23 バカンスのはじまり
迷宮閉鎖当日。 今日の正午には迷宮への立ち入りが禁止され、夕方にはいよいよ中央の大聖堂から司教がこの街にやってくる。
(ふふん。明日からは店を閉めて、一週間の贅沢バカンスね)
懐の金貨の重みと、これから始まる「食べ歩き計画」に思いを馳せていた、その時だった。 景気よく店の扉が跳ね上がり、聞き慣れた騒がしい声が店内に響き渡る。
「クシナっち、いるー?」
「いるわよ。そんなに大声出さなくても聞こえてるわ」
現れたのは、案の定というか何というか、呪物マニアことマニアちゃんだった。
「とりあえずさ、今日まで迷宮に籠もってて超疲れたから! しばらく家で休むからよろしくー」
彼女はそう言いながら、カウンターに突っ伏さんばかりの勢いで報告してきた。 元気そうではあるけれど、その顔には確かに連日の探索の疲れが見えるわね。……って、そんなことより。
「別に休むのは勝手だけどさ。あんた、迷宮が閉鎖されるなんて知ってたんなら、なんで私に一言も教えてくれなかったのよ」
私がジト目で詰め寄ると、マニアちゃんは「え?」と動きを止め、信じられないものを見るような目で私を見つめてきた。
「えー、そんなの当然知ってるもんだと思ってたんだけど? クシナっち、マジで言ってるの……?」
「何よその目は。私が世間に疎い『引きこもり美少女店主』だって言いたいの?」
「いやいや、そんなこと一言も言ってないよー。……まあ、しばらくは強制休暇だと思えばいいじゃん。ま、そういうことでー。じゃあねー、おやすみー」
よっぽど限界だったのか、マニアちゃんは私の反論を待たずに、ふらふらとした足取りで店を出ていってしまった。 カランカラン、と力なくドアベルが鳴り、再び店内に静寂が戻る。
「……全く。嵐みたいに来て、嵐みたいに去っていくんだから」
私は呆れて溜息をついたけれど、あんなに疲れ切っているのにわざわざ顔を出しに来たんだから、まあ、今回だけは許してあげましょうか。
マニアちゃんが嵐のように去っていった直後、入れ替わるように再びドアベルが鳴り響いた。
「こんにちは、クシナさん。いらっしゃいますか?」
おずおずと控えめな声とともに現れたのは、清楚な修道服に身を包んだ司祭ちゃんだった。
「あら、こんにちは。今日はとんでもなく忙しいんじゃないの? ほら、中央から偉い人が来るんでしょう?」
「はい、そうなんです。でも、こちらの準備はあらかた終わりましたし……。司教様が滞在されている間は、なかなかこちらへも伺えなくなると思いましたので、ご挨拶にと思いまして」
そう言って司祭ちゃんは、申し訳なさそうに、でも丁寧な笑みを浮かべた。相変わらず真面目というか、律儀な子よね。
「ふーん。まあ、わざわざどうも。……にしても、なんでまた急に司教だっけ? そんな大物がこの迷宮都市まで来るのよ」
私が何気なく尋ねると、司祭ちゃんは少し表情を引き締めて答えた。
「そうですね……。先日、クシナさんにたくさん鑑定していただいたじゃないですか。あれだけの数が一度に『浄化』されたとなると、聖遺物の状態確認、それから場合によっては『修復』が必要になるだろう、ということみたいです」
「……修復ねぇ」
その言葉に、私は心の奥で冷や汗が流れるのを感じたわ。 あの『慈愛』という名の狂気を孕んだ人工呪物を、わざわざ中央の司教が「修復」しに来る? あの得体の知れない歪みを、さらに補強でもしようっていうのかしら。
(……まあ、私が口を挟むことじゃないわね)
呪物鑑定士としての嫌な予感を無理やり心の隅に追いやって、私は努めて軽い口調で返した。
「そうなのね。まあ、せいぜい頑張りなさいな。あんた、またこき使われそうだけど」
「はい! ありがとうございます、クシナさん。頑張ります!」
私の皮肉混じりの激励を、彼女は純粋な応援として受け取ったらしい。司祭ちゃんはパッと顔を明るくすると、足早に教会へと戻っていった。
お昼を回ってしばらくした頃、店の外がにわかに騒がしくなってきたわ。 遠くから地響きのような大歓声と、石畳を激しく叩く馬車の蹄の音が重なって聞こえてくる。
(……お出ましね、件の司教が)
わざわざ大通りまで人混みに紛れて、見物に行くつもりなんて毛頭ないし。 どうせ豪華な法衣に身を包んだ偉い人が、いかにも慈愛に満ちた聖者様のような顔をして、馬車から手を振っているだけでしょうから。
私はカウンターに頬杖をつき、その喧騒を遠い国の出来事のように聞き流した。 今は司教様の顔を拝むことよりも、明日から始まる「美食週間」でどこのお店の何から食べるか、そのシミュレーションの方が何倍も重要なんだから。
パレードの喧騒が遠ざかり、しばらくして、ようやく一息つけるかと思った矢先。またしてもドアベルが静かに鳴り響く。
入ってきたのは、深く被ったフードと地味なローブで身を包んだ、一見すると怪しい巡礼者のような人物。けれど、その足取りとフードの隙間から覗く、隠しきれない特徴的な髪の曲線で正体は丸分かりね。
(……ドリルちゃんじゃない。あんな格好したって、そのドリルみたいな縦ロールは隠せてないわよ)
マニアちゃんに司祭ちゃん、そして次は彼女。今日は本当に、私の知り合いの訪問ラッシュね。
「失礼するわ、クシナさん。……ごきげんよう」
「こんにちは、ドリルちゃん。あなたこそ、今は一番忙しい時なんじゃないの? 教会の偉い人が来てるんでしょう?」
私がカウンターに肘をついて尋ねると、彼女は周囲を気にするように一度振り返ってから、フードを少しだけ直して答えた。
「その通りですわ。……今日は、まさにその件でお話しに参りましたの」
いつもの勝気な口調は健在だけど、その瞳にはどこか切迫したような、複雑な色が混じっているのが見て取れたわ。
詳しく話を聞いてみれば、どうやら先日の大量鑑定の件が司教様の耳に入ったらしく、この街にいる凄腕の呪物鑑定士に挨拶をしたいということだった。
「それでなんですけど、明日の式典の後、顔合わせの場を設けたいと思っていますの。わたくしの家――オスマン邸に来ていただきたいんですわ。もちろん、夕方前にはお迎えの馬車を手配しますわよ」
(へー。ドリルちゃんがここの領主の娘だってことは知ってたけど、オスマンっていう名前だったのね。興味なかったから知らなかったわ)
由緒正しい家柄からのお招き。普通の鑑定士なら震えて喜ぶような名誉な話でしょうけど、今の私の優先順位は、何よりも「食」なのよ。
「んー。……面倒だからパス!」
「……はぁっ!?」
案の定、ドリルちゃんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で絶句したわ。いい顔ね、面白いわ。
「パスって、あなた……! 中央からいらした司教様とのお顔合わせなんですのよ!?」
「むしろ、そっちが私の店に来なさいよって言っておいて。偉い人なら、わざわざ足を運ぶくらいの度量はあるでしょ?」
こうでも言っておけば、向こうから断ってくるに決まっているわ。どうせ中央のプライドの高いお偉いさんなんだから、しがない雑貨屋に自分から出向くなんて屈辱以外の何物でもないはずだもの。
「ほ、本当にいいんですのね……? わかりましたわ、ご都合が悪いようですと、わたくしの方でマイルドに伝えておきますわ……」
「別にマイルドじゃなくていいわよ。ありのまま『面倒だから嫌だって言ってます』って伝えて」
「わたくしが困りますのよ!!」
はあーっ、と深いため息をつくドリルちゃん。 彼女は「それとなく伝えておきますわ……」と力なく言い残すと、来た時よりも明らかに肩を落とし、疲れ切った様子で帰っていったわ。
ふん、何と言われようと。何人たりとも、私の「美食週間」を邪魔させるわけにはいかないんだから!
明くる日。
「……よし。これで準備万端ね」
私は意気揚々と「臨時休業」の札を手に取り、それを扉にぶら下げようとした、その時だった。 コンコン、と上品で控えめなノックの音が響き、ドアベルが軽やかな音を立てて店が開く。
(ちょっと、今から休みだって言おうとしたのに……)
文句の一つでも言ってやろうと顔を上げた私の視界に、真っ白で汚れ一つない法衣を纏った人物が飛び込んできた。
「こんにちは。ここがクシナ雑貨店ですね。……はじめまして。サンモニカ大聖堂から参りました、司教ルキウスと申します。以後、お見知りおきを」
穏やかな微笑みを浮かべて深々と頭を下げたのは、昨日パレードの主役だったはずの、あの司教その人だった。
……ちょっと、嘘でしょ!? 「そっちが店に来なさい」なんて言えば、絶対に断ってくると思ってたのに。
(本当に来たんだけど……!!)
私の完璧だったはずの「美食週間」計画に、初日の朝から特大の暗雲が立ち込めたのだった……。




