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箱物語  作者: 胡虹こいろ
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浮かぶ村

野宿が続くと、人は簡単に弱ってしまう。


「ごめん、俺なんか今日食べられないかも」


そう杏が言い出した翌日、雪も急激に口数が減り、その翌日には杏が少し熱を出した。

それでも歩くしかない。

あの村で休めていればと、考えるだけ無駄なことが頭をよぎる。


この際、屋根があればどこでも良い。

そうは思ってもこのあたりに村は知らず、内心で焦りが募っていく。


そんな中、行ったことのない土地が目に留まる。


山から下ってくる大きな川と川に挟まれた、小さな島にも見える陸地。

もこもこと美しい緑が茂る中、奥に建造物のように見える物があったのだ。


「あのさ、あの川の向こうを見に行きたい。待っててくれる?」


ちょうど、随分前に捨てられたとおもわれる古ぼけた小舟が草むらにあるのを認めて、三人に声を掛けた。

所々朽ちて穴が空いているようだが浮かびはするだろう。


「あー……一人で?」


心配そうに軽く渋る凜。でも正直、小舟は四人で乗るには心もとない状態で、みんなで行ったとてまた帰ってくる羽目になる可能性も十分にある。あまり詰めてはこない様子を見ると、それが分かっているのだろう。


「なるべく早く戻るからさ、楽にして待っててよ」


言いながら足を進めようとすると、「あのさ、」と、どこか強張った声に呼び止められる。


「体調不良者、使えない?」


そう言って企み顔をする杏は、とても体調不良者には見えなかった。




「じゃあ、雪を頼むね」

「うん、杏を頼んだ」

「頼まず俺に任せてほしいところ」


一通りの問答を経て舟に乗り込んだのは、私と、案外元気そうな杏だった。

櫂が無かったので、形の丁度良い流木を使って私が漕ぎ、舟の所々の割れ間から染み出してくる水をたまに杏が掬い出している。


「俺はとりあえずめちゃくちゃしんどそうにしとくから、良いように使ってよ」

「分かってるって」


こうやる気があるときの杏は心強い。

でも、こうはしていても、顔色も良いとはいえず、体調が悪いのは事実なのだろう。

どうか無駄足にならないようにと祈りながら、舟を漕ぐ。


遥か遠くというほどでもなかったその島は、間もなく近付いてきた。





「人いる?」

「いるような気がするんだけど……」


舟から降りて少し行くと、陸地が高くなって森が始まり、奥はよく見えない。でもなんとなく道のようになっており、普段から人か賢い獣が出入りしているようには思える。

私にも無い訳ではない疲労感が、もし外れだったら、なんて考えをちらつかせてくる。


やがて、木々が少しずつまばらになってきた頃――。


「あっ」


まだ離れた位置に、田畑と人影があった。

食料を作り生活している村があるなら、留まるには安心だろう。

後ろにいる弟を振り返る。


「っ! 杏……!」


杏は、しゃがみ込んで項垂れていた。

焦りつつも、もしかしての可能性を思いながら傍に寄る。


その表情は、案の定。

杏は先程と変わりない顔色で、企むような真剣な表情で顔を上げた。企みの内容には、合点がいく。


「……こっから人が見えてるってことは、向こうからも見えるだろうし、俺そろそろちゃんと体調悪い人になるよ」

「分かった。本当に悪くなってきたらすぐ言うんだよ」

「わかってるって」


一気に気が引き締まり、木の上で枝をつつく鳥のがさがさという音でさえ、緊張感を誘う。


それまでと打って変わり、少しふらふらと安定感のない杏に手を貸し、ゆっくりと歩き出した。




俯き気味に歩くその様子はどこからどう見ても病人のようで、顔色さえも悪くなって見えた。

昔から、周りに合わせて笑ったり言動を変えたりすることが少なく、自分を偽らないことを好む弟だったが、いざというときのこういった"フリ"は誰よりも上手かった。


「なんか、しんどいフリしてると余計疲れる気がする……」


何気ないふうに杏が言う。


「休憩する?」

「うん」


珍しく素直だ。

手近な木陰に入り、ゆっくりと腰を下ろす。


いつの間にかじんわりと滲んでいた汗が、風で乾いてゆく。いくらかの沈黙が流れるが、今さら気になることではない。


それよりも気になるのは、座ってからしばらく経っているが、杏がじっと項垂れて、むしろ息が荒くなっていて、本当に一向に動けそうに見えないことだ。

顔は、立てた両膝にうずめられていて見えない。


「杏?」


覗き込むと、杏が少しだけ顔を上げる。


「本当のやつ、来ちゃった……」


その顔は白く、目もしっかりとは合わない。


「でも、待ってたら戻るやつ。本当に……」


言いながら、限界が来たのかまたその顔は膝の間に埋められる。

やはり無理をさせてしまったのか。

そのしんどさの少しでも貰ってやれれば良いのに。そうは思っても、どうしてやることもできないのが現実だ。


「横になったほうが楽じゃない?」


座っている自分の膝を軽く叩いて声を掛けると、杏は大人しく膝に頭を置いて横になった。

いつもの彼なら強がって断りそうなところだけど、よほど余裕がないのだろう。


目を瞑ったまま、杏は荒い息をしている口を少し小さく動かす。


「……なんとか、いけると思ったんだ……。足引っ張って、本当にごめん……」


「良いんだよ。"フリ"だったのが、絶対にばれなくなったんだよ」


柔らかい髪に触れ、指先で軽く撫でた。





そうしているうちに、遠くから此方をちらちらと見ていた人たちのうちの一人が、たたっと走り寄ってきた。

卑しくも、よし、と思う自分がいた。


「あの、さっきから見ていて……、大丈夫ですか……?」


控えめに声を掛けてきたその人は、柔和そうな若い女性だった。若いよりも幼いというほうが近いかもしれない。

数人で話していて、代表して出てきたのだろう、他の数人も遠くから此方を見ている。


「すみません、ありがとうございます。私たちは旅をしている者なのですが、弟が体調を崩してしまって。少しでも休める所があればと、川を渡って来たんです。でも村を訪ねようと向かっているときにまた気分が悪くなってしまったみたいで……」


精一杯、健気な姉らしさを意識し、必死ながらも愛想のある感じで話す。

膝の上の杏も、虚ろな目を開けて彼女を見つめ、小さく会釈をした。


「それは大変でしたね……。この村には宿も何もないのだけど、そういうことなら相談してみましょう。それまで……良かったらうちで休んでいかれますか? 狭いところだから本当に一時的にしか無理だと思うけど……」


「えっ、良いんですか……!」


続く野宿に、親切が素直に響く。

全てが上手くいくなんて思っていない。それでも、一旦でも、疲れている家族にこれ以上無理をさせなくて済むのだと思うと、一気に安堵感が広がり少しだけ肩の力が抜ける。


ふと杏に目線を落とすと、杏も此方を見ていて、目が合うと嬉しそうに少し笑った。





「あ……でも、動けますか……?」


村へ案内してくれようとした彼女は、腰を浮かしかけて、杏の様子を見て躊躇った。

同時にゆっくりと上体を起こし始めた杏に目をやると、「大丈夫、だいぶましになった」と小さい声で言うので、彼女に返事をして歩き始める。


支えて歩く杏の身体は、足を動かしてはいるが安定感がなく、でも遅れないように進んでいく。口でしている息は大きい。


「いつでも担ぐからね」

「……絶対やだ」


心配して言うも、不機嫌そうな声が返ってきた。



少し行くと、先ほど遠くから一緒に見ていたらしい二人が速足で寄ってくる。

声を掛けてきた女性と同じ、二十には満たないだろう歳の若い女性と、もう少し上の三十路前に見える男性。仕事仲間だろうか、籠や道具を持っていた。


「休んでいくって?」


「うん、この子もなんとか動けるって」


「で……なんでこんな所に?」


男性は、最後だけは声を潜めて言った。

まあそりゃ、こんな浮き島に突然他所者がやってきたら怪しむよな。なんて、気持ちは理解できるので腹は立たない。


「この子が体調悪いから休ませたかったんだって。まあ、こんな子どもだし変なこともないでしょ」


そこまで警戒はしていない様子。

どうだろう、いけるかな。


「あのっ」


健気に、誠実に。


「実は……、あと二人、岸で待っているんです」


三人の注目が集まる。幼く健気な姉に見えますように。


「二人も、野宿で疲れてきていて。でも船は二人しか乗れなかったから、一番調子が悪くて早く休ませてあげたいこの子一人を連れてきたんですが、もし少しの間でも滞在できるならあとの二人を迎えに行きたいんです」


三人は困惑したように顔を見合わせる。


「誰に、交渉(そうだん)したら良いですか?」


幼く健気な姉に見えなくとも、願いが叶うなら、別に良いのだけど。





やがて、少しずつ辺りに小屋のような家が増えてきた。土を掘り下げた床に平たく屋根を葺いた、よくある形の物だ。

 

陽は、声を掛けてきてくれた人の家まで俺を送ると、話をしに村の奥の方へ案内されていった。一人残すのを心配して、最後の別れ際まで、俺を連れていくか迷っていた。また動けなくなって迷惑をかけるのも嫌だし、俺は大丈夫だと押し切ったのだった。


「お邪魔します……」


確かに小さいが、手入れのされた安心感のある家。

気分はさっきよりましになったが、まだ胸の奥の方がふわふわとして気持ち悪い。


「お水と(とこ)、用意するから待っててね」


お姉さんはぱたぱたと用意をしてくれる。

良い人で良かった、なんて偉そうなことを思ってしまう。


「ほら、来て良いのよ。おいで?」


柔らかい笑顔に誘われて、おずおずと部屋に入る。

生活感のある暖かい香り。知らない場所なのに、不思議と落ち着く。


お姉さんは世話焼き上手で、流されるうちに、水を飲み、手足を拭き、布団に寝かされてしまった。


「あの、すみません。何から何まで……」


お姉さんは優しく微笑む。


「しんどいときに、気は遣わなくて良いのよ」


その手が軽く頭に触れる。まるで指先で撫でるように。

見知らぬ人の家。いつも守ってくれる姉もいない。

それなのに、なんだか安心してしまって、眠気が押し寄せてくる。


「……うん、ありがとう…ございます」


深いところに眠った記憶が懐かしがっているのだ。

きっと幼き日にしてもらったように。

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