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10歳: 弟の前世は犬な気がする

 

 春、マリエラはついにこの世に生まれて十年目を迎えた。

 オルストラの加護を経てから目覚ましい速度でありとあらゆる癒しの術を身に着けつつある妹のおかげで、死にかける事も年に二回くらいに減り、体つきも少しずつ年相応の少女らしいものに成長しつつあった。

 食が細いので四つも年下のリアンナにそのうち追いつかれそうではあるが、それでも以前に比べれば背も伸びたし、多少は健康そうになってきていた。

 中身は全く変わらず無気力で残念なままであったが。


 そんなマリエラが最近気にしているのは、今年二歳になる弟のカインのことだった。

 カインは母と同じ色合いを持ち父によく似た面差しに育ちつつある。ちょうどやんちゃをしだして可愛い盛りで、今や彼は侯爵家の人気者だ。

 カインもリアンナと同じくあまり母の手を煩わせない子供で、代わりに良く面倒を見てやっているマリエラに懐いた。少しずつ元気になりつつあるマリエラは最近はっきり言って暇なのだ。


 学校に通うほどの体力はないマリエラには以前、勉強や礼儀作法、音楽や刺繍などを教える幾人もの家庭教師が一応ついていた。

 しかしどれも中途半端ではあったものの人生経験だけは非常に豊富な彼女には、もはやどの勉強もおさらいに過ぎなかった。今の時代に合った知識や作法を一通りさらえば、もうそれ以上学ぶことは特にない。

 マリエラ自身も七歳を過ぎた頃からもう幼い演技をすることが面倒くさくなり、習う必要がない事を隠さなくなったのでいつの間にか全て自主学習に切り替わってしまった。両親はマリエラの好きにしたらいいと言うのでそれに甘えることにし、家庭教師たちは代わりに今はリアンナに勉強を教えている。

 そんなわけで暇なマリエラは、元気な時は母に代わって幼い弟の子守りに時間を費やしていた。

 しかし最近、マリエラはちょっと疑問に思っている事があった。


「ねえ、ねえ、こえ!」

「はいはい」

 ねえさまとまだ言えないカインが布のボールを持ってとことことやってくる。

 それを受け取ったマリエラはポン、とそれを遠くに放ってやった。

 途端、キャァ! と嬉しそうな歓声を上げてカインが全力で走っていく。

 そう、走っていくのだ。しかもものすごく速く。

 そして弾むボールに追いついてパッと捕まえると、またシュタタタタ、とマリエラの元に戻ってくる。息も上がっていない。


「……二歳の子供ってこんなだったかな」

 そりゃ元気のいい男の子なら多少は走ったりもするかもしれないが、それでももう少したどたどしいものなんじゃないだろうか。少なくともリアンナは違っていた気がする。

 それともリアンナが二歳の時はマリエラはまだ年の半分は寝たきりだったし、母と乳母が主に面倒を見ていたので気付かなかっただけなんだろうか。

 そんな疑問を抱きつつ、また渡されたボールを投げる。転ぶこともなく全速力で走っていく弟の姿を見ていると、何か自分とは遠くかけ離れた別の生き物を見ているような気持になる。

 マリエラは生まれてこの方走ったことなどないというのに。


「こういう子供も……いるか。うん、多分」

 マリエラは独り言を呟いて頷き、ボールを受け取ってカインの頭を優しく撫でた。

 カインの魂はキラキラと子供らしい輝きを放っている。

 それを見ていれば、どんな事も特に問題がない気がするから不思議だ。

 カインもきっと誰かの加護を持っているんだろう。一体誰だろうかと一瞬考えたが、多分脳筋の誰かで間違いないだろうとすぐに結論を出した。


「武神の誰かかな……うーん、でも足が速いから、馬の神とか……風の神、はあいつは飛ぶのは好きだけど歩くのは嫌いだったから違うか。……ま、いっか」

 ぶつぶつと小さく呟きながらマリエラはまたボールを投げた。

 飽きもせずマリエラに遊んでもらおうと駆けてくる弟を見ていると、何だか心が和んだ。


 しばらく弟とのボール遊びを楽しんだあと、マリエラは少々疲れを感じてソファへと移動した。カインの元気は底なしなので、適当に切り上げないと際限なくボールを投げることを要求されるのだ。

「カイン、ボールはちょっとお休みね」

 そう声をかけると弟も走ってきて、マリエラの隣に軽々と跳び乗る。

 その運動能力の高さに慄きながら、マリエラは壁際に控えていたユリエを呼んでお茶とミルクの用意を頼んだ。


「ねぇ、ユリエ」

「はい、お嬢様」

「二歳の子って、こんなに動くものだったかしら……」

 こくこくとミルクを飲むカインを眺めながら、マリエラはユリエに問いかけた。

「そうですね……カイン様は少々元気がよろしいかもしれませんね」

「少々かしら。この子もきっと目立つ加護を授かっているんじゃないかと思うのよ。誰かに狙われたり危ない目にあったりしたらどうしようかしら……」

「大丈夫だと思いますよ。カイン様は、マリエラお嬢様に遊んでもらえる時だけあの動きですから」

「えっ!?」

 ユリエの返答にマリエラは衝撃を受けた。

 あの良く訓練された熟練の猟犬のような動きが自分といる時だけとは、どういうことだ。そんな馬鹿な。

 困惑するマリエラに、ユリエはにこりと微笑んだ。


「いつもは普通の子供らしい動きですよ。きっと、お嬢様に格好良いところを見せたいんだと思いますよ。カイン様はマリエラ様が大好きですから」

 そういう問題なのか、っていうかユリエもやっぱりあの動きは普通じゃないと思っているのね、とさすがのマリエラもちょっと不安を抱いたが、ユリエはそれ以上特に気にしていないようだった。そういえばユリエは昔から、真面目だが物事をあまり深く考えない人間だった、と思い出す。


「そんなに気にしなくても大丈夫だと思いますよ、お嬢様。侯爵家の方々は皆様どこか変わってらっしゃいますから。カイン様は今は外では普通になさってますし、もう少し大きくなればきっと、攫おうにも誰も手が付けられないくらいの暴れん坊になっておられるのではという気がします」

 そしてユリエは心優しいが歯に衣着せない性格でもあった。

「そう……そうね。ユリエ……お茶、美味しいわ」

「それはようございました」

 可愛い弟の頭を撫でながら、マリエラはお茶を楽しんだ。

 今日も侯爵家は大変平和だった。





 そんな平和な子供部屋とは対照的に、父であるマイルズは侯爵の執務室で数人の側近達と王都からの報告書について話し合っていた。つい先だって王都にある侯爵家の別邸を任せている部下から早馬が来たのだ。


「第三王子殿下が、上級神イリサレア様の加護を得たらしい。久しぶりの上級神様の加護という事で、王都で祝いの儀式や祭りが催されるそうだ。じきに招待状も来るだろうが、さすがにこれはアマリアと行かねばならないだろうな。それと、すぐに領内の農作物や加工品の在庫を確認して出荷の準備に入ってくれ。幾らかは祝いとして献上しなければならないだろうが、それ以外は祭りに合わせて高値で売れるはずだ。国内はどこも、うち以外はあまり農産物の収量が回復していないから余裕は少ないだろうしな」

「なら緊急用の備蓄倉庫も開けてもよろしいですか? 保管期限の迫ったものをついでに売って入れ替えたいのですが」

「ああ、許可する。ただ、その品々は少し値を下げておけ。小銭にこだわって産地の名を落とす必要はない」

「承知いたしました」

 マイルズは部下に指示を出しながら、今後の事を色々と考えていた。

 しばらく領地を留守にするためその間の執務体制や警備などの見直しも必要になる。

 それと、子供たちを王都に連れて行くかどうかも考えなければいけない。レイルは王都の学校に行っているから構わないが、小さい子供たちはどうするか。連れて行くとなるとマリエラの体も心配だ。

 そんな事を考えていると、部下の一人がふと不思議そうに口を開いた。


「ところで……イリサレア様って、どのような神様でしたっけ。ちょっと記憶にないのですが」

「そういえば、あまり聞かないですね」

「上級神様であることは確かなんですよね?」

 部下達のその疑問の答えを、マイルズだけは知っていた。


「我々にはあまり関係のない神であらせられるから、知らないのも無理はないか。あのな、イリサレア様は『愛と美の女神』だ。愛や美を求める女性たちが良くその神殿に参るが、上流階級ではそれを大っぴらにする女性はあまりいない。どちらかと言えば、花街なんかで愛される女神様だな」

「愛と……」

「美の、女神……」

「あ、わかった! 歴史書で読んだことありますよ、傾国の美女が元で滅んだ王国の話! その美女の加護神が、確か愛と美の女神だったって……って、あれ? ……加護を頂いたのは、第三王子様、ですよ、ね?」

「傾国の美女……」

 部下達は気づいてしまったその事実に皆言葉を失った。


「第三王子殿下は御年五歳で傾国の美少年になることが約束された訳か……。私もイリサレア様が男に加護を授けたという話は、初めて聞いたような気がする。これは本当に祝って良い話なのかどうか……話題にはなりそうだがな」

 マイルズはそう言いながら、ひょっとするとこれはいい機会かもしれないとふと思いなおした。

 王都は今頃、一応は素晴らしい加護を頂いた第三王子の話題で持ちきりに違いない。祝いには国中の貴族が王都に集まることだろう。


「ふむ……さっきの話だがな、献上品を少し増やして王家の機嫌をとり、備蓄品だけではなく、普通の品の値段も少し下げる事にする。それと王都で売る量を少し減らし、残りを不作の領地を抱える貴族連中に売る算段をつけろ。うちと仲のいいところと、味方になりそうなところを優先的にな」

「よろしいのですか?」

「最近少々妬まれてあちこち煩くなってきているからな。リアンナの今後も考えてこの辺でまとめて恩を売っておきたい。祝いを理由にすればさほど不自然でもないだろう」

「かしこまりました。では、すぐにどこに売るか選定を進めます」

「ああ。それと、子供らも王都に連れて行くので、そのつもりで予定を頼む」

「はっ、では警備計画の見直しもすぐに致します」

 指示通りに動き出した部下達を眺めながら、マイルズは頭の中で王都での王家との交渉の算段について考えを巡らせていた。


 例えおかしな加護でも、上級神の加護を王子が頂いた以上王家はそれを誇るだろう。

 先の動乱の百年の後、上級神の加護を授かったという話は全く聞かなくなって久しい。どんな加護でもそれを貰えたというだけでも確かに慶事だ。

 そこにリアンナが癒しの大神オルストラの加護を得ていたともし報告が上がれば王家はどうするか。

 侯爵家の娘が王家の子よりも遥かに役に立つ加護を得たなどと今この時期に公表したくないに違いないのだ。だからといってオルストラの加護者を殺してしまう事など、その後の神罰を考えれば絶対に出来ない。

 つまり今ならばリアンナはその存在を公にしないまま、ひっそりと王家への報告だけ済ませることが出来る可能性が高いという事だ。


 もちろんすぐに報告しなかったことは咎められるかもしれないが、幸い娘たちはまだ公の場に出したことがない。マリエラが病弱だという事だけは世間に知られているので、リアンナも同じ体質で、加護の儀式をだいぶ遅れて行ったのだという事にでもしておけばいい。

 まだ五歳のうちだし、光の神殿もいくらか寄付をすれば口裏を合わせてくれるだろう。

 あとは、もし王家に何かあればリアンナが癒しの術を優先的に行う、などと確約すれば問題はなくなるだろう。


「うん、第三王子殿下に、感謝しなければな」

 家族を取り巻く憂いが一つ晴れそうなことに、マイルズは思わず笑みを浮かべた。

 王子の人生は波乱が待っていそうだが、機会があったら助けてやってもいいかもな、などと少々不敬なことを考えながら、マイルズは初めての家族旅行を心置きなく楽しく過ごす為、いそいそと仕事に戻っていった。





おまけ

 ******************



「予定通り、アランドラ王家の第三王子が加護の儀式を終えたみたいですよー」

「そうか……有史以来初めての、イリサレア様の加護者の男の誕生か……可哀想に」

 地上の様子を見ながら、特別対策室の面々はため息を吐いた。

「イリサレア様、あんなに男嫌いなのに、良く男の加護をする気になりましたよね」

「あの方もマーレエラナ様と仲が良かったらしいから、前会長の事、よっぽど頭に来てたんだろうな……」


 愛と美の女神イリサレアは天界では割と頻繁に話題に上る有名神だ。

 天界でも一、二を争う妖艶な美貌と、抜群のスタイルを誇る彼女は、しかしながら大の男嫌いで、女色趣味の持ち主。残念な意味で有名なのだ。

 彼女は特に華奢な感じの美少女が大好きで、黙っていれば美少女や美女に見えるエルメイラやマーレエラナとも昔から仲が良い。そのため、百年前マーレエラナの転生した王太子を犠牲にする案を決定した審議会の前会長を大変に嫌っていた。


 今回のマーレエラナの転生に合わせて、千年の謹慎を食らっていたその前会長は、アウレエラに一つの提案をされた。

 千年の謹慎と研修をし続けるか、責任を取って自分も転生し、マリエラの人生を助けるか。

 結果、彼が選んだのはマリエラの人生を助ける事だった。そして彼は件の第三王子に転生した、という訳だ。


 ただし、アウレエラがイリサレアと画策して決めた彼の役割は、イリサレアの加護者として周囲の注目を一身に集めて侯爵家が目立たなくなるよう道化になること。

 もちろんその計画は彼自身には知らされていない。

「あら、マナに同じことしたんだから自分がされても当然でしょ」

 というアウレエラの言葉には、室長含め誰一人言葉を返せなかった。


「大丈夫なんですかねぇ、愛と美の女神の加護とか……あれって、すっごい男に好かれる加護だったはずですよね?」

「ああ。確か最上級の加護になると、何かよくわからないすごい魅力を無意識で放つって言う話だ。前会長、頑張れ……」

「なんか俺、もう見てらんないよ……可哀想で」

「前会長はあれでも一応知恵の神の眷属なんだから、自分で何とか頑張るだろう。それより、俺たちも仕事しようぜ。明日は我が身だよ」

「そうだな、転生の泉に投げ込まれたらたまんないもんな……」

「ああ。ところで室長は?」

「アウレエラ様に引っ張って行かれたよ。この前の会議で出た計画が気に入らないって」

「ああ……また抜け毛増えそうだな……」

 哀れな第三王子と、室長の髪の毛の行く末を思い、対策室の面々はそっと涙を堪え黙とうを捧げたのだった。


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