前世2
空腹感が増してきた。一人で作業を開始しからすでに2時間程経過していることに、時計を見て初めて気付いた。集中して仕事をしているとあっという間だ。
もう間もなく九野さん分の仕事は終わりそうだ。とりあえず順調だ。まずはこれを終わらせて早いとこ他の人の仕事に取り掛からないとな。
再度気合を入れて机に向かおうとすると携帯電話の着信音が鳴った。こんな夜に誰からだろうか。可能性があるとすれば飲み会中の課長が、何か忘れていた業務を思い出して俺に対する指示の電話が考えられる。
しかし画面を見るとそんな予想に反して知らない固定電話の番号だ。どうせ何かの営業の電話だろうとは思うが、時間も時間なので出てみることにした。
「もしもし」
『白崎様のお電話でしょうか? こちら第一総合病院です』
「あ、はい、白崎ですが……?」
行ったこともない病院だ。これはとてつもなく嫌な予感がする。
『ご両親の白崎正広様と妙子様ですが、事故に合い只今こちらに運ばれてきました』
「事故ですか!? 大丈夫なんですか!?」
電話口から両親の名前が告げられた。心臓の鼓動が未だかつてない程に高まり、手のひらには汗が滲み出でてきた。
『事故直後に意識はあったとのことですが、救急車で運ばれている最中に意識不明となり予断を許さぬ状態です』
「わかりました。すぐに向かいます」
この状況で仕事を続けることはできない。しかし、社会人である以上、期限のあるものをほったらかしにするわけにもいかないので、課長に電話をして誰か助っ人に来てもらい業務を変わってもらうのが賢明な判断か。さすがにあの課長でも対応してくれるだろう。
会社の電話から課長の番号を押すとすぐに応答があった。
『はい、もしもし』
「飲み会中に申し訳ございません、白崎です」
『なんだ白崎か。他部署のやつらかと思ったわ』
「今病院から連絡がありまして、両親が事故に合いすぐに病院に行かないといけなくなりまして」
『ふーん、それで?』
え……なんだ。この冷めきった反応。うそだろ。事故の報告に対する反応じゃないだろ。さすがに予想外だ。
「えっと、あの……先程引き継ぎを受けた業務の中で、まだ明日までのものが終わっていないので、誰でもいいから一人社内へ戻して頂けないかと思いまして」
『いやいやいや、そんなの無理でしょ。もう全員酒入ってるからまともに仕事できるやつはいないよ。それに最後まで責任をもって業務はやらないといかんよ』
こいつは何を言ってんるんだ? そもそも俺がいま急いでやっている業務は元々他のやつの仕事だぞ。
「一刻を争うので……本当に申し訳ないんですが……」
ふう、落ち着け落ち着け。ここで言い返しても何も意味はない。それどころかややこしくなるだけだ。誰でもいいから戻ってきてもらえればそれでいい。
『しつこいよ。そんなに早く行きたいなら電話してる暇なんてないでしょ。すぐに業務に戻らないと。じゃあ頑張って』
課長はそれだけ言うと電話は切れた。切れた電話を片手に握りながらしばらくの間、俺は呆然とした。
こんなことが許されていいのか、と様々な思いが頭を巡った。こんなのまともな人間のすることとは思えない。酒は入ってるだろうがそれにしても異常だ。
だがしかし、課長があれなので、もう自分でどうにかしないといけない。手を止めている時間はないのだ。先に病院に行ってもいいが、朝までに職場に戻れる保証がない以上、まずは病院に少し遅れる旨を伝え、集中して明日までの期限の作業だけを終わらせて、速攻病院へ駆けつければ大丈夫なはずだ。
九野さんの仕事はその後すぐに完了したが、もう一人の仕事が当初想定していたより面倒で、電話をしてからさらに2時間程経過してしまった。しかしなんとか終わらせた。
急いで帰る準備をして事務所を出ようとした時、病院からの着信がまた表示された。慌てて電話に応答する。
「もしもし! 白崎です!」
『第一総合病院です。只今お時間大丈夫ですか?』
「はい、大丈夫です」
『白崎正広様と妙子様ですが、懸命に治療を続けて参りましたが力及ばず、只今息を引き取られました』
「……そ、そうです……か……。わかりました。ありがとうございます。……あと1時間程で伺えると思います」
『わかりました。お待ちしております。失礼致します』
正直この辺からの記憶は曖昧だった。ひき逃げということで、傷だらけの両親の遺体を確認した後、警察とも話しをしたがあまり覚えていない。犯人に対する怒りとかもあまりなく、ただ虚無感だけが俺の心を占めていた。
病院からは葬儀の手配等も言われたが正直よく分からずお任せしますとだけ応えた。
両親の死に目にも会えず、これで俺は完全に孤独の身だ。親戚はいるがもう数十年交流もとっていない。頼れる知人や友人もおらず、何かすべてがどうでもよくなってきた。人生に疲れてしまった。
病院から出て、課長の携帯へと電話をかけた。まだ解散はしてないだろう。時間的に3次会くらいかな。
『なんだ白崎、白崎だけに白けるから電話してくんなよ』
電話の奥から笑い声が聞こえる。微塵も面白くないギャグによく笑えるものだ。思っていた通りまだ飲み会中か。
「両親は亡くなりました」
『だからなんだ、人間いつかは死ぬもんだ』
正真正銘のクズだな。救いようがない。
「課長。くそみたいな俺の人生でしたが、とうとう終止符を打つ決心がついたので、そのきっかけを作ってくれたことに感謝します。本当なら死ぬ前にお前を直接どうにかしてやりたいが、それは勘弁してやる。その代わり俺はあんたを死んでも……恨み続けるからな!」
それだけ言うと俺は返事を待たずして電話をきった。今まで死ぬ勇気が出なかったが、今は何も怖くない。捨て台詞で恨むと言ったが正直それもどうでもよかった。今はただ疲れた。
財布の中に常に入れてある一枚のメモ紙を取り出した。