18 私の劇場へようこそ 前
後半は夜に投稿します。
よろしくお願いします。
しとしとと、どこか規則正しいリズムで雨が降っている。
「土砂降りじゃないのは救いだけど、どっちにしたって客足は止まっちゃうわよね……」
誰に聞かせるでもなく、私はカウンターでぽつりと独り言をこぼした。 前回雨が降ったときは、確か一日中本を読んで過ごしたんだったかしら。今日はどうしようかしら……なんて考えていけど、起きてから何も食べていないことに気づいたわ。
「よし。ちょっとお店を閉めて、焼きたてのパンでも買いに行ってこようかしら。今ならちょうどお気に入りの店が焼き上がる時間のはずだしね」
そうと決まれば、善は急げよ。 私は「準備中」の札を入り口に掲げると、傘を差して外へと踏み出した。
雨音を聴きながら、のんびりと大通りまで歩いていく。 けれど、角を曲がって大通りに出たところで、私は少しだけ足を止めた。
「……いくら雨だからって、ちょっと人通りが少なすぎない?」
いつもなら雨宿りをする人や、急ぎ足で通り過ぎる探索者たちがそれなりにいるはずなのに。 今日はなんだか、街全体がひっそりと静まり返っているみたい。
いつものパン屋に立ち寄る私だったが、
「おばさん、いつものパ……」
……あれ? 言いかけて、言葉が止まった。 カウンターにおばさんはいないし、そもそもパン屋特有のあのいい匂いもしない。
奥の方に目を凝らすと、おばさんらしき姿は見えた。
「おばさん?」
声をかけようとしたけれど、なんだか様子が変だ。おばさんは、ただ悲しそうにボロボロと涙を流している。
「おばさん、いつものパンが欲しかったんだけど……どうしたの? 何かあったの?」
あまりのことに、私は戸惑いながらも聞いてみた。
私の問いかけに、おばさんは震える声でぽつりぽつりと語り出した。
「夫が帰ってこないの……。迷宮に行ったきり、何日も、何日も。もう、どれくらい経ったのかしら……」
「は?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。 本気で言ってるの、このおばさん?
あまりの衝撃に少し躊躇したけれど、放っておくわけにもいかない。私は意を決して、残酷な事実を突きつけることにした。
「おばさん、落ち着いて。……そもそも、おばさんって結婚してないじゃない。いつもいつも『いい加減彼氏が欲しい』って、そればっかり言ってたでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、おばさんは雷に打たれたような顔をして絶句した。
「え……? 私、結婚してない……? でも、そんなはずは。だって、あんなに大切にしてくれた夫が……」
おばさんはひどく混乱している。自分の記憶と私の言葉の整合性が取れなくて、パニックになりかけているみたい。
(……これ、ただ事じゃないわね)
いつもの「勘」が、これはただの勘違いじゃないと告げている。 私は、目の前で震えているおばさんを、『鑑定』してみることにした。
(……やっぱり。呪いね)
おばさんの意識の中に、別人の人格か、あるいは強い感情のようなものが無理やり居座っているのを感じる。 どうしたものかと考えていると、限界が来たのか、おばさんは糸が切れたようにガクンと膝をついた。
「ちょっと、おばさん!?」
私は咄嗟に駆け寄り、倒れ込む彼女の体を支えた。 ただし、私の「呪いのローブ」におばさんが触れてしまわないよう、変な方向に腰を引いたかなり無茶なポーズで、だ。うっかり触れでもしたら、おばさんにさらなる呪いを上書きすることになってしまう。
「……っ、重労働だわ、本当に……」
なんとかローブをガードしつつ、彼女を近くのソファへと横たわらせた。 呼吸を確認すると、幸いにも穏やかだ。どうやら混乱しすぎて、脳が強制的にシャットダウンしただけみたいね。
命に別状がないのを確認して、私は早々に店を出ることにした。下手に目覚めるのを待って、また「存在しない夫」の話を聞かされるのは、美少女の私には荷が重すぎる。
(……結局、パンはお預け。人の食欲を邪魔するような呪いなんて、本当に最悪だわ)
お腹を鳴らしながら、私は静まり返ったパン屋を後にした。
外に出てみると、やっぱり街全体がおかしいわ。 人っ子一人いない。いつもなら誰かしら歩いているはずなのに、不気味なくらい静まり返っている。
試しに、三大商会の一つであるロゴス商会を覗いてみたんだけど……そこでも私は言葉を失った。
売り物が、一つもない。 商品棚には何も陳列されていなくて、ただガランとした棚が並んでいるだけ。 おかしいわね。天下のロゴス商会がこんな状態になるなんて、普通じゃあり得ないはずだもの。
私は首を傾げながら、しんと静まり返った商会の中へと入っていった。
中に入ると、そこには何度か顔を合わせたことのある、ロゴス商会の商会長が椅子にかけていた。 一応、私は客のふりをして声をかけてみることにした。
「すみません、回復薬を一ついただきたいんですけど」
すると商会長はガバッとこちらを振り向き、信じられないような言葉を投げつけてきた。
「あぁ!? 回復薬だと? おめぇに売るもんなど何もねぇ! この店にあるものは、全部俺のものだ!」
……開口一番にこれよ。 回復薬を売らないのは百歩譲っていいわ。
でも、この絶世の美少女を見てて「おめぇ」はないんじゃないかしら?
商売人以前に、人間としての美的センスを疑うわ。
まあ、呪いのせいでこうなっているのは分かっているから、一応鑑定してみるわ。 結果はやっぱり、さっきのおばさんと同様。別の人格や感情が無理やり入り混じっているような状態に見えた。
「一体何なのよ、これ……」
原因を考えていた、その時。 またおばさんの時と同じように、商会長は金貨銀貨を抱きかかえながらふっと意識を失い、眠るように倒れ込んだ。 今回は椅子に座ったままだったから、そのまま眠ってしまったようで一安心。わざわざ支えなくて済んだわ。
「これ、早くなんとかしないとマズくないかしら?」
だって、街の人がみんなこうなってしまったら、クシナ雑貨店にお客さんが一人も来なくなっちゃうじゃない。 それは美少女店主として死活問題だわ。私は最悪の事態を想像して、足早に商会を後にした。
外に出ると、相変わらずしとしとと雨が降っている。 やはり街全体が呪いに覆われている――そんな予感が、確信に変わっていくわね。
私は一度足を止めて、街全体を俯瞰するように鑑定の目を向けてみた。 視界の端々で不気味な気配が渦巻いているけれど、その中でも一際、呪いが濃く溜まっている場所がある。
「……あそこね」
私は迷わず、その呪いの中心地と思われる場所へと向かって歩き出した。
呪いの中心地を目指して歩いていると、前方から見覚えのある姿が駆け寄ってきた。
「クシナさん! お願いがあるんです!」
そこにいたのは、司祭ちゃんだった。
(……あら、私のこと、ちゃんと覚えてるのね)
パン屋のおばさんたちの豹変ぶりを考えれば、私を認識できているだけでも大したものだわ。さすがは教会の司祭、何かしら呪いへの対策でもしているのかしら。
私は足を止めて、彼女の話を聞くことにした。
「どうしたの、司祭ちゃん。そんなに慌てちゃって」
「一生のお願いです、クシナさん。お金を貸してください!」
「……は?」
あまりに切実な声だったから少し期待したけれど、返ってきたのは最低の台詞だった。
「聞いてくださいよ、三回連続で『裏』が出てるんです! 普通、次は『表』だって思うじゃないですか! なのに出たのはまた裏! 絶対におかしいですよ。次は……次こそは表なんです!」
……前言撤回。 この子もしっかり呪いの影響を受けているわ。それも、中身がろくでもない博打打ちに入れ替わっているみたい。司祭の身で、全財産でも注ぎ込んだのかしら。
「悪いけど、一銀貨も貸せないわよ」
私がきっぱり断ると、司祭ちゃんは泣きつかんばかりに食い下がってきた。
「ひどいです、クシナさん! 私とクシナさんの仲じゃないですか!」
一体どんな人格をぶち込まれたら、こんな厚かましくなれるのよ……。 だんだん面倒くさくなってきた私は、彼女にわざと自分のローブを触れさせた。
「――あ」
呪いのローブに触れた瞬間、司祭ちゃんは糸の切れた人形のように意識を失った。 私はやれやれと首を振ると、せめて雨に濡れないよう、彼女を近くの屋根付きベンチまで運んで横たわらせた。
「全く……こんな大規模な騒動を起こしちゃって」
この不自然な街の変貌ぶり。元凶の心当たりは一つしかないけれど、あいつ、一体何をやらかしてるのかしらね……。




