プロローグ6
プロローグ 7分の6です。
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人気のない参道に、初秋の空にそぐわない冷たい風が通り抜けていく。
ここはこの国、いや、この世界で最も大樹に近づける場所。この参道以外は人の手に依らない巨大な結界で守られており、一定以上近付けない。この唯一の参道もアルキリオの騎士が交代で護っていて、通り抜けることは叶わない。逆を言えばここまでであれば一般人も入れるし、週に数人程度の参拝者もいるようだ。
交代する部隊は国が管理しており、警備に当たる部隊にも二週間程度前にしか通知されないうえ、伝えられる情報は『警備に当たる日時』と『同時に警備する部隊名』だけだ。あとわかっていることと言えばおおよそ二十四時間で交代であること、前日にそこへ行けば交代前の部隊がわかる、ということくらい。
そして、今回警備に当たる部隊は俺たち『第三遠征部隊ショートエッジ』と『第一親衛隊ラウンドナイツ』である。
「ダイアスレフ、今日はよろしく頼む」
そう言って右手を出し、握手を促してくるキリアリス。
「こちらこそ、長時間の警備だが気を緩めずにいこう」
努めてにこやかに。今日この時を耐えられるよう何度も何度もイメージしてきた場面だが……どうしても、こちらの右手をだすことは出来なかった。
「お久しぶりです、おおよそ二週間ぶり、でしょうか」
後ろからセイがひょこっと顔を出す。
腰には餞別の剣をしっかりと吊られていた。
「久しぶりだな、セイ。元気そうで何よりだ。
訓練は欠かさずやっているか」
「はい、もちろんです」
セイが元気よく返事をすると、何故かキリアリスが呆れたような視線をセイに送っていた。俺と話しているのが気に食わないのだろうか。
「ショートエッジは六名全員で警備に当たります。ラウンドナイツのほかのメンバーは……」
俺が問いかけるとセイが「うっ」とバツの悪そうな顔でしぶしぶと答える。
「ラウンドナイツは……その、別の活動で昨日出払いまして……警備に当たるのは俺とキリアリス隊長だけです」
すみません、と頭を下げるセイ。その横でキリアリスはなぜか渋い顔をしている。
その態度がただただ癇に障る。本来であればここで謝るのはキリアリスの役目のはずだ。セイが謝る必要なんてこれっぽっちもない。
「そ、その分俺が警備に当たりますのでそこはご安心いただければっ」
申し訳なさそうに言うセイにふっと微笑んで見せる。
「大丈夫だよ、セイ。
うちのメンバーは全員居るから余裕がある。ある程度多めに警備に当たれるようにしよう」
俺がそう言うとセイはぱっと表情を明るくした。
「ありがとうございます。
それで、ほかのメンバーの方はどちらでしょうか」
きょろきょろとあたりを見回すセイ。
「あぁ、もう一時間も前に来て待機所の方で控えているよ。交代の手続きも済ませたから前任部隊には帰ってもらった」
そう言ってにっと笑って見せる。
「さすが……抜け目がないですね。頼りになります」
感心した様子のセイにすこし優越感を覚える。キリアリスはというと隣でため息をつきながら後ろ頭を掻いていた。
「悪いんだけどもう中に入らせてもらう。
セイ、俺は奥で休んでるからなんかあったら呼べ」
「了解」
キリアリスは敬礼するセイの肩をポンと叩いて待機所の方へ歩いて行った。
待機所の扉がぱたんと閉まるのを見送ると、セイはこれでもかというくらい大げさにため息をついて見せる。
「どうやら、だいぶ苦労をしているようだね」
「あぁ、いえ、とんでもない。今回の警備に関しては俺が無理を言って参加させてもらったんです。
感謝こそすれ苦労をしているなんて思っていないですよ」
「そうか、セイがそう言うのなら言及は控えておこう」
「心遣い、痛み入ります」
いつも通り、丁寧な言葉で礼を言うセイ。
無理をして参加をさせてもらった、というのはショートエッジとの警備になるからだろうか。それで無理を言ったからキリアリスもあの態度……とすれば辻褄が合うか。
部下に余計な気遣いをさせるなど、俺には全くもって理解ができないが、本来上下関係というのはそういうものなのだろう。
ただ彼が無理を言ってまで俺たちとのつながりを大切にしようとしてくれたのだとすれば俺は彼の心遣いに報いてあげたい。
「セイ、とりあえず待機所へ戻ろう、君が来たことを知ればきっとみんなも喜んでくれるだろう」
「はいっ」
快活な返事に笑顔で応じ、二人で待機所へと向かいながら、このあと自分がやることでこの笑顔を奪うかもしれないと、締め付けられるような胸の痛みに耐えていた。
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夕食を終え、セイとキリアリスが待機所の仮眠室に入ったのを確認し、クックフェト、フィッキー、スワリアを呼びつける。
「では、手筈通りに二人の監視を頼む」
そう言って武装を済ませた俺は、静かに敬礼するメンバーを背に一人外に出た。
外ではキースとレイアが武装をしたまま警備を続けていた。
「隊長、本当に一人で大丈夫ですか」
らしくもなく、不安そうな表情で心配するキース。
「あぁ。一人でやればラウンドナイツの二人が起きずに事を成した時……俺だけ責任を負えば全て済むからな」
「了解です」
俺一人が責任を負うことに未だ納得がいっていないのか、二人は悔しそうな表情のままだ。だが、このことは今日までの二週間で散々話し合ったことだ。
もし、俺一人が責任を負うことになったらあとを頼むと言ってある。
「ただ、二人が起きたときは間違いなく戦闘になるだろう、ここは頼んだよ」
「あぁ、その時はせいぜい時間を稼いでおくから、のんびりやってくれ」
ひらひらと手を振りながら俺を送り出すキースに、少し胸が痛くなった。
成功したとしても、彼とこうやって言葉を交わすことは叶わないかもしれない。
「隊長」
呼び止められ、一度だけ振り返る。
「終わったらまた酒場で飲みましょう」
振り返った先にはレイアが優しく微笑んでいた。
「あぁ、必ず。
では、改めて行ってくるよ」
今度は、振り返らなかった。
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another prespective by keith…
フレアが立ち去ってからおおよそ四十分が経過した。待機所は静かなもので、風の音すら耳に響くほど。
「隊長、そろそろ着いたかな」
「そうね、どのくらい距離があるかよくわからないから何とも言えないけど、さすがにそろそろ着いたんじゃないかしら」
ショートエッジの二人はどこまでも続くような闇をじっと睨みつけている。
この闇の先、一人で歩き続けているであろう、ダイアスレフを想って。
「セイ達、起きてこないといいな。
もしあいつらが気付かないまま事が済んでしまえば最悪俺たちで隊長を匿うことも出来るかもしれない」
それは淡い期待の言葉。
「そうね、魔術があろうとなかろうと、あの人の力が必要になる時が必ず来る。
そうなるまで、私たちで時間を稼ぐのはありなんじゃないかしら。
そういうことも含めての『後を頼む』ってことでしょうよ」
レイアはゆっくりと息を吐きながら顔を上げた。そこにはいつも通り素知らぬ顔で輝き続ける星。
「皆がこの星のように平等に輝ければいいのに」
レイアが切なげに言った直後、待機所からきしんだような扉を開ける音が響いた。
二人して振り返るとそこには、星明りに照らされた銀髪を揺らしながらセイが静かに立っていた。
「こんばんは、少し早いですが交代をと思いまして。
二人分ココアを淹れてますから中で温まってきて下さい」
いつも通りの優しい笑顔を二人に向けながらセイがさくさくと歩み寄ってくる。
「いや、本当にはやいな、交代時間までまだ一時間以上あるんじゃないか」
いつも通り気さくに振舞って見せながら、キースは待機所の方神経を集中した。キリアリスが起きているか、そしていつ出てきても対応できるように、である。
「どうしました」
待機所を見るだけで休憩に向かおうとしないキースを不思議に思ったセイが首を傾げる。
「あぁ、いや、別に」
「キース、せっかくだから十分ほど休ませてもらいましょう」
セイに見えないよう、レイアが唇の動きで『中で少し話しましょう』キースに伝える。
「……そうだな。
セイ、何かあったらすぐに声を上げるなりこれを使うなりしてくれ」
そう言ってキースは小さなアクセサリーを投げて渡した。
「おっ……と。了解です。
魔力を流したら近隣の部隊に通知が行くアクセサリーでしたっけ」
受け取ったセイがアクセサリーを手首に付ける。
「そうだ、近隣って言っても結構いい範囲に届くから俺らはもちろん直近の村や町くらいには届くんじゃないか。
んじゃ、少し頼んだぞ」
「了解」
言って、キースとレイアは待機所の中に入っていった。
「お疲れ様です二人とも」
中で出迎えたのはクックフェト。
休憩用の部屋に入ると残りショートエッジメンバーとテーブルにはセイが淹れたのであろうココアが湯気を立てていた。
キースは深いため息をつきながらどっかりと椅子に腰かけた。
「はぁ、冷や汗かいたぜ」
そのままココアを手に取り口に運ぶ。
「本当にね、気を利かせる子だとは思っていたけどこういう時のイレギュラーな行動は本当に心臓に悪いわ」
セイの登場が余程堪えたのかレイアも椅子に腰かけながらため息をついて目元を抑えている。
「せっかく俺たちが起きてるわけですし、セイが戻ってきたらもう二時間くらい交代しなくていいと伝えておきましょうか」
壁に寄りかかりながらフィッキーが提案する。
「いいね、彼が起きてこなけりゃキリアリスも動かないかもしれないし、キリアリスが来ても一言言って部屋に戻ってもらえばいい」
寝ててくれれば戦闘になることもないし。と、気軽に言うスワリア。
「違いない。が、あまりしつこく言うと怪しまれるからほどほどにな。……ところで肝心のキリアリスは寝ているのか」
キースが尋ねるとクックフェトがさっと魔術式を組みはじめる。
「──……ちょっと調べてみますね」
感知の術式を組み終わるなり目を閉じ神経を集中させる。数秒のち、眉をひそめながらゆっくりと目を開けた。
「……これ、起きてますね、部屋の中で動いてます」
「ちっ、マジかよ」
悪態を付きながらスワリアが壁の剣に手をかけ腰に吊った。ほかのメンバーも同じように武器を装備していく。
「部屋から出てきたら一応戻るよう促してみるか……駄目なら……」
キースが言いかけたところでガチャ、と、キリアリスがいる部屋の扉が開いた。
ショートエッジメンバーに緊張が走る。
「今、感知の魔術を感じたんだが、何かあったのか」
キリアリスの言葉にクックフェトが目を見開いた。というのも、感知の魔術はあくまで微量な魔力を流すだけな為、一般的に感知されている側には察知できないからである。
「あぁ、えっと、セイが少し休憩をって気を使ってくれたから待機所に入ってきたんだが近隣に敵がいたらいけないと思って、念のためにな」
キースが機転を利かせて応じる。平静を装ってはいるものの、神経の張りつめ方は戦闘中のそれである。
キリアリスは顎に手を当てふむ。と、少しだけ思案すると、
「あぁ、なるほど。それなら確かに辻褄が合うな。
となると外のはセイか。さて……」
キリアリスはまるで今から散歩に出かけるのではないかと思うほど自然な足取りで出口に向かっていく。
言い訳を信じた素振りにキースがほっと胸を撫でおろす。外に向かっているのもきっとセイに話しかけるだけなのだろうと皆が安心して胸を撫でおろしていた。
そんな中キリアリスはゆっくりとノブに手をかけたうえで、
「それならなぜ、ダイアスレフの魔力がこの付近にないんだろう────なッ」
言うと同時にドアを蹴破って外に飛び出した。
「────っ」
慌ててショートエッジのメンバーが外に追いかけていく。
待機所の外では、驚いたまま状況が掴めていないセイと、その隣でキリアリスがポケットに手を入れたまま呆れて項垂れていた。
「やれやれ、ここからどうしたものかな」
はぁ、と大げさにため息をついて見せるキリアリス。
「えっと、みなさん、何を……」
「セイ、ダイアスレフがいない」
戸惑うセイに、キリアリスがぴしゃりと一言放つ。
「居ないって、また、なんでですかキリアリス隊長」
セイが尋ねると、キリアリスはうっ、と困ったように渋い顔をする。
「あー、えーっと、このタイミングならユグドラシルに何かしているんじゃないか」
「大樹に……ですか」
キリアリスの言葉を受けてセイが深刻な顔で俯く。
「あ、あぁ。そう、大樹に」
対してキリアリスは難しそうな表情で目を泳がせた。
「いったい、何をしようっていうんですか」
セイが悔しそうな表情でキースを睨みつける。その視線を受けたキースはいつも通りはにかむと敵意はないよ、と言わんばかりに両手を上げた。
「まてまて、何か勘違いをしているぞ。
隊長が居ないのは少し村の方へ戻っているだけだから……」
「時間稼ぎはいい、もう構えろ」
キースが再度説明しようとしたところでキリアリスが顔を上げて言い放つ。
その言葉にショートエッジのメンバーはやむなしと武器を構えた。
「なんで……」
セイも腰の剣を抜き、泣きそうな表情で唇を震わせた。
「キリアリス隊長、アクセサリーを使います、確実に止めるならこれが……」
そう言ってアクセサリーを引っ張り出して魔力を込める。キリアリスは一瞬眉を顰めると、それを手で制した。
「まて、いい。ほかの部隊を呼ぶまでもないだろ、今から準備して向かってきたところで後の祭りだ。
それに、他を呼んだら、それこそ取り返しがつかなくなるだろうが」
その言葉にセイがはっと思いとどまる。
「それは、つまり……」
「セイッ」
どっち付かずでまごつくセイを見かねてか、クックフェトが声を張り上げる。
「あなたは大樹に向かいなさいッ」
まるで木々を揺らすような怒声に全員が一瞬固まってしまう。
「なに、を」
終始戸惑いっぱなしのセイがさらに混乱した素振りを見せる。しかし、そんなセイを全く鑑みることなくクックフェトは先ほどと同じ声量でつづけた。
「あなただけは通す、だから隊長と話してその真意を聞きなさいッ
セイには、その資格があるはずだッ」
その言葉にキースとレイアが一瞬困惑したものの、すぐに頷いて同意を示した。
「行け、セイッ」
「────ッ」
追い打ちをかけるキースの言葉に、セイが不安な表情でキリアリスの方を見た。
キリアリスは呆れたようにため息をつくと、空を見上げながら、
「行け、こいつらは俺が相手する。
すぐに追いついてやるから話とやらを聞いてこい」
そう、淡々と告げた。一瞬の静寂。セイは頷くと剣を納め、そのまま真っすぐ大樹の方へ走り出した。
その後ろ姿が闇の中へ消えていったことを確認したキースは改めて徒手空拳のキリアリスを睨みつける。
「構えろ
『グングニルのオーディン』
ゼイミ=キリアリス。
そのくらいの時間はくれてやる」
この国で最も羨望を集め、そして畏怖された異名……北欧の大神にして、勝利を司るもの。
「あぁ、優しいな、お前たちは────」
キリアリスはポケットから左手を空へ掲げると、静かに己が罪の名前を喚んだ。
星明りにうっすらと照らされたそれを見て、全員が同じように目を開く。
「まさか、それは……」
驚きと静寂に支配された闇の中、その表情を楽しむかのように、キリアリスはひとり、口元を釣り上げていた。