巫女兎 参
第六章
「どうして、あたしを誘拐したんですか? 士さん!?」
彼は拘束したあたしをあたしの実家――姫神神社――に連れて行き、監禁した。
最初は脅えていたものの、護が助けに来てくれるということを信じていると、自然と震えも止まったし勇気も出てきた。
やっぱり彼が目の前にいなくてもあたしのヒーローなんだということを実感する。
だから、あたしは頑張れる。
彼は質問には答えてくれなさそうな雰囲気なんだけど、それでも訊く。
「……神罰戦争」
えっ?
一瞬彼が何を言っているのか分からなかった。
「……神罰戦争の神罰とは、神が与える罰じゃなくて、神に与える罰という意味だ。巫女兎ちゃん」
長年ここの当主としてかかわってきたけど、そんな戦争があったことは全く知らなかった。もしかして、父さんはこのことを知っていたのにもかかわらず隠していたの?
いったい何のために?
「君は聞いてなかったのかもしれない。まぁ、これは知っている人は少ないからな。俺がこれを知ったのは、八年前。未来が死んだ日。巫女兎ちゃんの誕生日前日の事だった」
「…………」
彼がここにあたしを監禁した意味。それは彼がこの世界に罰を与えたいからなのかもしれないと思った。
淡々と語る彼の表情は暗い。あたしがそうさせているのかもしれないけど、それはあえて気にしない。
「今から約千年も前の話。君は昔神がこの世界を支配していたという事を知っているはずだ。この世界はかつて五人の神と人間が共存していた。ある日、ある一人の神が人間の子供を殺してしまった。彼は何も関与していない。なぜだと思う?」
「……濡れ衣を着せられたから?」
「その通りだ。勘がいいね、君は。その神は心の無い人間に殺されてしまった子供の命を奪ったとされてしまい、その犯人を捜すために人間を虐殺し始めた。理由としては、その犯人に対する怒りもあったに違いない。しかし、それはただの自己満足だ。だから、人はそれに立ち向かうために杖や剣を取る。これが神罰戦争の始まりだ。これは人間側から見た呼称だけど、神から見たら濡れ衣戦争だな」
「――で、その犯人はどうなったんですか?」
これはちょっとした疑問だった。確かにその神様には犯人に対する怒り・憎しみがあったのかもしれない。だけど、その犯人はいったい何が目的で戦争を起こしたのか? その犯人はいったいどうなったのか? それが気になって仕方ない。もちろん、どうしてあたしを誘拐したのかという事も。
「その犯人は戦争中に病気で死んだ。犯人の目的はいまだに分かってはいないが、守護神が幻界に封印されたという事は多分それが目的だったのだろう。俺が八年間調べた結果がこれだ。他に疑問は?」
「その神はどうなったの?」
「その神は……死んだよ。戦争中に殺された、人間に。冥界魔法の禁呪によってな。その神は自分の力だけを転々とさせて……」
「…………」
「君はどうして、全ての魔法が使えるか疑問に思ったことは無いのかい?」
唐突に聞かれたから少し驚いた。
あたしはこの事について思ったことはないとは言えない。どうして、あたしだけが全部使えるのだろう?
しかし、今までの生活で困った事は無いから気にしていなかっただけ……。
「この世には普通の魔術師のほかに二重魔術師や三重魔術師は存在するのに、四つ全て使える魔術師はいない。俺はそこに疑問を持った」
そこから先は聞いてはいけない気がした。だけど彼は続ける。
「その神――主神ゼウスが残した力は四つ全ての魔法が使えるだけの知恵。時間を止めたり、死者を生き返らせたりすることができる呪文。この世界を滅ぼせるだけの圧倒的な魔力。の三つだ。つまり君は――」
やめてっ!
あたしはそこから先を知ってしまったら、自分が自分でいられなくなるくらいの何かを感じた。
あたしの仲間達はおろか、あたし自身も知らない事を彼は知っている。
それを護たちに知られてしまったら……。
「つまり君は神なんだよ! だから、俺はその力を使って未来を生き返らせる。そのために君をさらった。神の力が覚醒するためには君の目の前で、君の好きな人――すなわち、護を殺さないといけない。俺がここを監禁場所に選んだ理由はこれだ」
あたしの心の中を黒くて暗い圧倒的な闇が覆いつくす。その闇はあたしの全てを飲み込もうとし、あたしの全てを奪おうとする。
あたしの大事な人が死んだ人を生き返らせるというくだらない理由のために死ぬなんて想像したくない。どうして、こんなあっても仕方ない力をあたしにくれたの?
答えてよっ!
教えてよっ!
どうして……。なんで……。
あたしはこの世界を恨んだ。悔しくて、憎くて、そして何よりこれからあたしの大事な人が死ぬかもしれないという事実が悲しくて、憎くて仕方なかった。
思い切り、声を上げながら泣いていた。
来ないで……護。
絶望。
あたしはこれに二回直面した事がある。
一回目はお父さんが死んでしまったとき。
あれは今から十二年も前のこと。
あたしはまだ六歳で護が七歳で、学校に通っていたあたし達は、学校の帰り道の途中にあるあたしの家――姫神神社で遊んでいるときの急な出来事だった。
いつもどおりあたしの家で遊んでいた。あたしは幻界魔法が使えるようになったから、彼に見せようと思って、裏庭で契約をしようとしていた。
もちろんその日はアスカも一緒で、当時二体使役していた彼女に契約の方法を教えてもらっていた。
お父さんはあたし達の後ろで見守っている。
「アスカ、契約ってどうやるの?」
「契約はね、一回契約をしたい幻獣を呼び出すところから始まるんだよ」
あたしはこの魔法が使えるようになったら、呼び出してみたい幻獣がいた。その幻獣は天馬ことペガサスだった。
あたしは言われたとおり、ペガサスを呼び出すことにする。
「『我、この世と幻界を繋ぐもの。今ここに《幻界門》を開き、汝を呼び出し契約を結ばん。ペガサス!』」
唱えた瞬間、目の前が白い光に照らされ、ペガサスが出てくる。
ここまでは順調だったんだけど……、急にペガサスが暴れだす。
「アスカ!」
「ウチも分からないよ! どうして?」
まるで、何かに反抗するように暴れているペガサスは、鋭い角をあたしに向けて走り出す。
「巫女兎!」
護があたしの横から木刀を構えてあたしを護ろうとする。
「危ない! 護君、巫女兎、アスカちゃん!」
お父さんがあたし達の後ろから「スクエア」をかけてくれる。
後一秒遅かったら、あたしは死んでいたに違いない。
しかし、安心したのもつかの間、
「お父さん!」
お父さんだけが「スクエア」の外にいて、ペガサスを止めようと奮闘している。
下手したらお父さんが死んでしまう。
彼はペガサスの周りを「スクエア」で囲もうと呪文を唱えている途中で、
グサッ!
ペガサスの角がお父さんのおなかに刺さってしまう。
あたしはわけが分からなくなっていた。
どうして、あたしが呼び出したのに、お父さんが襲われないといけないの?
攻撃されるのはあたしでいいじゃない!
お父さんが攻撃を受けてしまったために、あたし達を護っていた「スクエア」が解除されてしまう。急いであたしは「スクエア」を張る。そうしないとあたし達が襲われてしまうから。
その中であたしはペガサスを捕縛するために「スクエア」を唱える。
お父さんを救助するために護は「スクエア」を飛び出す。
彼がお父さんのところについたとき、どんな会話をしていたのかわからない。だけど、二人ともあたしのことを思ってくれているのは分かる。
でも、ペガサスが彼らのすぐ近くにまで来ていた。すぐにあたしはペガサスを捕縛するために「スクエア」を張る。
ギリギリで間に合った。
「巫女ちゃん、早く治療!」
そうだ、早くしないとお父さんが死んじゃう!
あたしはすぐに彼らの元に向かうとお父さんに「ヒール」をかける。しかし時間がたちすぎたのか全然効果が出ない。
「巫女兎、お父さんはもうだめだ。だから、僕や瑠璃のぶんまで精一杯生きてほしい」
「そんなこと言わないで! 今、治療するから!」
あたしは「ヒール」をかけ続けるけど、お父さんの傷は塞がらない。どうしようと悩んでいる暇もない。
ペガサスの契約も何とかしないといけないのに……。
「巫女兎! こっちは俺とアスカに任せて、お前は早く契約を」
「でも、そんなことをしたらお父さんが!」
「だけど、このままだったらペガサスも死んじゃう! 巫女ちゃん!」
悩んだ。お父さんの命をとるか、ペガサスの命をとるか。
どっちにしても死んでしまう。なら、あたしは、
「ゴメンネ、お父さん。助けて上げられなくて……」
心の中だけで、別れを告げる。永遠の……。
その後すぐに、ペガサスと契約を結んで幻界に返す。
それから三日後にお父さんの葬儀が行われた。
参列者は身内と信条家だけで、あたしと護はかなり大きな声で泣いていた。
あたしが始めて経験した絶望は護と経験した不運な事故だった。
護はあたしに「おじさんの分まで、生きようよ。きっと、おじさんもそれを望んでいると思う」と声をかけてくれた。だからあたしは立ち直る事ができた。
だけど、それは一回では収まらなかった。二回目にそれを感じたのは、未来さんが死んで、今目の前にいる士さんが蒸発したとき。
あれは今から八年前のあたしの誕生日前日。
お父さんが死んでから四年がたった。信条家での生活もすっかり慣れて、護と二人でいることが多くなっていた。
未来さんも士さんも親切で、あたしを娘のようにしてくれた。
三ヶ月前にあたしが彼にあげたものは、鍛錬用の木刀。
彼はこの木刀を今でもすごく大事にしてくれている。喜んでいる彼の顔を見るだけでも、その頃のあたしは幸せだった。
「なぁ、巫女兎。誕生日何がほしい?」
「あたし? あたしは護がいれば何にもいらない」
さらっと告白をするけど、彼はまったく気付いていない様子。
未来さんが朝ご飯を作っていて、士さんは庭で魔法の鍛練をしている。この頃の彼は、あたしの師匠的存在で、あたしに冥界魔法と錬成魔法を教えてくれていた。
護の師匠――未来さんは彼が三歳くらいの頃から彼に剣を教えている。もし、彼女が彼に剣を教えてくれていなかったら、四年前の出来事であたし達は死んでいたかも……。
あたしはその会話の後に士さんの元に行き、魔法を教えてもらう事に、
「今日、教えてくれる魔法は何ですか?」
「今日は『ライトニング』だ、巫女兎ちゃん」
あたしが張った「スクエア」の外では、護が朝ご飯を作り終えて、呼びに来た未来さんから、剣の修行方法を教えてもらっていた。
そのときまでは普通の日常だった。
あたしは未来さんが作ってくれた朝ご飯を食べつつ(護が食べている分はあたしが作った)護がこの後出かけると言っていたからそれについていくことにする。当時十歳の彼はもちろんお金がない。だから未来さんが着いていく事に。士さんは家の書斎で魔道書を読むといっていたから来なかった。
町のデパートに着いたあたし達は最初にあたしのプレゼントを選ぶことに。
「巫女兎ちゃんはどんなのがいいの?」
「あたしですか? あたしは護があたしの隣にいてくれれば何も望みません」
未来さんはあたしの誕生日プレゼントを選ぶねと言ってから護と一緒に行ってしまった。取り残されてしまったあたしはQCDを持って屋上に行き、暇を潰す事にする。
一時間後。
あたしのQCDに護からのメールが届く。
《巫女兎、今どこにいる? こっちはもう終わったから今からお前を迎えにいく。そうだ! お昼何食べたい?》
何もそこまでしなくても……。
あたしは少し呆れるけど、嬉しく感じる。好きな人が迎えに来てくれるというのは、なかなかないからだ。
あたしはそんな嬉しさを胸に、
《あたしは今屋上にいるわ。わざわざあたしのプレゼントなんて買う必要ないのにありがとうね、未来さんにもそう伝えといて! お昼はね、パスタが食べたいな!》
メールにも書いたとおり、あたしはプレゼントなんていらない。なぜなら、あたしの大事な人は護以外誰もいないからで、護がいれば何にもいらないというのは嘘ではない。生まれてから十年で大事なものを失いすぎたあたしは、これ以上大事な何かを望まないようにしている。これ以上を望んでしまったら、失ったときのショックが大きくなってしまう。大事なものは常に自分の目の届くところに置いておきたいというのがあたしの心情。
そんなことを考えている内に信条母子があたしの所に着いたみたいで、
「待った? 巫女兎ちゃん」
「そんなに待ってませんよ、未来さん。早くお昼食べに行きましょ?」
「そうだよ、母さん。俺、腹減ってって仕方ねぇんだ」
「分かったわ。じゃあ、行きましょう」
あたし達はお昼を食べに近くのイタリア料理店に向かう。
お昼を食べに来たあたし達はテーブル席を取ると注文を(あたしはカルボナーラで護はミートソース、未来さんはぺペロンチーノ)してから会話を始める。
席に着いてあたしが最初に思ったことを質問する事にする。
「どうしてそんなに荷物が多いんですか?」
「巫女兎ちゃんは気にしなくていいのよ。全部護に持たせるから。明日は巫女兎ちゃんの誕生日だからさ、豪華にしようとしたらこんなに多くなってしまっただけだからね」
「母さん。それ聞いてねぇよ」
「当たり前じゃない。今言ったんだから」
流石にそれは鬼だと思う。あたしは苦笑いをしながら料理が届くまで、会話に没頭する事にする。気になるのは荷物の多さだけじゃない。あたしのプレゼントだって気になるに決まっているわ。
「ところで……あたしのプレゼントって何ですか?」
「プレゼント、少し待ってね。ほら、護~」
母さん、急かすなよと言ってからズボンのポケットから取り出すと、
「一日早いけどおめでとう、巫女兎。これ俺からのプレゼントな」
「アリガト、護」
あたしは彼が選んだヘアゴムを見てニヤニヤしているに違いない。未来さんの表情が明らかに息子夫婦を見ている顔だったから、きっとこんな顔をしているんだろうなと想像する。
「はい、これ! わたしからのプレゼントね! 一日早いけどおめでとう」
「ありがとうございます。未来さん」
「いい加減、未来さんじゃなくてお義母さんって呼んでよ。巫女兎ちゃん」
完全に結婚前提で話が進んでいる気がするけど、まだ彼と結婚するって決まったわけじゃない。もしかしたら、彼よりも好きな人ができる可能性があったからだ。だけど、彼以上に好きな人ができる気がしなかった。
未来さんがあたしに渡してくれたのは、兎のストラップだった。普通、逆じゃないとあたしは思ったけど、それは自分の胸の中だけにしまっておく。
あたしはそれを早速QCDに付ける。
付け終えた所でちょうど三人分のパスタが来た。あたし達は「いただきます」と言った後にいっせいに食べ始める。
その味をあたしは一生忘れない。これが最期になるなんて、このとき微塵も思っていなかった。
そのとき食べたカルボナーラは麺に絡んだソースが絶妙で、麺の固さがあたし好みだったから、無我夢中で食べていたのを覚えている。
帰り道。
護があたしの誕生日パーティーの荷物を全て手に持っている。未来さんは言ったらやる人だから、このときばかりは護の荷物を持とうとしたけど、
「巫女兎ちゃんは持っちゃだめよ。護! ほら、頑張れ!」
「母さんに応援されても嬉しくねぇよ」
「あら、そんな事いうなら重りを追加するわよ?」
「ごめんなさい!」
全力で頭を下げている彼はかっこ悪かった。しかし、未来さんが言っている事はかなりスパルタな内容だから同情する。彼は同情なんてされても嬉しくないのだろうけど。
あたしはそんな彼の横を彼のペースにあわせてゆっくり歩く。彼の横顔は本当に辛そうだったけど、強くなるために必死に頑張っているのが伝わるものだった。
未来さんはあたし達の後ろを歩いている。あたし達の保護者だから当たり前かもしれないけど……。
「未来さん。どうしてそんな楽しそうなんですか?」
「それは教えないわ。これ、教えちゃったら面白くないもの」
彼女は楽しそうにニヤニヤしている。あたしはその理由が気になったけど、教えてくれないというのだから諦めるしかない。
あたしがそう思った瞬間、
「護! 巫女兎ちゃん! 危ない!」
バンッ!
未来さんがあたしと護を勢いよく突き飛ばす。それと同時に未来さんが撥ねられる。何が起きたのかあたしには理解できなかった。
「母さん!」
彼が叫んだとき、あたしの思考がようやくこの状況を捉える。
あたし達を庇って未来さんが轢かれたという状況を。
車の運転手は何が起きたのか分からないという顔をしているが、今の状況は理解しているみたいで、
「大丈夫ですか!?」
あたしはすぐ、彼女に「ヒール」をかけるが四年前と同じで、内出血がひどいのか、それとも当たり所が悪かったのか回復する気配を一向に見せない。
運転手は急いで救急車を呼んでいるし、護は護であたしを助けてくれる。
だけど、未来さんは笑いながら、
「護……、今度は……あなたが……自分の愛する人を……護る番よ。だから……ね?」
「そんな事言うなよ! まるでこれから死ぬよって言っているようなもんだろ! 諦めないで生きようとする意志をちゃんと持てよ!」
自分の腰に差している刀を彼に差し出す。あたしは彼女を助けるために必死に「ヒール」をかけ続ける。「ヒール」よりも回復力が高いけど、体力と魔力をかなり消耗する回復魔法――「ナース」をかけようと判断したときに、
「巫女兎ちゃん、護を……これからも……よろしくね。あと、私が教えた事を……ちゃんと生かしてね。わたし、右のほうを……強く打ったみたいだから……助かりそうに……ないわ。内出血もひどそうだし……、病院に搬送されても……助からないわね。だからさわたし……、逝くね。士君にも……よろしく……言っといて……」
「母さん!」「未来さん!」
あたしは諦めない。四年前、お父さんを助けてあげられなかった事を後悔しているから。それに二つの命を天秤にかけるわけじゃないから、彼女を助ける事に全力を注ぐ事ができる。
あたしは「ヒール」から「ナース」に切り替える。途端に一気に体力が抜けるような感じが全身を駆け巡る。
それでもあたしはかけ続ける。「スクエア」を張りながら、彼女が強打したところを中心に、彼女が助かる事だけを頭に思い描いて。
「俺が気をつけなかったばっかりに……」
「そんな事言わないで! それはあたしだって同じなんだから! 嘆いてたって仕方ないでしょ!」
この時不覚にも思ってしまった。未来さんはあたしが殺してしまったようなものだと。
思わないように必死で頑張っていたのにもかかわらず……。
救急車が着いたのは、あたしが「ナース」をかけ始めてから三十分後。あたしの身体は悲鳴を上げていて、立つのがやっとなのにあたしは一パーセントでも彼女が助かる確率が上がるなら、という思いで頑張る。
「お嬢さんはこの人の身内かい?」
「はい! 後あたしの隣にいる男の子も!」
救急車に乗った後もあたしは彼女に救急隊員と一緒に魔法をかける。護は時々「大丈夫か?」とあたしの心配をしてくれる。そんな彼の存在があるからこそ、あたしは頑張れる。だからこそ、未来さんを助けたい。
病院についてすぐ、彼女は手術室に搬送される。
そこから待つ事五時間くらいたった。
「全力を尽くしたのですが…………助ける事ができませんでした」
隣にいる護はただただ泣いているばかりだった。その自分のやるせなさに腹が立った。きっと、彼も同じだろう。あたし達は無力だ。肝心なときに限って役に立たない。
無力感だけがあたしの心の中を満たす。疲れや脱力感なんて一切感じない。あたしはどうしたらあたしの大切な人や物を護れるようになるのかが分からない。
あたしがあたし自身に感じたものは、大切なものを護れなかったという無力感と、四年間あたしを支えてくれた人を失ってしまったという喪失感、これからどうすればいいのかという絶望感。
回復魔法だって万能じゃない。軽い怪我や命に係わらないものなら魔法で治せる。逆に、致命傷を負ってしまえばいくら魔法でも治すことはできない。これを知ったのはお父さんが死んでしまったあの事故のときだった。だからあたしは同じことを繰り返さないために努力し続けてきたのに、結果がこれじゃあ士さんにどう顔向けしていいのか分からない。
あたし達が交差点で横断歩道を渡っているときに、あたしの日常は奪われた。たった一台の魔道車によって。
あのときはあたしも護も三日三晩何も食べなかった。だけど、彼はいつまでも悲しんではいられないから、歩こうぜとあたしに手を差し伸べてくれた。あの時見た手は大きく見えたのをはっきりと覚えている。
二回ともひどいものだった。どこまでも黒くて深い闇があたしを覆っていて、脱出することができないし、光を見ることも許されない。これがあたしの絶望。
そんな黒くて深い闇からあたしを助け出してくれたのが、あたしの想い人――信条 護。
彼はいつだって笑ってあたしを励ましてくれた。彼のほうがつらいときもあったはずなのに。いつだって、あたしを助けてくれるし、理不尽な事をしても許してくれる。
そんな彼があたしの目の前で死ぬ。
それは絶望という単語では言い表すことができない。
彼が死ねばあたしは間違いなく心を閉ざす。彼がいない世界は想像できないし、したくもない。誰もあたしを深くて暗い心の闇から助けてくれない。永遠にそこを彷徨うに違いない。そうなってしまえばあたしは誰か(今目の前にいる士さん)の操り人形になってしまうだろう。彼の思うがままだ。未来さんを生き返らせることも、このアスファルバインというあたしと護の思い出が詰まった素晴らしき世界を滅ぼすことも。
あたしの大事な人はどうして早死にするのだろう?
あたしの中にあるこの余計(神)な(の)力(力)は何のためにあるの?
疑問と絶望、そして彼に対する怒りがあたしの心の中を支配する。
この手さえ動けば、彼を殺す事ができるのにっ!
三回目にして最悪の絶望を感じてはいけない。
あたしの中の本能も理性もそういっている。
ここ、姫神神社の本殿に入る事のできる人物はあたしと士さんを除けば一人しかいない。
その一人が来る前に決着を付けたいあたしは、
「あたしと戦ってください、士さん」
戦いは嫌いだ。
それが生み出すのは、絶望と血の惨劇。それから、恨みや憎しみ・怒りといった負の感情と罪悪感。
簡単に言えば負の連鎖しか起きないからあたしはこれを嫌う。
だけど、例えこれを嫌っていても大切な人が目の前で死んでしまうのはゴメンだ。嫌いだからという理由で戦わず、護を死なしてしまうくらいなら、あたしは戦う。あの時戦えばよかったという後悔だけはしたくないから。
「巫女兎ちゃん。君はその状態でどうやって魔法を使うの?」
「こうやってです!」
彼は柱にあたしをくくりつけていなかったのが幸いして、あたしは立ち上がると走って台所に向かう。
彼はあたしの目的に気付いたのかすぐに人形兵を作り、あたしを追いかけさせる。
あたしだってバカじゃない。
人形兵より一足早く台所に着くと急いで火をつける。その火で縄を焼き切ることに成功したあたしは火傷した腕を「ヒール」で治療して、人形兵を待ち受ける。
あたしの目の前に来た人形兵は、「ライトニング」でばらばらにして、すぐに「スクエア」を張る。
そうしないと人形兵についている追加効果を防ぐ事ができないからだ。
五体中三体は死んだときに「イクス」が発動するようになっていたみたいで、あたしの目の前で爆発が起こる。それを防いだと思った矢先、残った二体の追加効果――「ブリザード」があたしを襲う。
完っ全に油断していたわ。あたしは自分でも驚いてしまうくらいの驚異的なスピードで「フレイア」を唱える。
あたしの「フレイア」と人形兵の「ブリザード」が相殺する。完全に動かないことを確認してから、彼の元へと向かう。
神社の本殿がだんだんとボロボロになっていてしまうけど、後で修復すれば問題ない。全壊させないように威力に注意しないと。ここはあたしと護の思い出の場所のひとつだから。
「ふ~ん。あの人形兵を全滅させるなんて、なかなかやるじゃん」
「あなただけですよ、士さん。今ここであなたを殺します。合体魔法――『射手座の雷光』」
合体魔法は自分が使える二つの魔法を組み合わせて放つ魔法のこと。
冥界と冥界が基本だけど、冥界と天界、天界と天界、など組み合わせはさまざま。
その中でも、あたしは冥界魔法の「メイク」で弓矢を形成すると同じく冥界魔法の「ライトニング」で矢をコーティングする。こうする事で、普通の「メイク」で作った弓矢を放つよりも数倍の威力を発揮できるようになる。
初めての合体魔法は成功したが、相手にダメージを与えるかどうかは話が別になってしまう。だけど、そこまでしないと彼には勝てない気がしない。
狙いを目の前にいる彼に合わせ、雷の矢を引き絞る。
今できるあたしの全力をあなたに!
全力といっても、彼が放つであろう合体魔法に反撃できるだけの魔力を残す。
ヒュッ。
「面白いじゃないか! 巫女兎ちゃん。俺も合体魔法で対抗しよう。合体魔法――『射手座の黒雷光(ブラックライトニング オブ サジタリウス)』」
彼もあたしと同じような魔法を使ってきた。
違うのは、普通の雷か黒い雷か。
お願い! 届いて!
あたしは自分の魔法が彼に届くように祈る。これが彼に届かなければ、あたしは今度こそ全魔力を使って合体魔法を使用するしかない。
なら、今の内にもう一回合体魔法を使用するために呪文を唱える。
唱えている間にあたしの『射手座の雷光』と彼の『射手座の黒雷光』がぶつかる。
眩しい!
閃光が煌く。
いったい何が起きたのかが分からなかった。
あたしの矢と彼の矢がぶつかり、あたしの矢が彼の矢に負けてしまう。
彼の黒い矢はあたしの矢を貫通してあたし一直線に向かってくる。あたしは急いで、二回目の合体魔法を放つ。
「合体魔法――『天馬の閃光』」
大地を駆ける天馬の雷。これが今、あたしが放った魔法。彼の黒い矢を打ち砕いたあたしの天馬はそのまま彼に向かって走る。
「メイク」は武器だけじゃなく、動物だって形作る事ができる。
あたしの天馬には今ある全魔力を注ぎ込んだ。これで彼を殺せなかったらあたしの負け。気絶させられ、目の前で護を殺されるところを黙ってみる事しかできなくなるに違いない。
「油断したよ。俺ももう一回使うとするか。合体魔法――『黒焔の龍(ブラックフレイム オブ ドラゴン)』」
彼が放った魔法は忌々しい黒焔に身を包んだ龍。あたしの天馬を一口で食べてしまうくらいの大きさを持っている黒い龍だ。
あたしの天馬を飲み込んだ彼の龍は、天馬が身に纏っていた雷を吸収し、自分の身に纏いながらあたしに向かってくる。
威力はあたしを殺さない程度に調整してあるに違いない。だけど、あたしが身につけている巫女服は燃えてなくなってしまうだろう。
あたしは目の前に迫っている黒い龍に恐怖を抱きながら、護が助けに来てくれる姿が簡単に想像できてしまう。そんな姿を思い描きつつ、来ないでほしいという、相反する気持ちを抱く。
絶対に来ないで護。あたしはあなたの殺される姿は見たくないから。
あたしが目覚めて見た光景は、
「親父、これで終わりだ」
「殺すなら早くしろ。俺を未来の所へ連れてってくれるんだろ?」
護が士さんに刀(あの青い刀身の刀が龍爪牙ね)を士さんの頚動脈付近に当てている光景だった。
さっきまで自分が殺そうとした相手が殺されそうになっている。
あなたが蒸発しなければきっと三人で明るい生活が送れたに違いない。でも、それは叶うはずのない望みで叶えることができるのは、覚醒したあたしの力だけ……。
そんな事を思いながら彼らを見ていると護が士さんの首を斬ろうとしている。
「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええ!」
あたしは護に向かって絶叫していた。それだけはどうしても止めないとだめな気がしたんだ。だって、子供が親を殺すのは…………。
そんなあたしの声が聞こえたのか、彼は後一歩というところで刀を止める。少しホッとしたのもつかの間、士さんの表情が早く殺せといっている。殺したところで何も変らない事をあたしは知っている。だからこそ、未来さんの分まで生きてほしいと思う。護も知っているから少し躊躇しているのかもしれない。そんな彼の表情を見かねたうえに、あたしの考えもお見通しだろう彼は、
「ゴメンな、巫女兎ちゃん。これは俺が望んだ事だ。護、俺は早く未来に逢いたい」
あたしは自分の顔が暗くなるのが分かった。
どうして死ぬことしか考えられないのだろう?
生きて、生きて、生き抜いてから未来さんに逢うという選択肢が彼の中には存在しないのだろうか?
自分の立場に置き換えて考えるとあたしも同じような選択肢を取るかもしれない。でも、そんな選択肢を取ったらアスカやレイン君が止めに入るに違いない。しかし士さんには止めてくれる人がいない。護が止めてあげればいいのにとあたしは思うけど、彼は最初で最後の親孝行をしようとしているから止めようとしない。
そんな彼は士さんに、
「本当にいいんだな、親父?」
「当たり前だ。巫女兎ちゃんと仲良く暮らせよ、護」
彼はその答えを聞いた後に自分の得物で彼の頚動脈を斬る。
自分が初めて使った得物で、初めて殺した相手が自分の親。彼はかなり心を痛めているに違いない。親がいないあたしにはその気持ちがよく分からない。だけど、彼は士さんが残した遺言を噛み締めているのか眼を閉じて泣いている彼のその気持ちは分かる気がしたんだ。
彼は龍爪牙に付着した血を振り落とすと、柄に収めてあたしに手を差し出してくる。あたしはそれをとって立ち上がる。彼の顔や服に着いていた返り血は気にしない。その服は洗濯しないで取っておく。士さんが遺してくれたものは彼の服についた血だけなのだから。
彼は自分の父親を殺した事を後悔しているのだろうか?
あたしは彼に質問しようとするけど、訊かないことにする。士さんがいるのにそれを訊いたら彼に対して失礼だ。
護に対しても士さんに対しても。
さっきまではあたしを誘拐した誘拐犯であたしの力を利用しようとした敵。今ここで眠っている彼はどこにでもいる普通の父親。
あたしはそんな彼に感謝の言葉を。絶対に聞こえないと分かっていながら。
「ありがとうございます、士さん。あなたはあたしの永遠の先生ですから…………」
彼に聞こえない声で小さく呟く。
あたしは士さんが未来さんに逢えることを祈りながら、アスカたちのいる結界の外に歩き出した。