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第二話 彼らの弟子になるそうです

 朝、目を覚ましたタビは、知らない場所だ、とキョロキョロあたりを見回した。


 同時に、昨日までの記憶を思い出す。確か、白いローブに黒い仮面を被った男性、イフィクラテスの住んでいる家に連れていかれたのだ。


 街外れの大きな屋敷で、今までタビはそこに屋敷があることすら知らなかった。なぜ、と思ったが、イフィクラテスは喋りっぱなしで尋ねられなかった。


 そうして屋敷に入り、タビはお腹いっぱいご飯を食べさせられ、風呂に入れられ、新しい服をもらい、暖かい毛皮を敷いたベッドに入って眠ったのだ。五月とはいえ、まだまだラエティアは寒い。ただ、タビはそんな豪華なベッドで眠ったことは今まで一度もなかった。ご飯だって大きくてふわふわのパンや、具材たっぷりのスープだけでなく肉詰めパイや根菜の煮物、デザートにいちごのコンフィを乗せたパンケーキまであった。タビは元いた家でもお腹いっぱい食べたことはなかったし、何より、カビが生えた固いパンや野菜の切れ端スープといった不味い——タビはそれが当たり前だと思っていた——食べ物ばかり食べていて、それに比べればここでのことは何もかもが新鮮で、食べ物の美味しさに感動すら覚えたほどだ。


 今着ている服、フランネル生地のパイピングの入った寝間着だって、寝るときに違う服に着替える習慣さえなかったのに、イフィクラテスともう一人がタビを無理矢理着替えさせた。こんなに柔らかい服は初めてで、何だかムズムズしたものの、疲れていたタビはベッドに入るとすぐに眠りに落ちた。


 大丈夫だろうか。ひどいことをされたりはしないだろうか。そんな心配も、ぐっすり眠って、すっかり忘れてしまった。


 タビは分厚い毛布から抜け出て、ベッドに腰掛けて、与えられた部屋を観察しはじめた。しっかり塗られた白の漆喰、頑丈そうな天井の梁、大きめの窓からは大森林と遠くの青白い山並みが見える。備え付けの家具や机は、どれも立派なオーク材で丁寧に作られていた。タビが走り回っても、床でゴロゴロしても大丈夫なほど広いこの部屋を、昨日、イフィクラテスは「ここがお前の部屋だ!」と言ってあっさりと与えたのだ。


 タビはイフィクラテスの考えがよく分からなかった。タビをここへ連れてきて——確か、錬金術がどうとか言っていたが——何をしたいのだろう、そう疑問が湧いてきたそのときだった。


「おはよう、タビ。起きた?」


 扉の向こうから、声をかけられた。穏やかな、女性の声だ。ビクッと反応したタビは、慌てて返事をする。


「起き、ました!」

「そう。入るわね」


 そう言って扉を開けて入ってきたのは、黒いローブに白い仮面を被った女性だった。女性と思うのは、イフィクラテスより若干線が細く、太腿までかかる白い長髪を伸ばしているからだ。手には赤い宝石の、イフィクラテスと同じ形の錫杖を持って、しゃらりと鳴らしている彼女の名前はイフィゲネイアと言う。イフィクラテスの双子の妹で、『双生の錬金術師』のもう一人だ。


 そのイフィゲネイアはそっとタビの隣に座り、持っていた真っ白なシャツとベージュの厚手のズボンをタビへと渡した。


「申し訳ないけれど、あなたの服は直せそうになかったから、新しいものを用意したわ」


 タビは受け取った服の上下に触れて、思わず声を上げる。


「ふわふわだ」

「錬金術で作ったわ。汚れにくく、洗いやすい。着心地もいいはずだから、気に入ってもらえるかと思って」


 イフィゲネイアは軽く語るが、タビの持っているシャツとズボンはこの世界でも最上級の機能性を持った、錬金術で作られた生地であり、『双生の錬金術師』手ずから丁寧に縫われた服だ。


 そんなもの、タビが普段着ていた服とはデザインも触り心地も何もかも比べものにならない。大して服に興味のないタビでさえ、早く着てみたいと思わせるほどの逸品だ。


 タビはおずおずと、上目遣いでイフィゲネイアを見る。


「あ……ありがとう。いいの?」

「ええ、いいわ。イフィクラテスがあなたを弟子にすると言い出したときは驚いたけれど、もうその気だったし、イフィクラテスの弟子なら私の弟子でもあるから、このくらいの世話は焼きたいもの」


 イフィゲネイアの答えに、タビはまたしても驚いた。


「弟子? どうして?」


 確か、イフィクラテスは一緒に来いとしか言わなかった。弟子など一言も言っていない。さすがにタビも、弟子という言葉がどういう意味なのかくらいは分かる。イフィクラテスは錬金術師だから、その錬金術をタビへ教えて、錬金術師にしようとしているのだ。


 タビは、内心複雑だった。ここまでよくしてくれている人たちにも、ちゃんと目的はある。当然のことだが、何だか悲しい気もした。見返りのない親切だなんて気持ち悪いものの、どこか心の隅で期待している自分もいて、どうしていいか分からなかった。


 しかし、イフィゲネイアは淡々とこう言った。


「まず、私たちは今はここラエティアにいるけれど、別に目的があって各地を転々としているわけではないわ。ただの気まぐれで世界を巡って、色々と見聞して、錬金術師らしく新しい錬金術の知識を仕入れたりもしている。あと、たまに昔の弟子のところに行って、冷やかしたりもしているわ」


 きょとんとして、タビは首を傾げる。


「えっと、なら、どうして僕を、弟子に? 大人は、子供は邪魔だって言うのに?」


 タビが今まで出会った大人は、両親は、タビが邪魔になったから捨てた。もう家に入れないようにした。そういうものだから子供のタビは従うしかない。どうせ泣いてせっついたところで、家に入れてはもらえないと分かっていた。だから、自然とタビは生まれ育った家から離れ、黙々と近くの大きな街まで歩いた。


 そんなことがあって、タビがもう一度大人を信じられるようになるのは、少し、難しい。イフィクラテスもイフィゲネイアも大人だ。タビを邪魔と言った両親と同じ、大人だ。


 でも、タビを弟子にと言ってくれるなら。もしかするとタビを邪魔だと言わないのではないか、と心の中に希望の芽が生まれてくる。それは押さえつけても無駄で、タビは期待が高まるのを抑えられない。


 イフィゲネイアはタビの柔らかいほっぺたを撫でて、仮面の下で微笑む。


「錬金術師が弟子を取るのはごく自然なことよ。特に、これと才能を持った人間を見つければ、何としてでも弟子にしたがるものなの。イフィクラテスはあなたに才能を見出して、弟子にしたいと思った。私もその意見に賛同するわ、あなた」


 何となく、イフィゲネイアは、タビからは仮面で見えないものの目を逸らしたように見えた。


「多分だけど、頭がよさそうだから」


 タビは復唱する。


「多分なの?」

「多分よ。だって、まだ会って話して一日も経っていないから」


 まあそれはそうなんだけど、とその事実にはタビも納得せざるを得ない。出会ったその瞬間に興奮して声をかけてきたイフィクラテスがおかしいのだ。


 とはいえ、イフィゲネイアもイフィクラテスがタビを連れてきたことに反対はしていない。弟子にすることも受け入れている。


 じゃあ、一体、弟子にしようと思った本当の理由は何なのだろう。つい、タビはそう疑ってしまう。


 タビはそれを知るためにも、イフィゲネイアの黒い仮面の奥の目を覗こうとしたが、暗くてよく見えなかった。


「つまり、大した意味はないわ。ただ出会ったから、そう」

「おはようッ!」


 挨拶の言葉とともに、バーン、と扉が開かれた。


 イフィクラテスだ。白いローブに黒い仮面、肩までかかる癖毛が揺れている。


 呆気に取られるタビへ、イフィクラテスは逆に呆れた様子で急かす。


「何だ、まだ着替えていないのか。早くしないと朝食が冷めるぞ」


 そう言われて、タビは慌てて着替えることにした。


 その横で、イフィゲネイアはイフィクラテスへ問う。


「イフィクラテス、まだこの子に何も話していないの?」

「ん? ああ、昨日は腹いっぱいに食わせて綺麗にして、安心させるほうが先だと思ったからな」

「まあ、そうね。追々、話せばいいけれど」

「それよりもだ! イフィゲネイア、タビ! いいことを思いついた!」


 朝からテンションの高いイフィクラテスは、手に持った錫杖を壁に置いてから、もう片方の手に持っていたガラスのような指輪を掲げて叫ぶ。


「これがタビの目標だッ!」


 タビとイフィゲネイアは、そんなイフィクラテスを見ていることしかできなかった。朝から何をしているのだろう、この人は。シャツを着替えながらそう思ったタビは、とりあえず着替えを終わらせることにした。


 イフィクラテスはまだ言いたいことがあるらしく、ちゃんとそれを待っていた。タビが着替え終えると「もう大丈夫か?」と聞いてきた。タビは首を縦に振る。


「うむ、よし。なら」

「イフィクラテス、それは朝食の後にしましょう。焦らなくてもタビは逃げないわ」


 イフィゲネイアの穏やかな制止に、イフィクラテスは数瞬ののち、納得してつぶやいた。


「それもそうだな、うん」


 タビを拾ったり、朝から騒がしかったり、この人たちは一体、何を考えている人たちなのだろう。タビのそんな思いは募るばかりだった。

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