1−6 朱色熊の足跡
日本だけではなく、ケルト王国にも熊が出没したみたいです。
「町の近くの森で、朱色熊の足跡が複数確認された。アルウィン、アリア、町の外に出なければ大丈夫だと思うが、町の中であっても一人では出歩かないようにしなさい」
伯父さんは夕食を食べながらそう語った。
「朱色熊なんて、怖いですね。お義兄様、複数という事は何頭も近くに居るって事ですか?」
母さんが怖がるのも無理はない。朱色熊は、主にキボリウム山脈に出現し、体長は五メートルを超える大型の魔物だ。その巨体を使った突進はこの町の外壁位、簡単に吹き飛ばしてしまうだろう。
「三頭分の足跡がある。朱色熊は群れで行動しないが何事にも例外はある、決して油断するな」
群れで行動はしないかもしれないが、朱色熊が三頭同時に別方向から襲ってくるかもしれない。魔物は原初の精霊の憎しみで創られているので、決して人間の思惑通りに行く事はない。
「俺は明日からは騎士団本部に詰める事になる。ジョン、屋敷を頼む。皆も町の住民達に警戒を呼びかけておいてくれ」
「わかりました。ご武運を……」
次の日、私は精霊が祀られている礼拝所に行ってみる事にした。
朱色熊の警戒の呼びかけと、町の無事をお祈りしてくるという理由で外出を許可してもらった。
今日の外出は、クリスは同伴していない。
クリスは「実家の両親の具合が悪くなったので、お見舞いに行く」という名目で、ダグザの所に行ってもらっていた。
今日、私について来てくれる人は男爵邸で働いてくれている見習いのメイドのアンだ。
私達は礼拝所の中に入り、礼拝所で働く祭司に挨拶をした。
「ご機嫌よう、祭司様。精霊様にお祈りをお届けしてもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます、アリアお嬢様。精霊様もお喜びになるでしょう」
私は礼拝所に祀られている精霊像の前に跪き手を合わせた。
この世界の各地にある精霊を祀った礼拝所には普通はその土地を守護している精霊像が祀られているのだけれど、オウルニィの礼拝所の精霊像はこの土地を管理しているはずのダグザの像ではなく人の形をした像が祀られている。ちなみにダグザの普段の姿は巨大なヘラジカの様な姿で、青い体毛をしている。もしかしたらこの像はダグザが人の姿に変化した時のものかもしれないが、この像は礼拝所が建設される以前からこの場所にあったものらしく製作者も不明なのだという。
……うーん、雰囲気的にはお父様に似ている様な気がするけど、気のせい?
「祭司様、本日は町の代官である伯父から祭司様にお願いがあってこちらに寄らせていただきました」
「おお、そうでしたか。では、あちらでお伺いいたしましょう」
私達は礼拝所にある応接室のソファに向かい合って座った。
「祭司様。町の近くの森で朱色熊の足跡が複数確認されました。おそらく町中まで侵入してくることはないかと思いますが、警戒をしておいて下さいませ」
「朱色熊ですか。なんとも恐ろしい魔物が近くを彷徨いているのですね。お知らせいただき、ありがとうございます」
「そして、万が一の事が起きましたら礼拝所を住民の避難場所の一つとして使わせていただきたいのです。よろしいでしょうか?」
「もちろんでございます。民草の為に奉仕することが精霊様に使える我等の役割でございますから」
「まあ、祭司様の広い御心に感謝を申し上げます。勿論、避難の時に掛かりました食事や薬代などは全てこちらで精算いたしますので。それと、こちらはクーパー男爵とニュートン準男爵からの礼拝所への寄付になります。お納めくださいませ」
アンがズッシリとした革袋を祭司に手渡した。
今回の寄付額は、もし避難場所になった際の迷惑料も入っているのでいつもよりも多い金額が入っている。
「いつも代官様方には、こんなに良くして貰ってありがとうございます。代官様方に感謝の言葉をお伝え下さいますようお願いいたします」
「必ずお伝えいたします。では、これにて失礼いたします」
私は屋敷に帰る前に市場によって、おやつを食べる事にした。いつもよりもお嬢様な対応をしたから、身体が糖分を欲していたのだ。
アンにおやつと飲み物を買って貰って、ベンチでひと休みした。
「お嬢様って、本当にお嬢様だったんだね」
「……いつもはお嬢様っぽくない?」
私とアンは、歳が近く同姓だったので気軽に会話できる数少ない間柄だ。
私はお菓子を食べながら、笑いかけた。
「だって、いつもは私らとそんなに変わらない口調じゃない」
「私はその方が楽なんだけどね。叔母さんがうるさいのよ」
伯母さんはきっちりした性格で、ちゃんとした受け答えをしないと出来るようになるまで何度もやり直させる。
私とアルウィン兄さんは、その事をよく知っているので伯母さんや他所の人の前ではお澄ましした口調をするようにしているのだ。
「どうもね、伯母さんは、私を養子にしたいらしいのよ。私と伯母さんは同じ家に住んでいるから書類上の関係だけになるとは思うけど」
「養子って、お嬢様の両親と一緒に暮らしているのに何で?」
「簡単な話よ。準男爵の娘よりも男爵の養女の方が嫁に出しやすいからよ」
「どういう事?」
「だから、準男爵の娘が嫁に行く場合、下は富豪寄りの平民で上だと男爵か子爵が結婚対象になるでしょ。男爵の養女だと、下は変わらないけど上はやり方によっては伯爵まで結婚対象が広がるの」
準男爵は世襲はできるが、世間では名誉職と見られている。貴族達からは金で爵位を買ったと言われる地位なのだ。そんな準男爵が貴族と結婚した場合、その理由はズバリ持参金目当てだ。私は、そんな欲に目が眩んだ夫は欲しくはない。
その点、男爵はちゃんとした貴族だ。……まあ、準男爵もちゃんとした貴族ではあるが。持参金目当ての結婚相手は、準男爵と比べるとグッと減る。その分、政略結婚が増えることになるのだが。
「伯母さん。自分は恋愛結婚だったくせに、私には貴族っぽい結婚を押し付けてくるの。それが女の幸せなんだって」
伯母さんは貴族学校時代、必死に結婚相手を探していたそうだ。自分が騎士爵の娘だったので、早く見つけないと貴族でいられなくなるからという理由なんだとか。
「私が貴族学校に入学する前に養子縁組して、結婚対象を広げた方が相手を見つけやすいって母さんを説得してるのよ」
「あの大メアリー様がねぇ」
「伯母さんは、それで叔父さんと恋人になったっていう成功体験があるから私にもそれを勧めてくるのだけど。けど私は別に平民になってもいいと思っているし、まだ恋愛に関してはピンとこないから」
「お嬢様は、まだ七歳だしね。でも、お嬢様は小メアリー様の娘さんだし、将来もの凄い別嬪になること間違い無いんだから、貴族学校では引く手数多なんじゃない?」
「それはそれで嫌なんだけど……」
カンカンカンカンカンカン……
私達が談笑している最中、北の物見櫓からけたたましい鐘の音が鳴り響いた。
果たして、アリアは将来結婚出来るのでしょうか?
けたたましい鐘が鳴り響く中、作戦は順調に推移して行きます。




