25 唯一神クシナ様
屋台をぶらぶらと冷やかしているうちに、いつの間にか式典の時間が近づいていた。 正直なところ、このまま人混みを抜けて帰ってしまっても良かったのだけれど、司祭ちゃんにあんな風にお願いされては無視するわけにもいかない。
(……まあ、暇つぶしくらいにはなるかしらね)
重い腰を上げて会場付近まで来てみたものの、広場周辺はすでに「人、人、人の大勢」で埋め尽くされていた。 前まで行くのは到底無理そうね。
私は早々に諦めて、だいぶ離れた後方から遠巻きに眺めることにした。これだけ距離があれば、途中でこっそり抜けても司祭ちゃんにはバレないでしょうし。
簡易的に設営された高台の上には、この街の領主と思われる人物や、あの眼鏡司教――ルキウスの姿が見えた。それから、ドリルちゃんによく似た顔立ちの女性も並んでいる。
(ドリルちゃんの姉かしら。あの子をそのまま大人びさせたような顔立ちだけど、あっちよりは随分と落ち着いた雰囲気ね。……姉がいたなんて知らなかったわ)
そんなことを考えていた、その時。 街の静寂を破るように、教会の方から大きな鐘の音が響き渡った。
――ゴーン……、ゴーン……。
ゆっくりと、腹の底に染み渡るような重厚な音。 喧騒に包まれていた広場が、その音に導かれるようにふっと静まり返る。不思議と、波立っていた気持ちが少しだけ穏やかになるような響きね。
やがて鐘の音が余韻を残して消えると、領主らしき人物がゆっくりと台の前へと進み出た。
高台に上がった領主が、ゆっくりと、しかし広場全体に響き渡るような威厳のある声で口を開いた。
「サンモニカ大聖堂司教、ルキウス様の慈悲深きご来訪を、我が領民とともに心より歓迎いたします。聖代教の光が、この迷宮都市ファンダズムに届けられたことを、この上ない誉れと感じております。どうぞ貴方の訪れが、この街と、ここに住む全ての人々への祝福となりますように……」
領主の熱のこもった挨拶が続いているけれど、正直なところ私の耳にはあまり入ってこなかった。それよりも、今の言葉で気になったのは別のこと。
(聖代教ねぇ……。司祭ちゃんやあの眼鏡司教って、そんな名前の宗教だったのね。全然知らなかったわ)
宗教の派閥とか教義にはこれっぽっちも興味がなかったから、今の今まで名前すら意識したことがなかった。
(まあ、私には私自身をあがめる『クシナ教』っていう立派な信仰があるから、それで十分なんだけど。……あ、今のはちょっと自分でも引くぐらい自意識高かったかしら。でも事実だし、仕方ないわよね)
そんなことをぼんやりと考えているうちに領主の挨拶が終わり、入れ替わるように眼鏡司教――ルキウスが台の前に立った。
「あ、さっきのスープの人だ!」 「司教さまー!」 「まあ、若くてイケメンね……」
遠くから子供たちの無邪気な声や、女性たちの感嘆が風に乗って聞こえてくる。さっきの炊き出しの効果は絶大だったみたいね。広場の空気は、いつの間にか彼を歓迎する熱を帯び始めていた。
高台の上で、ルキウスがゆっくりとした足取りで前へ出る。
「温かな迎え入れに感謝いたします、オスマン卿。貴殿の敬虔な統治により、この街に平穏が保たれていることを神も喜ばれていることでしょう。この滞在中、我らもまた、迷える羊たちに主の導きと祝福を授ける所存です」
最初は、いかにも「聖職者」といった風な、威厳を漂わせた丁寧な挨拶。けれど、彼はそこで言葉を切り、眼鏡の奥の目を細めていたずらっぽく微笑んだ。
「――まあ、こんな堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。皆さん、私が大聖堂からやってきたルキウスです。よろしくお願いしますね。滞在中は基本的に教会にいますから、気軽に遊びに来てください。懺悔でも悩み相談でも、喜んでお聞きしますよ。……あ、お金の相談は、少し困ってしまうかもしれませんけどね?」
直前までの厳格な雰囲気を鮮やかに塗り替える、親しみやすい口調。 広場にはどっと笑い声が広がり、人々の緊張が目に見えて解けていくのが分かった。
(……ほんの数分で、完全に街の人たちの心を掴んだわね、あの眼鏡司教)
来て早々にこれだけの支持を得るなんて。 「クシナ教」の教祖としては癪だけど、彼の立ち回りの巧さには、警戒を通り越して呆れすら覚えるわ。
そうこうしているうちに、式典はつつがなく幕を閉じた。
結局、あの眼鏡司教の腹の底は最後まで見えないままだったわ。 市民の好感度を鮮やかに稼ぐ手腕といい、私の『眼』について言及したあの含みのある言い方といい……。それに、私が勝手に見定めたあの聖遺物。あれの修復がどう進むのか、そっちの方がよっぽど気がかりだわ。
「……バカンス中なのに、なんでこんなに頭を使ってなきゃいけないのよ」
溜息をつき、人混みに紛れて考えごとをしながら歩いているうちに、いつの間にか我が家――『クシナ雑貨店』の前まで戻っていた。 扉には、昨日私が下げた『臨時休業中』の札がそのまま揺れている。
「まあ、休業中だからってわざわざ外の宿に泊まる必要もないわよね」
鍵を開けて店に入ると、いつもの少し埃っぽい、けれど落ち着く匂いがした。
「……ふぅ。やっぱり、自分の家が一番落ち着くわね」
誰もいない店内で、ようやく大きく息を吐き出した。
結局、あの司教がこの街に現れてからの二日間、私はずっと彼に振り回されっぱなしだった気がする。 色々と釈然としないものを抱えたまま、嵐のような二日間の幕が下りた。
「明日こそは、絶対に誰にも邪魔されずに美食巡りをしてやるんだから!」
自分自身、あるいは『クシナ教』の神にそう強く誓って、私は眠りにつくことにした。




