20 焼き立てのパンは最高よ
まだ陽が昇りきる前だというのに、パン屋はもう開店している。
私の雑貨店が開く頃にはとっくに一仕事終えているんだから、本当に頭が下がるわね。そのバイタリティ、全く見習いたい……とは思わないけれど、尊敬はするわ。
そんなことを考えながら、私はいつものパン屋の暖簾をくぐった。
「おばさん、いつものパン二つちょうだい」
奥から出てきたおばさんは、私の顔を見るなりパッと表情を明るくした。
「おや、クシナちゃん。今日はいつにも増して美少女じゃないか。今日も焼きたてだよ、二つでいいんだね?」
「ええ、お願い」
やっぱりこのおばさん、美的センスがあるわ。 私は内心で満足げに頷きながら、代金を渡して紙袋に入った温かいパンを受け取った。
「なんだか今日はやけに体の調子がいいのよね。ぐっすり眠れたからかしら」
おばさんは不思議そうに首を傾げながら、朗らかに笑う。
昨日の騒動なんて、もう彼女の記憶には一欠片も残っていないみたい。
「それは良かったわね。パン、ありがとう」
私は短く答えて、店を後にした。 手元から伝わるパンの熱が、冷え込み始めた朝の空気にちょうどいい。
「……さて、私もお店を開けなきゃね」
雑貨店に戻ると、ソファで丸くなって寝ていた司祭ちゃんが、ちょうど目を覚ましたところだった。
「……あのー? 私、なんでここに……?」
司祭ちゃんは寝癖のついた頭を押さえながら、ひどく混乱している様子。
「おはよう、司祭ちゃん。焼きたてのパン、食べる?」
私は買ってきたばかりの温かいパンを、彼女の手に握らせた。
「おはようございます……。あ、ありがとうございます」
状況が飲み込めないまま、司祭ちゃんは差し出されたパンを一口もぐもぐと咀嚼する。
「……あ、これ、すごく美味しいですね」
少し落ち着きを取り戻した彼女の横顔を見ながら、私はあらかじめ用意していた「真相」を語ることにした。
「実はね、昨日。私の不注意で、司祭ちゃんを私の『呪いのローブ』に触れさせちゃったのよ。さすがに路上に放置しておくわけにもいかないから、ここまで運んできたってわけ」
「ああ、そうだったんですね! クシナさん、ありがとうございます」
司祭ちゃんは素直に信じて、ぺこりと頭を下げた。けれど、すぐに「あれ?」と不思議そうな顔で首を傾げる。
「私……昨日、クシナさんに会いましたっけ? そもそも、いつの間に教会から出たんだろ……。なんだか、すごく叫んでいたような気がしなくもないですけど……」
「まあ、疲れが溜まってたんじゃない? 何しろ今までぐっすり寝てたんだから、気にしなくていいわよ」
私の適当な言葉に、司祭ちゃんは「そうかもしれませんね」と、またパンを頬張り始めた。
まさか自分が「次こそは表だ!」と叫びながら全財産を賭けていたなんて、死ぬまで知らない方が幸せだもの。これも美少女店主としての、精一杯の優しさよ。
「あ、私、教会に戻らないと!」
パンをきれいに平らげた司祭ちゃんは、ハッとした表情で勢いよく立ち上がった。
「色々ご迷惑をおかけしました。パン、とっても美味しかったです!」
彼女はもう一度丁寧に頭を下げると、忘れ物がないかバタバタと確認して、慌ただしく店を後にした。 ……けれど、数分もしないうちに、勢いよく店の扉が跳ね上がった。
「クシナさん、おかしいです! 私のお財布、中身が増えてるんです!!」
戻ってくるなり、司祭ちゃんはひどく困惑した様子で財布を突き出してきた。
(マニアちゃん……、余計な色を付けたわね。それとも、あの子なりの懺悔のつもりかしら)
「あら、不思議なこともあるものね。日頃の行いがいいから、神様からのプレゼントじゃない?」
「そんな適当な! 怖いですよ、これ、何かの呪いじゃ……」
「いいから、ほら。教会に戻るんでしょ!」
私は半泣きの司祭ちゃんの背中を押し、半ば強引に店の外へ送り出した。 遠ざかっていく彼女の背中をひらひらと手を振って見送りながら、私は小さく息を吐く。
「……さて、と」
私は店の看板を「営業中」にひっくり返し、ようやく自分自身の朝を始めることにした。
「クシナ雑貨店、開店よ!」
……と、勢いよく声をあげてみたものの、客足はさっぱり。 まあ、元から行列ができるようなお店じゃないのは分かっているけれど、こうも見事に誰も来ないと少し拍子抜けしちゃうわね。
カウンターで頬杖をつきながら、今日一日の暇つぶしでも考えようかとしたその時。カランカラン、とドアベルの涼しげな音が店内に響いた。
「おはようございます、クシナさん」
入ってきたのは、探索者協会の受付嬢であるシエルだった。
「あら、おはよう。朝から来るなんて、今日は非番かしら?」
私は椅子から立ち上がり、馴染みの顔に声をかけた。
「いえ、違いますよ」と看板受付嬢は続けて
「探索者協会でも探索の必需品は売っているのは知っていると思うのですが、どうしても在庫の補充が間に合わなくて……。それで、クシナ雑貨店からいくつか譲っていただけないかと思いまして」
シエルは困り果てたように眉を下げ、さらに言葉を重ねた。
「大手商会さんも、何故だか理由は分からないのですが補充が全く追いついていないみたいなんです」
(まあ、あそこの商会長が昨日の呪いのせいで、商品を全部自分のものだと言い張って奥に隠しちゃったからなんだけどね)
私は心の中で昨日の騒動を思い出しながら、カウンター越しに応じた。
「別にいいわよ。根こそぎ持っていかれるのは困るけど、ある程度なら分けてあげるわ」
「助かります、ありがとうございます!」
看板受付嬢らしい愛想のいい笑顔を浮かべて、シエルは商品をいくつかまとめて購入していった。代金を受け取り、私は商品を袋に詰める。
「お互い大変ね。仕事、頑張ってね」
「そうですね……本当に、何でこんなことになっているんでしょう。商品、ありがとうございました!」
シエルは不思議そうに首を傾げながら、店を出ようとして不意に足を止めた。
「あ、あと何故だか商会の方からアニマさんの元気な声が聞こえてきましたね。バイトでもしてるんでしょうか?」
それだけ言い残して、彼女は忙しなく去っていった。 カランコラン、とドアベルが鳴り、再び店内に静寂が戻る。
(……あはは。あんな騒動起こしたんだからそれくらいはしないとね)
私は少しだけすっきりした気分で、再びカウンターの椅子に腰をかけた。
やっぱ平和っていいわね。
次回から二章に入ります。
またお付き合いいただける嬉しいです。




