06
「神の爪」と呼ばれる標高五千メートルの峰々から、緑豊かなラヴィラント平原への下降は、二つの異なる現実の狭間を渡るような変遷であった。気圧が増すにつれ、魔導師サトゥリは身を伸ばした。静かな強さを象徴する「青海波」の紋様が施された白黒の羽織が、山の薄い空気に比べて「重く」感じられる微風にたなびく。
黄金の小麦と鮮やかなクローバーがリボンのように続く道は、王女や衛兵たちにとっては故郷への帰還を思わせる安らかな光景だったが、サトゥリにとっては疑わしいほどに無防備な場所に感じられた。
「静かすぎるな」 サトゥリは呟き、習慣的に刀の柄に手を置いた。「山で風がこのように止む時は、岩崩れが起きるか、巨大な鳥が獲物を探しているかのどちらかだ」
「ただの草原ですよ、サトゥリ殿」 首都の外郭監視塔が見え始め、王女セラフィナの声には王族らしい落ち着きが戻っていた。彼女の胸元には、この男が十年間守り続けてきた血統の象徴、「紅日繋ぎ(コウジツナギ)」のペンダントが握られていた。「ここで狩りをするものと言えば、せいぜい野狐くらいなものです」
サトゥリは答えなかった。彼の極致に至った「残心」は、単なる戦闘技術ではない。それは十年の孤独を生き抜くために研ぎ澄まされた、感覚の網であった。
その時、彼の「剣気」が激しく揺らめいた。
狭間に座す観測者
王宮衛兵の知覚を遥かに超え、第十位階の賢者による魔力探知ですら捉えきれぬ場所に、世界の「常識」を拒絶する存在がいた。
彼は道と並行して存在する「非実在」のポケットの中、絶対的な黒曜石の玉座に座していた。その姿は純粋な影のシルエットであり、すべてが黒く、谷の光を飲み込む虚無そのものであった。暗闇の中で唯一、捕食者の如き紅い二つの眼光だけが、侍を凝視していた。
彼は現実の内側にいながら、時空の層の隙間に身を潜めていた。彼にとって世界は静止画に過ぎず、魔導師サトゥリだけがその中で動く唯一の存在だった。
「ほう」 影は囁いた。その声は空間の構造を震わせる。 「『正体不明』が、ようやく檻を出たか」
地平線の歪み
サトゥリは歩みを止めた。 目を細め、何もない草原を走査する。彼は視線を感じていた。それは若き日に経験した「狂い川」の鉄砲水のような、重く圧し掛かる重圧だった。彼がアライグマ同然に扱う「厄災熊」すら蟻に見えるほどの、捕食者の眼差し。
彼は真っ直ぐ前を見据え、午後の陽炎を切り裂くように視線を凝らした。 何も、いない。
衛兵たちの目には、サトゥリがただの背の高い草むらを凝視しているように見えた。実際には、サトゥリは影が玉座に座るその場所を直視していたのだが、観測者が時の次元に折り畳まれているため、侍の視線は虚空を通り抜けてしまう。
「サトゥリ殿? 何かあったのですか?」 ライナー隊長が剣に手をかけながら尋ねた。Sランクのキメラを霧散させる男が警戒しているとなれば、隊長は気絶しそうな心地だった。
サトゥリは首を傾げ、長い黒髪が揺れた。 「椅子に座った、巨大で、真っ黒なカラスが見えた気がしたのだが……消えたな」
彼は視線を逸らしたが、刀を握る手は強まった。 「いや、腹が減っているだけだろう。この『谷風邪』のせいで、野原の真ん中に家具の幻覚が見えるらしい」
玉座の影は低く笑った。その音は草を波立たせたが、それに気づいたのはサトゥリだけだった。
「侍がこれほど強いとは、奇妙なこともあるものだ」 影は独り言ち、紅い瞳をさらに輝かせた。 「貴様の『摩擦』が、時の終焉さえ焼き尽くせるかどうか……見せてもらおう」
サトゥリは再び歩き出し、「正体不明」の特性で膨らみゆく好奇心を押し殺した。 「急いで都へ向かおう」 無表情な仮面の下で、彼は僅かな苛立ちを感じていた。 「この谷の塩分補給は思ったより急務のようだな。脳が影の幻覚を見始めている」




