洗い出しが粗方出そろった頃。
すっかり渇いた喉をお茶で潤し、エリオットはそう切り出した。
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王城に戻ったエリオットは旅の汚れを落として一晩ゆっくり休んだ。
そして次の日の朝、朝食を終えてから自室でしばし物思いにふけっていた。
側仕えも下がらせ、一人の部屋で考えるのはマリエラやリアンナのことと、そしてこれから彼女らを守るための算段だ。どんなことをしても彼女らを守るとエリオットはすでに決めている。そのためには、多少やりたくないことでもやる、ということも。
コンコン、とノックの音が聞こえ、入れ、とエリオットはその音の主に告げた。
「失礼します」
ガチャリと扉を開けて入ってきたのは、エリオットの近衛騎士のカルスだった。
「お帰りなさいませ、殿下。道中ご無事で何よりでした」
「ああ、ありがとう」
エリオットはカルスを今回のレイローズ領行きに護衛として連れて行かなかった。レイルが護衛を貸すと言ってくれた事とたまたま彼が非番だったのを良いことに、当番だった他の騎士に加えてレイローズ家の騎士を借りて出立したのだ。レイローズ家と因縁のある彼を連れて行くのが面倒くさかったのと、数日掛かる宿泊もある道のりで傍にいられると鬱陶しかったという理由からだ。
そんな理由を知ってか知らずか、カルスは主の傍にいられなかったことが残念でならないというような気落ちした面持ちをしていた。
「この度は私が道中お供できず申し訳ありませんでした……お呼び下されば、何を置いてもすぐに駆けつけましたのに」
「いや、気にしないでくれ。君はいつもよくやってくれているから、非番の日まで面倒をかけたくなかったんだ」
わざと置いていったことなどおくびにも出さず、エリオットはにこりと笑顔を見せた。
主のその気遣いに、カルスはしっぽがあったら振っていそうな顔を浮かべる。その顔からそっと目を逸らし、エリオットはカルスにソファを勧めた。
「殿下、私に何か御用と伺いましたが……」
カルスは勧められるままにソファに腰掛け、戸惑ったようにエリオットの顔を伺った。近衛騎士の務めとしてエリオットの傍に控える事は彼の常だったが、このように個人的に呼び出された事は今までなかったからだ。
どことなく期待をはらんだキラキラした目が鬱陶しいと思いながら、エリオットはカルスに少し沈んだ顔を見せた。
「カルス。以前から君に時々頼んでいた、騎士団での情報収集の件を覚えているだろうか」
「はい。背神教の件ですね? あれから、何か進展がありましたか?」
「いや、被害は出ているが、捜査や討伐の方は芳しくない。だが、その被害が徐々に内陸に移動し、レイローズ領を目指しているのではないかという事は予想できている」
「レイローズ領……では、殿下のご婚約者の」
カルスはエリオットの沈痛な顔を見て、ある程度の事を察したらしい。
彼自身はレイローズ家に含むところは今では一切ないようだった。どうもエリオットに心酔しすぎた結果、以前抱いていた打算や執着的なものをすっかり忘れてしまったらしい。
「私の婚約者の件がなくても、レイローズ領に今被害を出す訳にはいかないと考えている。あそこが生産する食糧を始めとした多くの品物は、今の我が国にとってなくてはならないものだ。加えて、レイローズ領から各地に派遣されている加護者達の数もかなり多い。せっかく回復してきた国力を維持するためにも、彼らの故郷を失わせ国に対する信用を落とすような事は絶対に避けたい」
「そうですね、仰る通りです。他国に行かれたりしては、大変なことになりますしね」
「ああ。その為には、背神教などという狂信者どもをさっさと捕縛するなり国から追放するなりしてしまわないとならないのだが、国の方でもまだ危機感を持つ者は少ないのだ……」
そう言ってため息を吐いたエリオットの憂い顔にカルスはうっとりと見惚れた。
敬愛する第三王子の国を憂えるその姿は、悲しくも美しい。何か自分に力になれることはないのかとカルスに焦燥を覚えさせるほどに。
そんな騎士の内心を知ってか知らずか、エリオットは不意に顔を上げると、彼の瞳を真剣な面持ちで覗き込んだ。
「カルス……私は、一つの策を考えた。この国の未来のために。けれど、それにはどうしても協力者が必要だ」
「は、はい!」
「それを君に頼みたい……いや、君にしか頼めない。君は私が最も信頼する騎士の一人だ。その上で、この役割を任せるには君が最適だと判断した」
「そんな……勿体ないお言葉です! 何でもお命じ下さい!」
具体的な話を聞いてもいないのに、カルスは満面の笑みで勢いよく頷いた。
あまりの即答ぶりに若干の不安を覚えながら、エリオットは笑顔を貼り付けカルスの手をそっと取った。愛する主に手を握られたことにカルスの顔がさらに輝く。
ああ気持ち悪い、と内心で悪態を吐きながら、エリオットはカルスの魂に自分の神力がまだ少なからず食い込んでいることを確かめた。そして、これならば彼は決して自分を裏切ったりしないと確信する。
「これは、とても難しい任務になると思う。私にとっても大きな賭けになるような作戦なんだ。だがそれに必要な資金は私の個人資産からいつでも送金するし、物資も秘密裏に手配させる。情報の提供や様々な協力を惜しむつもりは決してない。だから、どうか私を信じてこの任務に当たってほしい」
「もちろんです、エリオット様。必ずご期待に沿って見せます! ところで、一体どのような任務なのでしょう?」
カルスのその当然の問いに、エリオットは自分を一番美しく見せる、マリエラに叩き込まれた最高の笑顔を見せた。
「ちょっと背神教に入り込んで組織を一つにまとめ、レイローズ領に向けて反乱を起こして欲しいんだよ」
「はい、喜んで!」
エリオットはこの日、自分の元にこの男がやってきたことを運命の神に初めてほんの少しだけ感謝したのだった。
おまけ
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「なんかアルフォリウスから感謝の念が若干飛んできたけど、それ俺の仕事じゃないんだけど!」
「完全にアウレエラとイリサレアの嫌がらせだからなアレは」
「それよりもさー、俺最近エリアルスに、アルフォリウスが賭けに負けるように仕組んでくれってすっげー言われてんだけど、やっぱ応じたらまずいよな?」
「当たり前だろう。あれが考えた作戦が失敗すればレイローズ家が危ない。アウレエラにまた沈められるぞ。今度は絶対這い上がれないくらい深く」
「エリアルスはリアンナたんの結婚潰す事しか考えてねーから無視しとけよトトリテス。運命としてはあの二人はもう結構はっきり結ばれちゃってるし、抵抗しても無駄だろうにほんと面倒くさいなアイツ」
「だってアイツ毎日俺の神域に来て愚痴ってくんだよ! 断るとそこら辺水浸しにしてマグロとか置いていくし! ビチビチ跳ねるし生臭くてやなんだよもー!」
昨日は一日忙しくしていて更新を忘れていました。
次の更新は、まだあんまり見直していないので少し日があくかもしれません。




