第十話 未来を変える提案を
「まずは、このダンジョンの植生だ。寒さを好むマロニエや、白樺など針葉樹が中心の周囲の森とは明らかに違う、椎や樫といった亜熱帯の照葉樹まである。これが意味するところは何か? タビ、どう考える?」
質問を振られたタビは、まだ疑問から抜け出していない自分の考えを、おずおずと持ち出す。
「誰かが、ここにその木々を植えた……ですか? 人工的に作られた森、だとか」
「いい着眼点だ。つまり、ごく自然に生まれたものではない。いや、偶然によって、ある意味では自然というものが保たれたんだ。このダンジョンは恣意的にその環境を作り出した」
「えっ」
タビはイフィクラテスの言っている意味がよく分からない。イフィクラテスは回りくどい言い方は好まないから、知りたい答えに近い言葉を選んだ結果がそうなった——のだろうとは思うが、それでも分からない。
「だが、あいにくと人の手は入っていない。そして何より、動物までは亜熱帯の生き物ではない。ダンジョンの外と同じ、現地のものだ。ここに来るまでに見たミイラ化していた兎や鹿は、現在のラエティアでよく見られる野生動物だからな」
「えっと……つまり、植物だけ外の環境と違うものがある、その原因は……ダンジョン、ですか? ダンジョンがあるから、そうなった、ではなくて?」
イフィクラテスは「そのとおり!」と大声でタビを褒めた。あまりに大声だったため、タビも『管理人』もビクッと体を震わせる。
「そう、因果関係が逆だ。ダンジョンのせいでそうなったのではなく、ダンジョンはその環境を守るために存在するようになった」
イフィクラテスは『管理人』へ向き直る。
「『管理人』、このダンジョンはごく最近生まれたものだな?」
「……そうだぞ。それは間違いない」
「おそらくここ一ヶ月程度だな。だが、ダンジョンのこの土壌は数万年単位で保管され、地表に出てきたようだ」
「数万年……!?」
「ラエティアの近辺が亜熱帯に近い環境だったのは、そのくらい前だろう。その環境が丸ごと地下に移動し、その当時の種をほぼそのまま保管する貴重な場所となっていた。だが、『管理人』が生まれ、ダンジョンとして地上に現出してしまったんだ」
タビは「あっ」と気付きの声を上げる。確か、そんな話をイフィクラテスから聞いたことがあった。数千年、数万年前は世界中の気候が違っていて、砂漠は草原だったし、山脈は平地だったこともある、と。
ならば、現在の冷涼な森林地帯が大昔はまったく違う環境だった、ということもあり得るのだろう。それに、植物の種は環境が悪ければ芽吹かずに、じっと土の中で眠っていることもある。そうして大昔の植物はこの土地に眠っていて——なのに、ダンジョンがそこにできてしまった。
キノコの『管理人』がうにょんと傾き、まるで肩を落としたような仕草をしていた。
「はあ。爆発魔、悔しいが、お前は賢い。そこまで見抜かれるとは思わなかった。こほん、いかにも、ワガハイ、このダンジョンの『管理人』であり『金を生むキノコ』ラハクラッツだぞ」
ラハクラッツは、本当は偉ぶりたいのだろうが、イフィクラテスの前ではそんなことは無意味だと分かっているのだろう。樹木の手を吹き飛ばしたあの爆発を見てしまった以上、イフィクラテスの機嫌を損ねればどうなるかは明らかなのだから。
交渉ってこういうものだったっけ、とタビは納得いかない気持ちもあるが、とりあえず黙っておく。
「ダンジョンは過剰なエネルギー源によって時間と空間が歪むが、あらかじめそれに相当するものがあるケースと、モンスターの『管理人』が生まれてその過剰なエネルギー源が生まれてダンジョンが形成される、というケースがある。鶏が先か卵が先か、という議論になりそうだが、今回は後者だ。ラハクラッツというモンスターの誕生によってこのダンジョンは生まれ、この環境は維持されている」
ラハクラッツ、ラエティア北部の言葉で『金のキノコ』だ。つまり——ラハクラッツはその傘や胞子に金が混じっているように、本当に金を生むキノコなのだろうか。それとも、金から生まれたキノコ、なのだろうか。タビはそんなことを思いついたが、まさかまさか、と頭を横に振る。
しかし、それは正しかった。イフィクラテスはラハクラッツにこんなことを尋ねたからだ。
「あくまで確認だが、貴殿の下には金鉱脈があるな?」
「あるぞ。それ自体がワガハイの核だ」
「ふむ、思ったよりも大規模だな。さすがにそんなものの存在を知られれば、ダンジョンどころかこの一帯の地形が変わるほどに開発されてしまうだろうな」
うむうむ、とイフィクラテスは今の問答でどうやら結論を得たらしい。タビに対し、その結論を惜しげもなく披露した。
「ラハクラッツというモンスターが生まれたことで、このダンジョンができ、種の保管庫たる土壌は地表に出てしまった。だが、ここの土壌で保管されてきた植物たちが生き延びるためには、昔の環境と大きく異なった寒冷地に慣れる必要がある。ラハクラッツはそのために尽力した。ソクラテアは世話係のモンスターとしてラハクラッツに作られ、ダンジョン内に水分を供給していた。少なくとも、時間と空間に大きく影響を及ぼすダンジョンという揺り籠の中であれば、外がどれほど寒冷地であっても温暖な気候は保てるが、水源だけはどうしようもない。天候までは左右できないし、現在のラエティアは水脈が豊富とは言えないからな」
「……むう、全部当てられてしまった。そうだぞ、ワガハイ、努力しているのだ」
「ああ、実に素晴らしい。己を守るためではなく、今そこに放っておいては死に絶えてしまう植物たちを守るために、このダンジョンを利用し、モンスターを生み出して試行錯誤を行なっていた。それはまさしく、『管理人』と呼ばれるに値する行為だ」
なんと、『管理人』ラハクラッツ、すごかった。とんでもないことをしていたようである。
とはいえ——水不足という問題は、この場所が場所であるだけに、解決しそうにない。たまに降る雨や、動物から水分を奪ったところで、このダンジョンすべての植物が生き延びられるかと言われれば、明らかに量が足りないだろう。今は何とかなっても、長期的に見れば微力すぎる延命措置にすぎない。
もしかして、とタビは想像をたくましくすると、こんな未来があるかもしれない。
ラハクラッツはさらなる水を求めて、ダンジョンを拡大させる。ダンジョンからモンスターを出して、水を確保しようとあちこちに派遣するようになる。すると、人間の使用する水源を見つけ、奪い取ろうとする。そうなれば、人間とは生存競争を行わざるをえず、その影響はどんどん広がって、この付近の土地の人々は住処を追われることになる——などという、未来だ。
そうなれば、人間にも少なからぬ被害者が出るし、ラハクラッツは人間と戦うことを余儀なくされてしまう。ラエティアの少ない水源を安定的に確保しようとするなら、どうしてもそうなる。ラハクラッツとこのダンジョンが危険視されるようになれば、よそから冒険者が来て、ダンジョンを破壊していくだろう。となると、この環境も失われてしまう、ということだ。
ひょっとすると、ラハクラッツはもう、生きていくすべが限られていることを知っているのかもしれない。人間との衝突を予想して、どうにか勝てるようにできないか、と暴走しはじめる前にタビとイフィクラテスがここへ来たのは、ラハクラッツにとっての僥倖となりえるのでは?
タビはイフィクラテスを見上げた。それだけで、イフィクラテスはタビの言いたいことを理解したかのように、タビの肩を軽く叩いた。
イフィクラテスは、タビの見たい未来を、この状況の解決策を提示する。
「よし、ラハクラッツ。俺が錬金術を使って、十分な水を供給しよう。その代わり、貴殿にはこの環境を保ってもらい、少しでいいから一部の植物を定期的に譲ってもらいたい。これが、最初に言ったここを共益地とする、その内容だ」
思ったより長くなってる最初のダンジョン……仕方ないね!




