1☆変わってもらいます
「ほら、もうすぐですよ?」
紺色のブレザーに白いブラウス。リボンタイとお揃いの3種類のデザインのプリーツスカート。自由と個性を感じる女子高生たちが、風情のある校門へと吸い込まれていきます。
期待と不安に心を躍らせ、次々に門をくぐっていく彼女たち。その背に続きながら、私は大きな校舎を見上げました。
私は桐生紗衣と申します。
今日からこの星花女子学園に入学します、高校1年生です。
そして、私の隣にいらっしゃるこの方も……。
「あら?」
おかしいですね、確かに今まで隣を歩いていたんですけど……。
私はその姿を求めてキョロキョロします。真新しいお揃いのブレザーがたくさん。校章の色が私と同じなので新入生でしょうね。みなさん眩しく輝いていらっしゃいます。
「あ……」
その隅に潜む漆黒のオーラ。電信柱の下に捨てられたゴミ袋かと思わせているつもりなのでしょうけれど、こちとら15年以上も一緒に育ってきているので、そうは問屋が卸しません。
「そんなところにしゃがんでいては、せっかくの新しい制服が汚れますよ? さぁ、立ってください」
「……」
「ゴミごっこしてもダメです! さぁ、ほら!」
頑としてゴミのふりをしているので肘を捻り上げますと、「うぎゃっ」と小さく悲鳴を上げて立ち上がりました。ふぅ、本当に手が焼ける人です。
「遅刻しては目立ちますよ? さぁ、もう少しで着きますから」
私が言うと、低く唸りながら上目使いされました。入学式前には切りましょうねと約束したはずの前髪の隙間から睨んでいるつもりみたいです。メガネにもかかっていて見づらくないのでしょうか?
「睨んでもダメですよ? 磨緋瑠さん」
美邦磨緋瑠さん、それがこのド地味キャラ極まりないお方のお名前です。
以前はこんなカクレクマノミさんではなかったんですが……。
磨緋瑠さんはご両親が伝統ある高級旅館を経営されており、私の両親はそちらの雇われ人でした。そのため、身分は違えど私とマヒルさんは幼なじみ。同じ幼稚園、同じ小中学校、そして同じ高校へ進学したというわけです。
が……。
「やっぱ無理!」
「なにが無理ですか! 私も一緒に行くんだから怖くないでしょう?」
「イヤだぁ、紗衣はクラス違うじゃん。1組じゃーん」
さっきからこの調子なのです。声こそ小さいものの、ぶんぶん首を振ってだだっこみたいなのです……。
「マヒルさん? あまりだだをこねてはいけません。人と違うことをしては目立ちやすいのですよ? ほら、女子高生たちがこっちを向い……」
「分かった、分かったよぉ。行けばいいんでしょー!」
言い終わる前に思い直してくれたようです。実際は誰も見ていないのですけれど、磨緋瑠さんには気付かれていないのでセーフです。
私が手を握ると歩き出しましたが、言葉とは裏腹に、散歩嫌いなわんちゃんのように腰が引けている磨緋瑠さん。黒縁メガネにかかった長い前髪の隙間から、呪いそうな勢いで私を睨んでいます。
「なんですか? おいていってもいいんですよ?」
「……やだ」
「ちゃんと3組まで連れていってあげますから。あとはご自分でなんとかしてくださいね?」
「なんとかって……」
今度は怯える子ウサギちゃんみたいになりました。怖い話の続きが聞きたくないけど聞きたい、そんな風にも見えます。
「とにかく、初日が肝腎ですからね。高校デビューしてもらいますよー?」
「うぅ……」
イヤだ、無理だ。そう言いたいのを飲み込んだ音がしました。頷きこそはしなかったものの、磨緋瑠さんはとぼとぼおとなしく、無事に校門をくぐりました。
私立星花女子学園。中高一貫のお嬢様学校。今日から私と磨緋瑠さんは、ここの桜花寮で共に3年間を過ごします。
「ほら、背中が丸いですよ? しゃきっとしないと目立ちますよ? 目立ってもいいんですか?」
私がバシッと背を叩くと、磨緋瑠さんはカエルみたいな声を出して背を伸ばしました。やればできるじゃないですか。
目立ちたくない、それが磨緋瑠さんの弱点なのです……。
目立つといじめられる、目立つとからかわれる、目立つと干される……。目立ってさえいなければ、こんな思いしなくてすんだのに……。そんな小学生の時に経験したトラウマが、彼女をこんなビビリンボさんにしてしまいました。
旅館が閉館になったのは、私と磨緋瑠さんが小学3年生の時。ご長男だった磨緋瑠さんのお父様が5代目として良好なスタートを切った矢先でした。
当時、私の両親とともに従業員として働かれていた次男様が、あんな事件を起こさなければ今頃も……。
噂に尾ヒレはひれが付き、地元にはいられなくなってしまった磨緋瑠さんご一家は、お母様のご実家へ引っ越すことになりました。すでに高校生だった磨緋瑠さんのお兄様は退学せざるを得なくなり、新天地にて住み込みで働くことをご自分で決断されたそうです。
一方、おもてなしのノウハウが染みついている私の両親は閉館の翌月、縁あって幸いにも隣町のリゾートホテルに勤めることができたので、これまでの恩返しということもあり、ご両親の家計が落ち着くまで磨緋瑠さんをお預かりさせていただくことにしました。
だってそれまでの磨緋瑠さんは、いつも明るくて元気一杯で、いつだってみんなの人気者だったんです。クラスのみんなも私も、学校から磨緋瑠さんがいなくなってしまうなんて考えられなかったんです。
だけど、それが返って彼女を苦しめてしまうなんて、思いもよらず……。
人気者で目立っていたことが仇となり、閉館に至るゴシップに惑わされたクソ男子どもの辛辣な言葉や後ろ指に傷ついた磨緋瑠さんは、しばらくして学校へは行かなくなってしまいました。
ご両親の元へ戻るか否かの話は何度もしました。磨緋瑠さんご一家の力になりたい、それが桐生家のエゴなだけなのだとしたら……そう考えてしまうと、私も両親もとても心苦しく思いました。
それでも磨緋瑠さんは、決して首を縦には振りませんでした。「紗衣と一緒がいい。ごめんなさい、おじさん、おばさん、ごめんなさい」そう言って、頭を下げるだけだったのです……。
だから私は誓いました。磨緋瑠さんは私がお守りすると……!
5年生から合気道を習い始め、中学校に上がる頃には、私はそこら辺のクソ男子をビビらせる程度には強くなりました。そんな私を頼ってくれ、磨緋瑠さんは中学ではほぼ毎日登校してくれるようになりました。
地域の学校なので、私と磨緋瑠さんの事情を知っている先生方の計らいで、中学校の3年間はなんとか同じクラスでお守りすることができたのですが……。
「紗衣ぃ、行っちゃうの……?」
1年3組、そのプレートの掲げられた教室の前。磨緋瑠さんはおずおずと私の顔を覗き込んできました。「行かないで」そう顔に書いてあります。ガン無視しますけど。
「捨て猫作戦はやめてください。私も磨緋瑠さんを1人にするのは後ろ髪引かれる思いなのですから」
「鬼ぃ」
「鬼にならないといけない時もあります! さぁ、ここでお別れですよ。 式が終わったらまた迎えにきますから、ちゃんとがんばってくるのですよ?」
ドンと教室の中へ突き飛ばすと、磨緋瑠さんはよろよろと入っていきました。途中、振り返りそうになっていたので、私は気付かぬふりをしてかかとを返しました。
地元を離れたら変われる。元の天真爛漫な磨緋瑠さんに戻ってくれる。そう信じてここまで連れて来たんです……。
でも、私は分かっているのです。私が側にいるままでは変われないことを。戻れないことを。
だからせめて、私が認めたお相手が見つかるまでは。磨緋瑠さんを守ってあげられる存在が現れるまでは……。
それが私の初恋、真昼のように温かくて優しい日なたのような磨緋瑠さんに戻ってもらえる、最後の手段ですから……。
「紗衣ぃ」
呼ばれてやっぱり振り返ってしまいました。甘いですね、私って。こういうところがダメなのに。
「あら?」
磨緋瑠さんの姿はありませんでした。おかしいですねぇ。
いえ、おかしいのは私みたいですね。磨緋瑠さんを崖から突き落とすつもりなのに、やっぱり離れていってほしくないという気持ちが幻聴を起こしたのですから。
「紗衣ぃ……」
二度目の幻聴。磨緋瑠さんの心配ばかりしていないで、今日から私も新生活に馴染まなくては、と再び1組を目指します。
「……ん?」
つん、とブレザーの裾を引っ張られた気がして視線を下げました。
「何やってるんですか? 磨緋瑠さん」
「紗衣ぃ……」
時代劇で例えるならば、「およよ」というところでしょうか。戦いに行かねばならない侍にすがる女房を思い出しました。
「しょうがない人ですねぇ……」
私はその哀れみを求める『行かないでゾンビ』に微笑みかけました。すると行かないでゾンビは光りを見いだしたようにパアッと笑みを浮かべました。
だから私はスゥッと息を吸い込み、廊下中に轟かせました。
「あらーぁ! こんなところにみにくいアヒルの子がーぁ!」
それはそれは絶望に打ちひしがれた、例えるならば冒険の序章、小枝の剣と葉っぱの矛の装備のままラスボスに出くわしてしまったようなムンク顔でした。
廊下中の視線が降り注ぐ中、この世の終わりのような顔で固まっている磨緋瑠さんを独り残し、私はタータンチェックのプリーツスカートを翻しながらスキップで1組へ向かうのでした。