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3 兄貴業と姉業

 新井とのかかわりは、入学式の直後に行われたホームルームのあとで言葉を交わしたのが最初だった。

 出席番号順に指定された座席で、わたしが彼のすぐ後ろだったのだ。あらい、いえしまで、三番、四番の並びだった。正直、会話の内容は覚えていない。その次の時間、教科書・資料集配布のために、教室を移動しなければならなかったので、指定された家庭科室はどこにあるのか、とか、そんな内容だったように思う。


 新井は誰とでもすぐに打ち解けられる明るい性格と、いやみのないすっきり整った外見で、すぐに、クラスの中心的存在になった。元はバスケ部だというのが納得の運動神経も、きっちり上位につけてくる学業成績もそつがない。わたしはといえば、中学までと変わらない立ち位置の、いてもいなくても大して目立たない、ほどほどに自分の意見を言い、ほどほどにみんなに合わせるモブキャラ。勉強は普通ぐらい、運動はまあまあ苦手な華道・園芸部員。これぞ地味、というプロフィールである。


 受験を経たせいか周囲も全体的に少し大人びて、中学生の時にあった理不尽なスクールカーストみたいなのは減っていたけれど、それでも、新井とわたしは住む世界がちょっと違う、という感じだった。


 誰にでも気兼ねなく声を掛ける新井と、ときおり会話を交わしたことはあったけれど、わたしから話しかけたこともなかったし、学校の外でしゃべったのなんてこれが初めてだ。


 そう言えば、私服は初めて見る。ジャージだけど。


 わたしは、自分の服装を見下ろした。こちらもジャージ。色合いは地味なネイビーだけれど、身頃の部分に織り込み柄で入れられた海外アニメのペンギンのキャラクターが、光の当たる角度によって浮き出して見えるものだ。うーん、子どもっぽい。


 それをちょっぴり恥ずかしいな、と思った自分が意外だった。新井が小ばかにして周囲に言いふらすかもと思ったわけではない。そういうタイプの人間ではない。そうではなくて、新井に見つかってしまったことそのものが、ちょっぴり恥ずかしい。


 だったら、さっさとボードを取り返して帰ればいいようなものだが、それもなんとなくどうよ、と思ってしまって、わたしはここでぼんやりと、新井が楽しそうに滑る姿を眺めているのだった。


 本当に、何だかなあ。


 見ていると、新井はさらにスピードを上げた。妹の、進行方向の足はあまり動かさず、後ろ側の足だけをゆするような漕ぎ方よりもダイナミックに、腰から下全体を左右にひねって全身の筋肉を使って漕いでいく。


 それから、両腕を水平に広げて、バランスをとる。何かやる、という気合を感じるタメに、わたしも息をつめた。まるで、フィギュアスケートのテレビ中継で、ジャンプしようとしている選手を見つめている気分だ。


 新井の姿勢が低く沈んだ。バランスをとっていたはずの右手で、後ろ側の板をつかむ。そのまま、しゃがみこんだような姿勢で数メートル滑っていく。

 あれはすごい。立って漕ぐのでも大変なのに、あんな体重移動をしても平気だなんて。


 ふたたび、彼の足に力が入ったのが見て取れた。

 まさか、滑っているままで立ち上がる?


 だが、次の瞬間、がつっとボードが地面にすれる音がして、新井は地面に尻もちをついた。


 わたしは、思わず止めていた息を吐き出した。

 惜しかった。もうちょっとで立てたと思う。


「わりい、調子乗った。ボードに傷つけてないといいんだけど」


 新井はボードを中央の軸のところで掴むと、照れくさそうに襟足のあたりをかきながらわたしの座っている噴水に向かって歩いてきた。


「あれ、あの後もう一回立つ技? 新井すごいじゃん」


 わたしが言うと、まあ、そうなんだけど、と返事をしながら彼はどさっと隣に腰をおろした。


「立って完成だからな。たぶん、得点にはならない」

「得点とかあるの?」


 尋ねたわたしに、彼はちょっとそっぽを向きながら言った。


「いや、わかんないけど。あったらいいな、と思ってさ。ほら、競技スケートボードだとあるじゃん。技の名前が決まってて、規定時間内にこなした技の数と種類で得点が積み重なってくやつ」


 オリンピック種目に採用された方の競技だ。スケートボード以外にも、自転車の曲乗り競技みたいなのでもそういうシステムだった気がする。


「あーあるね。うん、こっちのスケートボードでもやれそう」

「弟とさ、こういう感じでどっちがすごいか、っていうので競争するわけ。男きょうだいだからさ、意地の張り合いになるんだよな。んで、らちが明かねえから、俺んちルールで、勝手に技のレギュレーションと得点決めてさ、それで時々、勝負してんだよ」


 悪い、ともう一度彼は繰り返した。


「そういう荒っぽい環境でやってっから、乗ってたら楽しくて、ついいつものノリで滑っちゃったけど、妹のなんだろ。大事に乗ってるみたいだし、傷ついたら悪かったな、と思って。うー、まじでダサいことした。ほんと、ごめん。サンディングとかで直るといいけど」


 ああ、そういうの、しっかり気にするタイプなんだ。

 わたしは苦笑して肩をすくめた。


「いいよ別に、そんなの。屋外で使うものだし、妹だって結構手荒だもん。もともと傷だらけなんだから、わたしにだって、どれが増えた傷かわかんないよ」

「女きょうだいでもそんなもん? もっと、ふわふわキラキラしてんのかと思った」


 その表現に、つい、ふきだしてしまった。

 新井、お姉さんや妹、いないんだろうな。実際の姉妹なんていたら、新井がつい今しがた言ったような男子高校生の夢を、ぶち壊しにする存在に違いない。


「してないしてない。ケンカもしょっちゅうするし」

「でも、一緒にお菓子作ったりとか」

「ああ、それはするけど」


 やっぱりするんだ、と、妙に嬉しそうに新井は笑った。甘いもの、好きなんだろうか。そう言えば、購買ではしょっちゅうカボチャコロッケサンドを買ってくる。


「でもさ、それは女だからってわけじゃないでしょ。作りたかったら、別に、男きょうだいでお菓子作ってもいいじゃん」

「そりゃそうだけど、違うんだよ、それは。わかってないなあ」

「そんなものかな」


 何がどう違うのかも分からないけれど、心外そうに口をとがらせる新井に、また、笑ってしまった。


「家島もネイルスティック乗るの」


 聞かれて、わたしは一瞬ためらったけれど正直に答えた。


「乗れない」

「え、じゃあ、なんで?」

「いや、ちょっと練習したら簡単に乗れるかなって思ったんだけど、甘く見てたわ。借りてきてはみたけど、全然妹みたいに乗れない。あの子は割と簡単に、すぐ乗れるようになってたんだけどね。今は自分の運動神経のなさに絶望してたとこ」


 冗談めかして言ったけれど、新井は笑わなかった。


「妹、いくつ?」

「今度、小四」

「ああー。早いよな、そんくらいの子。自分のを買ってもらう前に、もう、かなり友だちに遊ばせてもらってたんじゃね? 女の子同士だったら、友だちの方から、教えてあげるよー、なんつってさ」

「ああ!」


 その可能性は、なぜか、わたしの意識からすっぽり抜け落ちていた。新井に言われて、すとん、と腑に落ちた。

 いつもわたしの真似をして、わたしのあとをくっついてきているような気がしていたけれど、あの子には、もう、あの子の時間があって、あの子の社会がちゃんとあるんだなあ、なんて、おばさんっぽいことを考えてしまった。

 これからも、そんなことは増えていくのかもしれない。わたしにはできなくて、妹にはできること。逆にわたしにはできるけれど、妹はやってみようともしないことも。

 それは、どこか寂しいようでいて、どこかすっきりと明るい、不思議な気分だった。


「練習、ちょっとコツがあるんだ。やってみる?」

「え、新井、教えられんの」


 乗れるのと教えられるのは別物だと思う。思わず、尊敬のまなざしを向けてしまった。


「うちはさ、弟が、友だちが乗れるのを見て欲しがったんだけど、全然乗れなくて。親が、『このままだと金が無駄になるからお前が教えろー!』って無茶ぶりしてきたんだよ」

「無茶苦茶! だって、新井もそのとき初めてでしょ、これ」


 この遊具が流行り始めたのはここ三、四年だ。わたしも、おそらく新井も、中学生になって部活が始まって、公園からは足が遠のき始めたような時期。


「ん。だから、ネットでインストラクションの動画探して、こっそり研究。兄貴業も楽じゃねえよなあ」

「わかる。姉業だって、そんなものかも。冬休みなんか、毎日ここに妹連れてきてたよ。私はここでぼけっと座って、すいすい滑る妹をひたすら見てるだけだったけど」

「うちだって、弟が上達し始めたら、あっという間にもう抜かれそうなんだよ。ほんと理不尽」


 大げさに目をくるんとしてみせた新井に、わたしもうなずいて笑った。


「だからさ。乗れるようになるまでのところなら、多少は、マシに教えられると思うぜ」

「やってみたい!」


 あんなにすごい技を見せられた後だ。そこまでのレベルに行くのは簡単ではないとしても、やっぱり、自分だってちょっとは乗れるようになってみたい。

 嬉しくなってわたしは立ち上がった。


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― 新着の感想 ―
[一言] きょうだいが家にいるってそんな感じなのかぁ。 大変やなぁ(;゜Д゜)
[良い点] >いやみのないすっきり整った外見 チェーック!! イケメンだね!?イケメン男子だね!?ふー、これが知りたかったの♡♡ [気になる点] >モブキャラ >これぞ地味 いやいや、そんなん関…
[良い点] 共に弟妹を持つ苦労が分かり合えると言うのは大きな接点であり、またプラスポイントですね。 新井くんを嫌味のない容姿と評していましたが、性格的にも嫌味がない。 なるほど、人気者になれるはずです…
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