『黒犬と旅する異世界』 王子と伯爵と聖師の腐れ縁 出会い編1
マーレ=ボルジエの王都ユーシュカーリアには、貴族の子息や試験に合格した子供が学問や武術を習う王立の学院がある。学費は一切かからないということと、学院に在籍中は貴族などの身分は一切関係なくなり、全員が平等に扱われるというのが特徴だ。そして、生徒は寄宿舎で共同生活を送る。もちろん王族とて例外ではない。
この学院でルーク、リオン、クレイの三人は出逢った。
無表情で他人に感心を示さないルーク、稀代の天才だが口が辛辣なリオン、頭はそれなりなのにやる気がないクレイ。この全く共通点のない三人は、初めから仲が良かったわけではない。まあ、大人になった彼らが仲良しと言えるかどうかは、微妙なところだが。
三人が共に行動する最初のきっかけとなったのは、雷華とルークが出逢う十五年前、学院が夏季休暇に入る少し前の、ある夏の日だった。
「あー、やっとあと少しで休みに入る。ここは品行方正な奴ばっかりで嫌んなるぜ。そんなに気取ってなにが楽しいんだか」
十二歳の少年クレイは、寄宿舎の裏庭の木陰で惰眠をむさぼっていた。ふあぁっ、と大きな欠伸をしつつ眼をこする。今は昼まっさかり。授業の真っただ中なのだが、もちろん裏庭で行われてなどない。つまり、サボりだ。彼は度々授業を抜け出しては、この場所で自由研究という名の昼寝をしていた。
「こんな生活をあと二年以上も続けろだなんて。あのクソ親父、帰ったらぜってー文句言ってやる」
クレイは伯爵である父親に、問答無用で学院に入学させられていた。将来伯爵になるに相応しい男になってこい、という至極真っ当な理由からなのだが、学院は遊びたい盛りの十二歳には退屈かつ窮屈極まりない場所でもあった。一度入学すれば最低三年は出られない。学院で三年間以上過ごした者だけしか卒業試験を受けることが出来ないからだ。退学という手段もあるにはあるが、それはとても不名誉なこととされていた。
「なんか面白いことでも起こらねえかな。ん? あいつは確か……」
空から翼竜でも落ちてこないかな、などと不穏なことを考えていたクレイは、裏庭に自分以外の人間がいることに気が付いた。
リオン・グレアス。学院生活にあまり興味のないクレイも、彼のことは知っていた。平民だが知識は貴族の遥か上をいっていると噂の、稀代の天才児。十二から十四歳で入学するのが一般的なこの学院に、わずか十歳で入っているのだから、その学力の高さは推して知るべしだろう。
そしてもう一つ、彼が有名な理由がある。それは、容姿だ。透き通った薄い緑の髪。吸い込まれそうなほど澄んだ蒼い瞳。整いすぎた顔。リオンは、本当に人間かと疑いたくなるような美貌の持ち主だった。
「やっぱ綺麗な顔してんなー、って何でこんなところにいるんだ? まだ授業中のはずなのに」
少し興味が湧いたクレイは、身体を起こし木陰から出てリオンに話しかけてみることにした。
学院に入学した生徒は、四色の色が書かれたくじを引かされ、己の引いた色の名が付いた教室で一年目を過ごすことになる。クレイは赤猫、リオンは青耳兎の教室だった。秋ごろになれば教室対抗の授業や合同演習も行われるのだが、今はまだ他の教室との交流はほとんどない。つまり、他の教室の生徒と話す機会がないのだ。だから、貴重な自由時間を使って他の教室に行くことなど思い付きもしなかったクレイは、未だリオンと話したことはなかった。
「なあ、お前……グレアスだよな。何してるんだ?」
「……静かな場所を探してここに来たのです。書庫でも構わないのですが、あそこは少し薄暗いですから」
木の陰から突然現れたクレイに少し驚いたようだったが、すぐにリオンは冷静さを取り戻し、傍の木に凭れかかるようにして腰を下ろした。そして彼が膝の上で開いたのは、極厚の、見るからに十歳の子供が読むような代物ではない書物。ちらりと書かれていた文章を読んだクレイは、その難解さに盛大に顔を顰めた。
「ところで、貴方はどうしてここにいるのです? 赤猫の教室は今、国史の授業をしているはずですが」
書物に書かれている文字を眼で追いながらリオンは訊ねた。
「俺は、その……あれだよ、あれ。そう、個人的自由研究をしてたんだ」
「つまり、端的に言えばさぼりということですね」
「うるせー。そう言うお前だってさぼってるじゃねえかよ」
事実なのにも拘らず、ずばり言い当てあれたクレイは、むっとなって言い返した。しかし、当然のことながらリオンはさぼってなどいなかった。
「違います。提示された問題が解ければ休憩してよいと言われたので、私はそれに従っているだけです」
クレイの教室でも何度か教師がそう言ったことがあったが、決まってそれは難問が提示されたときだった。定められた刻限で終わらせることなど、ほとんど不可能に近い。赤猫の教室で達成できた人間は一人しかいなかった。それも刻限ぎりぎりに、だ。それほどに難易度の高い問題を、易々と解いてしまうとは。驚きを通り越して呆れてしまうほどの頭脳の持ち主だなと、クレイは溜息が出そうになった。
「……そーかよ。って、ちょっと待て。何で俺が赤猫だって知ってるんだ?」
さらりと言われて聞き流してしまったが、自己紹介をした覚えはない。
「入学の儀のとき、全員の前で学院長が私たちの名前と教室名を読み上げたではないですか。ヴォードさん」
本から視線を上げ、リオンが不思議そうにクレイを見る。
確かにリオンが言ったように、全員が名前を呼ばれた。だが、生徒は百人近くいるのだ。たった一度聞いたくらいで覚えられるような人数ではない。
「あれだけで全員の顔と名前を覚えたのかよ」
天才というよりもはや人間じゃねえな。今度こそクレイは溜息を吐いた。