巫女兎 弐
第四章
あたしは夢を見ている。
その夢はあたしにとって幸せなもので、その内容は護と新婚生活を営んでいるというもの。
幸せな生活の途中で、急に彼がどこかに行ってしまう。
この世界でも有名な歌の歌詞そのものみたいな幻。
この夢があたし達の未来そのものだったらあたしはそのときどうするのだろう?
「護。どこにも行かないで……」
あたしは泣きながら去っていく彼にそう言うので精一杯だった。
あれ? あたし誰かに頭を撫でられてる?
とても不思議でたまらなかったけど、すごく気持ちがいいからそれに身を委ねていると、
「……おはよう、護。よく眠れた?」
「おかげさまで」
隣に彼がいることに少し驚いてしまったが、すぐに昨日のことを思い出す。
でも、まだ寝起きだからものすごく眠い。彼に「抱いて?」と頼んでから、二度寝したらどんなに気持ちいい睡眠が取れるのだろう?
そんなことを考えて妄想すると顔が赤くなってきている。それを悟られないように黙って過ごす。
彼は何を考えているのか分からなかった。それにお互いに沈黙しあっている。まるで、あたし達が石になったかのように。
少しばかり眼が冴えてきたあたしは耐えられなくなり、
「護、鍛練はしなくていいの?」
「巫女兎が離れてくれないとできないだろ?」
「じゃあ、今日はおやすみ?」
「そうだな。まぁ、お前の態度しだいではやるかもしれないけど」
じゃあ、護を拘束しないとだめだね。そう考えたあたしは彼がこの部屋をいなくなってから、「サーチ」をかけることにする。
そこからあたしは昨日のデートがまだ終わっていないことに気付く。
だって、そうじゃない? デートはいつだってキスをして初めて終わるものよっ!(あたしが勝手にそう思っているだけかもしれないけど)
あたしは彼にキスをしようとすると、彼はカレンダーをまじまじと見つめている。
そういえば、明日はあたしの誕生日だったっけ。
なら、明日もデートかなっ?
あたしは彼の右腕を掴んだままでいる事に気付いた。そこから仕掛けることにする。
ベットに寝たままのあたしは右腕を掴みながら上目遣いで彼を見つめる。まるで、お願いをするように。
いつもなら絶対にやらないけど、今日は巫女服を着たままだからそこは気にしない。
いつもと違うのはあたしだけじゃなくて彼も違う気がした。
上目で見る彼は普段よりかっこよく見えるのはもちろんの事だけど、鍛え上げている彼の肉体がたくましく見えて仕方ない。
心臓がいつもよりドキドキしている。
普段見慣れていない彼にあたしは何を期待しているのだろう?
あたしはそこまで来てまだ、キスしてないなと思って行動する。
その前に彼の右腕を放す。かなり満足しているし。
あたしは彼の唇に重ねようとするけど、まだ恋人ではないから彼の右頬に――
チュッ。
「お、おい! 巫女兎?」
「昨日の続きよ、これでおしまいだから」
彼の表情が暗くなった気がした。
それは一方的な勘違いだよ、護。
だって、あたしは昨日のデートはものすごぉぉぉぉぉぉおおく楽しかったんだからさっ!
今日の護の鍛練は彼が言った「おやすみ」を有言実行させる。
彼は早速あたしがかけた「サーチ」に引っ掛かったみたい。この「サーチ」という魔法は任意の大きさの結界を張り、その中にいる生物などの数を知るためのもの。結界から出れば、出た事を術者に伝わるので、彼が鍛練をしようとベランダに出た所をすぐに駆けつけ、あたしの眼の届く所――これから朝食を作るから、キッチン――に連行する。
これが三十分くらい前のこと。
まったく、すぐに始めようとするんだから!
今彼はあたしが創った特製の鎖に拘束されている。この鎖には、彼が動くと電流が流れるように「ライトニング」という魔法をかけてある。本来は攻撃をするための魔法なんだけど、魔力を弱め、それに条件を加えるとこういう使い方も可能になるわ。
流石に口をガムテープで封じるなんて真似はしていないからねっ!
「護~! ちゃんとそこにいる?」
「いるよ。逃げないから早く食べようぜ」
あたしはもうすぐ作り終えそうな朝ご飯――白米とほうれん草のおひたしに味噌汁、ホッケの開き――を前にして、彼がいることを確認した。
彼には、朝ご飯を作り終わるまでは開放しないからといってある。理不尽だと彼は思っているに違いない。だけど、あたしは彼の言った事をただ実行してほしかっただけ……。
ご飯ができたから彼を迎いにいくと何かを考えているみたいだった。その内容は簡単に予想できるものだけど、あえて知らないふりをすることにする。
「ま・も・る~! できたわよ。今外すからちょっと待ってね」
あたしは彼を拘束している鎖を外す。
「ライトニング」をかけてあるから、キッチンに戻ってゴム手袋を着けてからにしないと感電死してしまう可能性が……。
南京錠の鍵を外してからあたしは自分の右手を差し出す。
ベットではあんな事を言ったけど、昨日の余韻がまだ胸に残っているから、こんな行動を起こしたのかもしれない。
この差し出した手を握り取らなかったら、彼を焼き殺そう。
うん! 決めた!
彼の頭の中は「?」が埋め尽くしているのか、なかなか手を取らない。
後十秒で灰にしようと思ったところであたしの手を取る。
言わなくても察しなさいっ! このバカ!
彼を心の中だけで罵る。でも、怒りよりも喜びのほうが大きい。
あたしは彼に導かれるようにして、リビングに向かう。
テーブルに置いてあるのはもちろん、あたしが作った朝ご飯。目の前には困っている表情をしている護。それ以外にあるものといえば、水が注がれているコップとあたしと護の箸くらいだ。
彼はあたしの考えが読めているのか、なかなか「いただきます」を言おうとしない。
あたしはそれを言った瞬間に彼に食べさせようと行動を開始しようとしているのにっ!
彼の表情は時間がたつたびに絶望的になっていく。逆にあたしは目をキラキラと輝かせているに違いない。
しかし、彼は、
「食べる前に一つだけ、お願い」
お願い? なんだろう、それ。美味しいのかしら?
彼が身につけている別の意味で黒いオーラは完全に希望が無く、絶望的な感じが漂っている。そんな彼のお願いは、
「今日は食べさせ合いなんてしないからな」
「分かったわ……」
私は仕方なくそれを承諾する。
だって、承諾しないと彼のモチベーションが下がってしまう。そんな状態で食べさせあいなんてしても楽しくないから。
その答えを聞いた瞬間に彼の表情が絶望的なものから、一気に驚いたような感じの表情になる。それに掛けた時間はわずか一秒!
そして、すぐに心配した感じの表情になる。
あたしの体には異常なんて無いわよっ!
とアイコンタクトで彼に伝えるけど、きちんと伝わっているのか心配だわ……。
あたしは「いただきます」と言ってから一人で黙々と食べ始める。
ふと何かを思い出したあたしはそういえばと言ってから、
「護は明日、あたしの事どうしてくれるのかな~?」
わざと捉え方によっては卑猥な方向で意味の取れることを言って見せた。
ツッコミができるものならツッコミをしてきなさい。
その瞬間に「フレイア」で、灰にするか「ブリザート」で氷にしてあげるわ。
彼は必死に何かを考えているみたい。多分このセリフの返事だと思う。
ここに辞書があれば確実に目を通すわね。あの調子だと……。
彼は三分くらい必死に考えていたけど、何も思いつかなかったのか
「楽しみにしてくれ。巫女兎」
これが今の俺の精一杯だと言いたそうな表情をしている。
高い所にあるものを無理して取ろうとすると人は落ちてしまう。だから、人は精進するのかもしれない。
あたしに置き換えるなら高い所にあるものが護で、それを無理して取ろうとするのがあたし。落ちないために精進するのもあたしだ。護はあたしの乙女心を理解してくれているのだろうか? いや、それは多分ないわね。
よって、あたしは自分から行動を起こす。
あたしがそうしないと彼はしてくれないから……。手を繋ぐ事も、キスをすることも。
あたしはあたしであるために、彼に聞こえてしまうと怖いから心の中でそっと呟く。
結ばれて、幸せになろうね! 護。
自身を持てるようになるまで、この恥ずかしいセリフを封印しようと思ったから、また黙々と朝ご飯を食べる。
あたしはただ広いだけの信条家に置いてかれてしまった。
あたしも出かけたかったのにっ!
空は限りなく澄んだ青一色で埋め尽くされていて、赤いビー球が大地を燦々と照らしている、こんないい天気の日に、女の子一人を家に閉じ込めている護の神経がおかしくなっているとしか思えない。
「はぁ~。暇で、暇で仕方ないわね……」
あたしは彼に「つれていきなさい!」と命令したけど、それを拒否されてしまった。だから、今暇をもてあましている。
洗濯も掃除も終わってしまった。今更ここを捜索しても仕方ない。だって、お父さんが死んでからここに住んでいるから、庭みたいな感じでどこにどんな部屋があるのかすぐに分かってしまう。
あたしは自分の部屋でごろごろしている事以外やる事が無いという結論に至る。
至ったからには当然実行する。それ以外ないなら尚更のこと。
部屋の中にはあたしが趣味で集めた動物のぬいぐるみや魔道書、それからQCDの充電器くらいしかない。
それでも何もしないよりましだと思う。
「これでも読もう~」
あたしは近くにあった魔道書を手に取ってから広げる。え~と、題名は……『天界攻撃魔法について』
天界攻撃魔法? 初めて聞く単語に興味津々なあたしは早速この魔道書を読み始める。
主に回復とサポートしかないこの魔法には、冥界魔法に対抗するために生み出された三つの攻撃魔法があるらしい。
一つ目は「シルバーサン」
この魔法の特徴は術者の周囲半径二メートルを攻撃対象にするみたいで、受けたものは灰になる効果がある……らしいわ……。
下手したら味方も巻き添えをくらうことになるから使わないで置こう。
二つ目は「パラサイトムーン」
これは術者の周囲に七つの聖玉(魔法で作った光の玉)を操り、攻撃する魔法みたい。ダメージを受けると灰にはならないけど、精神的苦痛が約一時間も続く事になるみたい。(個人差があるらしい)
護身用の魔法として身に着けておきたい。
三つ目は「ジャッジメント・ホーリー」
術者が敵と認識した人、もしくは世界が邪魔だと認識した人が攻撃対象になるみたいで、使用すると一ヶ月は魔法が使えなくなると書かれている。
どうしてもというときにしか使えないわ、この魔法。
巫女服を着たままベットで横になり日光を浴びている。周りから見たらどんな風に思われるのだろう?
そう思わざる得ない状況で、急にあたしの部屋の窓ガラスが割れる。
「どうし――」
そう言おうとした。しかしすぐに口を巫女服で覆う。この部屋に「スリープ」の煙が充満していることに気付いたからだ。
おかしい……。この魔法は冥界魔法の一つだ。さらに、あたしの部屋のガラスを割ったものは明らかに錬成魔法で作られている。
二重魔術師。
間違いなくこう呼ばれる人達の仕業だと気付いたあたしは、すぐに逃げるための行動を開始したが、すでに遅く。あたしの部屋の周りには錬成魔法で創られたであろう鎧を着ている意思の無い兵士――人形兵がいたからだ。
冥界と錬成の二重魔術師はあたしの知っている限り一人しかいない。その人は八年前に蒸発したと護から聞いている。つまり、あたしを襲っている人は、
「久しぶりだな、巫女兎ちゃん」
「士さん。どうして……」
訊きたいことはいっぱいあった。だけど状況が状況だけに、訊ねるより自分の身を守ることのほうが先。
あたしはすぐに「ライトニング」で人形兵を蹴散らし、退路を確保すると迷わず逃げる。後ろからは人形兵と士さんが追いかけてくる。
ただの鬼ごっこなら笑って過ごせるのに……と思いながら、錬成魔法で新しい壁を作って、通路を封鎖する。これでいったい何分の時間稼ぎになるのかなんて考えている暇も無い。
封鎖した通路内に「イクス」を仕掛けながら逃げ回る。QCDは自分の部屋に置いてきてしまったから、護に助けを求める事もできない。
完全に多勢に無勢の状況であたしにできることはただ一つ。罠を仕掛け、逃げる事だ。
「士さん。どうして……こんな事を」
さっき訊けなかった疑問を改めて口にする。
理由は何なんだろう? やっぱり、おばさん――未来さんのことなのかしら、それとも……。
ドッカァァァァン!
壁が破壊された。
その現実があたしの平常心を崩し去ってしまう。人形兵は完全に消せるだろうけど、彼はそうもいかない。
冥界と錬成の二重魔法はかなり厄介だから。
彼は物を創るだけでなくそれに効果を付加する事ができてしまう。簡単に言えば、さっきの人形兵になんだかの効果がある。
あたしが仕掛けた「イクス」を人形兵に受けさせながら追いかけてくる。それを後ろを振り返って確認する。
走りづらいわね! この服っ!
受けた人形兵には「チェーン」の魔法(同種の武器や魔法に反応する冥界魔法)が掛かっていたのかせっかく仕掛けた「イクス」がどんどん爆発させられていく。
それと同時に床が落ちていくからどうやってあたしの事を追いかけるのかしら?
考えるのを止め、逃げる事に集中した。そうしなければ確実にあたしが誘拐されてしまうのが眼に見えているから。「暇で、暇で仕方ない」と言っていたさっきまでとは状況が百八十度回転している。
彼は抜け落ちた床を錬成魔法で修復しながらあたしを追いかけてきた。予想通りではあったけれど、男と女じゃあ運動能力が違う。
なら、さっき読んだ魔法――「ジャッジメント・ホーリー」――を使用としたが、生憎呪文を覚えていない。
自分の部屋がある二階から玄関のある一階に下りてきたところで彼に捕まる。
あらかじめ用意していたのか懐から縄を取り出すとあたしを拘束するために縛り始める。
「答えてくださいっ! どうして、あたしを誘拐しようとするんですか、士さん!?」
「…………」
彼は黙ったまま何も答えてはくれなかった。
近くにいた人形兵はあたしの周りを囲っている。
八年前は優しかった彼がどうしてこんな行動に出てしまったのか、それはそれで疑問に思ったけど、それよりも今は
「助けてよ……護……」
そう呟くのが今のあたしには精一杯だった。