表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/49

14歳(2): 途方に暮れる王子様

 


 エリオットは今のこの状況に大変困惑していた。

 彼が父の勧めという名の命令に従って、レイローズ侯爵家の別荘に無理矢理おしかけ避暑に来て既に一日がたった。

 しかしこのレイローズ侯爵家の人間は、家族から使用人に至るまで、すべてが『普通』だった。

 着いたその日は夕食に誘われ、侯爵の家族と晩餐を共にした。九歳のエリオットはまだ王族全員が顔を出す行事以外の公務に出たことはなく、今までに他人と夕食をとった事は数えるほどだ。そんな彼を気遣ってか、退屈させない程度に誰もが朗らかに言葉を交わしながらのゆっくりとした夕食だった。そしてその後は何事もなくそれぞれが部屋に引き上げた。

 エリオットは護衛がいなくなってしまったので念のためしばらく一人で起きて警戒していたが、結局夜中になっても誰の訪れもなく、いつの間にか眠ってしまった。


 朝、乳母に起こされ、侯爵家がつけてくれた侍女らの手も借りながら身支度を整え、朝食の席に着くと誰もがエリオットに自然な笑顔を向けた。

 その後は少し周辺でも散策して気分転換してはどうかと勧められ、元気なカインと明るいリアンナ、それから自分を見ても何とも思っていない(むしろ若干迷惑そうに見える)態度のレイルに連れられて別荘の脇の湖の周辺を軽く歩いた。勿論数人の護衛や侍女も少し離れて控えている。

 マリエラだけは庭でのんびりしていると言ってこなかった。


 湖のほとりでエリオットはカインに鬼ごっこに誘われて付き合ってみたが、その走りには全くついて行けずそれをリアンナにくすくすと笑われて少しばかり恥ずかしかった。元気の良すぎる弟に拳骨を落としている兄を見ていると、何だか警戒していたのが馬鹿馬鹿しくなる。彼らは全くエリオットに対してごく自然に接してくれていた。


 昼食は庭の木陰に集まって軽食を食べた。特別なものが出てくるわけではなかったが、わいわいと賑やかな食卓で食事をとると、いつもよりもずっと美味しく感じる気がした。エリオットは物心ついた頃から王城では自分一人の部屋で食事をとっている。家族との晩餐はたまにあったが、マナーに厳しく会話の内容にもうるさいので、どことなく緊張をはらんだものだった。そう考えるとこんな賑やかで笑顔の絶えない食事はひょっとすると初めてかもしれなかった。

 給仕をしてくれる使用人たちや、侯爵の所に来た部下、その場で簡単な野外料理を披露した料理人。彼らの半数は男だったが、誰もエリオットに嫌な目を向けたりしない。

 自分達よりも男の注目を集めるエリオットを、疎ましげに見る女たちの視線もない。

 エリオットはその事実に困惑し、そして本当に久しぶりに心から安堵していた。エリオットの乳母も一応彼の傍に常に控えているが、彼女もまたどこかほっとした顔をしているように思えた。





「殿下、明日からはどう過ごされます? 警護などの都合もありますので、簡単な予定を決めておきたいのですが」

 昼食も終わりかけた頃、マイルズに急に話しかけられ、ぼんやりしていたエリオットはちょっと驚き慌てて顔を上げた。

「あ、ええと……その、僕にも急な話で、何も予定を決めてなくて……」

「ああ、そうでしたか。では、レイルが勉強を見る話もありましたし、明日からは午前は軽い勉強にしますか。申し訳ありませんが、うちの子供らもご一緒させて下さい。午後は……乗馬や釣りでもなさったら良いかもしれませんね」

「釣り?」

「ええ。魚釣りをされたことはありませんか? うちは皆あまり狩りはしないんですが、その分湖があるので釣りは楽しむのですよ」

「ええと……やってみたい、かな」

 野外でそんな遊びをしたことのないエリオットは戸惑いつつも頷いた。


「わかりました、では準備をさせておきます。それ以外にどこか出かけたいところなどありましたら、誰かに声を掛けてください。警護の者をお付けしますので」

「うん……あ、あの」

「何かほかに要望がございますか?」

 マイルズの顔を見ながらエリオットは何か言いたげに口ごもる。そのもじもじした姿はマイルズの目から見ても大層愛らしい。これが男だというのだから、マイルズはいっそ可哀想になった。女だったなら、王とてもっと大事にしてくれただろうに。

 うち以外の男がこの姿を見たら恐ろしい事になるんだろうな、とマイルズは内心でため息を吐きたくなる。本当に、うちの領地に神のご加護が多くて助かったと心から思った。


「その……侯爵家の人たちは、僕に……僕の、加護の影響が及んでいないのか?」

「ああ、そのことでしたか。ええ、影響は出ておりませんので、どうぞ安心してお過ごしください」

「何でだ? どうして……」

 本当に不思議そうで、同時に安堵したようなその声にマイルズは彼に対する評価を改めた。ひょっとしたら積極的に侯爵家の男たちを籠絡するようにと命令されてきた可能性も考えていたのだが、ほっとしているらしいところを見るとどうも違うように見えた。


「うちの上の娘が本で読んだところによりますと、加護の影響は、別の同じくらいか少し強い神の加護の影響を長く受けているか、あるいは本人が加護者ならあまり効かないということのようです。うちの場合は……色々事情がありまして私の口からは具体的なことは申せませんが、加護者も多いのでそのせいかと。我が侯爵家の人間なら大抵は大丈夫でしょうからご安心ください」

「そんな事があるのか……じゃあ、傍に置くのが加護者なら、僕ももっと普通に暮らせるのかな」

 どこか縋るようなその口調から、このまだ幼いと言っていい王子の今までの苦労が忍ばれ、マイルズは少し同情した。

 この王子がいることでリアンナはその存在を公にすることから免れているのだ。少しくらいは優しくしてやってもいいかもしれないなとも思う。


「その可能性はありますね。あとでマリエラにもう少し詳しく聞いてみましょう。とりあえずうちの息子たちは加護者ですから、一度話をしてみると良いかもしれません。その時はよろしければリアンナも退屈せぬよう一緒に誘ってやってください」

「……うん、わかった。ありがとう、侯爵」

「いいえ、では私は少し仕事がありますので、また後ほど」

 リアンナも一緒に、と言われたことで、エリオットはハッとした顔をして頷いた。自分すら気づいた父王の思惑に、侯爵が気づいていない訳がないとやっと思い至ったのだ。

 こんなにも優しく普通に接して貰えたのが嬉しくて忘れかけていたが、自分は知らなかったとはいえ、エリオットはこの侯爵家に付け入る隙を作る駒として送り込まれたのだ。それが申し訳なくて、エリオットは去っていく侯爵に少しだけ頭を下げた。





 昼食を食べた後はしばらく木陰でのんびりと過ごした。

 どうやら侯爵家の面々は、疑われる事のないようエリオットをできるだけ一人にしない事と、なるべく開放された場所で大人数で過ごすことを心掛けているらしかった。

 それはエリオット自身も歓迎するところだったので、本を読んでいるレイルや、母に花冠の編み方を教わっているリアンナ、庭を犬のように走り回っているカインをのんびりと眺める。

 王である父の思惑はわかったものの、それに従ってやるのは絶対にごめんだ。せめて侯爵家の人たちに決しておかしな嫌疑がかからぬように、自分も注意しなければと心に決める。そして辺りを見回して、ふとマリエラがいつのまにかこの場にいない事に気が付いた。


「あれ、マリエラ嬢は?」

 ぽつりと零すと、レイルが顔を上げた。

「マリエラなら、ここに来た時のお気に入りの場所があるのでそっちの方でしょう。中庭の奥の方で、ここより狭いけれど涼しい場所なんです。大抵そこで本を読んでいますよ」

「お姉さまは夏に弱いせいか涼しい場所を探すのが上手なの。でもあそこだとカインが走り回れないのよね」

 棒を振り回しながら高速で走っていく弟を見ながら、リアンナが笑う。自分より一つ年上の少女の可愛らしい笑顔が何だかとても眩しく見えた。


「リアンナ、殿下にはもっと丁寧な言葉をお使いなさい」

「えー、少しくらいいいじゃないお母様、殿下は私より年下なんだし。それにこっちの方が仲良くなれそうな気がするわ!」

 アマリアに気さくな言葉遣いを注意されたリアンナはぷくりとふくれる。エリオットはリアンナのその態度がとても新鮮で、心地良く感じた。

「あの……僕も、そのままでいて欲しい。その、仲よくなりたいし」

「ほら! 殿下もそう言ってるわ、ね、いいでしょ?」

「殿下、本当によろしいのですか?」

 アマリアの問いにエリオットは慌てて頷いた。

 エリオットの周りには今までこんな風に天真爛漫な少女はいなかった。姉妹や従妹達は誰もがごてごてと着飾ってツンとすまし、おしゃべりという名の人のうわさ話や悪口ばかり言っていたし、ご友人にと紹介された女の子たちや婚約者だった少女は、自分の加護の影響が露わになるまでは誰もが媚びた笑みを向け、それが知れてからは嫉妬や嘲笑、侮蔑の滲んだ目を向けた。

 媚びもなく、嫉妬も嘲りもなく、ただ真っ直ぐに向けられた笑顔がとても眩しい。


「で、できれば、名もエリオットと呼んでほしい」

「……かしこまりました。リアンナ、場はわきまえるのですよ。それと、エリオット様とお呼びするようにね」

「はぁい! じゃあエリオット様、良かったら一緒にお姉様の所に行かない? 中庭の噴水はとっても綺麗なの。あ、私の事はリーナって呼んでね」

 駆け寄ってきたリアンナに手を取られ、エリオットは驚き思わずアマリアを見る。アマリアは戸惑う彼に笑いかけ、傍らにいた侍女について行くようにと声を掛けた。中庭へは屋敷の中を通る事になる。警護の人間はあちこちに配置されているので侍女一人でも不安はない。


「三時のお茶にはマリーを連れてもどってらっしゃいね」

「はぁい。さ、行きましょエリオット様」

「あ、うん」

 歩き出したリアンナに引っ張られてエリオットも歩き出した。繋いだ手が柔らかくて、暖かくて、何だか少し涙が出そうな気分だった。






 中庭の噴水は確かに綺麗だった。

 王城にはもちろんもっと立派なものがあるが、こちらの噴水はそれよりもどこか優しい感じがする。

 噴水がある場所が小さな池の中で、その池の周りには色とりどりの花が咲いているせいかもしれない。

 侯爵家の庭は草木を奔放に伸ばし、少しだけ手を入れて整えたような野趣あふれる庭だ。ぴっちりと正確に刈り込んだような庭木や、雑草の存在を許さない芝生ばかり見てきたエリオットには珍しかった。


「綺麗だね」

「でしょう? 私もここはお気に入りなの。でもここにカインを入れると、絶対花をめちゃくちゃにして最後は池に落ちるから、あの子は出入り禁止なのよ」

「……元気がいいんだね」

「良すぎなのよ。あ、お姉様!」

 弟の蛮行を頬を膨らませて語り、呆れたようにため息を吐いたかと思ったら次の瞬間には満面の笑みを浮かべてぶんぶんと手を振っている。くるくると目まぐるしく変わる女の子の表情にぼんやりと見入っていたエリオットは、リアンナに声を掛けられて慌てて前を向いた。

 マリエラは中庭の奥の大きな木に掛けたハンモックに腰を下ろして本を読んでいた。


「あら、どうしたのリーナ」

「エリオット様に中庭の噴水を見せてあげようと思って。あと、退屈だからお姉様に遊んでもらおうと思ったの!」

「そう……ああ、殿下、こんな姿で失礼しました」

 そう言ってマリエラがハンモックから下りようとしたのをエリオットは慌てて止めた。

「あの、そのままでいいから! あと、良かったらエリオットって呼んで欲しい」

「そうですか? ではお言葉に甘えて。エリオット様、良ろしければそちらのベンチをお使いくださいな」

 マリエラは幾分だるそうに再びハンモックに寄り掛かると、傍にあったテーブルとベンチを二人に勧めた。

 テーブルにはマリエラのために用意されたらしい飲み物が置いてある。

 リアンナはそれを見て、ついてきた侍女に自分達の分も用意するよう言いつけた。


「それで、私と何をして遊ぶのリーナ?」

「占いして欲しいの! ね、いいでしょ?」

 リアンナも年頃の少女らしく、占いが大好きだ。自分でもしてみたことはあるのだが、あまり上手く当たらないのでマリエラにしてもらう方が好きだった。

「だめよ、この間したばかりじゃない。そんなにしょっちゅう占ったって変化はないわ」

「だから、エリオット様の事占ってもらうのよ! ね?」

「え、う、うん」

 全然話について行けていないが、とりあえずエリオットは頷いた。リアンナがしたいことなら彼にも否やはない。占いなんて興味を持ったこともなかったが、やってみたい、とマリエラに願う。

「仕方ないですわね。けど、道具を持ってこなくては……ユリエは」

「あ、私が取ってくるわ! エリオット様、ちょっと待っててね!」

 マリエラが離れた場所に控えているユリエを呼ぶ前にリアンナは止める暇もなく駆けだした。

 置いて行かれたエリオットは一瞬ぽかんとし、それから気まずそうにマリエラと顔を見合わせた。


「申し訳ありません、エリオット様。あの子もあまり落ち着きがなくて……本人は認めませんが、カインと似たところがありますの」

「……元気なんですね」

「ええ……昔はもっと大人しかったように思うんですが、いつの間にかあんな風に……」

 ふぅ、とマリエラは一つため息を吐いたが、それでもその顔にはどこか笑みが含まれ、リアンナの元気さや明るさを厭うているようには見えなかった。

 そんな彼女の顔を見ていると、エリオットの中に不意にまたあのよく分からない気持ちが沸き起こる。彼女の為に何かしなければいけない事があったような、そんな気持ちが。


「あの……ええと、マリエラ嬢」

「マリエラで結構ですわ。何か?」

「マリエラ……その、どこかで僕と会ったことがないかな?」

 エリオットの唐突な問いにマリエラはきょとんと首を傾げ、それから横に振った。

「いいえ。私はとにかく病弱で、領地の屋敷から王都やこの別荘に移動しても寝込まなくなったのもごく最近です。王都でも屋敷から出たことはありませんので、エリオット様と会う機会はありませんわ」

「そうか……」

 エリオット自身も引きこもりのような生活を続けていたのだから、二人に接点がある訳がない。それでもエリオットはマリエラに抱くこの不可思議な思いには何か理由がある気がした。


「貴女の顔を見ていると、何だか変な気持ちになるんだ。貴女に何かしなければいけない事があったような、そんな……」

「まぁ。何だかお話で読んだ口説き文句みたいですわね」

 くすくすと笑われてエリオットの顔が真っ赤に染まる。慌てて両手をぶんぶんと振って、違う、と否定したものの、それもまた失礼な気がしてどうしたらいいのかエリオットは途方に暮れた。

 彼にもマリエラと同じ年頃の姉がいるが、彼女らとの付き合いの経験から年上の女性に対しては少しばかり苦手意識がある。マリエラは彼の姉らとは全然雰囲気が違うが、どこか不思議な空気を纏っていて、気後れするという意味では似ている気がした。

「冗談ですわ。父より、エリオット様に加護の影響についての詳しい話を聞かせて差し上げるよう言われておりますが、しなければいけない事というのはそのことではないのですか?」

「それも気になるけど、もっと……もっと、何か……」

 マリエラは手にしていた本をぱたりと閉じると、エリオットの顔をひたりと見据えた。その新緑の瞳の奥に光が灯ったように見え、エリオットは思わず息を呑む。

 淡い桃色の唇がほころび、涼やかな声が耳を打った。


「……それは、貴方の魂の色と関係があるのかしら?」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ