15歳(2): 大事なことは手短に
(エリアルス……よりによって、シャーロットに海の加護とか、馬鹿なのか! いや、馬鹿だった、知ってた!)
己の神としての存在意義である海よりも妹を愛し優先する残念な男の仕出かした事態に、マリエラは頭を悩ませていた。
シャーロットはいかにもおっとりと育った貴族のお嬢様という感じの少女だ。彼女の魂の輝きは確かに神が加護を与えるに相応しい光を未だ保っている。しかしどう考えても与える加護には個人で向き不向きがあるだろうとマリエラは声を大にして天にぶつけたかった。
自分の友人であるシャーロットに加護を与えたということはひょっとしたらマリエラの人生の助けになろうというつもりだったのかもしれないが、彼女は今回の人生では全くこれっぽっちも海の神の加護は必要としていない。レイローズ領も内陸にあるし、病弱なマリエラが海まで旅をする日はおそらく一生こないだろう。
(あいつは昔から仲間はずれが嫌いだった……でもいつも気が付くと自分からどこかはずしている男だった)
そんな残念な神のはずした加護を貰ってしまった可哀想な少女に、マリエラは心底同情した。
だがそんな残念なエリアルスでも、腐っても水の眷属の最高神だ。その加護者が現れたとなれば確かに国を挙げての慶事になるだろう。
リアンナがオルストラの加護を授かった時は父の交渉と神官の思惑が上手く噛みあったし、その後の第三王子のお祝いでうやむやにできて公にならなかったのだ。運が良かったというか、天界が結構がんばったというか、父上格好いいというか。
しかしシャーロットの場合はまた事情が違っている。彼女の両親は頼りなく、兄こそ油断ならないと来ている。あとは弟や妹がいたはずだが頼れる訳もない。ただ、これを知っているのが親しい侍女と偉くない神官一人だけなのが救いだろうか。
(いっそアフォでも呼び出して、アイツに神官を籠絡させるか……いや、でもまだ修行途中だしな。目の前にいる時は効果があっても離れたら薄れた、なんてことになっても困るし)
去年の夏に猛特訓したせいでアルフォリウスことエリオット王子は大分加護を扱うのが上手くなってきてはいる。
アルフォリウスとしての知恵を使ってどうにかこうにか上手く立ち回り、加護の制御も少しできるようになって城に帰ったことでレイローズ家がおかしな疑いをかけられることもなかった。
ちなみにレイローズ領の加護者たちに加護の制御を習うという名目で、今年もエリオット王子はレイローズ家の別荘で夏を過ごした。籠絡はできていないがレイローズ家の人間との仲が良好なのは悪くないということもあり、王を始めとした家族からの冷たい目も最近は大分和らいできたと聞いている。
(制御の腕前は上がったが、本人が成長途中だから美としてはまだ未完成だしなあ……完全に愛と美の女神の加護を掌握できるのは最低でも十五歳前後かな)
そういう事を考えると、面倒な仕事をやらせるのはまだ不安が残る。
手っ取り早く神官を籠絡し、全てを記録させずに済ます案を、マリエラはとりあえず保留にした。
「泣かないで、ロッティ。そんなに嫌なら、いい案がないか占ってみるから」
「うん……お願い、マリー」
シャーロットが涙を拭き気を取り直したのを見て、マリエラはくるりと星座盤を回した。
幾つもの外側の円盤をくるくると順に回し、時折逆回転したりもする。その複雑な動きを慣れた手つきでこなしながら、マリエラは回すたびに巡る星たちをじっと見つめる。
(やっぱり、エリアルスの加護が影響を与えてるな。この前シャーロットに会った時の結果とは全然違ってるじゃないか、あのバカが!)
変わってしまった星の流れは彼女にとってあまり良いものとは言えない結果だった。
利害と打算、暗闇、婚姻、荒れる海、そして女と孤独……それらの意味するところは、利害と打算の絡んだ愛のない婚姻を結べば、荒波に翻弄されるような生活を送ることになる。さらに夫はいずれ女を作り、シャーロットはのちの人生を孤独の中で耐える事になる、ということだ。
前回占った時は、彼女は十七の頃にとある夜会で出会った男とやがて結婚し、平凡ながらもそこそこ幸せな人生を送りそうだったというのに。
思わず舌打ちしたくなるのを堪えながら、マリエラは盤を大きく逆回転させて元に戻した。彼女の不幸が始まった日にさかのぼり、そこから未来を変える目になりそうな星を探す。
(また女神があるな。私の手が必要か、それとも……)
気になる星は女神、占い、風、兄、嘘、婚姻、未来。難しいそれらを読み解くべくカードと石も使う。
めくったカードには五つの星が描かれていた。その意味するところを考え、そして全てをシャーロットの星の巡りに加えて、未来を探る。
随分と時間が経った頃、マリエラはようやく星座盤から顔を上げた。
「一応、どうにかロッティの助けになりそうな占いが出たのだけれど……」
「ほ、本当!? どうなるの? どうしたらいいの、教えてマリー!」
「ええと……その前にちょっと相談したい人がいるのよ……ロッティ、絶対悪いようにはしないから、ここで少し待っていてもらえる?」
「え……うん、わかったわ」
「ユリエ、お茶を入れ替えて。では、ちょっと失礼するわね」
ロッティとその侍女とユリエを部屋に残し、マリエラは席を立って部屋を出た。
今日は父は領地の方に行っていて不在なのだが、他の家族は屋敷にいる。マリエラは両親の部屋の方へと足を進めると、その少し手前の部屋の扉をノックした。部屋の中からすぐに入室を促す声が聞こえる。
「お兄様、ちょっといいかしら?」
「あれ、どうしたんだいマリー。今友達が来てるんじゃなかった?」
部屋の主は兄のレイルだった。今日は大学が午前で終わった彼は家に帰ってきて父の不在を埋めるべく、書類をテーブルに広げていた。
「ええ、そのことでちょっとお兄様に相談があるの。そうね、何から話したらいいかしら……長くなるから、とりあえず結論からでもいい?」
「途中が面倒なんだねマリー……まぁ、どうぞ。一体何かな」
マリエラの性格を良く知っている兄は、小さくため息を吐きつつも先を促した。
マリエラは兄に一つ頷き、口を開く。
「あのね、お兄様。私の友達のロッティ……シャーロットと、ちょっと結婚してくれないかしら?」
部屋の中に沈黙が落ちる。
レイルはしばらく黙って考えていたが、やがてにこりと笑顔を浮かべた。
「やっぱり途中も頼むよ、マリー」
「……はい」
シャーロットはしばらくお茶に手を付ける気にもなれない憂鬱な時間を過ごしていたが、ようやくマリエラが戻ってきてほっと息を吐いた。しかし彼女と一緒に部屋に入ってきた人影に気が付いて首を傾げた。
今日は秘密の相談事のつもりだったのだが、そこに第三者が来たことで不安が募る。縋るようにマリエラの顔を見ると、彼女は大丈夫というように頷いた。
それに励まされて入って来た人を見ると、彼はシャーロットの目の前まで来て笑顔を見せた。
「初めまして、私はマリエラの兄で、レイル・フィル・レイローズと言います」
「あ……わ、私はシャーロット・レナ・カルルテンと申します。は、初めまして……」
シャーロットがレイルと会うのはこれが初めての事だった。彼女とマリエラは仲よくはしているが実際に会ってお茶を飲んだりできる機会はあまり多くない。その時ももっぱらマリエラの部屋で過ごしていたので、彼女の家族とはあまり顔を合わせていなかった。
シャーロットは初めて見るマリエラの兄の姿に目を丸くし、そして一度だけ会った事のある彼女の父親とそっくりの色男ぶりに少しだけ頬を染めた。
レイルは母親似のマリエラと違い、父マイルズによく似た男らしい風貌に育った。少し癖のある茶色の髪は温かみのある色で、美しい青の瞳が引き立てられる。すっと通った鼻筋や眉は一見冷たそうにも見えるのだが、笑うと途端にその印象が崩れ、優しく穏やかな雰囲気になった。
対するレイルもシャーロットをそれとなく観察していた。
昔は小太りだったシャーロットは年頃になって少しほっそりし、今は少しふくよか程度で落ち着いている。
隣に痩せぎすのマリエラが立っているとどうにも対比が激しいが、健康的な美という評価をしたらシャーロットに軍配があがるだろう。
顔は取り立てて美人という訳ではないが、ふんわりと優しげで愛嬌があった。人目を引くほどではないが長く一緒にいても飽きないタイプだなとレイルは判断を下した。年若い事もあるが、薄い化粧も控えめな香水も好感が持てる。
そしてシャーロットは、まず何よりその性格がマリエラのお墨付きときている。マリエラが顔を憶えられる相手なら元からレイルに文句はないし、更に友達だというのなら結婚後の家族関係も良好に保たれるだろう。
家内の切り盛りに関しては未知数だが、それはアマリアに今後教育してもらえばいいし、こまめで気の利く性格だという事はマリエラからも聞いている。
家の方はあとで詳細な調査が必要だが、カルルテン伯爵領はどちらかと言えば目立つ産業も少なくあまり裕福でない部類に入る貴族だったはずだ。家格もこちらの方が高いし、幾らかの婚資を餌に上手く交渉すれば恐らく問題なく話がまとまるだろう。
様々な利点と問題点を一瞬で計算すると、レイルはシャーロットに輝くような笑顔を見せた。
シャーロットの顔がさらに赤くなる。
「シャーロット嬢、失礼ながら話はマリエラから聞きました。貴女の悩みに私が手を貸せる事があると、妹の占いで出たようです。話を聞いて、ぜひ貴女の助けになりたいと思ったのですが、いかがでしょう」
「え……えと、あの、た、助けて頂けるなら、う、嬉しいです」
「それは良かった。それで、妹の占いの結果なのですが……マリー、君から話すかい?」
「こういう事はお兄様が言うべきなのではないかしら」
マリエラの言葉にレイルも少し考え、頷く。
「そうだな。では、シャーロット嬢」
「は、はい」
「私は貴女に縁談を申し込みたいと思いますので、それをお受け頂けませんか?」
「え……え、えん、だん? …………は、はいぃいっ!?」
非常に残念ながらレイルも妹と似て、面倒になると結論から入るタイプだった。
シャーロットは余りの衝撃にふらりと倒れ掛かった。慌てて隣にいたマリエラが支えようと手を伸ばしたが、虚弱な彼女に健康的な友を支えられるはずもなく、二人一緒にぐらりと傾く。
「っと、危ない」
危いところでレイルの腕が二人に届き、そこにユリエ達も手を伸ばす。
兄と侍女に支えられて、シャーロットとマリエラはどうにかソファに座りなおした。
「しっかりして、ロッティ。大丈夫?」
「……え、ええ、大丈夫よ、多分」
「やはり急すぎでしたか、申し訳ありませんシャーロット嬢」
こういうところが相変わらず残念なお二人だと思いつつ、ユリエはてきぱきとシャーロットのために冷たい水を用意した。
シャーロットは水を飲んで少し落ち着いたらしい。ふぅ、と大きく息を吐くと、困ったようにマリエラとレイルを見つめた。
「あの……その、事情が見えないのですが、まず、ええと……マリーの占いの結果どういう話になったのか、お伺いしても?」
「やっぱり必要だったかしらね」
「そのようだね」
どう考えても端折り過ぎだとシャーロットは思ったが、口には出さずにマリエラを見る。
マリエラはシャーロットに頷いて、口を開いた。
「ええとね、ロッティの未来は、このまま何もしないでおくとあまり良い人生にならなそうだったの。海辺の方の人と、打算と利害の絡んだ愛のない結婚をさせられて、荒波に翻弄されるみたいな人生を送ることになりそうなのよ。その後男は浮気をして、ロッティは寂しい人生を送ることになるって出たわ」
「そ、そう……」
容赦のないマリエラの占い結果に、シャーロットは涙が出そうだった。マリエラの占いの的中率を考えれば、きっとそれは間違いの無い未来なのだろう。
「それでね、それを回避する手段を探したところ、まず私が占った事で少し好転する兆しがあったわ。でもそれだけじゃ足りない。あと助けになりそうなのは風と兄の星。それが意味するものは私のお兄様の事だと読み取ったわ。兄様と嘘でもいいから婚約を結び、五年の歳月を稼げば未来は完全に変わる、と見たの」
「ううん……よ、よく分からないわ。結局、私はどうすればいいの?」
「要するに、お兄様と婚約することにすれば、後はお兄様が神官様と話をつけて下さるって事よ」
「そ、それは助かるけど、でも嘘の婚約なのよね? それを解消した後、私は一体どうすればいいの……?」
五年も婚約しておいてそれを解消したなどという事になったらはっきり言って醜聞だし、その頃にはシャーロットは立派な行き遅れだ。結局良い未来はこないのではないかとまた涙がでかかる。
しかしそれを制したのはレイルだった。
「うん、だからね。嘘の婚約じゃないといけないのかとマリーに聞いたらそんな事はないっていうから、いっそ私と本当に結婚してしまえばいいのではないかと思うんだよ。私はまだ婚約者もいないし、年齢も丁度いい範囲だし。私は人生の伴侶には貴女のような優しそうな女性を選びたいとずっと思っていたんだ。どうかな、シャーロット嬢。私のような男は、好みではないかな」
「えっ、いえ、そんな……わ、私……ご、ごめんなさい、よくわかりません。多分、その、好みじゃなくは、ない……と、思います」
まだ社交界にデビューすらしていないシャーロットはそんな質問をされて困り果てた。
レイルの顔をまっすぐ見れず、つい俯いてしまう。時折ちらりと目線を上げると優しい笑顔と目が合って、ますます顔に血が昇る。
レイローズ家という看板に群がる女豹共を切っては捨ててたまに遊んでやっぱり捨ててきたレイルに、初心なシャーロットが敵うはずもない。
色々手順をすっ飛ばしているところが少々残念だが、それでもレイルは十五歳の少女からすれば十分すぎるほど素敵な男性に見えた。
マリエラは兄が友人を口説いているのを珍しいものを見るような目で見ながら、ユリエが入れなおしてくれたお茶を飲んだ。
真っ赤になったシャーロットを見ていると、あー、やっぱ可愛いなぁと和む。マリエラはシャーロットのモチモチした健康そうな見かけがとても好きだ。人は自分にない物を求めるというが、まさにそれだと思う。
シャーロットが自分の義理の姉になるなら行き遅れ確定だろう自分を邪険にしたり追い出したりしないだろうし、マリエラも大歓迎だった。
「ごめんね、社交界にデビューもしていないのに、こんな夢の無い形での申し込みになってしまって……もちろん、後日正式にレイローズ家からカルルテン家に縁談を申し込ませてもらうよ」
「い、いいえ、もとはと言えば、お二人が私の事を助けようと考えてくれたことですし……あ、あのでも、本当に結婚なんて、ご迷惑なのではないですか」
「いや、君のように可愛らしくて優しい女性ならむしろこちらからぜひにと言いたいくらいだよ。よければ社交界デビューの時もパートナーを務めさせてもらえると嬉しいと思っているんだけど、どうかな?」
結婚に夢も希望も抱いていないレイルは丁度いい相手が見つかってむしろご機嫌だった。
彼は必要な事には労力を惜しまないが、無駄は嫌うので浮気などは面倒だと言ってきっとしない。シャーロットはきっと幸せになれるだろうとマリエラは予測する。
「……はい、あの、では本当に私なんかでよろしいのなら、その話、お受けしたい、です」
真っ赤になってしばし黙り込んでいたシャーロットだが、彼女の中でようやく何かが吹っ切れたらしい。
確かにシャーロットの中には社交界や将来へのふわふわとした憧れがあったが、それでも目の前の問題の前には些細なことだ。
同じ年頃の少女たちの中にはもっと早くに婚約者が決まっていたり、社交界デビューと同時に嫁ぐ予定だという者も珍しくない。シャーロットの家は親がぼんやりなので、今までそういう話がなかっただけなのだ。
考えてみればレイローズ侯爵家は微妙な家柄と微妙な器量の自分では望むべくもない良縁だった。
それに何より、シャーロットにはレイルはとても素敵な男性に見える。こんな人が自分のパートナーになってくれるなんて、それだけでも夢のようだ。
「ああ、良かった。ありがとう。じゃあ、これからもどうぞよろしく」
「はい、こちらこそ、よろしくお願い致します」
二人は向かい合って手を取り合うと、笑みを交わした。
こうして奇妙な縁が一つ結ばれたその脇で、マリエラはくるくると星座盤を回していた。
(お、よしよし。今ので未来が少し変わった。後はお兄様が神殿でつく嘘次第、と)
神殿ではどうあっても、五年間シャーロットの加護を名簿にすら載せないでもらえるよう交渉しなければならない。
その辺は兄に任せておけば大丈夫だろう。
なぜ五年かと言えば、今すぐ加護を公表して、その上で兄と婚約という事になるとまたレイローズ家が方々から責められるからだ。特に海のある地域からの突き上げは酷くなるだろうと予想がつく。シャーロットの実家も結婚の条件をさぞや吊り上げてくるだろうし、これ以上加護者が一か所に集中するのを避けたい王家が婚姻を許可しない可能性も高い。
しかしこれが、五年間隠し通せたら話は全然違ってくる。
先に婚約し結婚してしまえば、二十歳になったシャーロットが加護を確認したとしてももう誰も彼女を好きにはできないのだ。
レイローズ家と深く関わった人の中に加護が出やすいというのは、もはや周知の事実だ。
レイルと結婚したシャーロットが加護を授かっても、またかというだけで済まされるだろう。そして彼女の身はレイローズ家がしっかりと守ってやれる。
レイル自身も素直で可愛らしい伴侶を得て、鬱陶しい縁談攻撃から解放される。一石二鳥だ。
「さて、じゃあ私は明日その神官様と話をしてくるよ。名前はわかるかな」
「あ、はい……風の神殿の、ファーラン様と仰る神官様です」
「ファーラン殿だね。では、また後日結果を報告に行くけど、もうご両親には加護はなかったと確認したと言っていいからね」
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫。安心して欲しいな、シャーロット嬢……私もロッティと呼んでも?」
「は、はい! もちろんです!」
血が上り過ぎじゃないかと心配になるほど真っ赤になったシャーロットの手の甲にキスを一つ落とし、レイルは部屋をあとにした。
残されたシャーロットは夢でも見ているのかうっとりと中空を見つめ、マリエラはそんな彼女の横顔を眺めながらまた静かにお茶を啜った。幸福そうな未来の義姉を見ながら飲むお茶は、なかなかの味だった。
長くなりすぎたので3つにしました。




