『黒犬と旅する異世界』 ロウジュと少年
行商人の護衛として訪れたアゾルは、砂と風の村だった。灼熱の太陽から逃れるため、主に地下に居住空間を設けているこの村の建物はどれも低い。通りを歩いている住人も少なく、事情を知らない人間が見ればひどく寂れた村だと思うだろう。実際はそれなりに賑やかなのだが。
行商人がアゾルに滞在する期間は三日。護衛は道中のみで村の中は含まれていない。三日間、この退屈そうな村でどう過ごそうか。砂漠に行けば何か珍しい物でも見つかるだろうか。
「商人、砂漠に虹色の石があるって言ってた。見つけて、渡そう」
呟いてみて、ロウジュは首を傾げる。誰にあげるというのだ。恋人も親しい人間もいないというのに。
「でも……」
左手首に視線を落とす。今は外套に隠れて見えないが、そこには大事なものが巻かれている。いつから持っていたのか分からない、でも絶対に失くせない紅玉石の首飾りが。陽の光を受けて燦然と輝き、月の光を受けて静かに煌くそれは、片時も手放してはならない大切な石。そう、心が訴えていた。
石を見れば誰かと繋がっているような気がした。誰に貰ったのか、もしくはどこで買ったのかも思い出せないものを見て、繋がりを感じるなど頭がおかしい人間だと思われても仕方ない。だから誰にも言っていない。だが、刻を重ねるにつれ、その思いは確信に変わりつつあった。
外套の上から石に触れ、ロウジュは砂漠に足を踏み入れた。
「あった」
砂漠に転がる岩の割れ目から手を抜き、掌の中にある小指の爪ほどの小さな石を太陽にかざす。石は陽の光を反射して虹色に輝いた。
自分の見つけたものに満足したロウジュは、アゾル村に戻ることにした。砂漠に入ってからもう一刻以上経っている。太陽はすでに低い位置にあり、あと半刻もすれば辺りは夕闇に包まれるだろう。ロウジュにとって暗さは大した問題ではないのだが、致死性の毒を持つ獣や虫が出没する夜の砂漠に、わざわざ身を置く必要もない。来たときと同じように、ロウジュは砂の大地を駆けた。
「誰かいる」
あと少しで村というところでロウジュは足を止めた。村の入口の傍に人の姿が見えたからだ。人数は四人。三人はロウジュに背を向けている。全員がまだ十代半ばの少年のようだった。
少し距離はあったが、風に乗って彼らの声がロウジュの耳に届いてくる。
「お前生意気なんだよ! ちょっと頭がいいからっていい気になりやがって! あれは俺たちがやる仕事だったんだ。横取りするんじゃねえよ。おら、宿屋のおばさんから貰った金出せ!」
「そーだ、それは俺たちの金なんだぞ」
「さっさと出せよ!」
「嫌だね! これは俺が働いて、俺が貰った金なんだ。お前らなんかに渡すもんか!」
「何だと! 罪人の子供のくせに! 誰のおかげでこの村で生活できると思ってるんだ!」
「父さんは罪人なんかじゃない!」
「うるせーっ!」
三人のうち真ん中に立っていた少年が、向かい合っていた少年を殴り飛ばした。殴られた少年は勢いよく地面に倒れ込む。
くだらない喧嘩だ。弱い人間が弱い人間をいじめて、己が強い人間であると勘違いしている。それがどれほど間違った思い込みであるかを知らずに。
面倒なことに関わりたくはない。気配を消して遠回りをすれば、四人に気付かれることなく村に戻れる。今までのロウジュなら何の躊躇いもなくそうしていただろう。
だが――
「何をしている」
「だっ、誰だ!」
ロウジュは四人に近づき、声をかけた。突然現れたロウジュにうろたえる少年三人に、フードをとって顔を見せる。
「己の虚栄心を満たすために他人を貶めるなど、愚かとしか言いようがないな」
紫の瞳に睨まれた三人の少年は、恐怖を感じたのかそれとも羞恥を覚えたのか、身体を小刻みに震わせ始めた。
「消えろ」
ロウジュが低い声でそう言い放つと、三人の少年は「ひぃっ」と悲鳴を上げつつ、弾かれたように駆け出し村の中へと消えていった。
「……あ、ありがとう、ございました」
地面に倒れていた少年は上体を起こし、痛そうに殴られた頬をさすっている。
「……ああ」
ロウジュは短く返事を返すと、フードを被り直して歩き始めた。何故、少年を助けるようなことをしたのか。自分の行動が理解出来なかった。だが、不思議と悪い気はしなかった。
「まっ、待って下さい!」
「…………」
呼び止められ、立ち止まって振り向く。少年はもう立ち上っていた。
「どうすれば強くなれますか!? 俺、強くなりたいんです! どうしても! 強くなって妹を、母さんを、家族を護りたい!」
「…………」
少年の真っ直ぐな瞳をしばらくじっと見ていたロウジュは、ふいに掌の中にあったものを指で弾いた。
「いたっ!」
少年は額を押さえて呻く。
「想いが人を強くも弱くもさせる」
そう言ってロウジュは再び歩き始めた。すでに辺りは薄闇に包まれ、空では星が瞬いている。
「それどういう意味で――こっ、これって!」
少年が驚愕の声を上げているのが聞こえてきたが、振り返ることはしなかった。その必要を感じなかったからだ。
ロウジュが指で弾いて少年の額に命中させたもの、それは砂漠で見つけた虹色の石。行商人が言っていたのだ。虹色の石は、その色から無限の導きと呼ばれることもあり、持っていれば願いが叶うと言われていると。
熱い砂漠を駆けまわって探した石を、名も知らない人間に渡すなど自分らしくない。そう思いながらも、ロウジュの口元には笑みが浮かんでいた。
――不器用なんだから。もっと優しく渡してあげればいいのに。
砂漠から吹いてきた風に、そう囁かれた気がした。
誰かに呼ばれていると感じたロウジュが王都に向かうのは――もう、すぐ先のこと。