雨の日の出会い
雨が一週間も降り続けていた。
常にバケツをひっくり返した様な雨で、村一面に広がっていた麦はつい先週までぷっくりと穂を肥らせて来たというのに、今となってはげっそりと枯れてしまっている。そのことに、麦を精魂込めて育てて来た村人はガックリと項垂れた。
夏も終わりに近い頃のことだ。
そんな重苦しい空気を纏っている村の外れに、こんな豪雨の中、ある人影が小走りで行くのが見えた。
その人影は、村の最も外れた家に入っていった。
「は?精霊の泉?」
青年が疑問の声を上げた。
「そうじゃ。精霊の泉じゃ」
老人が答える。
青年の名前はルロイといい、老人はどうやらこの村の村長の様だ。
「ルロイ、お前は精霊の泉に行って水の精霊と話して来てもらわなくてはならない。これはお前の母がしていた仕事なんじゃ」
「だからって俺が行く意味がわからねぇよ。魔物に襲われたら俺なんてあっと言う間に殺されちまうよ。俺なんかよりも、村には力自慢が嫌って程いるだろ?そいつ等に行かせてくれよ」
「お前の母がしていた仕事だと言ったじゃろうに。お前の母であったリラ亡き今、お主が必然的に母の後を継がなくてはならんのじゃよ。精霊と対話をする、巫女の仕事をじゃ」
「ひとりじゃなきゃならねぇのか?」
「あぁ、ひとりでなくてはならん。精霊は人間が嫌いじゃ。巫女にのみ心を開くのじゃ。
お前以外が行ったところで、魔法の霧で惑わされて泉まで辿り着かん。お前に村の者がついて行っても、結局は村の者だけ追い払われてしまうわい」
この話を聞いてルロイは頭を抱えた。
巫女の仕事を知らなかったわけではないが、この雨を見てしまうと外へ出るのは億劫だ。
暖炉に火が着いてるわけでもないのにパキパキと音が聞こえてくる。雨の勢いで、庭に立つ樹の幹にヒビが入る音だ。
「村の為だ、頼むぞ。こんな時にそのものぐさな根性を剥き出しにしないでくれ」
先程村長がルロイ宅に入って来た時よりも、明らかに雨は強さを増している。はっきり言って、異常だ。
村長が言うに、この村からしばし西にある洞窟の最深部にある泉に住む水の精霊に、何か大事があってこの雨が降っているらしい。
やるしかないな………。
ルロイはそう呟いた。
「わかったよ爺さん。村の人が困ってたら働くのが巫女の仕事だ、って先代が耳にタコが出来るほど聞かせてくれたからな」
大きく息を吐いてそう言うと、仕度に取りかかった。
体も頭もスッポリと覆う大きな外套に油を塗って羽織り、道具袋に回復薬、強壮薬、松明などを次々と入れてゆく。
ものの数分で仕度は済んだ。
「これから行ってくるが、爺さんはこの家に残っててくれ。こんな雨じゃかえれないだろ?」
ルロイの背中に「気をつけて帰って来い!」と村長が叫び、ルロイは後ろ手に手を振りながら滝のような雨の中かけて行った。
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雨の中、ルロイは進んで行く。
外套に塗った油はただの油ではなくて聖油。雨水を弾くだけでなく、魔物を近付けない効果も持っている。その為、洞窟までの道中は全く魔物との遭遇はなかった。
洞窟の中は中々広く、最初に訪れた者は最深部の精霊の泉まで辿り着くことはあり得ない。それどころか、奥へ進めば鍾乳石が垂れる幻想的な光景を目の当たりにするが、そこから先は、水の精霊が魔法の霧を出している為に巫女以外の人間は進めずに洞窟の外まで返されてしまう。
トレジャーハンターや盗賊が入って行くものの、誰一人として宝を持って洞窟を出た者はいない。
洞窟まで行くと、中から音が響いて来る。
入口近くでルロイは松明に火を着けながらその音を聞いた。
声だった。それも複数の野太い声だ。
そこでルロイの考えは、どうせまた盗賊共だ、へ至った。
怒声が聞こえるからに、道に迷って何かしらの言い合いか魔物との戦闘だと思うルロイは、声のしない方のルートを進んで行くことにした。
「うわっ……」
床に魔物の死骸がゴロゴロ転がっている。トードというカエルの魔物だ。
この洞窟はジメジメした鍾乳洞でもあり、洞窟内を川が流れていたりもする。その為、こういった魔物が多い。
死骸なのはきっと迷ってここいらを通った盗賊共が倒した後なのだろう。
トードの死骸が光って消えた。
魔物の死骸と魂は何か処理を施さないと、魔界という魔物達の世界へと消えて行くらしい。
ルロイは先を急いだ。
暫くして洞窟を進んで鍾乳石がちらほら見えるところまでやって来た。
あと少しで精霊の泉だ。もう一踏ん張り。
そう自分に言いながら先へ行こうと踏み出すと、後ろから声がした。
「おいそこのお前。この洞窟について何か知ってそうじゃねぇか。ちょっとツラかせや」
さっきの盗賊共だ。
散々迷っているところに人間が来れば、それは聞くだろう。
のっそりと近付いて来る盗賊共を尻目にルロイは洞窟の奥へと走り出した。
自分は巫女だからこの先に出ている魔法の霧は効かないが、盗賊共には効く。安全であるにはこの対応が一番だ。
後ろから叫ぶ声が聞こえるが、そこは無視だ。ひたすら走る。
盗賊共も追ってくるのだが、霧の出ているところまで来ていたからには、盗賊共にはもうルロイを捕まえことは出来ない。
霧へと走って突入した盗賊共は入口へと戻された。
霧を抜けると、それは大きな扉があった。
いかにも重いであろうその扉は、ルロイが近付くと勝手に開いた。
開いたその先には清く澄んだ泉があり、周りは木々で生い茂っていた。
洞窟の中では到底あり得ない光景なのだが、その空間だけが洞窟の外の世界を切り取って持って来たかのように、美しく輝いていた。
泉の岸辺には机と椅子があり、そこに女性がが座って本を読んでいる。
彼女が水の精霊だ。
ルロイは対面の椅子に腰をかけた。
「お久しぶりです」
彼女は本から目を離し顔を上げると、ルロイと確認して二カッ笑った。
「あら、久しぶり。ちょっと待ってね、水を出すわ」
本に栞を挟んで閉じ、パチンッと指を鳴らすと机の上には木のコップに並々と注がれた水が出てきた。
ルロイはその水をグイッと一気に飲み干した。
「この水はいつ飲んでもやっぱり美味いですね」
「ええ。紅茶とかに使うよりもそのまま飲んだ方が美味しいんですよ。水の精霊故に出せる代物なんですけどね」
水の精霊は自重気味に笑った。
「精霊様、今日はお話があって来たのです」
「堅苦しい敬語は辞めて頂戴。素でいいわ。で、その話っていうのは、雨の話?」
「そうですか。では、敬語はやめます……。やっぱり貴女が関係してるのか?」
「やっぱりそっちの口調の方がしっくりくるわね。うーん、関係はしてるけどそれが全てでは無いわよ。色々あったのよ」
ルロイが問うと水の精霊はそう答えてコップの水を一口飲んだ。
「私のところにある訪問者が来たの。随分前に話したことがあったかしら、私の朝の日課は覚えてる?」
「確か母さんと来た時に言っていた、湖畔の花壇への水やりだったか?」
「そう。その時花壇で見つけたの」
水の精霊は椅子から立ち、ルロイについてらっしゃいと一言言うと、泉の周りに生い茂る木々の奥へと案内した。
そこにはベットがあり、誰かが寝てるのか布団は膨らんでいた。
「この子よ、その訪問者は」
寝ていたのは、ルロイとはそう年の変わらないであろう少女。いや、少女と言う年はないであろう、娘の方がいいだろうか。
「見つけた時から今までずっと寝てるの」
ルロイは心底驚いていた。
今となってはこの場所に来れる人間は自分のみのはすでは。
「貴方以外の人間は来れないはずのこの泉。でもこの子は来ているの。そして、この子が来てから雨が降るようになったの。私の力では雨を操れなくなったのよ」
水の精霊はベットに腰をかけて、寝ている娘の髪の毛を弄った。髪は銀色で美しい。
「この子に何か聞こうにも、全く起きないのよ」
耳元で銅鑼を鳴らしても起きないわ、と肩を竦めて首を横に振った。
いや、こんなところに銅鑼なんてあるのかよというルロイの呟きは届かなかった。
水の精霊は顎に手を当てて、ウンウン唸ってからポンッと手を叩いた。
「そうだ、ルロイ。貴方の家でこの子を世話して頂戴」
「は?」
水の精霊のあまりに突拍子もない発言にルロイは耳を疑った。
「え?お、俺が世話をする?」
「そうよ。何か問題あるの?」
「いや問題とかじゃなくて、俺が世話する意味だよ、意味!大体、村じゃなくて態々こんな洞窟の奥まで来てるんだぞ!?何かしら意図があるんじゃないのか!?それに、野郎一人の住む家に娘っ子を住ませるなんてどうかしてるぜ!間違いがあったらどうするんだよ!」
捲し立てるように反対意見を述べるルロイだが、
「こんな洞窟の奥なんて開放感のないところじゃ、辛気臭くて目も覚めないわよ。それに、この子の意図なんて目が覚めなきゃ分かりはしない。貴方の家は一人が暮らすには大きいし、一人の淋しさも紛れるでしょ」
「うぐっ!」
封殺された。
「なんだかんだと格好付けて、『一匹狼の俺様素敵!』とか言ってても、本当は寂しくて淋しくて堪らないんだものね。ついでに、貴方はソッチ関係はヘタレだから、間違いなんてあり得ないわ。据え膳食わぬは男の恥って、貴方には粉微塵も関わりの無い言葉ね」
「グワァッ!!」
更に追い打ちまで決められた。
「安心なさい。今は洞窟で盗賊が騒がしいから、貴方の家までは送って上げるわ。私の感だけれど、貴方が一緒に居てあげれば、この子は目を覚ますと思うの」
水の精霊はベットから立ち上がり、空に円を描いた。すると、ルロイと娘の体の周りを光がクルリクルリと回り出した。
「その子が私から離れれば、雨もどうにか出来ると思うって言うのも、意味の一つよ。村長には上手く伝えといて頂戴ね」
そう水の精霊は手を振りながら言った。
そしてルロイは何か言う間もなく、目の前の景色は泉の岸辺から自宅のリビングへと変わっていた。
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家のランプの火は消してから出かけたが、その火種の入った瓶がぼんやりと部屋を照らしていた。
時計は昼の3時を指している。あの雨の所為で、こんな時間でも暗いのだ。
ふと、ソファの方に目がいった。あの娘がソファで寝ていた。
ソファには、ルロイが夜にリビングで寝ても問題ないように毛布が置いてある。ご丁寧に、転送されて来た娘には毛布がしっかりとかかっていた。
「結局押し付けられちまった……」
そうぼやきながら外套を脱ぎ、じーっと娘の寝顔を眺める。
その顔は苦しそうに藻掻くような顔でも、幸せに溢れた気持ち良さそうな顔でもなく、ただ単に寝ているとだけ表した顔だった。そして急にルロイの頭には、あの水の精霊が言ったヘタレとの言葉が何重にも渡って響いた。
それと同時に娘の顔を見やる。まじまじとこうして見ると、本当に気持ち良さげに寝ている。そして飛び込んでくる年相応の色気。
先程水の精霊が弄っていた銀髪は腰までの長さがあり、一本一本に艶が見える。寝返る度に姿を表す項。整った細身の小顔に丁度見栄えのよく見える大きさの、筋の通った鼻。少し小さめの口とぷっくりした唇。
「う、うぉぉおお!!煩悩退散煩悩退散!」
ルロイは頭を掻き毟って叫びながら二階へ走り出した。
この家は二階建てで、一階にはリビングとダイニング、キッチンがあり、二階には寝室と書斎と風呂場がある。その二階の空いている寝室へと入り、窓を開ける。雨はその力を弱めつつあった。
布団を別の部屋へ移し、クローゼットや引き出し全てを開けて、箒でチリやホコリを掃き出し床を雑巾で拭き、書斎の奥へ仕舞ってあったニスを引っ張り出して床や壁に塗る。雨でジメジメしている所為で乾きにくいが、リビングから持って来た火種から小さな松明を作って素早く乾かしていく。ニスが乾いたのを確認してから、松明で燃えないように炙った布団を持って来てベットメイキング。
これにて完了。
時計を見ると、4時を示していた。
下から娘をこの部屋へ運び込めばお終いだ。
掃除によって鬱憤を晴らしたルロイは、何か誇らしげに階段を降りて行った。
リビングの窓を開けると、雨は完全に止んでいた。すかさず他の窓も開ける。
ルロイは一つ大きく伸びをした。
水の精霊の言った通りに、雨は止んだ。ならば本当に何か水の精霊の雨が操れなくなったというのと関係があるのだろうか?
頭の中を考えが巡った時にちらと娘に目をやると、
そこに娘は居なかった。
そして背中に何かツンと尖った物の当たる感覚。恐らく出刃包丁だと推測が出来た。
「……起きたのかよ……」
両手を挙げて降伏の姿勢を見せる。
ルロイは心の内で舌打ちした。娘ではなく、自分に対してだ。
「どうする?殺すか?」
「……を…れ……」
ルロイが問いかけると娘はボソボソと何か呟いた。
そのほんの一瞬に包丁の切っ先が体から離れるのを感じたルロイは一気に身を翻した。そして包丁を持つ手を掴み、床に投げつける。
(手応えあり!このまま……!)
と、追撃を仕掛け組み伏せようとした。が、
「くきゅぅ……」
「お、おおっとと……」
そう声を上げてまた眠りについた。
倒れこむ様になったので、ルロイは慌てて娘の体を支えた。
「ったく、なんなんだよ……」
ルロイは手を頭に当てて横に振りながらそう呟いて、娘を二階の寝室へと運んで行った。