5 さくらがもうすぐ満開の公園で
公園の入り口に向かっていく新井の背中は、結構広い。
すぐに戻ってきたその手には、スポーツドリンクのペットボトルが二本。わたしに一本を渡すと、彼はさっきと同じように、私の隣に座った。
新井よ。これはヤバい。さして親しくもなかったはずのクラスメートにここまでの面倒見のよさ。こんなこと学校でしていたら、勘違いして惚れてしまう女子、続出だろう。
「……ありがと。あ、お金」
わたしはポケットに手を入れたけれど、その瞬間に気がついた。ちょっと公園で練習するだけ、と思っていたので、スマホと家の鍵しか持ってこなかった。しまった、と顔をしかめるのと、新井が慌てたように「いいって」というのが同時だった。
「いや、教えてもらったこっちが奢んなきゃいけない立場なのに」
「だから、いいって」
もう一度強く新井は言った。そのまま、自分のボトルの封を切って飲み始める。
性格までイケメンは、ずるいなあ。
半ば他人事のようにそんなことを思ったけれど、すっかりのどが乾いていたわたしも、それ以上四の五の言うのはやめて、ありがたく受け取ることにした。今度、学校で会った時に何かでお返しすればいいか。
「それよりさ、家島、身長百六十超えてるだろ。このミニのボードよりも、多分レギュラーのボードのほうが乗りやすいんじゃないかな」
「そんなのあるんだ!」
両親とこっそり、妹のプレゼントを買いに行った売り場には、色とりどりのボードが並んでいたけれど、サイズは一種類しかなかった。それしかないのだと思っていた。
「ブームの中心が小学生だから、あんま売れないと思われてんだろうな。専門店にしかないみたいで、この辺だとネット通販で取り寄せるしかない」
「よく知ってるね」
「買ったから」
「まじで?」
わたしの相づちにうなずいた新井はちょっぴり得意げで、思いのほか、かわいかった。いい顔するなあ。
「弟の見てるうちに、自分の分も欲しくなってさ。今度持ってくるよ。……だからまた、練習しない?」
「え?」
わたしは思いがけない提案に呆気にとられた。
なんでだ。新井、友達いないのかな。いやいや、いないわけがない。クラスの中心、陽キャの新井が呼んだら、朝六時の公園だって軽く十人は集まるんじゃないか。
そんな疑問が超高速で脳内を駆け巡る。
「ああもう。家島は本当に鈍いよなあ」
「いや、この流れでなんで、わたしがディスられなきゃいけないのかな」
反射的に言い返すと、新井はふてくされたように、飲み終わったペットボトルを、離れたゴミかごに放った。吸い込まれるようにすとんと、ボトルは狭いゴミかごの入れ口に落ちていった。
「スリーポイントシュートが決まったから、言う」
「何を?」
「俺が、家島のことを好きだってこと」
「へっ?」
思わず変な声が出てしまった。飲み物にむせなくて本当に良かった。
「ハナエン部じゃなくて、家島を見てたし、バランス感覚いいなあって思ってたけど、スタイル綺麗だなって不埒なこともちょっとは考えたし。先月、弁当の時に、さくらの塩漬けをのっけたカップケーキを焼いてきて、女子同士で食ってたろ。あれ、いいなあって思って、一個ちょうだいって言いたかったけど、意識しすぎちゃって言えなくて、後ですっごい後悔したこととか。今日ここで会えて、めっちゃラッキーって思ってることとか。って言うか、去年の一学期のときから、しょっちゅう話しかけてて、他の奴からは、お前、家島のこと好きすぎってからかわれまくってるのに、当の家島だけは全っ然、気がついてないところとか」
一言一言、言うごとに、新井の頬は赤くなっていくし、目線はどんどん背けられている。
わたしの頬も、新井の一言一言で、どんどん熱くなっている。
嘘。
……じゃない。よね。
新井はこんな質の悪い嘘を、こんな恥ずかしそうに言えるタイプじゃない。
そういうわたしだって、我が身を振り返ってみれば、昇降口で友だちと話している新井の姿を遠くから見つけたとき、あとでその現場に行ってみて、何気なく下駄箱のマス目を数えながら新井の身長がここぐらいだな、ってアタリをつけたから、新井の身長が百七十四センチくらいだって知っているのだった。
バスケ部のレギュラーだったからなのか、ゴミを捨てるとき、わざわざゴミ箱まで行かないで遠くから狙って投げるのに、外れると、舌打ちしながらでもちゃんと歩いていって、ゴミを拾って入れ直すくせも。
購買で買えるパンのなかでは、イマイチ人気がないカボチャコロッケサンドがお気に入りだってことも。
靴のかかとは絶対に踏まないで、つま先立ちでケンケンしながらちゃんとかかとを納めることも。
誰とでも明るくしゃべって、いろんな話ができるし冗談も好きだけど、その場にいない人の悪口は絶対に言わないことも、人を陥れる類の悪ふざけは笑いながらちゃんと止めることも、知っている。
え。これって。これってつまり。つまりわたしも、そういうこと……なんだろうか。
でも、言葉はわたしの口を追い越してしまって、その結果のはずの結論は、手が届きそうなのに真っ白で、わたしは無様に口ごもった。
「えっと、あの。……あの」
「だから、ちゃんと言っていい?」
怒ったような表情の新井に、やっぱり気おされて、わたしはうなずいた。
「付き合ってほしいし、次の練習は公園デートだと認識してもらえたら嬉しいんだけど。やっぱ、だめ?」
「……だめじゃない、です。あの、うれしい、です」
真っ赤な頬のままで、新井は、ぷはっと息を吐き出した。
「何で? そこで敬語になる家島、めっちゃ面白い。最高」
やっとのことで捕まえて、絞り出した言葉に、そんなリアクションを貰うとは思っていなかったわたしも、緊張の糸が切れて笑ってしまった。
そんなわけで、さくらがもうすぐ満開の公園で、わたしは新井と、来週の日曜日の朝もここで練習する約束をした。その予定に、こっそり内心で、カップケーキを作ってこよう、と書き足してしまったのは言うまでもない。