前世1
毎日がつらすぎる。一度きりの人生、これで終わって本当にいいのか。
休みは月に2,3回。中小企業で働いていることもあり、サービス残業・無給の休日出勤のパレードで収入は底辺中の底辺。
今年でとうとう40歳になってしまった。そこそこの年齢の独身おっさんとか、みんな金を貯め込んでるイメージだったが、実際なってみるとまったくそんなことはない。独身おっさんにも、上級はいるし底辺もいるということだ。残念ながら俺は底辺の方になってしまった。
今日は客先からの大クレームと、それとはまったく関係ない別件で課長からも物凄く怒られた。大クレームは俺個人というよりはうちの会社の体制の問題だ。俺は精一杯やったし、これ以上は本当にどうすることもできなかったが、そんなことは客には関係ない。言い訳をしたところで火に油を注ぐようなものだ。ただ謝ることしかできなかった。
そして課長からの内容は、まあただのストレス発散。俺に対する虐めの度合いが強い内容だったので特に気にしない。いつものことだ。
「お先に失礼しまーす」
時刻は18時。事務員として最近採用された、新人の女の子がいつも通り定時で帰るようだ。いつも定時ということは時間内に仕事を終わらせる能力に長けている、かというときっとそうではないと思っている。業務時間内によく携帯電話を操作している姿をみるし、役員達と楽しそうに雑談している姿も見る。とても美人なので、きっと社長の好みだったのだろうと勝手に解釈した。
さて、明日は土曜日だ。会社カレンダー上は土日休みなので彼女は当然2連休だろう。俺は2連休など、いつとったか思い出せない。
今回も土日出勤して溜まっている仕事を少しでも消化させたいが、珍しく急ぎのものはないので明日は久しぶりに俺も休もうと思う。日曜だけの出勤でどうにかなるだろう。今夜は酒でも飲みながらレンタルした映画でも観て、明日は朝イチでパチンコ屋にでも行こう。休みの日の唯一の楽しみだ。
「美奈ちゃんおつかれー! 今日の夜って予定ある?」
「ないですけど、何かあるんですかぁ?」
「おっ! みんな聞いたか? 突然だけどこれから歓迎会やらないか?」
「えっ、いいんですかぁ!? 美味しいもの食べたいです!」
帰ろうとする新人の女の子を課長が引き止めた。とても嫌な予感がする。
「おい、白崎! ということでこれから全員で歓迎会に行くから、全員の急ぎの仕事把握してやっておけよ」
「あ、はい。わかりました」
課長の鋭い視線が俺へと突き刺さる。来たよ来たよ、まあいつものことだ。最早反論する気も起きない。
「白崎さん、申し訳ないです。明日までにこの資料の数値を表にしておいて下さい」
「自分の方は月曜まででいいので、これらの見積作成お願いします」
他の同僚たちもこれが当たり前だと思っているのがこの職場の異常とも言える部分だ。残業代がきちんと出るならいざ知らず、サビ残で人の仕事までやるのが本当に意味がわからない。
「九野さんも白崎に頼んじゃっていいから」
「あ、いや、あの……私は自分でやるので……」
「歓迎会も立派な業務だよ。白崎は仕事が生き甲斐で、人から頼りにされることで心を満たしているから、どんどん頼っちゃってよ。だから歓迎会は九野さんも参加ね」
サビ残してまで喜んで他の人の仕事をしている人がいるなら見てみたいものだ。どんだけ聖人なんだよ。
九野さんは勤続3年目くらいの、地味で物静かな女の子だ。かなり厚めの大きな黒縁眼鏡をかけているので視力は良くないのだろう。真面目にひたすら自分の業務を取り組んでいる印象だ。
休日出勤していると、たまに見かけることがある。だからと言って話しかけたりすることもないが。
「おい、白崎。九野さんは優しいから人に頼むことが出来ないのわかってるだろ。先輩として、自分から聞きにいかないといけないのがわかるよな?」
「……はい」
すべてが面倒くさい。とりあえず素直に返事さえしておけばすべてが丸く収まるわけで。反論する気力も起きない。
すでに事務所内のほとんどの人が帰る準備をしていた。言われた通り九野さんの席へと行く。
「やっておくからいいよ。歓迎会行ってきな」
「本当に申し訳ございません……。これが……今日中に先方に送らないといけなくて。明日の朝イチで欲しいそうで……」
製品の比較書の作成か。今日中となると、これをまず優先しないといけないわけだが、見たところ作業時間は2時間弱くらい……か。
他のスタッフの作業と本来俺がやりたかった作業を考えると明日は休めないな。また連勤が続くわけか。
「わかったよ。まずはこれから優先して取り組むから大丈夫。内容をもう少し細かく教えて」
「はい……すいません……」
彼女は申し訳無さ気な表情を浮かべながらも、その内容は的確な引き継ぎだった。そう言えばいつもこういうことがあっても、彼女から仕事を頼まれることはなかったな。いつもきちんとスケジュールを立ててやっているのだろう。今回はたまたま先方の期限が厳しかったと考えられる。
ふと、入社して間もない頃、半泣きになって放置されている彼女を何度か手伝ったことがあるのを思い出した。気付けば成長したものだ。
「みんなーいくぞー。九野さんももういいか?」
「あ、はい……行けます」
課長から急かされた九野さんは、俺の方へお辞儀をすると慌てて身支度を整え始めた。
「じゃあ白崎頼んだぞー」
ぞろぞろと事務所内の従業員が出て行き、俺一人が残されるかたちとなる。まあ、誰もいない方が仕事には集中できるけどね。
そして……自分の抱えてる仕事ができるなら尚更いいんだけど。