6☆お呼び出しいたします
「あのー、氷の姫騎士先輩はいらっしゃいますでしょうか?」
1週間後の昼休み。2年4組、そう掲げられたプレートを確認して、その中から出てきた先輩に問いかけました。
その先輩の肩越しにはお弁当片手に机をくっつけている方、学食や購買へ向かおうとする方、中には巨大おにぎりにかぶりついている方、そしてアーンのしあいっこをしている方までさまざまいらっしゃいます。
そんなハッピーランチタイムだというのに、私が問いかけた先輩は、途端に青ざめて走り去ってしまいました。あら、どうしましょう? 別の方に、と思い教室内を覗きますと、みなさんお目々をまん丸くさせていました。なぜでしょう? さほど大声ではなかったと思いますが……。
私があれれ? と首を傾げていると、一瞬のざわつきの中から、小走りで1人、慌てた表情の方が飛び出してきました。
「ちょ、ちょっと! なにあなた、1年生?」
黒髪おさげのその方は、私をぐいぐい引っ張り、扉からはがしました。お顔がやや紅潮しています。どうしたというのでしょう?
「はい、1年1組の桐生と申します。あの、氷の姫騎士様は……」
「わー! ダメダメ! その呼び方はダメだってば! 今呼んできてあげるから、二度とそのあだ名で呼ばないで!」
お顔の前で両手をバタつかせるおさげ先輩。私が生返事で「はぁ……」と返すと、慌ただしく教室へ戻っていきました。
雪宮先輩なのか、氷室先輩なのか分からないのであだ名でお聞きしたのですが……。
柚原さんのお話だとご本人は気に入っていないようなので、影でみなさんそう呼んでいると聞いたのに、クラスメイトの方があれほど慌てるとはどういうことでしょう?
「なんだ、こないだの君か。えぇと……」
上から降ってきた、低くしなやかなお声。見上げると不思議顔の姫騎士様と目が合いました。軽く握った拳を顎に当てています。私の名を思い出そうとしているようです。
ちなみに姫騎士様の後ろでは、先ほどのおさげ先輩と数人がこちらを覗いています。額に汗がにじんでいるように見えますが……今日は暑くもないので気のせいでしょうね。
「桐生です。先日は友人がお世話になりました」
「あぁそう、桐生だったな。世話などはしていないとこないだも言ったが……今日は何の用だ?」
「お願いがあってきました」
姫騎士様は涼しいお顔で「なんだ?」と首を傾けました。そわそわしているように見える背後霊さん方とは正反対です。ちょっと気になりはしますが、特に害はないようなので、お祓いはしないことにしました。
私はすぅっと息を吸い、姫騎士様の切れ長のお目々を真っ直ぐ見つめて言い放ちました。
「付き合ってください」
廊下と教室内の音がピタリと止みました。大声を出したつもりはないのですが、やはり私の声はよく通るのでしょうか? たくさんの視線を感じます。
「……なんだって?」
姫騎士様のお目々がかっ開きました。180センチから繰り出されるビッグアイは迫力がありすぎてたじろぎそうです。
しかし、ここで引くわけにはいきません。こんなことで引く桐生紗衣ではありません。
「付き合ってくださいと申しています」
「申していますって……桐生、君はなにを申しているのか分かっているのか?」
姫騎士様の口調が乱れています。こちらのペースに飲まれている証拠でしょう。距離を置いているおさげ先輩たちがハニワのようなお顔になっていますが、あれはどういう心境なのでしょうか?
「はい、分かっております。ですのでお返事をいた……」
「ちょっと! そこの1年!」
言葉尻が怒鳴り声にかき消されました。姫騎士様の背後から、声の主がのしのしと近付いてきます。風神雷神のどちらかのような形相です。右手に握られたピンク色のチョップスティックスをへし折りそうな勢いです。噛みつかれそうです。
「あんた、さっきからなんなの? 1年のくせに氷室にちょっかい出すとはいい度胸ね!」
「桐生です。えっと、お名前は氷室先輩でよろしかったのですか?」
私の問いにピンクチョップスティックス先輩が「なんですってっ?」と金切り声を出しました。姫騎士様はお目々をかっ開いたままです。
お名前を確認したのがそんなに悪いことだったでしょうか? 私は思わず「え?」と声が漏れました。
「あんた、上級生をからかってんのっ? 氷室の名前も知らずに告りにくるとか信じられなーい! 誰でもいいなら他を当たりなさいよ!」
「いいえ。私は氷室先輩にお話があってきたのです。氷室先輩、ここではギャラリーが騒がしいので場所を変えてもよろしいですか?」
口数の少ないイメージではありましたが、姫騎士様は「その……えっとだな……」とごにょつくばかりです。なんとも歯切れの悪い。私としてはこのピンクチョップスティックス先輩をおっぱらってほしいところなのですが。
「場所を変えていただけないなら、ここでお返事をいただけますか? 私も昼食まだなので」
目力では負けません。これでも合気道黒帯に加え、あらゆる護身術を身につけているのです。迫力の出し方なら負けませんよ?
「わ、分かった。だが、返事は少し時間をくれないか?」
氷室先輩の一言で、ギャラリーが黄色い悲鳴を上げました。ハニワの中のお1人が泡を吹いています。もしかして、氷室先輩のファンの方たちだったのでしょうか? ピンクチョップスティックスがバキッと折れる音がしました。
「承知しました。では、明日の昼休みに裏庭でお待ちしています」
「あ、明日?」
ぺこっと頭を下げ、私はさっさとかかとを返しました。ザワついている廊下のギャラリーさんたちを「失礼」とかき分けて向かうのは1年3組。
「磨緋瑠さん?」
途中、1年1組の前でもじもじしている磨緋瑠さんが目に入りました。お腹が空いたのでしょうか。私のお迎えが遅いので待ちきれなかったのでしょうか。
「さ、紗衣ぃ」
磨緋瑠さんは私の声に反応し、目が合うと安堵の笑みをこぼしました。あら、かわいい。まるでスーパーの前で繋がれてたわんちゃんみたいです。
「どこ行ってたの? 今日は学食で食べようって言ってたから待ってたのに……」
「もちろん忘れてませんよ。ちょっと野暮用を済ませてきただけです」
「野暮用?」
首を傾げる磨緋瑠さん。野暮用じゃないと言えば野暮用じゃありませんが、聞くほうが野暮というものですよ。
「まぁいいじゃないですか。それより私もお腹がぺこぺこなので、早くカツ丼でも食べに行きましょう」
くるりと背を向けると、「待って」とブレザーの裾を引っ張られました。ちょっと声にドスが効いているように聞こえました。
「紗衣、ケンカでもしてきたんじゃないでしょうね?」
「ケンカ? 私が誰とケンカするのですか? 妙な妄想しないでください」
「知ってるんだからね。紗衣は交感神経がぶっ飛んでる時、無性にカツ丼が食べたくなるの。それって大体、私絡みで男子をボコボコにした時だった」
ふっ……。適いませんね。
「だからなんだと言うのですか?」
振り返って真っ直ぐ見据えると、磨緋瑠さんは一瞬ビクッと方を震わせ、「いや、だって……」とごにょごにょ俯きました。
氷室先輩が悪いのです。この1週間、裏庭へ一度も現れなかった氷室先輩が悪いのです。