3☆かくれんぼ
翌日、磨緋瑠さんに昼食を届けようと、私は3組へ向かいました。
輪に入りづらそうだった内部生のクラスメイトたちに「一緒に食べない?」といただいたせっかくのお誘いを丁重にお断りしてきたというのに……。
「あら?」
教室の中を見渡しても、磨緋瑠さんの姿はありませんでした。四隅にもいません。いくら影の薄い磨緋瑠さんでも、私の視野にさえ入れば気づけるのですが。私が購買へ買いに行ってる間にすれ違ってしまったのでしょうか……。
「もしかして、美邦さん探してる?」
背後から声をかけられて振り返ると、片手に食べかけのバナナを握りしめた少女が立っていました。にこにこしていてかわいらしい人でした。
「そうですが、どこに行ったかご存知ですか?」
私がそう問いかけると、少女はバナナを1口ほおばり、首をかしげました。もぐつきながら「んー」と唸っています。立食とはなんともアメリカンですが、ここは外国でもパーリー会場でもないので、単なるお行儀ワル子ちゃんです。
そういえば昨日、バナナ女がなんとかって言ってたような……。
「私も探してるんだよね。昨日聞きそびれちゃったから教えてもらおうと思って今日も話しかけたんだけど、なんかめちゃめちゃビビりながら教室出て行っちゃってさ」
やはり昨日磨緋瑠さんに質問攻めしたのはこの少女でしたか……。
ブレザーの胸ポケットからは、メモ帳と可愛らしいボールペンが覗いており、肘にぶらさげたビニール袋はバナナの形に膨らんでいます。バナナを立ち食いしていること以外は、特に変な人ではなさそうなのは分かるんですけど……。
申し訳ないのですが、こういう陽キャラは、磨緋瑠さんの苦手なタイプなんですよねぇ……。
「昨日美邦さんと一緒にいた子だよね? もしかして、美邦さんと同じ中学とか? どこの中学?」
「はい。私は1組の桐生と申します。磨緋瑠さんとは幼なじみでして」
ふんふんと頷きながらバナナの皮をビニール袋に押し込んだ少女は、胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、何やらさらさらとメモを取り出しました。私のことより磨緋瑠さんの行方を知りたいのですが?
「桐生さんね。あー、私は3組の柚原七世だよ! 中等部から上がってきてて、学校内のことも詳しいから、知りたいことがあったら何でも聞いてねー」
「はぁ、どうも……」
「それでそれで? 昨日は美邦さんと廊下で何してたの? ケンカ? あの後、美邦さんてばめっちゃ青ざめた顔しててさ、大丈夫? って周りの人が聞いても、ぶるぶる震えてるだけで何も答えなかったんだよねぇ」
「そうだったんですか? うーん、まぁケンカみたいなものですが、仲は良いので気にしないでください」
我ながら上手く受け流したと思います。けろりと言ってのけたので柚原さんも「そっかそっか」と納得しながらメモメモしています。こんなことをメモしてどうするのか知りませんけど。
「もうよろしいですか? 磨緋瑠さんを探しに行きたいのですが」
「あー、うんうん。お役に立てなくてごめんね!」
それじゃ、とビニール袋を翻し、バナナ女……もとい、柚原さんは教室へと入っていきました。
残念ながら、私もあの少女苦手かもしれません。あまり根掘り葉掘り聞かれると、閉館した当時のマスコミを連想させるので……。まぁ、ああいう情報収集型は味方にも敵にもなりますが。
しかし、磨緋瑠さんは私より何倍も敏感ですから、磨緋瑠さんにとって良いクラスメートとは言えませんね。柚原さんに悪気はないのでしょうけれど。
「さて、どこから探しましょうか」
磨緋瑠さんはまだ、携帯電話を持っていません。今度の休日に契約する予定ではあるのですが。私にとっても初めてのこの校内のどこを探したらいいか見当がつかず、こんな時につながれば楽なのになと、私は自分のスマートフォンを握り締めました。
磨緋瑠さんの逃げ込みそうなところ……。思いつくのは日陰、すみっこ、人気のない場所などですが、この校舎にそのようなところが果たしてどれくらいあるのでしょうか……。
果てしなさすぎてクラクラしてきました。
「あら、迷子かしら?」
柔らかな声に誘われて振り返ると、にっこり微笑む女性教師と目が合いました。ふらふらと職員室の前まで来ていたようです。
「いいえ。迷子ではないのですが、探し人がきっと迷子でして」
「探し人?」
先生は首をかしげました。当然ですね、ちょっと日本語がおかしかったかもしれません。
ふと先生の胸元を見ると、音楽用の教材とともに、1年3組と書かれた出席簿を抱いていました。
「1年3組の美邦磨緋瑠さんを探しています。先生、どこかで見かけませんでしたか?」
「あぁ、美邦さん? さっき私が音楽室から戻ってくる時にすれ違ったから、体育館のほうかしらね」
なるほど。体育館の脇には裏庭らしきものがありました。磨緋瑠さんが好みそうな場所ですね。
「ありがとうございます。先生、1年3組の担任でいらっしゃるんですか?」
「えぇそうよ。よろしくね、桐生さん」
なぜ私の名前を知っているのかと尋ねる前に、先生は小さく手を振り職員室へ入っていきました。物腰の柔らかい女性でした。あの先生なら磨緋瑠さんをお任せできそうで安心です。
閉まりかけた扉に会釈をして、私は早速裏庭へと足を進めました。
昨日入学式が行われた体育館へ続く道に、裏庭が見えたことを覚えています。きっと磨緋瑠さんも目指とく見つけていたに違いありません。
校舎も端に行くにつれ、段々と人気が疎らになってきました。外廊下へと続く扉をうんしょと身体でこじあけます。風が強いのか、思ったより重く感じました。
「そこで何をしている」
外廊下へ出た途端、春風とともに聞こえてきたのは、低くしっとりとした美声でした。
2人分の昼食の入ったビニール袋が、強風にあおられてバサバサと靡きました。私は乱れかけた横紙を抑えながら声のほうへ向きました。
声の主はスラッとした、とても背の高い方でした。きっと運動部の方でしょう。背を向けているのでお顔までは分かりませんが、佇まいからして先輩だと思われます。
大股で裏庭の奥の方へと歩いていくので、私も急いで追いかけました。「地味な1年生を見かけませんでしたか?」とかなんとか言えばきっとわかってもらえるでしょう。
「何をしていると聞いている」
先輩は先ほどよりも大きな声で、木の上のほうへ呼びかけていました。お取り込み中なら別の方にお尋ねしたほうがいいかしら、と回れ右をしようとした瞬間、私は女子高生らしからぬ光景を目にしてしまいました。
「まひ……」
言いかけてやめました。駆け寄ろうとして足を止めました。私は磨緋瑠さんから姿が見えないように、そっと木陰に身を潜めて見守ることにしました。
「聞こえないのか? 1年生」
強い春風が吹く度に、木々のざわめきが大きくなっていきます。負けじと声を張る先輩の見上げる先に、明らかに「こっち来ないで」という怯え顔の磨緋瑠さんがいました。
太めの枝にちょこんと腰掛けている磨緋瑠さん。左手は幹に添え、右手には若草色のタオルハンカチを握りしめています。
「降りれないのなら手を貸す。それとも、人を呼んでこようか?」
ぶんぶん首を振る磨緋瑠さん。恐怖のあまり声が出ないのだと思われているでしょうが、違います先輩。違うんです、先輩。
単に高い所が落ち着くだけなのですよ、その方は。
「分かった、降りれないのなら脚立を借りてこよう。先生か用務員さんに頼んでくる。1年生、名前は?」
答えず首を振るだけの磨緋瑠さんに困った先輩は、「心配するな。すぐ戻る」と言ってかかとを返しました。
それとほぼ同時に、人を呼ばれるなら立ち去ろうと思ったのであろう磨緋瑠さんは、慌てて枝から飛び降りました。元お転婆なので着地も見事です。
「お、おいっ! 大丈夫かっ?」
驚いて目をひんむいた先輩からすぐさま逃げようと駆け出した磨緋瑠さんですが、瞬発力で勝った先輩に、あっけなく手首を掴まれました。
私はどのタイミングで声をかけようか悩みました。怯える子ヒツジちゃんを迎えに行く救世主であるべきか、はたまた見届ける家政婦であるべきか……。
「怖かっただろう。怯えなくていい。もう大丈夫だ」
「だだっ、だだだだだだだ……」
「大丈夫だ。私も高い所は苦手だから分かる。怖かっただろう?」
勘違いしたままの先輩は、高所大好きで人間不信の磨緋瑠さんをギュッと抱きしめました。違う意味で震えている磨緋瑠さんの背を優しくポンポン叩いています。
152センチの磨緋瑠さんの頭がすっぽり顎の下に埋まっているということは、先輩は推定180センチといったところでしょうか。単体より、比べるとその高さに圧倒されます。
じたばたもがいている磨緋瑠さんのことはさておき、私はその先輩がよく見えるように角度を変えて観察することにしました。木陰から忍び足で校舎の蔭へ。やっと先輩のお顔を拝むことができました。
キリリとした眉、シャープで切れ長なお目々、スッと通った鼻筋、薄く血色の良い唇。高身長なわりに小さくまとまったお顔でした。まるで、宝坂歌劇団か、あるいは……。
王子様……。