貸したげる
ふう、とベランダに出て寒い夜の空に息を吐く。
都会の夜景は遠目から見ればきれいでしょうがない。タバコに火をつけようとライターを探る。
(あれ?)
私はハッとした。駅の喫煙所に置きっぱなしだ。しかも最近ZIPPOのオイル切らして買い替えないといけなかったことも合わせて思い出す。
白いため息が夜空に広がる。どこか虚しく寂しいその息は間もなく消えていった。
私は諦めて部屋に入ろうと窓を開ける。
「ね、おねーさんタバコ吸わないの?いつも吸ってるのに珍しー」
隔て板の先から低い女の声がする。ごみ捨てのときにダル着で会うとき挨拶してるぐらいの関係の女だ。
「吸いたいんすけど‥‥火がなくて‥」
「それなら言ってよー貸したげる」
隔て板の先からほっそりとした手を伸ばして百円ライターを持ってフラフラさせている。
「じゃ、ありがたく‥‥」
真っ白な肌に黒く塗られた爪のコントラストがどこかに儚さを覗かせる。手を少し伸ばさないと届かないところにあるライターの手を伸ばす。
「かわいい手‥‥」
ライターが私の手をすり抜ける。女はライターを引っ込めると私の腕をガッチリと掴んだ。可憐な手の力は万力のように強い。
「後でライターは貸したげる‥先におねーさんの手、貸して」
ねっとりとした声が私の耳を舐め回すように響く。その声は不思議と私の力を緩める。
「一瞬で終わるからさぁ‥‥ちょぉっとだけ痛いかもだけど我慢してね」
そう言うと女はもう片方の手で私の手の甲に爪を立てた。チクリという小さな痛みに声が漏れかけるが抑えた。
「あとは仕上げだけ」
腕をまた強く引かれる。ベランダから落ちそうなほど引っ張られたが私の体は抵抗できなかった。隔て板から女の顔が見える。
ボサボサの長い髪から眼鏡のフレームと鋭い犬歯が見えた。
「ひっ!」
情けない声を出してしまった。私の怯えるさまを見ても女は意味のわからない行為を続ける。私は恐怖で目を瞑った。痛みを感じた手の甲に猫の舌のようなザラリとした感触がする。気持ちの悪い感覚は数瞬の時間を経て痛みへと変わる。
熱い。手の甲からあふれる液体が地面に向かって落ちていく。体が火照りだした頃、女の手の力が弱まり離れた。
私は我に返ってベランダの柵から離れる。夜のベランダの寒さが感じられないほどに体が熱い。悶々としたまま私は部屋の中に入り、洗面台に走る。
顔を水で洗う。手の傷がズキンと傷んだ。
私は恐る恐る手の甲を確認する。そこには牙獣に噛みつかれたように避けた傷跡が残っていた。
「何なんだよあいつ‥‥!」
救急箱を乱暴に開き包帯を握りしめる。
誰かがドアをノックした。三回のノックが聞こえた。何度かドアノブを回した後ガチャッというか音が部屋に響いた。




