9☆ご説明しましょう
決闘……というには大げさですが、少なくとも私にとっては決戦の日。
昨日の昼休み、宣戦布告のごとくお呼び出しした氷室先輩。果たしてこの裏庭へ現れてくださるのでしょうか……。
「すまない。ちょっと早かったようだな」
外廊下へ続く扉を開けると、すでにジャージバージョンの氷室先輩の姿がありました。私と目が合うと、涼しげな目元が優しく微笑みました。ちょっぴりドキッとしたのは闘いの場に足を踏み入れたからでしょうか……。
りりしく佇む氷室先輩にのしのし近付きました。大股です。気後れしては敵に背を向けるようなものです。先輩は私との距離が縮まると腕組みを解きました。
「いいえ、お昼休みのチャイムはたった今鳴ったばかりですよ? 逆になぜこんなに早くいらっしゃれたのですか?」
「あぁ、体育だったからな。教室には戻らず真っ直ぐ来たというわけだ。君こそ早いじゃないか。まさか、先輩を待たすわけにいかないと思って授業を抜け出してきたわけじゃないだろうな?」
「お察しの通りです。常識でしょう? 先輩をお待たせするくらいなら授業なぞくそ食らえです。丸めてポイです」
キッパリ言い切りますと、先輩は少し驚いたようですが、「そうか」とこめかみをぽりぽりしました。
昨夜、私は0時まで部屋に戻りませんでした。22時を過ぎるとオートで寝てしまうお子ちゃま磨緋瑠さんの電池が切れるまで談話室で時間をつぶしていました。
もちろんスマホは通知の嵐でした。賑やかな談話室に逃げ込んだ私への暴言と、問い詰めの文言がたんまりと。ガン無視しましたけど。ガン既読無視しましたけど。
そして今朝、磨緋瑠さんが起きる前に返信をひとつし先に登校しているので、あれから一切口をきいていないというわけです。
至近距離で見る氷室先輩はお肌がつるつるでした。身なりには手を抜いていないようです。しかし、私の青い炎は感じ取れていないようですね。ガードが甘いです。
「率直にお伺いします。氷室先輩はお付き合いされている方がいらっしゃるのですか?」
先輩の切れ長のお目々がかっ開きました。目尻が裂けてしまいそうです。
「き、昨日から何を言っているんだ、君は」
「桐生です。先輩の交際状況をお伺いしているのです」
「名前の話じゃない。そ、その、私の交際状況だと?」
「いらっしゃるのですか? 動揺するくらいいらっしゃるのですか?」
ずずいっと背伸びをして覗き込みますと、先輩は少し頬を赤らめて、ひとつ咳払いをしました。
「そ、そんなわけがないだろう! き、急に聞かれたから驚いただけだ」
「では、お1人ですか? それともいらっしゃらないのですか?」
クソ男子は嫌いです。ハッキリしない人はその次に嫌いなのです。睨み上げていますと、先輩は閑念したようで、「わ、分かった!」と私の両肩に手の平を乗せました。私のかかとがストンと落ちました。
「今はいない。恋人も好きな人も。……これでいいか?」
「はい、ありがとうございます。それでは次の質問です」
「ま、まだ何かあるのか?」
若干、距離を保とうと突っ張り棒代わりになっている先輩の両腕。私はその左手首をがっしり掴み、腹直筋に力を入れて申し上げました。
「私と、お付き合いしてはいただけませんでしょうか」
「……き、桐生! 君が突然どんでもないことを口走る子だということはよく分かった! だが、こういうのはだな、順序というものがあってだな……」
一瞬ひるんだ先輩の両腕。私は右手に力を込め、肩から離すのを許しませんでした。本校舎の方からでしょうか、お昼休みの賑わいが遠くに聞こえます。動揺を隠せないのか、先輩は声の方やら体育館の入り口やらへと、目まぐるしく視線を泳がせています。
「何をそんなに慌てているのです? 氷室先輩なら女子生徒からの告白が初めてといいうわけではないでしょう? むしろ日常茶飯事ではないのですか? 私は氷室先輩が人気者というのは存じております。ライバルが多いのも承知の上です。ですが、私のそばにはあなた様が必要なのです!」
「い、いやいやいや、君は何か勘違いをしている! ともかく落ち着け。一度落ち着こう!」
「何をおっしゃるのです? 私は常に冷静沈着。落ち着いてないのはむしろ先輩の方ではないですか。クールなお顔が真っ赤ですよ?」
「赤面させているのは君だろう! いいからこの手を離してくれ。一度お互い深呼吸をしよう!」
な? とたしなめられ、私はしぶしぶ頷きました。高身長とはいえ、男子のようにぶっとくない手首を開放しますと、少し力が入ってしまっていたようで、先輩の左手はお顔同様赤くなっていました。申し訳なさを感じて初めて、私も少し冷静さが欠けていたことに気付きました。
「申し訳ありません。私としたことが……」
ぺこり、と頭を下げますと、先輩は赤くなった手首を一瞥し、前置きどおり大きく深呼吸をしました。
「ふぅ……。大丈夫だ、バスケをやっているからケガには慣れている。気にするな」
「そうはいきません。今はバスケ中ではありませんし、コントロール不足な私の不注意です。あとで冷やすものをお持ちします」
「ありがとう。それよりさっきの話だが……」
またも遠くから、キャハハッと複数の笑い声が耳に届きます。先輩は人目が気になるのでしょうか、音源にチラリと視線を向け、それから旧校舎や体育館の窓にも目を配りました。
「私こそすまない。君の言った通り、少し。取り乱してしまった。……こういうのは本当に慣れていないんだ。面と言われたことは一度もない。その……いわゆるラブレターというのは何度か貰ったことがあるが……」
「本当ですか?」
私は首を捻ります。改めて先輩のお顔をまじまじと見上げました。近寄りがたいのでしょうか。こんなにお優しい方なのに。
「桐生、私からも聞きたいんだがいいか?」
「もちろんです。なんでしょう? 握力ですか? 家族構成ですか? スリーサイズは最近測って……」
「いや、違う」
あっさり否定されました。
「私が聞きたいのは、君がなぜ私と付き合いたいのか、だ。普通はだな、お互いに好きという感情があって交際するものだろう? 君はまだ私のことを何も知らないはずだ。私も君のことを何一つ知らない。なのに付き合ってくれというのはおかしな話だろう?」
きっぱり言い切った先輩のお顔からは、もう赤みは消えていました。いつも通りのクールビューティーです。
「桐生です。何度も申し上げています」
「申し上げられているよ、何度もな。だが私は君が1年生の桐生紗衣だということしか知らない。握力が強くて気が短くて威勢がいい。それ以外は何も知らない。君は私の何を知っている?」
「知りません」
こちらも負けじときっぱり言い切りました。そして腕組みをして胸を張ります。ドヤ顔です。
「何も、というわけではありませんが。しかし、世の中には『お見合い』というものがあります。見ず知らずの男女が知り合いを通し、結婚を前提に、好きでもないくせにお付き合いを始めるという制度がですね……」
「それくらいは知っている。それはそもそも男女の話だろう? 私たちは結婚相手を探しているわけでもないし、どう考えても無理のある例えだ」
先輩の語尾にトゲを感じました。少し不機嫌にさせてしまったでしょうか。表情からは読み取れないものの、話を終わらせたいというオーラをひしひしと感じます。
「分かりました。正直に私の企みをご説明しましょう」